斬新なアイデアはどうすれば生み出せるのか。クイズ作家の近藤仁美さんは「重要なのは“妄想力”だ。
実現性を気にする前に、ふと浮かんだ発想を育てる訓練を繰り返すことが、成果につながるアイデアを生む」という――。
※本稿は、近藤仁美『クイズ作家のすごい思考法』(集英社インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
■咳止めトローチにはなぜ穴が空いているのか
クイズでは、しばしば断片的な情報が扱われる。それゆえ時折「そんなの答えて何になるの?」と聞かれることがあり、私もそれにはある程度同意する。
個人的な考えだが、クイズに答えることそのものは、たいして役に立たない。より正確にいえば、社会学の分野からは正解することで自分の有能さ・有用感を確かめるという効果が指摘されているが、クイズでしかこれらを感じられないとしたら、ちょっともったいない気がする。
どちらかというと、私はクイズそのものよりも、クイズを通して得たものを他分野で活かせたときや、クイズがきっかけで新しい事実に出会ったとき、他者とのコミュニケーションが活発になったときなどに、クイズが役に立ったなと感じる。
なかでも、私が一番重視するクイズの効能は、想像力が増す可能性があることだ。たとえば、クイズで咳止めのトローチに穴が空いている理由を知れば、サインペンのキャップに穴がある理由も察しがつく。あれらに穴があるのは、万一飲み込んでしまっても呼吸を妨げずにすむからだ。そうとわかれば、自分が開発する商品や人の子どもに贈るプレゼントでもこのようなことを考慮しようと思えるようになる。
■「ですが問題」は日常会話に応用できる
「ですが問題」とは、問題文の前半である事実を述べ、その後に「ですが」を加えることで、後半の文章を前半とは異なる内容にしたクイズをさす。
たとえば、「世界で最も面積が大きい国はロシアですが、最も面積が小さい国はどこでしょう? (答え:バチカン市国)」といった類のものだ。
「ですが問題」は解き手が推測力を発揮できる華のある問題なのだが、私にとっては、様々なものに対して「未知の続きがあるかも」と思える習慣をつける面で役立った。
以前は会話のどこかに不快な情報があると心のシャッターが下りがちだったのだが、クイズで「ですが問題」を知り、好きになった後は、いやなことの後ろに全然違う世界が広がっている可能性に思い至りやすくなった。ある意味、自分に対して「待て」ができるようになり、人の話を結論を急がず最後まで聞き切れるようになった。
加えて、情報の見せ方や見せられ方にも目が向くようになった。
日本で一般的なクイズでは、問題文の前半にヒントとなる情報を入れ、後半で答えを確定させるのがよくあるかたちなのだが、前半部分に「へえ!」と思える内容があれば、人から面白いと感じられやすい問題になる。「ですが問題」が後ろに重点があるとすれば、この種の問題は前の方に重点を置くわけである。
これを日常会話にさりげなく応用すれば(あくまでもさりげなく。知識を織り込むことが目的になってしまうと、たちまちウザい人間ができあがるので、その点は注意が必要である)、会話の摑みはバッチリだ。
■「北海道産ジャガイモ使用」という惹句のカラクリ
加えて、他者が商品を魅力的に見せようとしている可能性にも気づくことができる。
たとえば、クイズで日本のジャガイモの約80パーセントが北海道で収穫されていることを知ると、食品につけられた「北海道産ジャガイモ使用」という宣伝に対して比較的冷静(?)でいられるようになる。なぜなら、日本産のジャガイモの多くが北海道産だからだ。

