幸せな結婚をするためには、どうすればいいのか。主宰する結婚相談所でカウンセラーを務めている大屋優子さんは「ある日、ほとんど恋愛経験のない53歳の男性が訪れた。
※なお、本稿は個人が特定されないよう、相談者のエピソードには変更や修正を加えている。
■独身貴族の中年男性(53)が訪れた
「結婚したくなかったわけではない」
「どうしても結婚したいとも思っていない」
令和の時代には、こうした男女が実に多いのである。
仕事もある。友達もいる。趣味もある。生きていく上に不都合は何もない。仕事もそれなりに充実しているし、お金にも不自由はない。周りの仲間の多くは、確かに結婚適齢期と言われる時期に結婚し、家庭を持った。たくさんの結婚披露宴に招待され、祝福してきた。だけど、「次は自分の番だ」という熱い思いも、取り立てて起こることはなく、普段の暮らしの中で、胸がときめくような恋愛もなかった。
昭和の時代なら、結婚適齢期という年齢を超えると、周りからのプレッシャーみたいなものも少なからずあったかもしれない。だが、今は令和の時代。男女雇用機会均等法により女性たちも男性と同じく働き、立派に稼げるようになった。独身を恥ずかしいとか、結婚していないあるいはできないことを、気に留める人も少なくなっている。
「独身貴族」とはよく言ったもので、時間もお金も気持ちも自由に使えるシングルライフは快適で、「おひとりさま」という言葉が市民権を得た。温泉宿やレストランなど、ひとりでも堂々と出かけられる場所も数知れず。なにをわざわざいまさら「結婚」を考える必要があるのだろうか。そんな令和の時代には、独身があふれている。
私の相談所を訪れたのは53歳の初婚の男性。中堅の大学卒で、大手メーカー勤務。身長は180cmと高く、年収は550万円。彼もまた、生涯未婚であるだろうという人生を過ごしてきた。
■第一印象は“実年齢よりも上”に感じた
すらりとした体型と、柔和な顔立ち。若い頃はきっと女性から好感を持たれていたであろう面影があり、年齢を重ねた今もその柔らかな雰囲気は健在だった。だが、髪の量が控えめで、実年齢よりも少し上のような印象を抱いた。
なんとか若作りしなければ、彼の婚活は厳しいものになるだろうと感じた。何しろ、婚活は第一印象の影響も大きい。お見合いするか、しないかはプロフィールで判断されるため、最初に目に入る写真や基本情報は、その人を知ってもらうための入り口となる。相手に興味や関心を持ってもらうきっかけを作るには、学歴や年収や身長だけでなく、醸し出される雰囲気や印象も、判断の要素となってしまうのが現実だ。
さらに、彼の希望は年老いた父親と住まう都内の大きな自宅で、一緒に暮らしていただける女性。つまりは、「親との同居」を望んでいる。親孝行な気持ちは理解できるものの、実家で、しかも義理の親と同じ屋根の下で暮らしてくれるパートナーを見つけるのはかなり困難だ。
■結婚相談所は「写真うつり」が肝である
聞くと、彼の最後の恋愛経験は大学時代。サークル活動で出会った女性と1年間くらいお付き合いをしていたそうだが、バイトや遊びに忙しく、自然消滅してしまったという。
その後社会人になってからは、仕事一筋。オンナっ気のない会社と自宅の往復生活をしてきたそうだ。だが、釣りなどの趣味もあり、仲間もいる。たまに会社のメンバーと飲みに行くこともあり、それなりに楽しいと思いながら毎日を過ごしてきたという。時には仲間から女性を紹介されたこともあったが、それも40歳くらいまでのこと。恋人がいないことを、特段さびしいとも思わなかったそうだ。
そんな彼だが、知人の紹介で私と知り合った。結婚相談所の婚活を紹介したところ、ぜひ入会したいとの要望をいただいたのである。
さて、結婚相談所で本気の婚活をするなら、まずは何といっても、彼のイメチェンは早急な課題だった。
■「ブルース・ウィリスにしてほしい」
彼は決して清潔感がないわけではないし、スタイルも良い。だが、長年、女性の目を意識することがなかったから、髪の毛のことはさほど気にせず、後退が進んでしまっていた。頭頂部は抜け落ち、左右の側頭部だけが残っている状態だ。これでは相手に年配の男性というネガティブな印象だけを与えてしまう。俳優ブルース・ウィリスのようなおしゃれ坊主にすることが最優先事項だった。
