だれもが特別であろうとする。だが、どうすれば特別な存在になれるのか。
※本稿は、岸見一郎『「普通」につけるくすり』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■同調圧力との闘いは高校時代から始まっている
就職活動のときに特別であろうとする人には、根深い「他者の目への意識」が存在しています。そんな人は採用後、本当に必要な場面で、自分の考えを主張しなくなります。いわゆる「同調圧力」を感じ、周囲と同じように考え、行動しなければならないという圧力から、自分に蓋をし主張しなくなるのです。
高校生のとき、私は授業中によく先生に質問をしていましたが、終業の時間が迫っていると、質問をすることは他の同級生に歓迎されませんでした。休み時間が短くなるからです。しかし、質問するのはわからないからであり、先生が質問に丁寧に答えるのは教育的に当然のことです。それでも、「もう質問するのはやめておけ」という同級生の圧力をひしひしと感じました。
社会に出てからも同じことが起こります。上司がしていることや、会社がしていることがおかしいと思っても、誰も何も言わなければ波風は立ちません。
■「生活」を人質に取られると沈黙を守る
それでも、皆と違うことをして目立つことを恐れ、会社から目をつけられたくないという理由で何も言おうとしない人はいます。内部告発をして不利益を被った人を見ると、ますます声をあげるのが怖くなるでしょう。
目立たないために何もしないのではなく、皆と同じことをしなければならないこともあります。飲み会や何かのイベントに参加するよう上司から言われたときに、皆が参加しているのに自分だけが断ると目立つと考え、仕方なく従ってしまうことなどです。
黙っていてはいけないと思っているのに同調圧力に屈する人は、それでも自分の考えを持っています。しかし、初めから皆と同じことをしようと決めている人は、上司が言っていることが理不尽だとも思わないかもしれませんし、言うべきなのに言えないというような葛藤も感じないかもしれません。
学生の頃から常にいい成績を収めてきた人であれば、目立ってはいけないのではないかと悩むことはないでしょう。むしろ、自分が有能であることをアピールして頭角を現そうとするかもしれません。そのような人でも、出世するのに不利とわかれば何も言わなくなってしまいます。
哲学者の三木清は、次のように言っています。
「部下を御してゆく手近な道は、彼等に立身出世のイデオロギーを吹き込むことである」(『人生論ノート』)
■イエスマンばかりの組織は衰退への一本道
今の若い人は「立身出世」を願っていないかもしれませんが、生活を人質に取られていると、波風を立てることで職場に居づらくなることを恐れます。上司が自己保身に走る部下を「御する」のは容易なのです。
しかし、上司の発言が理不尽なら、他の人が何も言わなくても、黙っていてはいけません。声をあげれば皆と同じではいられなくなるかもしれませんが、同調圧力に屈することなく、「自分」で何をするべきかを判断でき、必要な行動を起こせることがあなたの人生では大事なのです。
組織全体のことを考えても、皆が同じことしかしない、同じことしか考えないような組織、また、人と違ったことを考えることが許されないような組織は発展しません。独創的な仕事が生まれてこないからです。
上司は後進に教える責任がありますが、後進が上司の言うことをそのまま受け入れるだけでは十分ではありません。たとえ上司が優秀であっても、常に正しいことを言うとは限りません。だからこそ、部下も自分で考え、必要があれば質問し意見を伝えられなければなりません。長く行われてきた慣習でも、時代や社会の変化に合わせて改めなければならないことはあります。提案しても受け入れられないことはありますが、それでも誰も自分の考えを主張しなければ組織は変わりません。
■「誰が」ではなく「何を」言ったかに注目する
自分の考えを主張できないような空気が職場にあると考えている人がいるとすれば、それは自分の考えを主張しないことの理由を職場の空気に求めているだけです。まず、「誰」が言ったかではなく、「何」が言われているか、話の中身だけに注目し、それが正しいかどうかを検討できるようにならなければなりません。
一人でも違うことを始めれば、職場の空気は変わります。そのためには、自分の発言を正しく伝えることだけに集中し、どう思われるかを恐れてはいけません。「自分が」どう思われるかを気にするのではなく、発言内容が吟味されると思えれば、恐れる必要はありません。
発言を批判されるような職場であれば、誰も発言しなくなります。批判するのではなく、発言内容自体について皆で検討する場になれば、意見交換は活発になります。
他の人が発言したときには、発言内容にだけ注目し、同意できないときには、それに代わる自分の考えを主張すればいいのですが、誰の発言かに注目すると、反対意見を述べづらくなります。
■では、上司にどう反論すべき?
