YouTubeの男性配信者とその動画ファンの女性が恋に落ちた。男性は舌がんに2度罹患した後も次々と病魔に襲われ、要介護状態に。
それでも女性は献身的な介護を続けた――。(後編/全2回)
■無慈悲すぎる運命
飯動画を配信していた男性ユーチューバーから告白のメッセージを受け取った毛利花梨さん(仮名 40代)は、心が大きく揺さぶられていた。
「彼は、学生時代からお付き合いしていた女性と23歳で結婚し、お子さんが2人いました。一戸建てを購入して幸せに暮らしていましたが、奥さんの二度の不倫により、別れ話に……。彼が『財産分与しよう』と言ったら、『ない』と言われたらしいです。家計を管理していた奥さんは、彼が働いたお金でマンションをひそかに買っており、彼の2人のお子さんが自立した後、奥さんは彼が出勤中に何も言わずに家を出て、そのマンションへ引っ越してしまっていたようです」
2011年6月。彼は正式に離婚。
2013年12月。歯石を取りに歯科へ行ったところ、紹介状を出され、総合病院で検査を受けると、舌がんと診断された。
彼はすぐに手術となり、その後1カ月ほど入院している間、別れた妻も2人の子どもも一度も彼を見舞うことはなかった。
そして2015年4月の舌がん再発後、男性が配信していた飯動画のファンだった毛利さんとメッセージのやり取りが5月に始まった。
6月初旬に手術を受け、入院していたとき、男性の息子がようやく病室を訪れた。

「次に会うのはいつかわかりません。今年なのか、僕が棺桶の中か。離婚によって一番つらい思いをしたのは子どもです。これも運命。あとは、自分がいかに生きていくかです」
その日彼は、こんなメッセージを送ってきていた。
■初対面
メッセージのやり取りをするうち、毛利さんは、彼を本気で支えたいと思い始めていた。
一刻も早く元の生活に戻りたい彼は、術後の傷口がまだ塞がり切らないにもかかわらず、「次の治療に進みたい」と主治医に申し出ていた。
そこで主治医は、鼻からチューブによる食事をやめて、ミキサー食を口から摂取する方法に変更。彼はリハビリに励み、口から飲食ができるようになった。
7月。彼は週に3回通院することを条件に退院。毛利さんは彼にこう送った。

「私は貴方が好きです。大好きです」
顔は動画で知っているが、会ったことはない。それでも、好きという感情があふれ出た。
受け取った彼は大喜びし、8月に会う約束をした。退院後、彼は近くに住む高齢の両親のために、毎日食事を届けているという。
「私の母は父の死後(56歳で他界)、内縁の夫ができました。59歳で定年退職した後は、関東の田舎で2人で暮らしているので、母のことは夫さんに任せきりです。それに引き換え、彼は自分のことで精一杯になってもいいくらいなのに、両親のことまでケアしていて、本当に素晴らしい人だなと思いました」
8月末。関西在住の彼に初めて会った。放射線治療中の彼の体調を慮った毛利さんは、彼の最寄りの新幹線駅で待ち合わせた。彼は首に痛々しい手術跡があり、人混みの中でもすぐにわかった。
そこで初めて彼の本業は国家公務員で、35歳の毛利さんより1歳年上だということを知った。
9月中に放射線治療は終わり、10月から彼は復職する。その後もメッセージのやり取りは続いた。
■重度のうつ病
2017年11月。関東まで毛利さん会いに来た彼は、毛利さんの様子がおかしいことに気づき、心療内科に連れて行った。
すると「重度のうつ病」と診断。毛利さんは、20年近く勤めている金融系の会社を休職することになった。
振り返ると、2012年頃に勤めていた会社の体制が変わったことをきっかけに、連日残業が続くようになった。
2015年には異動先の課の上司がうつ病になり休職。上司の居ない課は統率が取れず、やはり毎日のように残業になる。
3カ月後に新しい上司が来たが、その人もうつ病になり休職。さらに新しい上司が来たが、その上司は平社員の間では有名なパワハラ上司だった。パワハラ上司は自分勝手に体制を変え、会議を増やし、部下たちの時間を奪った上、「他の課の上司と口を聞くな」「トイレに行く時は報告しろ」と部下たちを支配。
そんな職場で働いているうちに、毛利さんは食欲減退と不眠に悩まされるように。