聞けば、彼の髪は近所の1000円カットで済ませているそうで、美容院に行った経験は、人生で皆無。私が絶大な信頼を置く美容院のスタイリストに託し、「ブルース・ウィリス」のようなおしゃれ坊主にして欲しいとリクエスト。するとスタイリストは、残っていた側頭部の髪をすっきりと刈り上げ、洗練されたスタイルに仕上げてくれた。元々の顔立ちは決して悪くない。だからこそ、おしゃれ坊主にイメチェンしただけで彼のイメージは引き締まり、まるで別人のように若返った。
すらりとした高身長におしゃれ坊主の53歳は、写真映えした。仕上がった婚活写真に、びっくりしたのは、私より本人。「自分じゃないみたいです」彼は、素直に自分の気持ちを表現した。
■“おしゃれ坊主”の打率は極めて高かった
「婚活で、生まれて初の経験ばかりです。美容院も初めてですし、写真スタジオで写真を撮ってもらったのも初めて。良い経験をさせてもらいました」
お人柄は、温厚で誠実。人望も厚く、職場の同僚たちから愛されている。「良い人」を絵にかいたままの、思いやりあふれる誠実な男性である。助言通りに美容院に通い、イメチェンできたことを素直に喜んでいた。その柔軟さと前向きさに、この人ならうまくいくかも、と期待を抱いた。さあ、いよいよ若返りを果たした50代初婚男性の婚活が始まるのだ。
一般的に、お見合いを申し込んで成立する可能性は10%強と言われているが、53歳のおしゃれ坊主の打率は極めて高かった。
また、写真の見た目だけでは選ばない。“好条件”ばかりを追う高望みの男性とは異なり、彼は年齢が比較的近く、優し気な雰囲気の女性を中心にお申込みをした。つまり、自分の状況を客観視しながら婚活を進めたのである。
■さっそく仮交際になった
彼から申し込んだお見合いはすぐに成立した。入会して最初の週末には、土日に2件ずつ、合計4件のお見合いを実施。うち3人の女性と仮交際となった。
1人めは、同い年の初婚の女性。お父様と2人暮らしをずっとされてきたという彼女は、とても53歳とは思えないほど若々しかった。たまたま彼女のバースデーが初デート日の前日に重なり、お誕生日のお祝いをすることとなった。
彼には「お誕生日ならこんなお店はどう?」とアドバイスし、デザートにはバースデーメッセージを入れてもらうことにした。いたく喜んでくれて順調に進むように思えたのだが、その直後に彼女のお父様が体調を崩して入院。仕事と看病に忙しくなり、なかなか次のデートの予定が組めない状況に陥ってしまった。
2人めは、2歳年下の再婚女性。娘さんが1人いるが、既に嫁いでいる。これからの老後、一人きりは寂しいと婚活を始めたという。
彼自身も、これからの人生を1人で過ごすより、パートナーのいる暮らしを楽しめたらという思いで婚活を始めていたからこそ、2人の思いは似通っていた。だが、初デート後にフィーリングが合わないと先方から交際終了の連絡が入った。ご縁がなかった相手であった。仕方ない、こういうこともあるのだ。
■私からの助言を素直に実行してくれた
そして、3人めがのちに運命の女性となる、3歳年下の離婚経験のある女性。以前の結婚生活はわずか半年ほど。相手のパワハラに振り回され、ジ・エンドとなったという。子どもはいない。優しそうな微笑みをたたえるプロフィール写真から、お人柄が良さそうな女性に見える。
だが実は、お見合い直後の彼はこの3歳年下の離婚経験のある女性には、一番ピンとこなかったようで、デートの報告を聞いていても楽しそうな様子は感じられなかった。私も、彼のテンションの低さから、この女性とはこの先の結婚は難しいのだろうなと想像していた。
だが、一度や二度会ったくらいで、相手のことを判断するのは早すぎる。相手のことをきちんと見て、良いところを見つけるのが婚活である、ということを彼に話してあったので、彼は毎回のデートが終わるごとに、ノー残業デーの水曜日や、翌週末に次の約束を取り付けていった。
「婚活は、恋愛ではありません。デートの時には、結婚後の生活などについて積極的に話をするようにしてくださいね」
彼は私のアドバイス通りに、結婚後の生活についても女性の意向を確認する。毎回、本当に素直に行動してくれるのである。仕事はどうしたいか、どんな所に住みたいか、毎日朝食は食べるのか、週末はどんなふうに過ごしたいか……。結婚を目的とした結婚相談所のお付き合いでは、出来るだけ具体的に結婚後の生活のすり合わせをすべきなのである。
