2023年に世間を揺るがせたジャニーズ問題と宝塚のいじめ問題。元朝日新聞記者の柴山哲也さんは「新聞社勤務時代は疑問に思わなかったが、新聞各社にはジャニーズ担当や宝塚担当がいて、取材の際は担当者を通さないといけないという問題があった」という――。

※本稿は柴山哲也『なぜ日本のメディアはジャニーズ問題を報じられなかったのか』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。
■「清く正しく美しく」の世界だと信じられてきた宝塚歌劇団
宝塚は、関西の優雅で富裕な上流階級のシンボルのような存在だった。宝塚音楽学校は上流階級のスターを目指す女子の憧れの学校で、入学試験は何十倍もの競争率を誇る超難関学校だ。
その宝塚音楽学校の入学希望者が減少したという。原因は宝塚歌劇団の中の凄惨なイジメの構造が表明化したことだ。
2023年9月30日、宝塚歌劇団の有愛きいさん(25)が自宅マンションの最上階から飛び降りた。自殺と見られている。彼女を自殺に追い込んだ背景に、上級生たちの凄惨なイジメがあったことが明らかになった。自殺の前日、「精神的に崩壊している……」と母親に話していたことを「週刊文春」が伝えている。京都出身の彼女は、トップの娘役になることを夢見て日夜厳しい練習に励んでいた。
有愛さんの飛び降り自殺の前、「週刊文春」は宝塚のイジメ問題を報じた。宝塚側は「事実無根」として放置していた。
有愛さんは「マインドが足りない」「嘘つき野郎」「文春なんてどうでもいい」と先輩から罵声を浴びせられ、自ら死を選んだと同誌の記事は書いている。
■罵倒やヘアアイロンでやけど、壮絶ないじめの末に…
実は宝塚歌劇団員の自殺未遂事件は過去にも起こっていた。2018年、予科生が寮のバルコニーから身を投げたのだ。それにもかかわらず、「内部関係者の証言によって炙り出されたのは、壮絶イジメの実態ばかりで、それらを隠蔽し続けた劇団の膿だった」と同誌は指摘している。
2023年11月10日、遺族側代理人弁護士が東京都内で記者会見、「死亡の原因は、月250時間を超える長時間の時間外労働や複数の上級生による暴言などのパワーハラスメントにあった」とし、歌劇団と劇団を運営する阪急電鉄に対して「事実に基づく謝罪と適切な補償を求めていく」と訴えた。
パワハラの実態についてLINEの記録などから確認したところ、ヘアアイロンを額に当てられ、やけどを負ったこともあったという。このことを「週刊文春」が2024年2月に報道すると、上級生から詰問されたうえ、女性から事情を聞いた劇団側は事実無根と発表した。亡くなる直前は頻繁に呼び出され、「『下級生の失敗は、全てあんたのせいや』『マインドがないのか』『うそつき野郎』などの暴言を受けた」という。遺族は「娘を極度の過労状態におきながら、見て見ぬふりをしてきた劇団が責任を認め謝罪することを求める」としている。
■元タカラジェンヌが「宝塚のハラスメント体質」を告発
元宝塚歌劇団員の東小雪(ひがしこゆき)氏は自分が団員時代に経験したイジメについて、「沈黙を破ってはどうでしょうか? そこにあったのは、本当に厳しい指導だけでしたか? よく語られる宝塚“愛”とは、いったい何を指してるのでしょう」と自身のブログで以下のような証言をしている。
「いつの時代もどこの組でもあることなんです。宝塚の体制が、構造そのものが、問題なんです。
