■昭和の朝ドラ「チョッちゃん」は黒柳徹子の母がモデル
黒柳徹子の母・黒柳朝(くろやなぎちょう)(1910~2006年)の半生をモデルに描いた連続テレビ小説「チョッちゃん」がNHK BSで再放送されている。金子成人による脚本と、主演の古村比呂、世良公則、杉本哲太らの演技が光る1987年制作の朝ドラだ。
父の反対を押し切り、音楽学校に通うべく北海道から上京した蝶子(古村比呂)は、叔父・野々村泰輔(川谷拓三)とその妻・登子(佐藤オリエ)のもとに下宿。あるとき、泰輔の経営する映画館の楽士・連平(春風亭小朝)に才能あるバイオリニストの岩崎要(世良公則)を紹介されるが、要はプレイボーイらしく、第一印象は芳しくなかった。後日、要が女性トラブルで野々村家にかくまってほしいとやって来て、蝶子は要を「女の敵」と嫌うが、岩崎の奏でるバイオリンの音色は美しく、徐々に彼に惹かれ始める。
その後、コーラスガールとしてプロのオーケストラの練習に参加するようになった蝶子は、要と再会。練習が終わるたびに要はコーラスガールたちを誘って銀座に繰り出すが、蝶子はひとり断り続けていた……。さらに5月22日放送分では、要を避ける蝶子を要が追い回し、軒先でバイオリンを弾くという情熱的なシーン、蝶子を想い続けている幼馴染・頼介(杉本哲太)に殴られ、ケガを負う展開が放送された。
■ドラマよりすごかった徹子の父→母への猛烈アプローチ
ドラマでは積極的にアプローチを続ける要と、動揺し、避ける蝶子のやり取りが繰り返されているが、このアプローチは決して大げさではなく、黒柳朝の自伝を読む限り、むしろ史実のほうが強烈だったことがわかる。
『チョッちゃんが行くわよ』(主婦と生活社、1982年刊行)によると、2人の出会いは昭和2~3年、朝が東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)3年の頃、山田耕筰(こうさく)が行っていた日本楽劇協会のオペラでコーラスガールのアルバイトをしたときのこと。ソリストやオーケストラの人たちとも親しくなる中、オケでバイオリンを弾いていた黒柳守綱(もりつな)(自伝では常に「パパ」と表記)と出会った。
たびたび、お茶や映画に誘われるうちに、結婚の申し込みを受けました。
■チョッちゃんはクリスチャンで結婚の条件に入信を勧めた
そんな中、朝は守綱が「テコでもひかない熱心さで、しゃにむに強引に事を運ぶのを、はっきりしない態度で見ていた」と記している。
また、熱心なクリスチャンだった母が結婚に対して出した条件は、守綱がクリスチャンになることだったが、守綱の父は亡くなっているものの、朝の父と同じく医師で、おまけに熱心なキリスト教徒だったことから、信仰の面の問題はクリアに。
その後、朝の母とも相談し、守綱の叔父が3日がかりで北海道の朝の実家まで結婚の申し込みに行ったが、朝の父は激怒。父は怒りを妻(朝の母)にぶつけ、大変な騒ぎになったと記している。
■自伝に書かれた「人さらい」の「略奪婚」だったという話
しかし、こうした経緯は、だいぶ事実を丸めて書いたきれいごとの印象もある。
なぜなら、これより後に刊行された『チョッちゃんのここまで来た道』(講談社/1987年)や『新版 チョッちゃんだってやるわ』(中公文庫/2022年。1987年の朝日文庫を再編集し、3篇のエッセイを加えたもの)では、結婚に関するくだりで「略奪」「人さらい」といった不穏な言葉が繰り返されているからだ。
なかでも赤裸々な描写が登場するのは、『チョッちゃんのここまで来た道』だ。
朝が音楽学校3年のとき。
最後だからとお茶に誘われた朝は、「ケースをもっているからオーケストラの人だな、見たことがあるような感じがしないでもないな、という程度」と振り返る。つまり、一方的なナンパだった。
その際、朝は友人たちがオーケストラの人に誘われ、映画を観た、お茶を飲んだという話を聞いていたこともあり、「歌舞伎座の近くの店でちょっとお茶を飲むのだと」思い、一度くらいならと誘いに応じた。
ところが、守綱は歌舞伎座の前でタクシーをひろい、大きなビルの一角にある小さな喫茶店に連れて行った。そこで「オペラ楽しかった?」「音楽学校はどこ?」「くにはどこ?」などと尋ね、お金は払わずサインですませて、店を出る。いかにも慣れたやり口は、プレイボーイらしい。しかし、驚いたのはその後。一部引用したい。
『ちょっと僕の部屋に行ってみない?』といいました。断るのも悪いような気がして、バカな私は彼のあとについていったのです。それが私の運命を変えるたいへんなことになるとは夢にも思わないで……。
■初デートで守綱は朝をアパートに連れ込み「もう電車がないよ」
