▼第1位 長野智子氏の「嫌だったら行かない」にため息が出る…「だから私はフジは受けませんでした」女子アナたちの本音
▼第2位 フジテレビの隠蔽は中居正広だけではなかった…「名物キャスターの幼稚なセクハラ」がまかり通るテレビのヤバさ
▼第3位 こうして「フジ会見の動物園化」は避けられた…「三度目の会見」でクレーマー記者を黙らせたフジテレビの奇策
▼第4位 中居正広の「色々たすかったよ」に詰まっている…「女性アナの退社ラッシュ」を止められないフジテレビの根深さ
▼第5位 フジテレビはもう解体するしかない…「第三者委が公表した生々しいやりとり」に元テレビ局員が抱く既視感
■「取引先との会合に利用されていた」という事実
フジテレビ・中居正広問題で、第三者委員会による報告書が発表された。依然、スポンサーは戻ってこず、混乱は続いている。さまざまなところで言及されている通り、中居正広やフジテレビ社員の行動、そしてその後の対応は醜悪というほかない。
しかし、この問題は本当にフジテレビと中居正広だけが悪いものなのだろうか? “テレビ局とタレントという特殊な世界で起きた特殊な出来事”と割り切ってしまっていいのだろうか?
フジテレビの第三者委員会の報告書では「社員・アナウンサーらが、取引先との会合において、性別・年齢・容姿などに着目され、取引先との良好な関係を築くために利用されていた実態はあった」と記載されている。これは、テレビ局以外の会社で働いていても心当たりのある事案ではないだろうか。
フジテレビではタレント・芸能プロダクションやスポンサーとの接待的な飲み会が開催されていたということだが、アンケート形式なこともあってか、具体的な記述や描写は豊富とは言えない。そこで、筆者の独自取材も交えながら、女性アナウンサーを接待要員として扱うような会合について考えてみたい。女性アナウンサーとスポンサーとの飲み会についてのケースを2つ紹介しよう。
■「お前の彼女、女子アナなんだから連れてこいよ」
キー局に勤める20代の女性アナウンサーは、スポンサーとの飲み会に来るように、上層部から何度となく誘われたという。最初は、断れず参加していたが、徐々にそういった飲み会で、相手方の男性にお酒をついだり、つまらない話に過度なリアクションをしたりしなければいけないことに嫌気がさし、断るようになっていったという。すると、徐々に自分の担当番組が減少。アナウンサーが目立ついわゆる“おいしい”番組は外され、目立たない番組がメインになっていったという。
次は、地方局の20代の女性アナウンサーの例である。彼女は、系列のキー局の営業職の男性と交際していた。その男性と会うために、忙しい毎日の合間を縫って東京に来ると「スポンサーとの飲み会が入ってしまった。ウチの女子アナが来られないから代わりに来て」と言われ、参加。自局ではないので必然性はないにもかかわらず、スポンサーの男性陣は“そこに女子アナがいる”ということに満足して帰っていったという。
男性は上司からの「お前の彼女、女子アナなんだから連れてこいよ」という指示があったと弁解したが、このようなことが数回起こり、女性側が彼氏に嫌気が差し、2人は破局することになった。
■スポンサー側にも問われる「見えない暴力」
フジテレビの報告書に記載されていた以外にも、こういった飲み会はテレビ業界で常態化しており、局側があの手この手を使って、スポンサーを満足させようとしていた姿勢がうかがえる。週刊文春が使うような「上納」という言葉との響きとは違うものの、むしろじわじわと精神を蝕んでくるようなタチの悪い飲み会である。いずれの例も、相手はタレントではなくスポンサー企業の社員であることに注目したい。つまり、一般男性だ。また、報告書には「スポンサーから肉体関係を求められた」という社員の声もあった。
そうなると出てくるのが、スポンサー側に責任はないのだろうか、という疑問である。
元NHKのアナウンサー・堀潤氏はX(旧Twitter)にて「社員が接待を強要された相手は芸能人だけではなく、ヒアリングの結果、広告代理店やスポンサー企業も含まれていました。該当する企業は沈黙せず自ら膿を出すべきでは?と思います」とポスト。スポンサー側の責任に言及している。堀氏の古巣であるNHKではスポンサー飲み会自体が起こりようがないので、より説得力がある言葉だ。
■本当の意味で逆らえないのはスポンサーではないか
1月以降、スポンサーは、フジテレビへのCM出稿を取りやめるというかたちで、フジテレビの責任を追及するかのようなポーズを見せている。そうすることで「人権侵害は許さない」というメッセージを発信することができる。これは、ジャニーズ問題のときに、スポンサーが所属タレントとのCM出演契約を解除したときと似ているが、こうすることでインスタントに正義の側につくことができるのだ。
