多くの登山客が訪れる富士山で、登山を甘く見て遭難したり命を落としたりする人が後を絶たない。ジャーナリストの小林一哉さんは「富士山では落石死亡事故も起きている。
観光客に人気の登山ルートからでは決してわからない危険な一面がある」という――。
■富士山を甘く見ている登山者たち
ことし夏から静岡、山梨両県では、そろって1人4000円を徴収する富士山の入山規制をスタートさせる。ご来光を仰いだあと、その日のうちに下山する「弾丸登山」への対策を入山規制に盛り込んでいる。
それでも関係者がいちばん頭を悩ませているのは、周囲の迷惑を顧みない無謀な登山者たちへの対応である。
今後、さらに厳しい入山規制が必要となってくるはずだが、富士山の場合、その広大な範囲をすべてカバーすることは困難であり、また過酷な自然環境を登山者がまったく承知していないことが最大の問題となる。
■1週間で2度遭難した大学生
それを象徴する「事件」が起きたばかりである。
大型連休に入った4月26日、富士山8合目付近で「男性が倒れている。すり傷もある」などと付近にいた登山者から警察に救助要請があった。
静岡県の防災ヘリと県警山岳遭難救助隊が出動したが、強風が吹きすさび、防災ヘリでの収容はできず、マイナス10度前後の悪天候の中、たどり着いた同救助隊が男性を無事救助した。
27日未明、同救助隊が富士山スカイライン5合目まで担架で搬送、富士宮市消防本部の救急隊に引き継いだ。男性は高山病だったが、生命に関わる危険性はなかった。
この遭難者は中国籍の大学生(27)であり、4日前の22日にも「滑り止めのアイゼンを紛失して下山できない」などと富士山頂付近で110番通報して、山梨県の防災ヘリで救助されたばかりだった。

再び救助された際、「携帯電話の入ったバッグを置き忘れたので再び入山した」というあまりに無責任な発言もあり、多くの非難が浴びせられることになった。
■富士山は日本一危険な山でもある
春の富士山の頂上付近は日中に雪が溶け、日暮れになると気温が急低下して凍結して滑りやすいアイスバーンとなり非常に危険な状態となる。
5合目から上の登山道は閉山中であり、大学生は登山計画書を提出していなかった。冬山装備をそろえていても、アイゼンを紛失するなど富士山の危険性を過小評価していたとしか思えない。
110番通報して救助を求めているが、民間ヘリを使った救助ならば1時間で50万円程度の費用負担があり、また民間のレスキュー隊が出動すれば、隊員1人当たり5万円程度の費用が必要となる。
2度にわたる安易で無謀な登山に対して、「救助費用を請求すべき」の声が高まった。だが今回の場合は、公共サービスの範囲内ということもあり、静岡県が救助費用等の請求をすることはありえない。
この大学生にとって、日本一の富士山に登ることだけが頭にあり、富士山が日本一危険な山であるという認識はまったくなかったことがわかる。
昨年度は、静岡県側で閉山中に登山した3人の遺体が確認され、7月の夏山シーズンになると初日から2日目にかけて3人が亡くなり、最終的に5人が死亡している。
今夏、日本一の富士山に登ることを計画している人も多いだろう。ただ日本一高い頂上を目指して数珠繋ぎのように登山をしているだけではそのようには見えないが、富士山が日本一危険な山の一つであることをちゃんと知っておいてほしい。
■富士山の神髄を知ることができる「お中道」
2013年7月の世界遺産委員会総会で、日本政府が提出した「富士山」の名称を「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」と変更することで世界文化遺産登録が決定した。

富士山を信仰の対象、神とみなしたのは江戸時代に盛んとなった庶民信仰の富士講である。富士山頂を3回登頂した富士講信者にだけ、富士山の5合目付近を1周するお中道巡りが特別に許可された。
お中道巡りには「大沢越え」という生命の危険がともなう最大の難行が待っていた。お中道巡りをしなければ、富士山の神髄を理解できなかったという。
■東海道新幹線からは見えない「裏の顔」
現在のお中道は山梨県の御庭バス停から吉田口5合目への約3.5キロのハイキングコースを一般に指しているが、実際のお中道ではない。
いまでも江戸時代の大沢越えを目の前にする「奥の院」と呼ばれる富士講の神社まで行くお中道を体験できる。
筆者は富士講信者ではないが、この道を何度も歩いている。この道を歩くことで、富士山の鼓動を感じることができ、また、日本一危険な山であることを理解できる。
「大沢」は富士山の西斜面の静岡・山梨県境に位置し、山頂直下から標高約2200m付近にかけて大きくえぐられた窪みを指す。国内最大級の崩壊地だが、新幹線の車窓や東名高速道路や登山道からは目にすることができず、大沢崩壊地の存在をほとんどの人はよく知らない。
日本最高の3776mの頂上に登るのではまったくわからない富士山の別の姿があるのだ。
国土交通省はこの大沢崩れの標高約2000m付近の峡谷部で、調査・試験工事をいまも行っている。
「大沢」越えとは大沢の崩壊地(大沢崩れ)を渡っていくことである。富士講信者たちは命の危険を顧みずに大沢越えに挑んだという。
国交省富士砂防事務所に連絡すると、現在、お中道そのものが崩れて通行が難しい状況にあり、お中道を歩くのは一般の登山客にお薦めできないという。
■眺望と崩落地が共存する山道
筆者は何度もお中道を歩いた経験がある。ここから先は筆者が年前に大沢北側斜面の崖淵にある富士講神社に向け、大沢崩れを目指した実際の経験談である。
有料道路の富士スバルラインに入り、河口湖5合目の手前にある御庭駐車場に車を置いた。
まずは林道歩きだ。20分ほど歩いていくと、大きく開かれた場所がヘリポート基地になっていて、ここからヘリで峡谷部などを往復し、資機材を運んでいる。
現在、お中道に入る道は非常に分かりにくいが、何とか入り口を見つけた。
しばらく森林の中の起伏のない道が続く。木の根っこなどに注意していけば、そこまで激しい登山ではなかった。途中、「植物等採取の禁止」の看板が倒れていた。

