※本稿は、山口雅之『常識を逸脱せよ。日本発「グローバルメガベンチャー」へ テラドローン・徳重徹の流儀』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■30歳手前で大手企業に辞表提出、父親から絶縁を宣言される
2016年3月16日、大手町ファーストスクエアカンファレンスで、テラドローン設立の記者会見が行われた。同社の代表取締役は徳重徹。
――ドローンだって?
その記事を目にしたとき、違和感を覚えずにはいられなかった。私はその4年ほど前に徳重と出会っている。彼の著作『世界へ挑め!』(フォレスト出版)の制作を手伝ったのである。
本を出すといっても、当時の彼はまだ何も成し遂げてはいなかった。2010年に立ち上げたテラモーターズのオフィスは渋谷の繁華街にある古い雑居ビルの一室。雑然とした仕事部屋の一角をパーティションで区切った狭いスペースで膝を突き合わせるようにして、長い時間話を聞いた。
新進気鋭の起業家といえば当時もいまもIT関連が圧倒的に多い。
だから、テラモーターズの事務所は逆にインパクトがあった。けれども、あえて逆張りで世間の耳目を集めようとしたわけではない。徳重にとってオフィスの広さや会社の場所は、どうでもいいことだったのだ。
思えばビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズもガレージからスタートしているのだから、ベンチャー企業が雑居ビルのレンタルオフィスからスタートするのはむしろ当たり前なのかもしれない。
【徳重徹】
挑戦と挫折の繰り返し。それが私の人生です。最初は大学受験の失敗。一浪して猛勉強したものの第一志望校には入れませんでした。
大学では父の言葉に従って応用化学を専攻したもののどうにも興味が湧かず授業にも熱が入らない。それで、早川徳次、松下幸之助、盛田昭夫といった起業家の本ばかり読んでいました。逆境を乗り越えてついに欧米をも凌駕する企業をつくりあげる彼らの生きざまから学んだことは、現在の私の経営哲学の元になっています。
しかし、自分も起業家の道を目指そうという気持ちはまだなく、就職も父の希望を汲んで、いったんは大手企業に入ったものの、ここは自分の場所ではないという息苦しさが日に日に高まり、30歳手前で勝手に辞表を出すと、父から絶縁を宣言されてしまいました。
その後、シリコンバレーを目指して渡米するのですが、ここでも希望のビジネススクールに落ちまくります。それでもなんとかMBAを取得するとそこから5年間、憧れのシリコンバレーで、日本のベンチャー企業の起業や海外進出をハンズオンで支援するコンサルタントとして働きました。
そうしているうちに、この世に生を受けた自分の使命がようやくみえてきます。それは、日本発のメガベンチャーをつくるということです。そして、日本に戻ると世界で戦える事業を探し求め、EVに出合いました。それがテラモーターズです。
■フィリピンの電動三輪タクシー事業がとん挫した理由
電動バイクで世界ナンバーワンになる。事務所は狭かったが、そこで徳重が口にする夢は誰よりも大きかった。すでに台湾やベトナムには、テラモーターズは進出を果たしており、フィリピンでは電動三輪タクシー事業の入札に参加。前途に強い手ごたえを徳重は感じているようだった。
「まずフィリピン市場をテラモーターズが押さえる。
詳細な事業プランを見せてもらったわけではないので、どこまでが希望でどこまでが確定した未来なのか、その場で判断するのは難しかったが、彼の言葉が希望や願望で水増しされているのではないことは確実に伝わってきた。
世界を震撼させるメガベンチャーを日本に誕生させるのが自分の使命だと、この人は本気で思っている。そんなことを感じさせてくれるベンチャー経営者は記憶にない。徳重と話していると、どんどん応援したくなってくる。
それゆえ、本が出来上がってからも彼の動向には注目していた。だが、いくら待っても日本発のEVが東南アジアを席巻しているというニュースは届かない。そのうち知り合いの記者から、どうやらテラモーターズがフィリピンの電動三輪タクシー事業に参入するという話はなくなったらしいと教えてもらった。