産地の分布を知らなければ、北海道のよいイメージだけで「おいしそう!」と思うかもしれないが、データを把握していると、「おいしいイモかそうでもないイモかはわからないな」といった具合になる。人によっては、ダイエット中のポテチへの対処法すら変わるかもしれない。
ついでにいうと、私はこの仕組みに気づいたとき、服のシミはなぜついちゃいけないところにこそできるのか、という疑問に対する答えに思い至った。服のシミが不都合な場所にできるというよりは、表に出ていて目立つ位置だからこそ、ものが飛んでつくと気になる、と考える方が正確だ。目障りな位置についたがゆえに人間側が勝手に不都合に感じ、機嫌を悪くするのである。
■ボウリングのナインピンズを考案したのは誰か?
ちなみに、クイズで知った断片的な情報、いわば「点」が、ふとした瞬間に「線」でつながる感覚はとても爽快だ。たとえば10年以上前、宗教改革家のルターがボウリングのナインピンズを考案したという情報を得た(ただしこんにちのナインピンズとは多少ルールが異なる)。
そのときは、「なんで? 好きやったん?」くらいの捉え方だったが、かなり後になってボウリングの由来を調べたとき、謎が突然解けた。
ボールを投げてピンを倒すゲームは少なくとも古代エジプトのころからみられ、中世ヨーロッパでは悪魔退治のゲームとして広まった。そのため、キリスト教の修道士たちは悪魔に見立てたピンを教会の長い廊下に立て、多く倒せれば信心が深い、そうでなければまだまだ修行が足りない、とみなしたのだという。
(それでルターだったのかーーー!)
ボウリングが教会で発達したのであれば、宗教改革家のルターが親しんでいても不思議はない。
この出会いは衝撃的だった。
だからクイズはやめられない。
■「なぜ非常口のマークは緑色か」日常の疑問がクイズを生む
非常口のマークはなぜ緑色なのだろう。5円玉にはなぜ穴が空いているのだろう。クイズ作家の頭のなかでは、日々こんな疑問が行ったり来たりしている。
日常生活で目にするものは、人の興味・関心を引く宝庫だ。満足感の高いクイズを出すには、まず「なんでだろう」「答えが知りたい!」と思ってもらう必要があるので、多くの人が見たことがあるものはクイズの格好の題材になる。
なお、非常口のマークが緑色なのは、赤い火の中で目立つからだ。火事で建物から脱出するとき、火に埋もれる色では出口がわからないが、補色にあたる緑ならば見つけやすい。ちなみに、たまに見かける背景が白いものは、非常口そのものでなく、そこまでの経路を示す「通路誘導灯」だ。
また、5円玉に穴が空いているのは、現在は主に他の硬貨との判別のしやすさと偽造防止のため、かつては戦後の資源不足の際、経費削減を考えてのことだった。
■答えを知らなくても考えれば解ける問題の作り方
日常の疑問は、ときに新しい問題を考えるのにも役立つ。ある日ふと、お昼の12時を「正午」というなら、夜中の12時にも呼び名があるのでは? と思った。
調べてみたら、本当にあった。夜中の12時は「正子(しょうし)」だった。これを知ったときには、思わず膝を叩いた。
日本では昔、時間を数えるときに十二支を使っていた。お昼の12時は午(うま)の刻のど真ん中にあたるので正午という。ここまではご存じの方も多いだろう。そして、午以降も2時間ごとに未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)と進んで一周すれば……夜中の12時には十二支の頭である子(ね)に戻る。つまり、正子がやってくる。この気づきは答えがわかったときの納得感も高かったため、さっそくクイズ番組に出した。
なお、私は知っているか知らないかで終わる単純な知識勝負があまり好きではない。そうした面からも、正子のように「答えを知らなくても考えれば解けるかもしれない問題」を出せたのはうれしかった。
■意外なアイデアを生みだせる人は常に妄想している
金魚がいれば銀魚もいる? 透明なリンゴってあるのかな? ……これらは私の頭のなかを駆け巡る、日々の妄想の一部だ。

商品開発やクリエイティブ系の企画会議では、職種を問わず「なんか意外性が欲しいんだよね」「見たことないものを提供したい」など、言っている本人も答えがわからないであろう、そして周囲を確実に悩ませるであろう問いが飛び交うことと思う。クイズをつくる会議も同様で、私を含め多くの関係者が、このありきたりな、そして永遠の課題に頭を悩ませている。
そんなときにおすすめなのが、冒頭に出てきた「妄想」である。これまで仕事を続けてきて何度も感じるのが、周囲が「ぜひこの案で進めたい!」と思う企画を多く出せる人ほど、その前段階で妄想を大切にしている、ということだ。
ちょっと考えてみてほしい。
・隣の部屋からカレーの匂いを送り続けたら、その後、匂いを送られた部屋の全員がカレーを食べるんじゃないか

