■2026年に本社を高輪ゲートウェイシティに移転
創業145年を迎えた水産食品業界の最大手、マルハニチロが大規模な企業変革に着手している。2024年に「社員が主役」の風土改革をスタートさせ、24年5月に本社移転、25年3月に社名変更を発表。26年には社名を「Umios(ウミオス)」に変え、本社も豊洲から高輪ゲートウェイシティに移すという。こうした変革の先頭に立っているのが、池見賢社長だ。
「今変わらなければ我々に未来はない。そんな強い危機感と覚悟をもって挑んでいます」
近年、日本の水産業界の事業環境は多くの課題を抱えている。少子高齢化で日本市場は大きく縮小しつつあり、天然水産資源も減少の一途をたどっている。国際情勢の不安定化に加えて円安も進み、先行きは不透明になるばかりだ。
水産資源の調達力に定評のあるマルハニチロも影響は免れず、池見社長は「次の100年を生き抜くための変革が急務だった」と語る。
「この先も皆さんから選ばれ続けるためには、人材育成に向けた風土改革や、企業としての新たなアイデンティティーの獲得が不可欠だと判断しました。社名変更や本社移転は、我々経営陣の“変革する覚悟”の表れでもあります」
■「強者同士の統合」ゆえの課題
マルハニチロは、明治時代創業のマルハとニチロが合併して誕生した企業だ。いずれも当初は漁業会社であり、マルハは遠洋漁業や加工業に進出しながら長らく「大洋漁業」という名で、ニチロも同様に「日魯漁業」として成長してきた。
1977年、200海里水域制限によって遠洋漁業が縮小すると、これを乗り越えるためマルハは海外から魚を買い付ける水産商事へ、ニチロは商品開発や国内加工を手がける食品メーカーへと大きく舵を切る。そして30年後、両社は互いの強みを生かそうと経営統合し、総合食品企業「マルハニチロホールディングス」として歩み始めた。
だが、いずれも長い歴史を持つ業界のトップ企業。強者同士の統合ゆえに、器は一体化しても中身の融和は遅々として進まなかったという。
「統合後も、旧マルハと旧ニチロでは仕事の進め方や考え方から損益管理、業務システムまでほとんどが別々のままで、人事面での流動性もなく、業務も属人化する一方でした」
そんな状況に、当時の社長は「これでは経営統合した意味がない」と危機感を抱き、思い切った策に出る。両社の融和を進めるために、数ある子会社を統合して、現在に続く「マルハニチロ」を誕生させることにしたのだ。
■キャリアのスタートはソロモン諸島
その際に、統合を進める部門の長として呼び戻されたのが、当時タイでグループ会社を率いていた池見社長だった。
池見社長は1981年、海外で働きたいという思いから大洋漁業に入社した。願いかなってソロモン諸島でキャリアをスタートし、現地籍の船に船員を集めてカツオの一本釣りなどを手がけていたという。
その後はタイに9年ほど駐在。ソロモン諸島とあわせて計16年にもおよぶ海外生活を、「願っていた通りの、幸せなサラリーマン人生だった」と懐かしそうに振り返る。
「いきなり呼び戻されたときは驚きました。国内の管理部門なんて未経験なのに、何で私なんだろうなと思いましたよ。おそらく、ずっと海外にいた私ならマルハとニチロどちらの出身者か、社員もわからないだろうと思われたんじゃないですかね(笑)。そのほうが融和を進めやすいだろうと」
冗談めかしてそう話すが、実際は海外で現地の人との協働態勢をつくり上げてきた手腕が評価されたのだろう。価値観も商習慣も異なる場所で事業を成長させるには、現地との融和が欠かせない。池見社長も「そこは、どんなに大変でも当たり前のこととしてやらなければいけない部分だった」とうなずく。
■「まだまだ真の統合は実現できていない」という思い
当時もっとも心がけていたのは、丁寧なコミュニケーションだ。一方的に伝えるだけでは相手は動いてくれない。そのため、相手の「なぜ」「何のために」という疑問に対してとことん説明を尽くした。説明の仕方も、「伝わらなくて当たり前」を前提にさまざまな工夫を重ねたという。
しかし、その経験をもってしても、社内の統合は思うように進まなかった。なぜなら、当時は社の大半が「今のままでいい」と思っていたからだ。現状、2社が分断したままでもビジネスは滞っていないのだから、変えなくても大丈夫――。こうした意識を変えるのは予想以上に難しかった。
「言葉の壁もない日本人同士ならもっと簡単に分かり合えるはずなのに、なぜ融和できないんだろうと。その後も私の中には、まだまだ真の統合は実現できていないなという思いがずっとありました」
今回の企業変革は、池見社長にとっては2度目の「真の統合」を目指す挑戦になる。前回の経験から、今回はより思い切った策をとろうと、企業変革パッケージには融和に向けたカルチャー改革に加えて社名変更や本社移転まで組み込んだ。
それは「もはやマルハとニチロではない、我々は一体でやっていくんだ」という、社内に対する強烈なメッセージもあった。
■国内の全拠点を回り座談会形式で「対話」
変革は2024年、まず各拠点での社員との対話からスタートした。企業変革を成功させるには、社員全員がなぜ改革が必要なのかを理解し、何をどう変えなければいけないかを考え、その上で「自分が変えていくんだ」という覚悟を持つ必要がある。