■“父親との同居を厭わない”女性だった
3歳年下の女性は、自分の離婚経験からも思慮深く、次の結婚では過去の自分自身の反省も振り返り、相手に寄り添うことを大事にしなくてはならないことを痛感していたようだった。だから、彼との結婚観のすり合わせで、自分勝手な要望を押し付けるようなことは一切しなかったという。
一方、彼は高齢のお父様と2人暮らしということもあり、できれば自宅で同居をしたい気持ちが強い。同居が無理でも、スープの冷めない距離に新居は構えたいと考えていた。具体的な結婚生活の話を進める中で、彼女の口からは、彼とお父様との同居を「厭わない」という発言があったという。彼の自宅は5LDKで、夫婦のそれぞれの個室も持てることも良かったのだが、それよりも、同居することへの理解があったことが最大のポイントだ。
どうやら彼女は自分の実家も3世代同居の大家族だったそうで、2人よりもむしろお父様がいてくれたほうが、食事を作るにしても張り合いがあると、理解を示してくれたのだ。
この彼女の意向が彼の気持ちを大きく突き動かした。「この女性と結婚したい」という気持ちがどんどん強まっていった。
もちろん彼女の性格にひかれていった点も大きい。とても面倒見が良く、一緒にいると気を遣わず、自分らしくいられるとのだという。しかも彼女は大変聡明で、あらゆる物事の造詣が深かった。彼女との会話は楽しく、時間を忘れるほど話し込んでしまうほどであった。
■女性は“持病”を抱えていた
そこで彼は、なかなかデートができない同い年の女性とは、交際終了にすることにした。父親と同居してくれるこの3歳年下の3人めの女性に、結婚前提の真剣交際を申し出た。そこで、彼女から告白が……。
「私は、実は双極性障害という病気を持っていて、投薬治療で症状は出ていないものの、薬はずっと飲み続けなくてはなりません」
詳しく聞くと、彼女は10年以上前に当時勤務していた会社の人間関係に悩み、また仕事も多忙だったことも相まって心の病気を抱えたという。そして、短期間ではあるものの結婚と離婚を経験。その後はずっと一人でいたが、老後も一人は寂しいと結婚相談所に入会、婚活してきたのだそう。
朗らかな性格の彼女は、お見合い後、仮交際になることは多かったものの、この病気のことを告げると、すべての男性から交際終了を告げられていた。
そんな経緯から、病気のことを男性に話す際は慎重になるようにと彼女のカウンセラーからアドバイスされたそうだが、結婚を前提としたお付き合いとなれば隠したままにするわけにはいかないと、正直に話してくれたのだという。
■「自分だっていつ病気になるかわからない」
もし彼が交際終了を告げるのならば先延ばしにしてはならない。婚活は時間が何より重要で、だらだらと保留にしていたら相手の時間を奪うことになるからである。
帰宅した彼は、すぐにネットで双極性障害のことを検索した。調べれば調べるほど簡単に治る病気ではないことを知り、悩んだ。とはいえ、交際を継続するか否かの決断も先延ばしにはできない。翌日、彼は私のオフィスにやってきた。彼女の持病のことで考えあぐね、昨夜は眠れなかったという。
「いろいろ考えてみましたが、自分も50歳を過ぎて、いつ病気になるかわからない身です。彼女が持病を抱えていたとしても、彼女が好きです。これからの人生を考えた時に、一生独り身でいるより、彼女と日々の暮らしや、会話、趣味や旅行を楽しみたい。だから、彼女と結婚したいという気持ちに、変わりはありません」
そうキッパリと話す彼の表情からは、迷いは感じられなかった。揺るがない誠意がそこにはあった。
「○○さんがそこまでおっしゃるのならば、反対する理由はありません。ただ、この決意を忘れずに、彼女の良いところだけを見て、一生大切にしてください」と告げた。
■中年の婚活は“省みられる人”が成功する
その後、交際は順調に進んだ。お見合いした日から数えて、ちょうど2カ月目のある日、彼は108本の真紅のバラの花束とともにプロポーズをした。108本のバラの花束の意味は「永遠(とわ)の愛」だ。
入会から3カ月。不安を見事に吹き飛ばし、彼はスピード成婚を果たした。年収が特別高いわけでもないし、親との同居すら望んでいる。女性経験もほとんどない。女性側からすればわざわざ選ぶ相手にはなりにくい。
