5月21日、大阪地検の女性検事が自身の受けた性加害について会見を開いた。会見に出席したジャーナリストの柴田優呼さんは「法律家である被害者は証拠などを準備して裁判に臨んでいるが、被告の元検事正や検察が彼女に口止めを図ったのは、検察組織の人権意識が低いからとしか思えない」という――。

■大阪地検の検事正が部下の女性検事をレイプしたという衝撃
東京地検に続き、全国第二の規模の大阪地検。そのトップとして職員約800人を束ねていた元検事正が、部下の女性検事に性暴行をした疑いで逮捕されるという衝撃的な事件が起きていたが、起訴された元検事正の北川健太郎被告はさらに、被害者に自筆の手紙を送り、事件を隠蔽しようとしていたことがわかった。被害を訴えた女性検事のひかり氏(仮名)が日本外国特派員協会で5月21日に会見を開き、北川被告から受け取った手紙の内容を公開した。
手紙は6ページにわたる手書きの長文。驚くのは、事を起こした当人でありながら北川被告は、事件が公になると「大スキャンダル」になってしまうと指摘し、「組織と職員をそのような目に遭わせることに私は耐えられません」と平然と言ってのけていることだ。そして被害を訴えることを思いとどまるよう、強くひかり氏に求めていた。二の句がつげないとは、このことだ。
「このような事態を招いたのは被告人自身であり、その被告人が、検察を傷つけたくない、検察への批判を避けたいなどと口にすることは、被告人自身の行動(本事件)を棚に上げた言動と言わざるを得ません」
北川被告とひかり氏の双方と面識があるという別の元検事正は、会見で配られた資料の中でそう語っている。当然の指摘だろう。検察を傷つけるような行動を取っておきながら、検察を傷つけたくないと主張するとは、どういうことなのか理解に苦しむ。
■「検察の評判が地に落ちるから」と口止めを図った卑怯さ
まるで検察の評判を盾にとって、犯罪行為の隠れ蓑にしているように見える。組織のトップだからといって、自分の行いに対して組織を言い訳として使うことが許されるわけがない。
しかも検察は私企業ではなく、法を司るため国民の税金で賄われている公的機関だ。
見逃せないのはそれだけでなく、ひかり氏が口をつぐむことを、「私のためというよりもあなたも属する大阪地検のためということでお願いします」と言っていることだ。ひかり氏はこれを脅迫だと指摘しているが、別の言い方をすると、北川被告は組織内の不祥事の隠蔽工作を図っていたと言える。
元々、検事正が性暴力事件を起こしたということだけでも驚愕に値する話だが、検察という組織のトップで、誰よりも法を守るべき立場の人が、「組織の一員として、被害者であっても身内で起きた犯罪には沈黙すべき」と当然のように口止めすること自体が、「大スキャンダル」であるように思える。
■性加害で訴えられた北川元検事正、直筆の手紙の字は「幼い」
犯罪を捜査するための機関が、犯罪よりも身内への影響を第一に考えているのだ。これは自己否定ではないのか。どれだけ優秀で実績があっても、こんな倫理観に欠けた人物が検察のトップになるとは、どういうことだろう。この倫理観のなさは北川被告特有のものではなく、検察組織の内部に漂う空気を反映していないと言えるのだろうか。
北川被告は最高検刑事部長や大阪高検次席検事などを歴任し、検察組織内の出世街道を歩んできた。しかし、事件を起こした後、2019年11月に退官し、以後は弁護士に。複数の企業の社外取締役にも就いていた(逮捕後、再任が撤回された)。こうしたきらびやかなキャリアの一方で、公開された手紙の筆跡は子供が書いたように幼く、奇妙なアンバランスさを感じさせる。

