※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 19杯目』の一部を再編集したものです。
■必ずしも第3段階の深い眠りに入るとは限らない
なぜ生き物は眠るのか――。
このシンプルな問いに、多くの科学者が挑んできた。しかし、いまだに明確な答えは見つかっていない。
とりだい病院精神科の助教(取材時)・吉岡大祐は、「睡眠はヒトのような高等動物にとって不可欠なものです」と語る。
「すべての生き物は概日リズムの中で、エネルギーを取り込む“活動期”と、それ以外の“休息期”を持っています。特に私たちのように大脳が発達した高等動物は、深い睡眠をとって脳を休ませる仕組みを、進化の過程で獲得してきたと考えられています」
概日リズムとは、地球の自転に同調して約24時間周期で繰り返される、生体内の環境変化のことだ。“体内時計”とも呼ばれ、これにより睡眠と覚醒のサイクルがコントロールされている。
まずは睡眠のメカニズムをみていこう。
睡眠はひとくくりにされがちだが、「ノンレム(non-REM)睡眠」と「レム(REM)睡眠」という、まったく異なる2つの状態に分けられる。
ヒトは眠ると、ノンレム睡眠に入る。
「ノンレム睡眠には1~3の段階があり、数字が大きいほど眠りは深くなります。入眠直後にまず第1段階に入り、そこから徐々に深くなっていきますが、必ずしも第3段階まで進むとは限りません」
ノンレム睡眠が約60~90分続くと、脳は再び活動を始める。これがレム睡眠だ。
「よく知られているように、“レム”とは“Rapid Eye Movement”(急速眼球運動)の略称。まぶたの下では眼球がすばやく動いています。脳は起きているときと同じか、それ以上に活発に活動しているのです。ただし、脳と“感覚系”や“運動系”とのつながりが遮断されているため、身体は動かない」
身体が脳と切り離された「オフライン」状態のようなものだ。
■“金縛り”の正体
「なぜノンレム睡眠とレム睡眠があるのかは、まだ分かっていません。興味深いのは、ノンレム睡眠時には筋肉に力が入るのに対し、レム睡眠時には脱力している点です」
一般的に夢はレム睡眠中に見るとされている。そしてレム睡眠中の夢は奇妙で感情をともなうストーリー性のある内容が多い。
「夢を見ているときに筋肉に力が入っていたら、夢に合わせて実際に行動してしまうかもしれません。だからこそ、レム睡眠中は身体が脱力していると考えられます。レム睡眠中に目覚めたときに動けないのが、いわゆる“金縛り”です」
レム睡眠状態でむりやり覚醒させる(起こす)と、その時に見ていた夢の内容を詳細に説明できるという研究もある。
ノンレム睡眠時も夢を見るが、その内容はシンプルなものである。知らず知らずのうちに寝返りをしているのは、脳と身体が完全にオフラインになっていないノンレム睡眠状態のときだ。
「睡眠は基本的には外界からの刺激に対して身体を休めている状態だと考えられます。ダメージを受けた部分の修復、成長ホルモンも覚醒中よりも分泌しています」
睡眠をとることで起きているときの記憶を強化することも古くから知られている。近年の研究では、レム睡眠よりもノンレム睡眠、特に深いノンレム睡眠が記憶の整理や強化に重要な働きをしていることが分かってきた。
このように睡眠とは生命維持に不可欠な要素である。しかし、近年、この重要な睡眠を十分にとれていないという人が増えている。
■音だけなら問題ない、気をつけるべき「いびき」の種類
鳥取大学医学部保健学科教授で耳鼻科医師の片岡英幸に、ある男性患者――AさんのPSG検査データを元に睡眠状態を細かく分析してもらおう。
PSG検査(終夜睡眠ポリグラフ検査)とは、脳波・眼球運動・心電図・筋電図・酸素飽和度・呼吸などの生体活動を、一晩にわたって測定するものだ。
専用の部屋で1泊入院し、頭部や胸部、指先、すねなどにセンサーを取り付けて眠る。この検査により、睡眠に関する多くの情報が同時に得られる。
まず片岡は、いびきの出現と呼吸イベント(※1)を指差した。
ヒトは眠りにつくと全身の筋肉が緩む。舌や気道周辺の筋肉の力が抜け、舌が落ち込むため、気道が狭くなる。その狭い気道を空気が通過するとき振動して音が出る。
これがいびきである。いびきは音だけなら問題ない。ただ、気をつけてほしいのは、息が止まったり、息が弱くなるいびきがあることだ。
「Aさんは、いびきと同時に無呼吸と低呼吸がカウントされています。1時間あたりの無呼吸低呼吸指数(AHI)(※2)が28.4回ありました。中等症の閉塞性睡眠時無呼吸という診断になります」
無呼吸は寝ている間の呼吸が10秒以上止まっている状態、低呼吸は浅い呼吸が10秒以上続いて、血液中の酸素が減少したり覚醒反応がみられた状態を指す。
閉塞性睡眠時無呼吸は、舌や何らかの原因で気道が塞がることで起こる。1時間あたりの無呼吸・低呼吸の回数が5回以上15回未満は軽症、15回以上30回未満は中等症、30回以上は重症に該当する。
無呼吸低呼吸指数(AHI)のほかに、注目すべきは酸素飽和度の数値だ。
酸素飽和度とは、血液中のヘモグロビンがどれだけ酸素と結びついているかを示す割合だ。「SpO2(エスピーオーツー)」という指標で表され、単位はパーセント(%)。健康な人であれば、睡眠時でも酸素飽和度は95%以上ある。