しかし、実際にこういった飲み会が行われていた以上、このフジテレビの悪しき構造、報告書が言うところの「セクハラを中心にハラスメントに寛容な企業体質」に加担し、この構造の“旨味”を吸っていたのは、中居正広もスポンサーも同じといっていいだろう。自分たちにも悪の要素があるにもかかわらず、一線を引いて正義ヅラをする態度には強い疑問が残る。
もちろん、本来は女性側を守るべきフジテレビが、自ら権力勾配がある男性と女性が出会う場を作り、女性が断れない状況を作り出したということは大きな問題である。
■「性暴力」以外にも女性の搾取は存在する
タレントに対しては、局側はギャラというかたちでお金を支払う側である。だが、スポンサーにはお金を貰う側である。今回、フジテレビがスポンサーに出稿を控えられて危機に陥っているように、スポンサーからのお金は局の生命線である。視聴率の取れるタレントを起用するのも、最終的にはスポンサーにお金を払ってもらうためと言ってもいい。
だからこそ、そのスポンサーのご機嫌をとるために、局側は女性アナウンサーを同席させる飲み会を開く。それは、スポンサーからの直接的な指示があったにしろ、局側の忖度だったにしろ、金を払う側と受け取る側という絶対的な権力勾配によって起きるものである。
組織という規模で見ても権力勾配のある両者の集う場で、いち社員である女性アナウンサーがその勾配に従った行動を取らざるを得ないのは、想像に難くない。性暴力のようなことが起きなかったとしても、それは、女性として搾取されているということにならないだろうか。精神的に疲労することは「それも会社員の業務」として受け入れるべきなのだろうか。
今回、世間の大半は、女性アナウンサーに同情的な視点を持っているはずだ。職種は違えど、同じ会社員として、本意ではない飲み会に出席させられたことのある女性は、その葛藤に共感する人も多いだろう。
■「嫌なら行かなければいい」の危うさ
だが、特筆すべきは、同じ境遇にあるはずの女性アナウンサーたち自身が、100%同情的ではないことである。
例えば、元フジテレビアナウンサーの長野智子は4月6日に放送された「Mr.サンデー」で「私、嫌だったら行かないと思うんですけど」と発言。「有名人とか政治家とか、そういう方と太いパイプを持っている方が評価される空気があった」と社内の様子を描写した上で「そういうことをことさら気にする人は、断りにくいと思ったのかもしれません」と述べた。まるで女性アナウンサーが、出世のために自ら好んで会に参加したような口ぶりで、二次加害性をもつものだ。
「ほとんどの人(アナウンサー)たちは真面目に、本当に真摯に、そういう事にイエス・ノーもきちんと言えてきちんとやっている」とも発言しており、そこには「太いパイプを作れるかどうかと危険性を天秤にかけ、その構造を利用するかどうかは自分次第」といった価値観まで読みとれる。裏を返せば、大先輩がこのような意識を持っていれば、飲み会を断る若手は、“仕事にやる気のない人間”とも見なされかねない。
■「だから私はフジテレビは受けませんでした」
また、他のキー局に勤める女性アナウンサーは、筆者に対し「被害にあった彼女は本当に気の毒」とした上で、それとは別の問題として、こう自分の話を語ってくれた。
「そういった飲み会があるということは、試験を受ける前の段階で少し調べればわかることのはず。だから私はフジテレビは最初から受けませんでした」
キー局のアナウンサー試験というのは、かなりの高倍率で、その意味ではすべての就職活動の中で最難関と言ってもいい。しかも、3年生の夏には内定しているケースも多い。つまりは、就活生にとって最速かつ最も難しい試験である。
もちろん、ずっとアナウンサー志望で、深く考えて入社するケースもあるが、フジテレビはキー局の中でも、突出して華やかで長く王者として君臨してきたがゆえに、前者のパターンの多い局である。件の元フジテレビの女性アナウンサーの場合は、その能力の高さゆえに、簡単に受かってしまったのかもしれない。だとすれば、そのようなことがあるとはつゆ知らず、余計にショッキングな出来事となったのではないだろうか。
■「そういう飲み会はあるもの」が個人レベルで内面化されている
改めて、2人の発言を振り返ると、彼女たちの中に「そういう飲み会はあるもの」と、当たり前のものとして深く認識されていることがわかる。「テレビ局で働く以上、そういう場に参加せざるを得ないのは織り込み済み」という意識が内面化しているのである。組織の論理が個人の意識にまで浸透していると言ってもいい。その意識を基本にすると、長野のように、そこで起きたことは自己責任とも聞こえる危険な論に発展しかねない。
キー局の女子アナというのは、一介の会社員でありながら芸能界の論理も入り混じってくる特殊な場所だ。彼女たちが、そう感じてしまうような構造になっていることには同情の余地がある。しかし、本当に疑うべきは「そういう飲み会はあるもの」という認識そのものなのではないだろうか?