森を抜けると眺望が広がった。気持ちのよい180度の風景を満喫しながら歩くと、10分も経たぬうちに、何と、大崩壊発生地が目の前にあった。いくら探しても、下りる道はなく、また、対岸を見渡しても、こちらとつながる登り口もないのだ。
■仮設通路を進んでいくと…
仕方なく、あきらめるしかなかった。
眼下に広がるパノラマの風景が今回の最大の収穫と歩いていると、5mほど下に、ちょうどグレーの作業着姿の2人連れが見えた。それで、お中道がもう少し下になったことがわかった。急いで道を戻り、踏み跡のある降り口を見つけた。
しかし、今度は日差しが消え、不安を感じさせる霧が立ち込めてきた。何も考えず、道を歩いていくしかない。ちょうどそのとき、山歩きの中年男性が向こう側から現れた。
元気にあいさつを交わしたあと、「大沢崩れお助け小屋まで行きたいのですが、大丈夫でしょうか?」と尋ねた。「まったく問題ありませんよ。
いつもと同じです」と言いながら、「そうそう、作業員が使っている道のほうが安心です」と教えてくれた。
目の前に「ここは作業用の仮設通路です」の表示があった。
ゆるいロープで立ち入りを規制していたが、厳重に規制しているわけではない。男性のアドバイスは、「作業員用の道を使え」ということだった。
アドバイスに従い、ロープをくぐり、快適な木道(仮設通路)を歩いていった。いくつもの沢があり、沢を抜けるために上り下りの仮設の通路が設けられていた。土嚢、木道、ロープで安全対策も施されていた。
■高度2000mで景観を守るために働く作業員
さらに進むと、ようやく古びた小屋が見えてきた。
これが江戸時代から富士講信者たちによって守られてきた富士山奥ノ院である。古い神社の裏には、江戸時代の石碑などが残されていた。
神社からすぐ下を見ると、赤松の林があり、その前面にロープで規制、「立入禁止」の大きな表示が見える。ここから、高度2000mを超える過酷な作業現場に通じている。
簡易モノレールがあった。
ここで約20人の作業員たちが、富士山の景観を守るために働いていることなども知られていない。
■富士山が活火山であることを教えてくれる風景
作家の幸田文は40年以上前、全国の崩壊地を見て歩き、随筆『崩れ』(講談社文庫)を著した。富士山の大沢崩れも訪れている。
「岩壁面には、横に縞模様がくっきりと見える。板状の岩(多分固いのだろうと思える岩)となにか脆そうに見える砂礫の層とが、幾重ねにも重なっているのがよくわかる。富士山が何度も何度も噴火をくり返し、その度に熔岩を噴き出し、砂礫を押し出した証拠」(幸田文『崩れ』から)
富士講信者たちの奥ノ院を抜けて、大沢崩れという標識のある道を下りて行くと、幸田文が見たであろう、凄まじい崩壊地に到着した。
赤い縞模様が噴火でできたスコリア層である。幸田文は「大沢崩れの寂寞とした姿」と表現した。いつまでも見ていて飽きることはない。永遠に思えるほどの静謐な時間が続いている。
■危険な場所は存在する
時折、大きな石がごろごろと落ちていく崩壊現象を目の当たりにした。
気がつくと、いつの間にか霧が大沢全体を埋め尽くして、墨絵のような世界に変えてしまった。
しばらく、霧が晴れるのを待った。一度はみるみる霧が上空に昇っていったが、再び、霧が周辺を覆ってしまった。
このようにお中道には危険な場所が点在する。お中道を歩き、大沢崩れの北側崖端を訪れるならば、富士講信者たちが崇めたいままでとは違う富士山に出会うことができる。
■12人が死亡した崩落事故も起きている
いまからちょうど45年前、1980年8月15日の新聞各紙は1面トップで、富士登山道に大落石があり、12人が死亡、29人が重軽傷を負った惨事を伝えた。8月14日午後、山梨県側の吉田大沢の6合目から8合目で大規模な落石が発生したのだ。筆者が大沢崩れへ行く途中で見かけたような大きな岩石が数十個も登山者を直撃したのである。
当時は7月に雨が多く、8月になると雨はほとんど降らなかった。落石前に群発の小地震が続いたという。実際には、なぜ、日本最大の崩落事故が起きたのかいまもわかっていない。
その後、吉田大沢下山道は通行止めとなり、新たな下山道を使っている。
富士山が噴火を繰り返した荒ぶる火山であることは大沢崩れへ行けば、少しは理解できるだろう。
■富士山の活動はもっと知られるべき
当然、シーズン中に火山噴火が起きれば、崩落事故とは比較できない大惨事となるのは間違いない。
ただ火山噴火でなくても、いまでも大きな崩落が起きる可能性は否定できない。だから富士山は日本一危険な山なのである。
静岡、山梨両県は、国交省富士砂防事務所と協力して、お中道を歩くツアーを開催すべきである。富士山がいまも大きな活動をしていることを理解させたほうがいい。
夏の富士登山でも安全のためにヘルメット着用を忘れてはならない。

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小林 一哉(こばやし・かずや)

ジャーナリスト

ウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。

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(ジャーナリスト 小林 一哉)
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