出産後に心身の調子が崩す女性は珍しくない。家族はどのようにフォローすればいいのか。
息子と娘の2児を産んだ女性はうつ症状になり、幼い子に対してきつい言い方で感情を爆発させることが増え、夫が子供側に立った発言をすると「もういい! 私いらない! 出ていく!」と言い放った――。(前編/全2回)
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。
■知的障害者施設での勤務を選択
関東地方在住の本木翔太さん(仮名・30代)は、両親と弟と妹の5人家族で育った。
「両親は職場の同期で、父は22歳、母は18歳で結婚し、母は24歳で私を出産しています。父は社交的な人で仕事ができ、いつも遅くまで飲んでから帰宅していました。逆に母は狭く深く付き合うタイプ。父と結婚して仕事を辞めた後、私が高校生になったタイミングで、幼稚園の給食を作るパートを始めました」
両親の夫婦仲は悪くなかった。
争いごとが嫌いな本木さんは、3歳差の弟、7歳差の妹と仲が良かった。
本木さんは理系の大学に進学。3年生になると就職活動を開始したが、3社最終面接まで進んだにもかかわらず、全て不採用。本木さんはもう一度自分を見つめ直し、本当にやりたい仕事について考えた。
「幼稚園で出会った同級生に自閉症の友人がいたのですが、砂と水が好きで『こっちの砂を渡してみよう』『色を変えた水はどうかな?』なんてことをして遊んでいました」
彼は小学校に上がっても言葉を話すことができなかった。彼は支援学級に入ったが、その後も本木さんは仲良くし続けた。
小3のある日、彼が書いたノートを彼のお母さんから渡された。そこには
「本木くんは友だち。本木くんだけには嫌われたくない」
と書かれていた。
「びっくりしましたが、彼にとって特別な存在になれたのだと思うとうれしかったです。その時、彼のお母さんから、彼は集中すれば感情をノートに書くことができるということ、5歳の頃、すでに中1の数学の問題を解いていたということを知りました。ただその一方で、当時よく遊んでいた私の友だちが、私の知らないところで彼をいじめていたことも知り、嫌な気持ちになりました。
うれしさと嫌な気持ちを持て余した私は、次第に彼にどんな対応すればいいかわからなくなり、遊ばなくなってしまいました。でも、就活に行き詰まり、自分を見つめ直した時、当時の彼と過ごした時間やうれしい気持ちを思い出し、知的障害者支援の仕事を選びました」
本木さんは、卒業と同時に実家を出た。
知的障害者の生活介護施設に就職したところ、実家からだと電車とバスを乗り継いで片道1時間半もかかる上、バスの本数がほとんどなく、夜勤もあるため実家から通勤するのは難しいと判断したためだった。
■マッチングアプリがきっかけで結婚
やがて26歳になった本木さんは、マッチングアプリがきっかけで、動物病院の看護師をしている1歳下の女性を出会う。
「真面目で一生懸命で、動物の命に関わる仕事をしているせいか、リスクマネジメント力が高く、常に最悪の状況を考えて行動している人です。今まで出会ったことのないタイプだと思いました」
本木さんは1年後にプロポーズすると、2018年11月22日に入籍を果たした。
「妻は一人っ子で、両親は妻が小2の時に離婚しています。頻繁に夫婦喧嘩があり、口で勝てないと、父親が母親の首を絞めたり、母親の大切なものを壊したりといったDVが原因で別れたようです。妻の母親は、妻が高校生になる年に再婚しましたが、2023年8月にはまた離婚しています」
母親は百貨店で働いており、実の父親は養育費を月10万円入れてくれた。そのため母子家庭ではあったが、生活はそこまで困窮していなかったようだ。
結婚前、本木さんも妻となる女性もあまり子どもがほしいと思っていなかったが、不思議なことに、結婚式を終える頃には2人とも早くほしいという気持ちになっていった。
結婚後も動物病院の仕事を続けていた妻だったが、だんだん頭痛とめまいが酷くなっていた。
一向に良くなる気配がないため、本木さんが脳神経外科に連れて行ったところ、医師から「どこにも異常はないが、体の凝りが尋常ではない。一筆書くから仕事を休んだほうがいい」と言われた。
帰宅後、本木さんが退職を促すと、妻は拒否。
「妻の話を聞く限りですが、動物病院の院長がかなりパワハラっぽく感じたので、頭痛とめまいは仕事によるストレスかもしれないと思い、退職を勧めました」
本木さんは根気強く説得して、動物病院を辞めさせた。
■産後不安定になる妻
そして2020年、本木さんが30歳、妻が29歳の時に第1子の息子が誕生した。
「妊娠・出産は喜びもありましたが、コロナ禍だったので不安が大きかったです。妻は妊娠がわかってからずっと気を張っている感じでした。私も仕事から帰った後は少しでも妻を休ませるために、できる限りの家事をしていました」
妻は、息子が変なものを口に入れないか、机の角で頭を打たないかなど、常に目を光らせていた。