こうした機運をいかにして醸成していくかは、多くの経営者が悩むところでもある。池見社長の場合、大事にしたのは「対話」と「できることはすぐやる」だった。
同年5月、池見社長は自ら発案して、国内の全拠点と40以上の部署をくまなく回る全国行脚の旅に出る。双方向で議論したいとの思いから、形式は一方的なスピーチではなく座談会スタイルをとった。事業環境の変化や今後の課題などを一緒にひも解きながら、将来をともに語り合う姿勢も心がけた。
「変革しようと言い出したのは我々経営陣だけど、実際に変えるのは皆さんなんですよ、ということは必ず伝えました。だから新しいアイデアをどんどん出してください、何でも言ってくださいと」
そして、社員から出た意見はできることから行動に移した。例えば、ある拠点で「他の部署の仕事も経験したい」という声が出たときのこと。池見社長はすぐに部署留学の制度をつくり、半年もしないうちに始動させた。これまでに、下関工場の社員が本社のDX部門に留学するなどさまざまな活用例が出ているという。
■2025年3月、社名変更を発表
変えられるところはすぐに変える。これを行動で示したことで、社員にも経営陣の本気度が伝わったに違いない。7カ月にわたる全国行脚を終えるころ、池見社長は変革に対する社員の抵抗感が予想以上に小さいという実感を得て、「よし一気に進めるぞ」と腹を固めた。
この全国行脚では、池見社長は本社をあえて拠点巡りの最後に回した。
そして2025年3月、マルハニチロは社名変更を発表する。長年親しまれてきた社名が変わることになり、社員に不安や動揺も走っただろうことは想像に難くない。
「皆、まさか社名まで変えるとは想像もしていなかったでしょう。相当驚いただろうと思います」
■総勢18人の役員が全国行脚を行っている
そこで、発表から間髪を入れず、今度は専務や常務など総勢18人の役員が全国行脚を開始。社員に直接、社名変更の意図や目的を説明するためで、6月末までには全拠点を巡り終える予定だという。
もちろん、説明する対象は社内だけではない。突然の社名変更は、国内外の取引先をも驚かせた。海外の顧客は「発音しやすくなった」と称賛してくれたそうだが、同時に「なぜ」という質問も相次いだ。その疑問に応えるため、池見社長は引き続き、今度は取引先への説明行脚を続けている。
冒頭で、池見社長は社名変更と本社移転を「変革する覚悟の表れ」と語っていたが、もちろん他の意図もある。
本社移転は、職場そのものを多くの共創が生まれる場所に変えるためである。
移転先の高輪ゲートウェイシティでは、施設に同居する企業同士のマッチングなどを実施しており、新たな共創が生まれる可能性は今より大幅に高まる。そうした環境は、そこに身を置く社員たちにも大きな刺激を与えるだろう。JR東日本や東京大学と連携した、「魚食のリデザイン」や「パーソナル・スーパーフード(完全健康食品)」に関する取り組みも、移転を機に加速させる。
■海外からの利益「10年後には70%以上を目指す」
一方の社名変更は、社内の融和推進と同時に、海外マーケットでの事業規模拡大もにらんでのことだ。現在、海外からの利益は全体の45%近くにまで達しているが、池見社長は「10年後には70%以上を目指す」と力を込める。それを実現するための一手として、外国人にも発音しやすく、かつ「海」という言葉から日本の企業だとわかる「Umios」に決めたのだと。
企業変革の土台を整えた今、その視線はさらに先へと向いている。国内だけを見れば人口は減っているが、世界人口はいまだ増加を続けている。
「人が生きていくには良質なタンパク源が必要で、その点は世界がいかに変化しようとも変わらない。それを持続的・安定的に供給できる企業であり続けることが、我々の使命だと思っています」
■「日本語の『ウミ』を『スシ』のような世界共通語にしたい」
その具体策として、マルハニチロでは三つの取り組みを進めている。一つ目は海の「資源管理」を通して漁業を持続的なものにしていくこと。乱獲などを防ぎ、漁獲量の安定を図るためには政府による適切な管理が不可欠であることから、引き続き関係省庁に働きかけていく。
二つ目は養殖事業の拡大だ。養殖にはまだ技術的な課題も多いものの、減りゆく天然水産資源を補填する策として、今後も積極的に研究に取り組んでいくという。
そして三つ目は、細胞培養の技術を用いて水産物をつくること。現在、国内外の企業と共同で細胞性水産物の研究開発を進めており、次世代のタンパク源として大きな注目を集めている。
「安定供給と世界での事業成長を目指して、本気で変革していきますよ。将来的には、日本語の『ウミ』を『スシ』のような世界共通語にしたいですね」
企業変革には、今後3年間で150億円を投資する予定だ。企業変革、外部との共創、海外展開、研究開発と多くの挑戦を先導する池見社長。マルハニチロの大改革は、まだ始まったばかりだ。100年先も選ばれ続ける企業を目指して、存続を賭けた取り組みは続く。
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辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。
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(フリーランスライター 辻村 洋子)