長時間労働もパワハラも、“厳しい上下関係”の中での当たり前の日常なので、『“いじめ”はなかった』と報告されるのでしょう。……パワハラもセクハラもあったのです。暴力を振るってはいけないし、暴力にあっていい人はいません。ご遺族の方の訴えを拝読して、どれほど、どのように追い詰められていったのか、よくわかりました。私もそうだったけど耐えたから、宝塚はそういう伝統だから、その人がたまたま心が弱かったから、ではすまされません。人が死ぬほど追い詰めるような『厳しい指導』や『伝統』や『愛』の在り方はおかしいと、匿名でもいいから、沈黙を破ってほしいと思います。本当はみんな、知っているのです」と以下のように呼びかけている。
「ほとぼりがさめたら、同じことが繰り返されるのを見たいですか? 加害の片棒を担ぎ続けるのは何故ですか? そうまでして、守っているのはなんですか?」。
現在、東小雪氏は公認心理師、人権問題のアクティビストとして、全国各地でLGBTや女性の生き方、自殺対策などの講演会や企業研修などを行っている。東氏はテレビや新聞では伝えるのに限りがあるとして、より深く語れるネットラジオなどに出演している。
■ジャニーズと同じく人権意識が欠落した日本型組織の闇
ジャニーズ事件がニュースの渦中にあるなか、宝塚歌劇団の若手団員が先輩からのイジメを苦に自殺したという事件は、ジャニーズの性加害事件とは別の意味で、衝撃的だった。若い女性たちが憧れる宝塚歌劇団は、戦前からの伝統を誇り、女性たちだけで作る舞台芸能として広く認知されてきた。
「清く正しく美しく」という宝塚の看板理念が揺らぐことはなかった。女性だけでなく男性ファンも多く、男役、女役が演じる「夢の園」の歌劇を楽しんだ。
宝塚事件の背景には、ジャニーズ問題と同じ「人権意識が欠落した日本型垂直統合組織の闇」が見えてくる。「清く正しく美しく」のキャッチフレーズに覆われた「女の園」の闇は相当に深く、歴史的に続いてきた。しかし世間の目からも、メディア報道の視点からもまったく隔絶されたものだった。この事件で、実は恐ろしいほどの「イジメがはびこる闇社会」だったことが判明したのだ。
■「経営陣の怠慢で長年にわたり劇団員に負担を強いてきた」
当初、宝塚側はこの事件を否定していたが、文春砲の追撃や他の諸メディア、世論の批判の高まりを受けて、親会社の阪急電鉄と宝塚歌劇団は事実関係を認め、2024年3月28日付で以下のような謝罪と再発防止策に関する声明をホームページに掲載した。
宝塚歌劇団宙組劇団員の逝去に関するご遺族との合意書締結のご報告並びに再発防止に向けた取組についてこのたびの宝塚歌劇団宙組劇団員の逝去を受け、ご遺族の皆様には心よりお詫び申し上げます。
(中略)を阪急阪神HD並びに阪急電鉄及び劇団は、外部弁護士からなる調査チームの調査報告書の内容のみにとどまらず、ご遺族代理人から提出された意見書の内容を踏まえ、代理人を通じてご遺族との協議を重ねた結果、亡くなられた劇団員(略)に対し、長時間の活動を余儀なくさせ過重な負担を生じさせたこと、及び、劇団内において、厚生労働省指針(略)が示す「職場におけるパワーハラスメント」に該当する様々な行為を行ったことによって、被災者に多大な心理的負荷を与えたことを認めるとともに、劇団が経営陣の怠慢(現場における活動への無理解や無配慮等)によって長年にわたり劇団員に様々な負担を強いるような運営を続けてきたことがかかる事態を引き起こしたものであって、全ての責任が劇団にあることを認め、かつ、被災者に対する安全配慮義務違反があったことを認めました。
合意書調印の席には、阪急阪神HD代表取締役会長グループCEO角和夫をはじめとする関係者が出席し、ご遺族に対し謝罪を申し上げ、本件と同様の事態を二度と生じさせないよう、健康な職場をつくるために全力を尽くすことをお誓いいたしました。