元々の性暴力事件が起きたのは2018年9月のこと。北川被告の手紙は、それから約1年後の2019年10月付のものだった。付け加えると北川被告は手紙の中で、ひかり氏に訴えられたら自死をするかもしれないと再三示唆し、口止めを図っている。しかし現実には、「被害者の存在を忘れたかのように、盛大な退官祝いパーティを開き、検察幹部らと夜な夜な酒を飲み歩き、検察庁に影響力を持ち続けた」とひかり氏は非難している。
■なぜ検事であり妻・母でもある被害者を襲ったのか?
このようにして北川被告に沈黙を強いられたまま、ひかり氏は6年間耐えていた。しかし、やがて、夜は1、2時間しか眠れず、体中が緊張して痛み、仕事中も涙が出そうになって、人がいなくなると泣き出してしまうようになっていった。
被害に遭った時、ひかり氏は既婚で幼い子供もいた。育児をしながら、寝ないで仕事に打ち込むことで苦しみを抑える状況が続いていたが、「このままでは死んでしまう」と夫が心配し、初めて病院に行くと、重いPTSDの診断を受けた。ひかり氏は「処罰すべき犯罪者を処罰しなければもう生きていけない」と思い、2024年2月被害を訴えたが、同年3月以後、病気で休職。今なお復帰できていない。
ひかり氏は会見で「泣き寝入りを強いられた私は、痛みを堪えながら、性犯罪事件などに苦しむ被害者の方々に寄り添い、ともに闘い、犯罪者を処罰し、被害者の救済に取り組んできた。そうすることで私も救われるような想いだったのだと思う」と語っている。

■被害者自身が法律家、他の性犯罪で加害者を処罰してきた
ただでさえ性暴力事件の暗数は大きく、被害を訴えられない人が極めて多い。訴えた後も大変な経験をして傷つくケースが多く伝えられている。X(旧ツイッター)などSNSでは、それにもかかわらず不起訴になる場合が少なくないことや、そもそも現行の法体系において求刑が軽すぎることへの批判が高まっている。そうした中、ひかり氏は被害者のために闘ってくれる貴重な検事であったのに、北川事件の結果、病欠に追い込まれる状態となっている。
この会見でもひかり氏は、しっかりした口調で理路整然と受け答えをしていたが、時折突然涙声になる場面があり、精神的に大きな負担がかかりながら会見に臨んでいることがうかがえた。
ただ性被害者が、法に訴えて闘う時にできることや被害者の権利にはどんなものがあるか、法律家として教えてほしいと私が質問した際、被害直後の物的痕跡や、書いたり相談した記録を証拠として自ら提出したり、事情聴取の際に自分の言いたいことを書いて渡したりすることができるだけでなく、裁判所に提出された証拠を開示してもらったり裁判に参加したりすることが可能だ、と即座に答えてくれた。
■北川被告は2024年末に一転して「同意があると思った」と否認
2024年6月北川被告は逮捕され、7月に起訴。10月の初公判で北川被告は起訴内容を認めて謝罪したが、12月に突然、「同意があると思っていた」などと主張し、否認に転じている。このため裁判は争点や証拠を巡って膠着状態となり、次回の公判は未定のままだ。
しかし今回、ひかり氏が会見で話したのは、北川被告のことだけではない。同僚であり北川被告と親しい50代の女性の副検事からも、深刻な二次加害を受けた、と訴えている。この副検事は、ひかり氏と同じ部署、同じフロアで勤務していたが、北川事件の被害者が誰であるかということだけでなく、被害者を中傷する内容を広めていたなどとして、ひかり氏は2024年10月、副検事を告訴した。

ひかり氏がそうした職場の実態を知ったのが、その前月の2024年9月。ちょうどリハビリ的に職場への復帰を試みていた時期でもあった。それなのに職場の安全が全く確保されていなかったことを知り、「ショックで組織に絶望し」出勤できなくなった。誰も助けてくれないと感じ、北川被告の初公判があった10月、公益通報の形で記者会見を行い、初めて公に仔細を語った。
■大阪地検の女性の副検事が「二次加害」をしたという訴え
大阪高検の田中嘉寿子・元検事は「検察が、北川事件につき、彼女を『被害者』として尊重し、職場復帰できるよう配慮し、副検事を早期に分離し調査していれば、被害者が記者会見をする必要はなかった」と、会見の配布文書の中で指摘している。
このためひかり氏は副検事だけでなく、検察からも二次加害を受けた、と訴えている。だが結局今年3月、大阪高検は副検事を不起訴とし、被害者の名前を同僚複数に伝えたことなどが理由で、戒告処分をするにとどまった。
この処分の発表をする際、大阪高検幹部はひかり氏の代理人弁護士宛に次のようなメールを送っている。
「今回の処分結果は、飽くまで法と証拠に基づく判断であって、何か都合の悪いことを隠すために■■(注:黒塗り部分)に甘い対応をしているなどということは全くない」

「今後、■■(注:黒塗り部分)さんがそのような観点から外部発信をするようなことがあれば、検察職員でありながら、警告を受けたにも関わらず、その信用を貶める行為を繰り返しているとの評価をせざるを得なくなる」