自分のアパートに朝を連れてきた守綱は、アルバムを見せるなどして、30分ぐらい経ち、朝が「もう帰ります。どこから電車に乗ったらいいのでしょうか」というと、腕時計を見て言った。
「ああ、もう電車がないよ。今夜は留まって(※原文ママ)いかなきゃだめだよ」
このとき、朝はびっくりして「ああ人さらいにさらわれてしまったのだ」と思い込み、タクシーで帰るお金も才覚もなく、電話もなかったことで「もうだめだと思ってしまった」としつつ、のんきな調子でこう振り返る。
「パパに、そのときの気持ちのほんとうのところを聞いておけばよかったと思います。でも自分のバカさかげんが恥ずかしく、口惜しさもあり、このときのことについてはパパと一度も語り合ったことがありませんでしたね」
この記述をうのみにするなら、守綱という人物をはっきり認識していなかったときにお茶に誘われ、その流れで部屋に行き、電車がなくなり、そのまま帰らなかったということだ。これだけでも朝ドラヒロインの史実としては相当ぶっとんでいるが、これは一夜の過ちでは終わらなかった。
■守綱は「きみはぼくの奥さんになるしかない」と朝を閉じ込めた
守綱は翌日、「もう学校へも行けないし、伯父さんの家にも帰れないよ。きみはぼくの奥さんになるしかないよ」と言い、「これから練習があるから出かけなきゃいけないけど、二時間半ぐらいしたら帰ってくるからね。絶対部屋の外に出ちゃだめだよ」と言って、外から部屋のカギをかけて仕事に行ったという。
そして、お昼になるとパンと牛乳を買って走って帰り、一緒に食べ、再びカギをかけてそそくさと出て行く。これが毎日繰り返されたそうなのだ。
当然ながら、朝が突然行方不明になったことで朝の下宿先の伯父夫婦は驚き、伯父たちから知らせを受けた朝の兄や北海道の両親も大騒ぎになった。しかし、当の本人は、知らない男の部屋に泊まったことで、伯母になんと言い訳したらよいか、どんなに叱られるかが怖くて帰れず、学校にも行けず、守綱の部屋で過ごすことになったようだ。
■音楽学校の先輩・淡谷のり子が「蒸発」した朝を発見
そんな事態が発覚したのは、朝が蒸発して5日目ぐらいのこと。ずっとアパートに閉じ込めておくわけにもいかないと思った守綱は、仕事先に朝を連れて行くようになり、自分がバイオリンを弾いている舞台の外に椅子を持ってきて朝を座らせ、たびたび様子を見に来ていた。そこを通りがかったのが、音楽学校で朝の2学年上だった淡谷のり子だった。
淡谷にかわいがってもらっているという話を朝から聞いていた兄は、朝が蒸発した際、朝の居場所について心当たりがないか淡谷に相談しており、思いがけない場所での再会となったわけだ。
「こんなところでいったい何してるの? お兄さんが学校に調べにきたし、家じゅう心配して大騒ぎしてるわよ。正直にちゃんとほんとうのことをいいなさい。悪いようにはしないから」
そんな淡谷の後押しがあり、そこから守綱の叔父が北海道の朝の両親のもとに結婚の申し込みに行き、父が激怒、母は父に「お前の教育が悪いから」と怒鳴られ……という流れとなる。
■両親に激怒されるも結婚、翌年、徹子が生まれる
朝は音楽学校を中退して結婚。黒柳徹子が生まれたのは、その翌年。
「お米がなければ食べなきゃいいという人に、母子五人よりかかるわけにはいきませんでしたから」(『チョッちゃんだってやるわ』より)と言うように、生涯バイオリン一筋だった守綱に生活上のつらいことや面倒なことは一切気取られないよう過ごし、全てを背負ってきた朝。
「人さらい」までして強引に妻にした朝に対する守綱の執着は生涯続いたようで、朝は守綱の機嫌が悪くなるため、クラス会も一切出席しなかった。しかし、そんな朝に徹子はこう語ったと言う。
「女として、ママくらい幸福な人はいないわよ、親孝行な子どもたちに囲まれて、いい友人をたくさん持って、まあいろいろあったでしょうけど、何といったってパパにあんなに愛されたんですもの」(『チョッちゃんだってやるわ』)
ちなみに、『チョッちゃんのここまで来た道』にはいつでも一緒だったという夫婦の仲睦まじい様子のツーショットも数点収録されており、守綱が朝にピタリと寄り添う姿が印象的だ。一部キャプションにはこんな文言がある。
「生前の写真のどれも、パパは私の肩に手をかけています」
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田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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(ライター 田幸 和歌子)