本木さんの仕事は夜勤もあったが、息子の妊娠がわかった時点で、同業(知的障害者の生活介護施設)で夜勤のない職場に転勤。家にいる間は息子の入浴や食事の準備、寝かしつけやミルクなどを買って出た。
「息子が生まれたての頃に肌荒れをした時は、妻はかなり気にしていました。幸い肌に合った保湿剤が見つかったのでよかったですが、息子が歩けるようになってからは、家族で買い物に行った時におもちゃ売り場で息子を遠目に見ていたら、『もっとちゃんと見てて!』と言って私が怒られたこともあります。
お風呂の入れ方が雑だとダメ出しされたこともありました。よく言えば見ている。悪く言えば監視でした」
さらに2022年、妻が31歳の時に第2子である娘を出産。妻のことが心配だった本木さんは、5日間の育休を取得した。
お互い「一人っ子の男の子は嫌だ」「いつ産めなくなるかわからないからなるべく早いほうがいいけれど、年子はやめよう」と話し合った結果、2歳差でもうけることにしたのだ。
ところが本木さんの育休が終わった後のこと。息子を妊娠した後からずっと気を張っていた妻が、娘を出産後、さらに気を張り詰め、「一人目の経験が全然活かせない」と言ってイライラしたり、子育てがうまくできない自分を責めて泣き出したりするようになっていた。
「妻は、2歳になった息子の言葉が遅いことなどがもどかしく、息子に対する怒りの感情が沸き上がってくることに悩んでいました。息子がおもちゃを片付けないなど、言うことを聞かない時や、息子が妻よりも私のほうが好きといった態度をとると、『母親は恵まれない』『私いなくてもいいじゃん』と怒っていました。『2歳児にそこまで求める?』みたいなことが多く、今思うとちょっと異常でしたね」
最初、本木さんが仕事から帰宅した時に妻が息子に怒っていると、本木さんは妻に「そんなきつい言い方をしなくても」と息子をかばう側に立つと、妻は、
「もういい! 私いらない! 出ていく!」
こう言い放つと、本当に出て行きかねない状態に。それ以降本木さんは、妻がどうして怒っているのかを把握するために、一通り状況を観察したうえで、息子には「ママはこういうことで怒ったんだよ」と説明し、妻には自分にどうしてほしいかを聞くように努めた。
■「仕事を休んでほしい」
本木さんが暮らす地域では出産後、保健師が自宅を訪問し、産後の母親の心のケアや授乳のアドバイス、乳児の健康管理などを行う「赤ちゃん訪問」という取り組みがあった。
多くの場合、産後うつや乳児虐待などの兆候があればここで医療機関と繋がることができるのだが、タイミングが悪いことに、息子の時も娘の時もコロナ禍で縮小。強く希望する者のみに絞られていたようだ。そのこともあって、本木さんの妻は「もういいや」と思い、見送ってしまっていた。
しかし、娘の2週間検診の時だった。エジンバラ産後うつ病質問票を受けたところ、「危険な状態」との判定が出た。
質問には、過去7日間で「物事が悪くいった時、自分を不必要に責めた」「はっきりした理由もないのに不安になったり、心配したり、恐怖に襲われたりした」「悲しくなったり、惨めになったりした」「不幸せなので、泣けてきた」「自分自身を傷つけるという考えが浮かんできた」といった項目が並んでおり、それぞれに自分の気持ちに合った選択肢をチェックする。
メンタル的に妻はかなり消耗し、産後うつの可能性が高いと判断されたのだ。重症化すると自死や虐待のリスクも高まるため、早期の対応が重要となる。
うつ病は脳の病気であり、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることで、さまざまな症状が現れるとされる。特に、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンといった神経伝達物質が関係していると言われる。
だが、妻は小児科医から「誰か頼れる人がいますか? いるならその人に任せて休んだほうがいいですね」と言われたものの、特に行動を起こさなかった。ところが娘の1カ月検診でも同じ検査でやはり「危険」と出ると、
「2週間検診から状況が変わらないので、周りに頼れる人がいたら頼ったほうがいい。
『赤ちゃん訪問』もあるので市の保健師さんに伝えていいですか?」
と聞かれ、了承した妻は帰宅すると、家で息子を見ていた本木さんに言った。
「仕事を休んでほしい」
妻は2週間検診と1カ月検診で「危険」と出たことや、医師からアドバイスされたことを夫に伝えた。当時の妻は育児ができる状態ではなかったのだ。(以下、後編へ続く)

----------

旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

----------

(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
編集部おすすめ