あらためて、亡くなられた劇団員のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族には心よりお詫び申し上げます。(以下略)

■発表された謝罪の文書どおり、人権意識は改善されたのか?
宝塚経営陣は、凄惨なイジメにより追い込まれた団員の自殺事件を認めて謝罪、遺族に対する慰謝料の支払いを約束した。
しかしそれで事件が解決したわけではない。喉元過ぎれば熱さ忘れるのが日本社会の特質でもある。今は謝罪しているが、本当に事件の再発を防ぐことができるのか、長い目で見なければわからない。まだまだ未知数である。ここで思いあたるのは報道のありかただ。一連のジャニーズ性被害問題も長い間隠蔽されていた。事件の全容が世間に暴露されたときには、加害者はもう世を去っていた。宝塚も同様なのではないか。
■「宝塚の虚像」を作り上げてきたマスコミにも責任がある
新聞各社には宝塚担当記者がいる。私が勤めていた新聞社では、年配の編集委員が芸能欄に宝塚の記事を独占的に書いていた。宝塚のほかにも担当分野はあったが、主たる取材先はおおむね宝塚に限定されていたと思う。何十年にもわたって宝塚を取材していた担当記者は、歌劇団員全員の名前や期、何組かも記憶しており、宝塚の生き字引と言われていた。
定年退職すると、また別の担当記者に交代する。たった一人の記者がずっと宝塚を担当する仕組みだった。
したがって、宝塚に関わる取材はすべて担当記者が窓口になっていた。例えば、タカラジェンヌへのインタビュー取材をしたいと思っても、担当記者にその仕事を委ねる慣習になっていた。タカラジェンヌに会えるのは担当記者だけだったと思う。この方法はジャニーズの取材とも似ていた。ジャニーズの取材もジャニ担と言われる1人の担当記者の窓口を通じて行われていた。相手方が取材記者を指名し、信用された記者以外の人物が宝塚内部に入って取材するのを防ぐやり方で、宝塚は内部の情報が外部に漏れることを極端に警戒していたのだと思う。隠しておく必要がある内部情報や秘密事項がたくさん存在していたことをうかがわせる。
■新聞には「宝塚担当」「ジャニーズ担当」がいて実態を暴けなかった
選抜された宝塚担当記者は芸能セクションに所属しており、社会部記者のように特ダネを狙ったり、張り合う事件記者タイプではなく、優雅な仙人のようにおっとりした大人しい人だったのを覚えている。私は夜勤の時などに、雑談で宝塚の話を聞くことがあった。
宝塚歌劇団の厳格な上下関係や先輩後輩の独特の仕組みの話が中心で、その厳格な秩序のもとで教育され磨かれた良家出身のタカラジェンヌだからこそ、宝塚精神が育ち、質の高い大衆娯楽としての宝塚歌劇が、今日のステータスを築いた最大の要因なのだというような話だった。
担当記者は宝塚を賛美はするが、その欠陥を指摘することはなかった。私は、宝塚がこの世と切り離された別世界と思ったものだ。清純無垢な「美しい恋物語」の伝説と憧れに包まれた宝塚は、浮世とは別世界の「女の園」であり、そこに、まさかの凄惨なイジメが存在するという話など、寡聞にして聞くことはなかった。
夜勤時の雑談で、先輩記者から「清く正しく美しく」の宝塚の美談ばかりを聞いていた私だが、先輩の語る浮世離れした宝塚が嘘だとも思えず、異議を差しはさむことなく聞いていたことを思い出す。なぜ先輩記者は長年宝塚担当記者をしながら、そうしたイジメの構造があったことに気が付かなかったのだろうか。あるいは人々の夢を壊さないために知らぬことにしていたのだろうか。阪急電鉄が管理する宝塚歌劇団経営陣がそうした有害情報をすべてブロックし、美談ばかりを流してきたのだろうか。謎は深まるばかりだ。しかしホームページに掲載された阪急電鉄と宝塚歌劇団の長文の謝罪文を繰り返し読んでも、失われた命が回復されることはないと思う。

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柴山 哲也(しばやま・てつや)

ジャーナリスト

1970年、同志社大学大学院新聞学科を中退し朝日新聞社入社。大阪本社、東京本社学芸部、「朝日ジャーナル」編集部、戦後50年企画本部などに所属。退社後、ハワイ大学客員研究員、米国立シンクタンク・イースト・ウエスト・センター客員フェロー、国際日本文化研究センター客員教員、京都大学大学院非常勤講師、京都女子大学教授、立命館大学客員教授などを歴任。著書に『日本型メディアシステムの興亡』『いま、解読する戦後ジャーナリズム秘史』(以上、ミネルヴァ書房)、『ヘミングウェイはなぜ死んだか』(集英社文庫)、『新京都学派』『真珠湾の真実』(以上、平凡社新書)など。

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(ジャーナリスト 柴山 哲也)
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