それでも、よもや徳重が電動バイクで世界ナンバーワンという夢を途中で投げ出すようなことはないと思っていた。だから、徳重とドローンがにわかに結びつかなかったのだ。
【徳重徹】
フィリピンの入札は失敗ではありません。テラモーターズは応募29社中上位3社のひとつに選ばれました。それですぐに10億円の資金を調達したのです。ところが、突然、電動三輪タクシー事業プロジェクト自体が中止になってしまった。突然フィリピン政府が、やっぱり導入コストが高すぎると言い出したのです。
こっちはすぐにでも量産体制に入れるところまで準備が進んでいたのに冗談じゃありません。もちろん抗議しましたよ、いまさらそれはないって。でも、向こうは方針を変更したの一点張り。取り付く島もなかった。その後、再度入札が行われましたが、これも途中で中止となり、それでフィリピンは撤退です。新興国でビジネスをやるとはこういうことなのかと、いい勉強にはなりました。
続いて注力したベトナムでは1万台の販売を見込んでいたのに500台しか売れず、信頼して現場を任せていた社員とは関係が悪化し、彼は会社を去っていきました。
バングラデシュでも市場開拓を始めていたものの、こちらもまったく先が見えない。まさに五里霧中。
それでも諦めはしませんでした。そして、ついに次のインドで手ごたえをつかみます。2014年に誕生したモディ政権が環境問題を改善しようと、国内自動車のEV化政策を立ち上げたのを機に、三輪EV車市場に参入を決めました。三輪車というとタイのトゥクトゥクが有名ですが、インドの都市部では「オートリキシャ」と呼ばれる自動三輪車の乗合タクシーが、人々の重要な交通手段となっています。一方で、排ガスによる大気汚染がインドでは長い間問題となっていたのです。
2015年に北部のハリヤナ州で販売を始めると、そこから徐々に拠点を増やし、着実に販売実績を伸ばしていきました。現在インドの三輪EVでは、当社はトップクラスの販売数を占めています。
■1年で10億円売り上げたインドの三輪EVに満足できなかった理由
なんと、徳重はEV事業でちゃんと結果を出していたのだ。だが、意外にもそれは彼が目指した未来ではなかったようなのだ。
【徳重徹】
インドでの三輪EVと二輪の売上は事業立ち上げから1年で10億円までいきました。10億円というのは上場しようと思えばできるレベルです。
でも……少しもうれしくないんですよ。上場とかお金が儲かるとか、そんなのはどうでもいい。私が電動バイクを事業ドメインに選んだのは、それが世界的に普及すると信じていたからです。
でも、やってもやってもその気配がまるで感じられない。たしかにインドではある程度成功したけど、自分たちがやりたかったのってこの程度のことだったっけって、ずっと悩んでいました。
「風が吹けば豚でも飛べる」
2010年に創業するとたった4年で中国ナンバーワン、世界でもシェア3位のスマートフォンメーカーとなった小米科技(シャオミ)の創業者である雷軍(レイジュン)は、こう言っています。
要するに、大爆発するかどうかは市場にかかっている。市場選びがすべてなのです。EVという風穴を見つけて入り口に立ってみたけれど、何年経っても飛べるだけの風が吹いてきませんでした。この先ずっとここにいても、自分を空高く吹き飛ばしてくれるだけの風はきっと吹かない。いたずらに時間を浪費するのは嫌だ。
それで、強い風が吹く場所を探して移動しようと決めたのです。
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山口 雅之(やまぐち・まさゆき)
フリーライター
ビジネス誌、経済誌を中心に活動。単行本の執筆、映像台本も手掛ける。テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞優秀賞。著書に『一流の人の考え方』(日本実業出版社)、『塀の中から見た人生』(カナリア書房)。
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(フリーライター 山口 雅之)