2019年。毛利さんは約2年休職したが十分に回復せず、紹介状をもらって彼が暮らす関西の田舎の病院へ転院。彼との同居が始まった。
「関西の先生はよく話を聞いてくれるとても良い先生でした。それでも職場でのトラウマが深く、夢を見てうなされたり、眠れずに朝まで蓑虫のようにじっとしているような毎日でした」
職場の休職期限の3年が迫っていたが、治る見込みがなかったため、2021年に自己都合で退職した。
■下咽頭がん
一方、彼は2017年12月。がんが原因の心の病のため、再び休職して入院した。
「彼は、病気の再発により『命を失うかもしれない』という不安で眠れず、落ち込むばかりでした。余計なことを考えずのんびりする治療だったらしく、退院後は精神的にラクになったようです」
それでも「今後も職場に迷惑をかけてしまう」という後ろめたさから、彼は2018年3月に退職。5月に退院したが、以降、毛利さんと彼は、2人の貯蓄と彼の障害者年金で暮らしている。
そして2023年4月。
朝からがんの定期検診に行った彼から、突然電話がかかってきた。以前の舌がんとは別の、下咽頭がんが見つかり、入院・手術することになったためだった。
「ステージIIIです。根治するには声帯ごと全部摘出になります。ただ、声帯を取ってしまえば、話すことはできなくなります」
という説明を受けた彼は、「声を失うなら手術はしたくない」と主治医に告げたという。
しかし病院に駆けつけた毛利さんは言った。
「私は生きてほしい。たとえ声を失ったとしても、つらいかもしれないけれど、手術して生きてほしい」
その言葉を受け、彼は抗がん剤治療を受けた後、6月に声帯を取る手術を受けた。
「これで彼は咽頭、喉頭、頸部食道、リンパ、甲状腺の半分、そして声帯をごっそり取ってしまったことになります。食道は食べ物が入ってくると収縮する機能がありますが、再建のために移植する小腸にはありません。嚥下機能の低下や食べたものが逆流すること、呼吸困難などが起こる後遺症が出る可能性がありました」
また、喉頭を摘出すると、気管が鼻や口とつながらなくなるため、呼吸用の穴(永久気管孔)を首に開ける必要がある。鼻や口から呼吸することがなくなり、呼吸は全て永久気管孔から行われるようになる。
永久気管孔は直接肺に繋がる穴なので、乾燥すると痰が固まり、窒息や細菌感染の恐れが出てくる。
「そのため、食塩水を専用の機器で霧状にして噴霧し、一日に5回は吸引します。1回の時間は20分。それで痰を固まりにくくして、別の機器を使って吸痰します。鼻や口からの呼吸はなくなるので、その湿度も維持するために、噴霧と痰の吸引が必要になります。匂いも解らず、熱いものを口で吹いて冷ますことも、ワサビなどの刺激物を食べることも、麺類を口からすすることも難しくなります」
気管孔に一滴でも水が入れば肺炎の危険性もあり、入浴中に滑ってお湯が入れば命の危険さえある。それでも自分のために生きようとしてくれる彼の支えになろうと、毛利さんは情報を収集し、学習した。
手術後、彼はしばらくICUに入っていたが、3日後には一般病室に移り、約2カ月後に退院。在宅介護が始まった。
■明けない夜
最近の毛利さんの1日は、朝5時頃始まる。お酒が好きだった彼は、アルコールの影響で脳が萎縮し、夜間にトイレの失敗をしてしまうことが増えた。そのため、大抵朝は彼の着替えと掃除からスタートし、その後、服薬や食事、気管孔の吸入や後片付けをする。
それが終わったら、ゴミ出しや洗濯をし、愛犬の世話をする。月に3~6回ある通院の日は、彼を病院に連れて行く。
2018年7月に肺塞栓と脳梗塞を起こし、心臓肥大が見つかり、2024年8月頃に前頭葉萎縮が発覚。足元がふらつくようになった彼は、外出時は車椅子を使うようになっていた。壁や手すりなどがあれば歩けるが、頻繁に転倒する。自分でもふらつくタイミングがわからず、自分の体を制御できないらしく、突然倒れるため、窓ガラスに突っ込んだり、ファンヒーターの上に倒れ込んだりし、大怪我をすることもあった。
帰宅すると気管孔の吸入を行い、夕食の支度をして、19時頃食事や服薬の介助をする。彼は嚥下障害のため、食事には2時間ほどかかった。