それでも彼は一生懸命、私のアドバイスを実行しようという実直さがあった。おしゃれ坊主へのイメチェンに始まり、積極的にお見合いやデートをこなす「行動力」。そして理想の結婚生活を築けるであろう相手を選び抜いた「決断力」。さらには“幸せを掴むために”と私が口うるさいくらいに伝えた言葉に、真剣に耳を傾ける「傾聴力」。婚活において不可欠なこの3つの要素を、彼は備えていた。だからこそ、彼女も誠心誠意尽くしていく彼の行動にどんどん惚れていったと考えられよう。
「一生独身。定年まできっちり勤め上げ、いつかは年老いた父親を見送り、その後は貯えで老人ホームに入る」
彼が思い描いていた人生設計から一転、結婚相談所での婚活を始めたことで、全く想像していなかった未来を彼は手に入れたのである。年齢が上にいけばいくほど、人からのアドバイスはなかなか受け入れられず、行動に移しにくいものだ。だが、彼はそれをやってのけた。不利な条件でも婚活が成功する人は、自らを省みられることなのだと改めて感じた“余計なお世話”であった。
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大屋 優子(おおや・ゆうこ)
結婚カウンセラー
1964年生まれ、株式会社ロックビレッジ取締役。ウエディングに特化した広告代理店を30年以上経営のかたわら、婚活サロンを主宰。世話好き結婚カウンセラーとして奔走。著書に『余計なお世話いたします 半年以内に結婚できる20のルール』(集英社)がある。
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(結婚カウンセラー 大屋 優子)
第一印象は実年齢よりも上のように感じ、厳しい婚活になることが想像できた。だが、彼はあっと言う間に結婚が決まった」という――。
※なお、本稿は個人が特定されないよう、相談者のエピソードには変更や修正を加えている。
■独身貴族の中年男性(53)が訪れた
「結婚したくなかったわけではない」
「どうしても結婚したいとも思っていない」
令和の時代には、こうした男女が実に多いのである。
仕事もある。友達もいる。趣味もある。生きていく上に不都合は何もない。仕事もそれなりに充実しているし、お金にも不自由はない。周りの仲間の多くは、確かに結婚適齢期と言われる時期に結婚し、家庭を持った。たくさんの結婚披露宴に招待され、祝福してきた。だけど、「次は自分の番だ」という熱い思いも、取り立てて起こることはなく、普段の暮らしの中で、胸がときめくような恋愛もなかった。
昭和の時代なら、結婚適齢期という年齢を超えると、周りからのプレッシャーみたいなものも少なからずあったかもしれない。だが、今は令和の時代。男女雇用機会均等法により女性たちも男性と同じく働き、立派に稼げるようになった。独身を恥ずかしいとか、結婚していないあるいはできないことを、気に留める人も少なくなっている。
「独身貴族」とはよく言ったもので、時間もお金も気持ちも自由に使えるシングルライフは快適で、「おひとりさま」という言葉が市民権を得た。温泉宿やレストランなど、ひとりでも堂々と出かけられる場所も数知れず。なにをわざわざいまさら「結婚」を考える必要があるのだろうか。そんな令和の時代には、独身があふれている。
私の相談所を訪れたのは53歳の初婚の男性。中堅の大学卒で、大手メーカー勤務。身長は180cmと高く、年収は550万円。彼もまた、生涯未婚であるだろうという人生を過ごしてきた。
だが、50歳を超えてきて、残りの人生を1人で過ごすより、パートナーのいる暮らしを楽しめたらという思いがふと浮かんだのだという。そんな彼が、私との出会いで、人生の激変を経験することになる。
■第一印象は“実年齢よりも上”に感じた
すらりとした体型と、柔和な顔立ち。若い頃はきっと女性から好感を持たれていたであろう面影があり、年齢を重ねた今もその柔らかな雰囲気は健在だった。だが、髪の量が控えめで、実年齢よりも少し上のような印象を抱いた。
なんとか若作りしなければ、彼の婚活は厳しいものになるだろうと感じた。何しろ、婚活は第一印象の影響も大きい。お見合いするか、しないかはプロフィールで判断されるため、最初に目に入る写真や基本情報は、その人を知ってもらうための入り口となる。相手に興味や関心を持ってもらうきっかけを作るには、学歴や年収や身長だけでなく、醸し出される雰囲気や印象も、判断の要素となってしまうのが現実だ。