具体的にどうすればいいかといえば、たとえば上司に反論するときは、「上司」に反論するのでなく、上司の「発言」に反論しようとしていることを明らかにするために、次のように言うことができます。
まず、発言に対して賛否を明らかにし、その理由を丁寧に説明します。他の人の発言を促すのであれば、「以上の理由から私は反対(もしくは賛成)ですが、皆さんはどうお考えですか」というふうに、最初に主張した人に返さないで、全体に意見を投げかけることが大切です。
次に、自分が優秀であること、特別であることを認められたいと思って発言してはいけません。
■他者そのものに関心を向けられる人になる
異論があっても何も言わず、言うべきことがあっても言わないようになれば、組織は閉ざされた共同体になってしまいます。皆と同じにならないために特別である必要はありません。必要なのは、自分の考えを主張できることです。
皆と同じであろうとする人も、特別であろうとする人も、結局のところ自分にしか関心がありません。つまり、人からどう思われるかということばかり考えています。しかし、人からどう思われるかを気にせず、言うべきことを言える人は、他者の評価ではなく、他者そのものに関心を向けているのです。
言うべきことを言えば、他の人からよく思われないかもしれません。しかし、たとえそうなったとしても、自分の考えを主張し間違いを正すことが他の人にとってためになると考えられるのです。
また、特別であろうとする人は他者に認められなければならないと考えますが、特別であろうと思わなくても、優れた仕事をすれば認められます。
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岸見 一郎(きしみ・いちろう)
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。専門の西洋古代哲学、特にプラトン哲学と並行して、アドラー心理学を研究。本書執筆後は、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。ミリオンセラー『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(以上、古賀史健氏との共著)をはじめ、『困った時のアドラー心理学』『人生を変える勇気』『アドラーをじっくり読む』など著書多数。
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(哲学者 岸見 一郎)
アドラー心理学の研究者として知られる岸見一郎さんは「皆と同じにならないために特別である必要はない。必要なのは、自分の考えを主張できることだ」という――。
※本稿は、岸見一郎『「普通」につけるくすり』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■同調圧力との闘いは高校時代から始まっている
就職活動のときに特別であろうとする人には、根深い「他者の目への意識」が存在しています。そんな人は採用後、本当に必要な場面で、自分の考えを主張しなくなります。いわゆる「同調圧力」を感じ、周囲と同じように考え、行動しなければならないという圧力から、自分に蓋をし主張しなくなるのです。
高校生のとき、私は授業中によく先生に質問をしていましたが、終業の時間が迫っていると、質問をすることは他の同級生に歓迎されませんでした。休み時間が短くなるからです。しかし、質問するのはわからないからであり、先生が質問に丁寧に答えるのは教育的に当然のことです。それでも、「もう質問するのはやめておけ」という同級生の圧力をひしひしと感じました。
社会に出てからも同じことが起こります。上司がしていることや、会社がしていることがおかしいと思っても、誰も何も言わなければ波風は立ちません。
しかし、その結果、社員が不利益を被ったり、会社は儲かっても社会的に有害な仕事をしたりしてしまっていることがあります。上司が不正を働いていることもあるかもしれません。実際、そんなことは許されないだろうと思うようなことは、働いているといくらでも目につきます。
■「生活」を人質に取られると沈黙を守る
それでも、皆と違うことをして目立つことを恐れ、会社から目をつけられたくないという理由で何も言おうとしない人はいます。内部告発をして不利益を被った人を見ると、ますます声をあげるのが怖くなるでしょう。
目立たないために何もしないのではなく、皆と同じことをしなければならないこともあります。飲み会や何かのイベントに参加するよう上司から言われたときに、皆が参加しているのに自分だけが断ると目立つと考え、仕方なく従ってしまうことなどです。
黙っていてはいけないと思っているのに同調圧力に屈する人は、それでも自分の考えを持っています。しかし、初めから皆と同じことをしようと決めている人は、上司が言っていることが理不尽だとも思わないかもしれませんし、言うべきなのに言えないというような葛藤も感じないかもしれません。
学生の頃から常にいい成績を収めてきた人であれば、目立ってはいけないのではないかと悩むことはないでしょう。むしろ、自分が有能であることをアピールして頭角を現そうとするかもしれません。そのような人でも、出世するのに不利とわかれば何も言わなくなってしまいます。
哲学者の三木清は、次のように言っています。
「部下を御してゆく手近な道は、彼等に立身出世のイデオロギーを吹き込むことである」(『人生論ノート』)
■イエスマンばかりの組織は衰退への一本道