・配偶者や漫才の相方なら、いびきだけでパートナーを当てられるのではないか
これ、もし答えがわかるとしたら、気になりませんか?
この類のことを実際に検証する番組が、TBSの『水曜日のダウンタウン』である。番組内では、言われればつい気になってしまう「説」が多数唱えられ、コンプライアンスが重視され、テレビがつまらなくなったといわれる現在においても、思い切った内容で視聴者を楽しませている。こうした面白い「説」を思いつくには、確かな妄想力(?)が必要である。
■思い切りに欠けていたときに言われた「妄想力が足りない」
このように、妄想はよい企画になり、よい企画は利潤を生む。これはいちクイズ作家の経験則に留まらない。アイデアの必要な業種で長く働き、成果を出しつづけている人の言葉を聞くと、キーワードのようにして、何度も「妄想」という言葉が登場してくるのだ。
たとえば、仕事の企画を考えていたとき、他の人から出てきたアイデアは素晴らしいと思うのに、自分の出した案はどこかつまらなく感じていたことがあった。
あまりにボツが続くので、案を出すこと自体が怖くなりかけたとき、厳しいけれど優しく響いた言葉が、「近藤さん、妄想力が足りないぞ!」だった。
この言葉をくれたのは、何十年も業界で生き残っている、大ベテランの制作会社社長だ。思えば、当時はよいものを出そうとしすぎて口が重くなり、ふと浮かんだ案もどこかスケールが小さく75点くらいの位置に置きにいくような調子で、思い切りに欠けていた。それを、「妄想力が足りないぞ!」という言葉で、実現性を気にするのはもっと後でよいこと、堅く考えるよりまずは発想を優先することを教えてくれたのだ。
その数日後、今度は知人の講演会で著書1000冊以上の作家さんに出会った。ご挨拶させてもらったお礼をメールで送ると、当日中の素早いお返事と、後日ご著書に添えて手書きの色紙を送ってくださった。
そこにはズバリ、「妄想の共有」と書かれていた。当然、私は数日前のことなど話していない。それでも、人の性質を見抜くのに長けた方なので、当時の私に必要なことを伝えてくれたのだろう。
■「有名なものの隣」「あったらいいな」で訓練する
では、妄想はどのように育てるとよいのだろうか。私の場合、よく行うのは、「有名なものの隣を探る」と「あったらいいなを調べる」だ。有名なものの隣というのは、金魚がいるなら、ひょっとしたら銀魚もいるのではないか、と想像することである。これは、「金魚がいれば銀魚もいる。○か×か」という問題になった(答えは○)。
あったらいいなを調べるというのは、透明なリンゴがあったらきれいかも→「リンゴ+透明」で検索→ゴーストアップルという、リンゴの周りを覆っていた水分が凍結し、中のリンゴが腐って液状になり流れ落ちた後、氷の殻が木についたままになる現象を発見、といった具合である。
このような妄想の訓練をすれば、意外性のある情報の発見や、面白いのにまだ世にない商品の発案が、少しずつやりやすくなっていくはずである。

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近藤 仁美(こんどう・ひとみ)

クイズ作家

三重県生まれ。早稲田大学教育学部卒業および同大学院修了。在学中からクイズ作家として活動を始め、日本テレビ系『高校生クイズ』の問題作成を15年間担当したほか、『マジカル頭脳パワー‼2025』『クイズ! あなたは小学5年生より賢いの?』『せっかち勉強』などのテレビ番組や、各種メディア・イベント等で問題作成・監修を行ってきた。2018年より国際クイズ連盟日本支部長。クイズの世界大会では日本人初・唯一の問題作成者を務める。

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(クイズ作家 近藤 仁美)
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