さらに、彼の希望は年老いた父親と住まう都内の大きな自宅で、一緒に暮らしていただける女性。つまりは、「親との同居」を望んでいる。親孝行な気持ちは理解できるものの、実家で、しかも義理の親と同じ屋根の下で暮らしてくれるパートナーを見つけるのはかなり困難だ。
親との同居を積極的にしてくれる女性なんて……「絶滅危惧種」認定されることは、誰が考えても明らかである。
■結婚相談所は「写真うつり」が肝である
聞くと、彼の最後の恋愛経験は大学時代。サークル活動で出会った女性と1年間くらいお付き合いをしていたそうだが、バイトや遊びに忙しく、自然消滅してしまったという。
その後社会人になってからは、仕事一筋。オンナっ気のない会社と自宅の往復生活をしてきたそうだ。だが、釣りなどの趣味もあり、仲間もいる。たまに会社のメンバーと飲みに行くこともあり、それなりに楽しいと思いながら毎日を過ごしてきたという。時には仲間から女性を紹介されたこともあったが、それも40歳くらいまでのこと。恋人がいないことを、特段さびしいとも思わなかったそうだ。
そんな彼だが、知人の紹介で私と知り合った。結婚相談所の婚活を紹介したところ、ぜひ入会したいとの要望をいただいたのである。
さて、結婚相談所で本気の婚活をするなら、まずは何といっても、彼のイメチェンは早急な課題だった。
さきほど、婚活は第一印象の影響が大きいと書いた。ならば、なんといっても写真うつりは肝になる。
■「ブルース・ウィリスにしてほしい」
彼は決して清潔感がないわけではないし、スタイルも良い。だが、長年、女性の目を意識することがなかったから、髪の毛のことはさほど気にせず、後退が進んでしまっていた。頭頂部は抜け落ち、左右の側頭部だけが残っている状態だ。これでは相手に年配の男性というネガティブな印象だけを与えてしまう。俳優ブルース・ウィリスのようなおしゃれ坊主にすることが最優先事項だった。
聞けば、彼の髪は近所の1000円カットで済ませているそうで、美容院に行った経験は、人生で皆無。私が絶大な信頼を置く美容院のスタイリストに託し、「ブルース・ウィリス」のようなおしゃれ坊主にして欲しいとリクエスト。するとスタイリストは、残っていた側頭部の髪をすっきりと刈り上げ、洗練されたスタイルに仕上げてくれた。元々の顔立ちは決して悪くない。だからこそ、おしゃれ坊主にイメチェンしただけで彼のイメージは引き締まり、まるで別人のように若返った。
すらりとした高身長におしゃれ坊主の53歳は、写真映えした。仕上がった婚活写真に、びっくりしたのは、私より本人。「自分じゃないみたいです」彼は、素直に自分の気持ちを表現した。
■“おしゃれ坊主”の打率は極めて高かった
「婚活で、生まれて初の経験ばかりです。美容院も初めてですし、写真スタジオで写真を撮ってもらったのも初めて。良い経験をさせてもらいました」
お人柄は、温厚で誠実。人望も厚く、職場の同僚たちから愛されている。「良い人」を絵にかいたままの、思いやりあふれる誠実な男性である。助言通りに美容院に通い、イメチェンできたことを素直に喜んでいた。その柔軟さと前向きさに、この人ならうまくいくかも、と期待を抱いた。さあ、いよいよ若返りを果たした50代初婚男性の婚活が始まるのだ。
一般的に、お見合いを申し込んで成立する可能性は10%強と言われているが、53歳のおしゃれ坊主の打率は極めて高かった。
多分その理由は、さわやかさ、安定した会社での勤務、高身長などであろう。年収は結婚相談所に登録している50代男性たちと比較するとさほど高くはないものの、地に足が着いた印象で仕上げたプロフィール文からも好印象を持っていただけたようだ。
また、写真の見た目だけでは選ばない。“好条件”ばかりを追う高望みの男性とは異なり、彼は年齢が比較的近く、優し気な雰囲気の女性を中心にお申込みをした。つまり、自分の状況を客観視しながら婚活を進めたのである。
■さっそく仮交際になった
彼から申し込んだお見合いはすぐに成立した。入会して最初の週末には、土日に2件ずつ、合計4件のお見合いを実施。うち3人の女性と仮交際となった。