上司に言われたら、不本意だったとしても、飲み会に参加しなければいけないのか。会社員であれば、そこで傷ついたりすることも“業務の延長線上”だとして受け入れるべきなのか。
■大物との飲み会でチャンスを得た女性もいる
もちろん、すべての飲み会を否定するわけではない。
とある地方局の女性アナウンサーは、某男性大物タレントとの飲み会に同席したことがあるという。その地方局の特番に男性タレントが出演した日の夜に、局の上層部の指示により、同席を命じられたのだ。ここまでは、フジテレビ・中居問題の構造と変わらない。キー局に比べて、大物タレントとの接点の少ない地方局の“全力の接待”に巻き込まれた形である。
だが、彼女は「とても楽しかったです」と語る。男性タレントはとても紳士的で、場を盛り上げてくれた上に、女性アナウンサーの趣味などを深く聞き出し、キャラクターの売り出し方まで真剣に考えてくれたという。さらに、自身のSNSに、女性アナウンサーを載せてくれて、彼女は強い感謝の念を抱いたという。
彼女にとっては、大物タレントとの飲み会が楽しく、さらにある種の“チャンス”として機能したのだ。
■変わるべきは「権力を持っているすべての人間」
ここまで読んで「この筆者は飲み会を悪としているのか善としているのか?」とわからなくなっている人もいるかもしれない。
結局はケースバイケースになってしまうからこそ難しい。「すべての飲み会は悪」と主語を大きくしてしまっても、ズレが出てしまう。悪いのは飲み会ではない。悪を生み出すのは参加する個人、しかも権力を持った側の個人の意識である。今回の問題への世間の反応を見ても、ハラスメントに対する嫌悪感は強まっており、その境界線も時代とともに変化していることを感じられる。だが結局は、権力を持っている側の意識の変化に頼らざるを得ないところが、この問題の解決を難しくしている。
先の「Mr.サンデー」では、「フジテレビは変われると思いますか?」と視聴者アンケートを実施。結果は「変われる」が22%、「変われない」が78%だった。これも、いくら視聴者の側の意識が変化したところで、総務省から放送免許を与えられたテレビ局の上層部の社員という“特権階級側”が変わらなければ何も変わらないという厭世観の表れだろう。
被害にあったとされる女性アナウンサーは、第三者委員会の報告を受け、こうコメントを出している。
「このようなことがメディア・エンターテインメント業界だけでなく、社会全体から無くなることを心から望みます」
先に変われるのはメディア・エンターテインメント業界なのか。それとも、それ以外の業界なのか。すべての権力側の人間に、その覚悟が問われている。
(初公開日:2025年4月11日)
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霜田 明寛(しもだ・あきひろ)
作家/チェリー編集長
1985年生まれ・東京都出身。早稲田大学商学部在学中に執筆活動をはじめ、『面接で泣いていた落ちこぼれ就活生が半年でテレビの女子アナに内定した理由』(日経BP社)など3冊の就活本を出版。企業講演・大学での就活生向け講演にも多く登壇する。4作目の著書『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は6刷・3万部突破のロングセラーとなり、『スッキリ』(日本テレビ系)・『ひるおび』(TBS系)等で紹介された。静岡放送SBSラジオ『IPPO』準レギュラーをはじめ、J-WAVE・RKBラジオなどラジオ出演多数。Voicy『シモダフルデイズ』は累計再生回数200万回・再生時間15万時間を突破している。
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(作家/チェリー編集長 霜田 明寛)