■「並盛」で分かれる吉野家・松屋の戦略
2025年4月、吉野家と松屋は相次いで牛丼メニューの価格改定を実施しました。図表1、2のように、両社ともに原材料費や人件費の高騰を背景に価格改定を実施しましたが、吉野家は主力商品の価格を据え置く一方で、松屋は主力商品の価格を引き上げる選択をしています。
なお、繰り返しになりますが、「牛丼小盛」「牛丼並盛」「朝食メニュー」など一部商品については、価格を据え置いています。
また、同日より一部店舗において、22時から翌5時までの時間帯に注文された商品に対し、深夜料金として7%前後を加算する制度を導入しています。
■値上げで購入頻度はどれほど変わる?
松屋が実施した今回の牛めし(並盛)の値上げは、はたして適正だったのでしょうか。価格設定の狙いや消費者への影響を詳しく考察するため、消費者に対する価格感度調査を実施しました。
今回の調査は、単に「消費者がいくらまでなら支払うか」だけでなく、「価格変更による購入頻度への影響」も考慮した精緻な調査となっています。具体的には、牛めし(並盛)の価格が変動した場合に、顧客数や販売数量がどのように変化するのかをシミュレーションしました。
その結果、並盛の価格を「460円~500円」の範囲で値上げした場合、顧客数は約1.3%減少し、販売数量は約0.4%減少するという試算になりました。一方で、売り上げへの影響はポジティブであり、価格を460円に設定した場合、売り上げは約6.60%増加、500円に設定した場合は約15.90%増加することがわかりました。
■松屋は「吉野家より安く」を意識
つまり、松屋にとって今回の値上げは顧客離れのリスクが小さく、売り上げ増加につながる妥当な選択だったといえます。
さらに、松屋は今回の価格改定と同時に、一部店舗で22時以降に約7%の深夜チャージを導入しました。この深夜チャージを加味すると、深夜帯の牛めし(並盛)は実質「492円」となり、吉野家の店内飲食価格「498円」をギリギリ下回る設定になっています。こうした価格の微妙な調整からも、松屋が強く意識している「500円の壁」と競合への対抗心が見えてきます。
■価格が高い吉野家が恐れる「リピーター離れ」
吉野家についても、松屋と同様に牛丼(並盛)の価格感度調査を実施しました。その結果、吉野家は「540円」まで値上げをしても顧客数の減少はわずか2.20%にとどまることがわかりました。
しかし興味深いことに、「500円」を超えると約9.90%の消費者が「購入を検討できない」と回答しました。一見すると顧客離れが懸念される数字ですが、実際の売り上げ減少がこの割合を下回っているのは、吉野家の強みである「購入頻度が高いリピーター層」がほとんど減らないためです。
つまり、吉野家にとっては「500円を少し超えても売り上げに大きな悪影響はない」と結論付けることも可能でしたが、あえて並盛の価格を500円以下に抑えています。次のパートで詳しく解説しますが、吉野家は「500円を超えないこと」で、購入を検討しなくなる顧客を最小限に抑えることを狙っていたと考えられます。つまり、企業側も多くの顧客がこれまで通り利用し続けられるよう、心理的なラインを細かく見極めながら価格設定を行っているのです。
■スシロー、ガストなどは値上げで客離れが起きたが…
消費者の価格意識が高まる昨今、そもそも消費者は「値上げ」自体を許容しづらくなっています。そのため、「値上げ」が受け入れられず売り上げ減少につながっています。例えば、2022~2023年にかけて値上げを行ったスシロー、なか卯、幸楽苑、ガストなどの国内大手飲食チェーンです。これら企業は値上げ後に顧客離れで売り上げが大きく減少し、その後、価格を元の水準に戻すことで客数回復を図りました。
実際に各社とも、値上げによる客離れが売り上げ悪化の主因だったことを公式発表や報道、業界分析レポートで認めています。
しかし、原材料費や人件費などコスト増加の影響を考えると、値上げをしないという選択肢は現実的ではありません。そのような状況下で重要になるのが「いかに客数を維持しつつ、利益を確保するか」です。
その際の重要なポイントとして挙げられるのが、消費者の来店動機となる「集客商品」の価格を据え置くことです。顧客は店を選ぶとき、「安い」と感じる基準となる商品があることで心理的なハードルが下がり、来店の動機付けにつながります。また、特に来店頻度が高いリピーターは価格変動に敏感であるため、価格を据え置くことで離脱のリスクを抑えることができます。さらに、全体の値上げを顧客に意識させないためにも、あえて価格を維持する商品を設定する戦略が有効です。
■並盛の価格を据え置いた真の狙い
今回の吉野家のケースでは、この集客商品にあたるのが「牛丼(並盛)」でした。
前述の吉野家のケースで「購入頻度が高いリピーター層がほとんど減らないため」と説明しましたが、実はこれが飲食チェーンの価格戦略における極めて重要なポイントです。つまり、消費者の来店頻度を考慮した価格設定こそが、値上げ時の失敗を防ぐ鍵なのです。
■値上げが嫌われる店、受け入れられる店の違い
昨今の物価上昇の中、消費者の心理としては「値上げは仕方ない」「多少の値上げは受け入れるしかない」と考えている人が大多数になっています。しかし、実際には家計への負担増から、その考えを完全には受け入れられないのが現実です。
その結果、消費行動には「購入量や来店頻度の減少」という形で影響が表れます。「もうその店を利用しない」という完全な顧客離れではなく、「利用頻度や購入量を減らす」という行動変化が主流になっています。具体的には、「週7回お米を食べていた家庭が週5回に減らし、残りの2回はパンを食べる」、「週3回通っていたラーメン店を週1回に抑え、代わりにコンビニなど他の安価な店を利用する」といった具合です。
この消費行動の変化を踏まえると、飲食チェーンの価格戦略において最も重要なのは、「顧客が許容できる価格帯」の見極めに加え、「値上げしても来店頻度を落とさずに維持できるギリギリの価格ライン」を見極めることです。
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高橋 嘉尋(たかはし・よしひろ)
プライシングスタジオ代表取締役CEO
2019年、慶應義塾大学総合政策学部在学中に「価格1%の見直しが、企業の営業利益を約20%改善させる」ということを知り、その影響力に魅力を感じ、同社を設立。30以上の業界、100以上のサービスの値付けを支援している。著書に『値決めの教科書 勘と経験に頼らないプライシングの新常識』(日経BP)
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(プライシングスタジオ代表取締役CEO 高橋 嘉尋)