1人めは、同い年の初婚の女性。お父様と2人暮らしをずっとされてきたという彼女は、とても53歳とは思えないほど若々しかった。たまたま彼女のバースデーが初デート日の前日に重なり、お誕生日のお祝いをすることとなった。
彼には「お誕生日ならこんなお店はどう?」とアドバイスし、デザートにはバースデーメッセージを入れてもらうことにした。いたく喜んでくれて順調に進むように思えたのだが、その直後に彼女のお父様が体調を崩して入院。仕事と看病に忙しくなり、なかなか次のデートの予定が組めない状況に陥ってしまった。
2人めは、2歳年下の再婚女性。娘さんが1人いるが、既に嫁いでいる。これからの老後、一人きりは寂しいと婚活を始めたという。
彼自身も、これからの人生を1人で過ごすより、パートナーのいる暮らしを楽しめたらという思いで婚活を始めていたからこそ、2人の思いは似通っていた。だが、初デート後にフィーリングが合わないと先方から交際終了の連絡が入った。ご縁がなかった相手であった。仕方ない、こういうこともあるのだ。
■私からの助言を素直に実行してくれた
そして、3人めがのちに運命の女性となる、3歳年下の離婚経験のある女性。以前の結婚生活はわずか半年ほど。相手のパワハラに振り回され、ジ・エンドとなったという。子どもはいない。優しそうな微笑みをたたえるプロフィール写真から、お人柄が良さそうな女性に見える。
だが実は、お見合い直後の彼はこの3歳年下の離婚経験のある女性には、一番ピンとこなかったようで、デートの報告を聞いていても楽しそうな様子は感じられなかった。私も、彼のテンションの低さから、この女性とはこの先の結婚は難しいのだろうなと想像していた。
だが、一度や二度会ったくらいで、相手のことを判断するのは早すぎる。相手のことをきちんと見て、良いところを見つけるのが婚活である、ということを彼に話してあったので、彼は毎回のデートが終わるごとに、ノー残業デーの水曜日や、翌週末に次の約束を取り付けていった。
「婚活は、恋愛ではありません。デートの時には、結婚後の生活などについて積極的に話をするようにしてくださいね」
彼は私のアドバイス通りに、結婚後の生活についても女性の意向を確認する。毎回、本当に素直に行動してくれるのである。仕事はどうしたいか、どんな所に住みたいか、毎日朝食は食べるのか、週末はどんなふうに過ごしたいか……。結婚を目的とした結婚相談所のお付き合いでは、出来るだけ具体的に結婚後の生活のすり合わせをすべきなのである。
■“父親との同居を厭わない”女性だった
3歳年下の女性は、自分の離婚経験からも思慮深く、次の結婚では過去の自分自身の反省も振り返り、相手に寄り添うことを大事にしなくてはならないことを痛感していたようだった。だから、彼との結婚観のすり合わせで、自分勝手な要望を押し付けるようなことは一切しなかったという。
一方、彼は高齢のお父様と2人暮らしということもあり、できれば自宅で同居をしたい気持ちが強い。同居が無理でも、スープの冷めない距離に新居は構えたいと考えていた。具体的な結婚生活の話を進める中で、彼女の口からは、彼とお父様との同居を「厭わない」という発言があったという。彼の自宅は5LDKで、夫婦のそれぞれの個室も持てることも良かったのだが、それよりも、同居することへの理解があったことが最大のポイントだ。
どうやら彼女は自分の実家も3世代同居の大家族だったそうで、2人よりもむしろお父様がいてくれたほうが、食事を作るにしても張り合いがあると、理解を示してくれたのだ。
この彼女の意向が彼の気持ちを大きく突き動かした。「この女性と結婚したい」という気持ちがどんどん強まっていった。
もちろん彼女の性格にひかれていった点も大きい。とても面倒見が良く、一緒にいると気を遣わず、自分らしくいられるとのだという。しかも彼女は大変聡明で、あらゆる物事の造詣が深かった。彼女との会話は楽しく、時間を忘れるほど話し込んでしまうほどであった。
■女性は“持病”を抱えていた
そこで彼は、なかなかデートができない同い年の女性とは、交際終了にすることにした。父親と同居してくれるこの3歳年下の3人めの女性に、結婚前提の真剣交際を申し出た。そこで、彼女から告白が……。
「私は、実は双極性障害という病気を持っていて、投薬治療で症状は出ていないものの、薬はずっと飲み続けなくてはなりません」