21時頃にまた気管孔の吸入を行い、22時頃には就寝させる。
「彼は下咽頭癌の手術の影響で、就寝中に食べたものを吹き出してしまったり、脳が萎縮している影響で、トイレの粗相をしてしまったりするので、私もなかなかゆっくり眠っていられません」
2024年11月からは訪問看護を利用。薬の管理や血圧の測定、問診による体調やメンタル状態、食事や睡眠状況などの確認を行なってもらっている。毛利さんは友人知人のいない町で、たった1人で彼を介護しているため、介護について相談できるのは、彼の主治医や看護師たちだけだ。
「私の疲労がピークになっているときに飲み物をこぼされたり、就寝中の粗相を繰り返されると、つい一呼吸置かずに怒ってしまい、自己嫌悪に陥ります。病気だから仕方がないと思っても、何度も彼を責めて小言を言い、声を発せない彼が怒って物に当たったり掴みかかってきたりすると応戦して、罵声を浴びせたり叩いたりしてしまうことも……。後から冷静になると、消えてしまいたくなります」
彼の70代の母親は、3年ほど前に子宮がんのステージIIIと判明。現在寝たきりとなり、介護サービスを受けながら、3年ほど前に膵臓がんのステージIVと判明した父親に介護されている。彼のきょうだいはみな結婚して遠方で暮らしており、頼ることはできない。
「彼の主治医や看護師さんには、彼の介護を1人で抱えるのに限界を感じていることや、彼が声を発せないので、彼の代わりに私が対処しなくてはならないことがプレッシャーであること、彼との意思疎通がうまくいかず、関係が希薄になっていることなどを相談しています」
毛利さんは2年前から飼い始めた犬や、似た境遇の人のブログや動画を心の拠り所にしている。
「でも、私が作った食事を完食してもらえた時や、彼の顔色が良くて調子が良さそうな時、車椅子を押して一緒に散歩できた時や、ジェスチャーや筆談で感謝の気持ちを伝えてくれた時などは、彼のそばにいて良かったと思います」
先のことを考えると不安になる反面、病院の待ち時間などに一緒に自動販売機のお茶を飲むだけでも、ささやかな幸せを感じているという。
「2度目の舌がんは再発でしたが、下咽頭癌は新たな種類のがんだと言われました。下咽頭がんは2023年4月に見つかり6月に手術して、その後の定期的検査では問題はない状態と言われています。今後も定期的に検査を受けて状態を見ていく予定です」
2025年5月現在、彼は介護認定を受け、結果(介護度判定)待ちの状態だ。
「今の私の一番の望みは、気管と食道を繋ぐ連絡路(シャント)を作り、肺からの空気をシャントから食道に送ることで発声させるという手術を受けて、彼が声を取り戻すことです。声を取り戻せたら、動画を復活してほしいです」
2023年の下咽頭がんの手術の後、主治医にシャント手術の相談をしたが断られ、セカンドオピニオンを利用して別の病院を探したが、その病院でも却下されてしまった。
「彼は声を出せないぶん、ジェスチャーで彼なりに感謝の気持を伝えてくれます。ただ、彼を支えることに悩みや疲労は隣り合わせです。介護をされる立場の方が皆そうとは限りませんが、明けない夜のような日々を過ごしています」
在宅介護が始まって2年。毛利さんの言葉からは疲労が滲むが、それでも「私に何もない限り、施設は考えていません。ずっと在宅介護をしていくつもりです」と言い切る。
そんな彼女からは、かつてがんによって56歳で亡くなった父親への罪滅ぼしを、彼にしているように感じる。
いずれにせよ介護に無理は禁物。声を荒げたり手をあげたりしてしまうのは、毛利さん自身に限界がきているからではないか。自分が辛い思いまでして他人を支えようとするのは本末転倒。自分の人生を最優先に考えた上で彼と向き合わなければ、いつか不幸な結果を引き寄せてしまう。
介護認定が下りたら、ヘルパーやデイサービス、ショートステイなどを利用して、今一度自分の人生と向き合ってほしい。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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