「これは口止めや脅しではなく、当たり前のことを要請しているだけなので、口止めや脅しを受けたなどという発信も控えてもらいたい」
これに対しひかり氏は、「私の声まで奪われるのかと思った」と話している。
■不祥事を国民に知らせようとしない隠蔽体質と透明性の欠如
大阪高検のこのメールと北川被告の手紙に共通しているのは、検察への影響を何より先に考えていることだ。被害者の思いへの配慮はどこにあるのだろうか。検察はかつて「被害者とともに泣く検察」というスローガンを掲げていた、と北川被告とは別の元検事正が会見配布文書で言っているが、正直言って、そうしたスローガンが検察内に存在していたこと自体に驚いた。
そんな検察官像の存在を感じられないでいる国民が、今は多いのではないだろうか。
そもそも北川元検事正逮捕の際、大阪高検は容疑の詳細をほとんど明らかにしなかった。初公判後にひかり氏が勇気を出して会見で語らなければ、国民の信頼を裏切るこんな重大な性暴力事件を検察トップの一人が起こしていたことの中身が、どれだけ知られていただろうか。不祥事を国民に知らせようとしない隠蔽(いんぺい)体質と透明性の欠如こそが、国民の信頼をさらに裏切る行為であることがわかっているのだろうか。
■大阪高検が被害者に「口止め」メールを送ったことが意味するもの
現在ひかり氏は、検察の閉鎖性こそが問題で、民間に比べてガバナンスや人権意識のアップデートも遅れていると指摘し、検察組織を監察できる独立した第三者機関の設置を求めている。また被害者の権利を守る被害者庁の創設も呼び掛けている。検察内部の問題を公正に裁くには、検察の中で行うのでは無理で、外部の目が必要だという考えからだ。ジャニー喜多川性加害問題の時も、国連人権委員会に、日本には政府から独立した人権機関がない、と批判されていたことが思い出される。
フジテレビの件や今回の場合もそうだが、こうした独立機関や救済制度がないことも相まって、多くの個人が多大なリスクを負って、有力者や権力者による人権侵害を訴えざるを得ない状況が続いている。こうした状況は早く変わっていかなければならない。
ただ救いとなるのは、苦しんだあげく沈黙より闘いを選んだ彼女たちは、まさに当の組織で育ってきた人たちであることだ。その点大阪高検も、警告メールを送って口をふさごうとするのではなく、むしろひかり氏のように、大きな相手に挑んで闘う検事が組織内にいることを、誇りに思うべきだ。
そうした検事がいないと、巨悪と闘う力など生まれないだろう。
■法律家である被害者は、自分が所属する検察とどう闘う?
ひかり氏は今後、誹謗(ひぼう)中傷がどれだけ広まっていたか自ら調査し、検察審査会に申し立てをすることを考えている。また公務災害の申請や、検察庁の対応についての人事院への申し立て、北川被告や副検事への損害賠償請求や国家賠償請求も検討している。公判では引き続き、被害者参加制度を利用し、被告人への質問や論告求刑もしていきたいという。
現役検事のため名前と顔は伏せているが、正面切ってこれだけ闘えるのは法律家ならではと言える。検察の身内だと法の適用が異なるとしたら、つまり加害者を罰せられず、被害者を救えないなら、それは法の根本を無視することだ。そうした除外措置は容易に、検察組織の外部にいる権力者の免罪にも転化されることだろう。ひかり氏は自分の被害を超えて、法のあり方と社会のあり方を含んだより大きなもの、正義と人権について問うているのではないだろうか。それは結果的に、法と社会を守るためのものだ。

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柴田 優呼(しばた・ゆうこ)

アカデミック・ジャーナリスト

コーネル大学Ph. D.。90年代前半まで全国紙記者。以後海外に住み、米国、NZ、豪州で大学教員を務め、コロナ前に帰国。日本記者クラブ会員。香港、台湾、シンガポール、フィリピン、英国などにも居住経験あり。『プロデュースされた〈被爆者〉たち』(岩波書店)、『Producing Hiroshima and Nagasaki』(University of Hawaii Press)、『“ヒロシマ・ナガサキ” 被爆神話を解体する』(作品社)など、学術及びジャーナリスティックな分野で、英語と日本語の著作物を出版。

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(アカデミック・ジャーナリスト 柴田 優呼)
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