今の若い人は「立身出世」を願っていないかもしれませんが、生活を人質に取られていると、波風を立てることで職場に居づらくなることを恐れます。上司が自己保身に走る部下を「御する」のは容易なのです。
しかし、上司の発言が理不尽なら、他の人が何も言わなくても、黙っていてはいけません。声をあげれば皆と同じではいられなくなるかもしれませんが、同調圧力に屈することなく、「自分」で何をするべきかを判断でき、必要な行動を起こせることがあなたの人生では大事なのです。
組織全体のことを考えても、皆が同じことしかしない、同じことしか考えないような組織、また、人と違ったことを考えることが許されないような組織は発展しません。独創的な仕事が生まれてこないからです。
上司は後進に教える責任がありますが、後進が上司の言うことをそのまま受け入れるだけでは十分ではありません。たとえ上司が優秀であっても、常に正しいことを言うとは限りません。だからこそ、部下も自分で考え、必要があれば質問し意見を伝えられなければなりません。長く行われてきた慣習でも、時代や社会の変化に合わせて改めなければならないことはあります。提案しても受け入れられないことはありますが、それでも誰も自分の考えを主張しなければ組織は変わりません。
■「誰が」ではなく「何を」言ったかに注目する
自分の考えを主張できないような空気が職場にあると考えている人がいるとすれば、それは自分の考えを主張しないことの理由を職場の空気に求めているだけです。まず、「誰」が言ったかではなく、「何」が言われているか、話の中身だけに注目し、それが正しいかどうかを検討できるようにならなければなりません。
一人でも違うことを始めれば、職場の空気は変わります。そのためには、自分の発言を正しく伝えることだけに集中し、どう思われるかを恐れてはいけません。「自分が」どう思われるかを気にするのではなく、発言内容が吟味されると思えれば、恐れる必要はありません。
発言を批判されるような職場であれば、誰も発言しなくなります。批判するのではなく、発言内容自体について皆で検討する場になれば、意見交換は活発になります。
他の人が発言したときには、発言内容にだけ注目し、同意できないときには、それに代わる自分の考えを主張すればいいのですが、誰の発言かに注目すると、反対意見を述べづらくなります。
■では、上司にどう反論すべき?
具体的にどうすればいいかといえば、たとえば上司に反論するときは、「上司」に反論するのでなく、上司の「発言」に反論しようとしていることを明らかにするために、次のように言うことができます。
まず、発言に対して賛否を明らかにし、その理由を丁寧に説明します。他の人の発言を促すのであれば、「以上の理由から私は反対(もしくは賛成)ですが、皆さんはどうお考えですか」というふうに、最初に主張した人に返さないで、全体に意見を投げかけることが大切です。
次に、自分が優秀であること、特別であることを認められたいと思って発言してはいけません。
これは誰が発言しているかに注目させることになります。自分がどう思われるかではなく、自分が所属する組織よりも大きな共同体のことを考えなければなりません。自分が所属している組織が利益を得ても、地域社会、国家、さらに世界が不利益を被るようなことがあれば、どう思われようとこれでいいのかと問題を提起しないといけないのです。
■他者そのものに関心を向けられる人になる
異論があっても何も言わず、言うべきことがあっても言わないようになれば、組織は閉ざされた共同体になってしまいます。皆と同じにならないために特別である必要はありません。必要なのは、自分の考えを主張できることです。
皆と同じであろうとする人も、特別であろうとする人も、結局のところ自分にしか関心がありません。つまり、人からどう思われるかということばかり考えています。しかし、人からどう思われるかを気にせず、言うべきことを言える人は、他者の評価ではなく、他者そのものに関心を向けているのです。
言うべきことを言えば、他の人からよく思われないかもしれません。しかし、たとえそうなったとしても、自分の考えを主張し間違いを正すことが他の人にとってためになると考えられるのです。
また、特別であろうとする人は他者に認められなければならないと考えますが、特別であろうと思わなくても、優れた仕事をすれば認められます。
もちろん、時代を先駆けしすぎていて認められないことはありますが、特別であること、他者に認められることを目標にしてなされた仕事はいい仕事にはなりません。
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岸見 一郎(きしみ・いちろう)
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。専門の西洋古代哲学、特にプラトン哲学と並行して、アドラー心理学を研究。本書執筆後は、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。ミリオンセラー『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(以上、古賀史健氏との共著)をはじめ、『困った時のアドラー心理学』『人生を変える勇気』『アドラーをじっくり読む』など著書多数。
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(哲学者 岸見 一郎)
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