詳しく聞くと、彼女は10年以上前に当時勤務していた会社の人間関係に悩み、また仕事も多忙だったことも相まって心の病気を抱えたという。そして、短期間ではあるものの結婚と離婚を経験。その後はずっと一人でいたが、老後も一人は寂しいと結婚相談所に入会、婚活してきたのだそう。
朗らかな性格の彼女は、お見合い後、仮交際になることは多かったものの、この病気のことを告げると、すべての男性から交際終了を告げられていた。
そんな経緯から、病気のことを男性に話す際は慎重になるようにと彼女のカウンセラーからアドバイスされたそうだが、結婚を前提としたお付き合いとなれば隠したままにするわけにはいかないと、正直に話してくれたのだという。
■「自分だっていつ病気になるかわからない」
もし彼が交際終了を告げるのならば先延ばしにしてはならない。婚活は時間が何より重要で、だらだらと保留にしていたら相手の時間を奪うことになるからである。
帰宅した彼は、すぐにネットで双極性障害のことを検索した。調べれば調べるほど簡単に治る病気ではないことを知り、悩んだ。とはいえ、交際を継続するか否かの決断も先延ばしにはできない。翌日、彼は私のオフィスにやってきた。彼女の持病のことで考えあぐね、昨夜は眠れなかったという。
「いろいろ考えてみましたが、自分も50歳を過ぎて、いつ病気になるかわからない身です。彼女が持病を抱えていたとしても、彼女が好きです。これからの人生を考えた時に、一生独り身でいるより、彼女と日々の暮らしや、会話、趣味や旅行を楽しみたい。だから、彼女と結婚したいという気持ちに、変わりはありません」
そうキッパリと話す彼の表情からは、迷いは感じられなかった。揺るがない誠意がそこにはあった。
「○○さんがそこまでおっしゃるのならば、反対する理由はありません。ただ、この決意を忘れずに、彼女の良いところだけを見て、一生大切にしてください」と告げた。
■中年の婚活は“省みられる人”が成功する
その後、交際は順調に進んだ。お見合いした日から数えて、ちょうど2カ月目のある日、彼は108本の真紅のバラの花束とともにプロポーズをした。108本のバラの花束の意味は「永遠(とわ)の愛」だ。
入会から3カ月。不安を見事に吹き飛ばし、彼はスピード成婚を果たした。年収が特別高いわけでもないし、親との同居すら望んでいる。女性経験もほとんどない。女性側からすればわざわざ選ぶ相手にはなりにくい。
それでも彼は一生懸命、私のアドバイスを実行しようという実直さがあった。おしゃれ坊主へのイメチェンに始まり、積極的にお見合いやデートをこなす「行動力」。そして理想の結婚生活を築けるであろう相手を選び抜いた「決断力」。さらには“幸せを掴むために”と私が口うるさいくらいに伝えた言葉に、真剣に耳を傾ける「傾聴力」。婚活において不可欠なこの3つの要素を、彼は備えていた。だからこそ、彼女も誠心誠意尽くしていく彼の行動にどんどん惚れていったと考えられよう。
「一生独身。定年まできっちり勤め上げ、いつかは年老いた父親を見送り、その後は貯えで老人ホームに入る」
彼が思い描いていた人生設計から一転、結婚相談所での婚活を始めたことで、全く想像していなかった未来を彼は手に入れたのである。年齢が上にいけばいくほど、人からのアドバイスはなかなか受け入れられず、行動に移しにくいものだ。だが、彼はそれをやってのけた。不利な条件でも婚活が成功する人は、自らを省みられることなのだと改めて感じた“余計なお世話”であった。
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大屋 優子(おおや・ゆうこ)
結婚カウンセラー
1964年生まれ、株式会社ロックビレッジ取締役。ウエディングに特化した広告代理店を30年以上経営のかたわら、婚活サロンを主宰。世話好き結婚カウンセラーとして奔走。著書に『余計なお世話いたします 半年以内に結婚できる20のルール』(集英社)がある。
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(結婚カウンセラー 大屋 優子)
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