「Aさんの場合は、最低の酸素飽和度(※3)は86%まで下がっています。低酸素で身体が酸欠状態になり、苦しくなって、ほんの数秒間覚醒する。バーっと激しく呼吸をして酸素を取り込む。すると酸素飽和度が正常値に戻って再び眠りにつく。しかしまた気道が狭くなりだし酸素が十分に入ってこなくなる。そしてまた覚醒する。
睡眠時無呼吸症候群の人は、身体がリラックスするところまで眠りが進むと、息が止まって覚醒反応(※4)が起きる。頻回に覚醒するので、ノンレム睡眠の睡眠段階が深い睡眠まで到達せず、睡眠が浅くなってしまう。
※1 無呼吸と低呼吸を示す。
※2 10秒以上の無呼吸・低呼吸があり、低呼吸では3%以上の酸素飽和度の低下や覚醒反応が起こった呼吸状態を指す。一晩の呼吸イベントの回数を計測し、1時間あたりの平均値を出したもの。睡眠時無呼吸症候群の重症度の指標。
※3 睡眠中に最も酸素が低下した状態を表す数値。
※4 息が止まると、窒息を防ぐため、ほんの数秒間目を覚ます。まぶたを開けることもあれば脳波だけで覚醒が判定できることもある。検査では脳波上で睡眠から覚醒状態に移行する「覚醒反応」を計測する。
■低酸素状態が慢性化すると高血圧や心臓病、脳梗塞リスクが増加
体位のグラフを見てみよう。Aさんは仰向けの時はノンレム睡眠でもレム睡眠でもいびきと低呼吸があり、睡眠段階は第2段階までの浅い睡眠になっている。
ノンレム睡眠の途中で仰向けから横向きに寝返りを打つと、睡眠段階は第3段階まで達し深い睡眠が得られている。気道が塞がらずに呼吸が通っているのだ。Aさんの場合は特定の体位のみ呼吸が通る「体位依存性」の睡眠時無呼吸であることがわかる。
Aさんは低呼吸、無呼吸になり一時的に酸素飽和濃度が80%台に下がっている。もっと重症では一時的に50~60%台にまで下がる患者もいる。酸素飽和度の低下は呼吸が苦しくて覚醒するだけではない。
「低酸素状態になると、呼吸を再開させようと脳が覚醒し、さらに交感神経を活性化して血圧や心拍数を上げます。それにより血管や心臓に負荷がかかってしまいます」
慢性化すると高血圧や心臓病、脳梗塞などの発症リスクが増える(※5)。
Aさん自身、睡眠時無呼吸症候群の自覚はなかったという。新型コロナウイルス感染症の後遺症として、日常的に頭痛に悩まされていた。日中に強い眠気やだるさがあることから耳鼻科を紹介され、PSG検査を受けたのだ。
■知らず知らずのうちに「悪い睡眠」が身体を蝕んでいるかもしれない
そもそもいい睡眠とは何か――。
片岡は睡眠の周期や深度が適切に繰り返されることだと話す。睡眠中の呼吸が途切れないことが必須だ。
呼吸は鼻と口の2種類。一般的に睡眠中は鼻呼吸がよいとされる。
「鼻呼吸は鼻腔を通ることで空気中の異物が除去されたり、加湿、加温されて肺に供給されるというメリットがあります。反対に口呼吸は、乾燥した空気が直接肺に送り込まれるので、肺に悪影響をきたし、睡眠中に口が開くと顎が下がり、舌が落ち込むこともあり、無呼吸を悪化させます」
ヒトの生命活動には自律神経が深く関与しており、活動時には交感神経、静養時には副交感神経の働きが高まる。鼻呼吸でしかも深くゆっくりとした呼吸を繰り返すと、心身がリラックスし副交感神経を優位にさせるため、睡眠に適している。
前出のAさんがノンレム睡眠中に左に身体の向きを変えていたように、睡眠時無呼吸症候群であっても呼吸が安定する体勢がある。身体の向きを調節する『抱き枕』など自分に合った枕を選ぶことも1つの選択肢になる。
吉岡は「いい睡眠とは覚醒と睡眠の状態をちゃんと維持できるかにもよる」と語る。
脳内には睡眠に関する神経物質と覚醒に関する神経物質が存在し、睡眠の維持とリズムの構築が行われている。覚醒と睡眠のスイッチを担う大事な神経伝達物質オレキシンが欠乏すると、覚醒をきちんと維持できない『ナルコレプシー』を発症する。
ナルコレプシーは作家・伊集院 静の小説『いねむり先生』などでもその名を聞いたことがある人もいるかもしれない。主人公のモデルとなった作家の色川武大はナルコレプシーだった。この疾患は時と場所を問わず、自分では制御できない眠気に襲われ、1日に何度も居眠りを繰り返してしまう。
14~16歳と中高生の時期が発症のピークで、ちょうど受験など学業が忙しく睡眠時間も減りがちな頃と重なる。
「授業中の居眠りを単なる睡眠不足ととらえてしまうと、発見が遅れ、その人の学業や進路に不利益が生じるので気をつけなければなりません」
脳内で分泌される神経伝達物質の一種であるドーパミンは、意欲や集中力、運動能力の向上に関わるものだが、覚醒にも関与している。減少すると寝る前に足がむずむずしてなかなか寝付けない『むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群)』という睡眠障害を発症する人もいる。
「睡眠には個人差があり、眠れない理由も人それぞれ。いろんな問題がオーバーラップしているため、睡眠の問題を包括的に診る睡眠医や睡眠科も必要であると思います」
睡眠医療は未だ発展段階だ。そして睡眠時無呼吸症候群のように、知らず知らずのうちに身体のあちこちを蝕み、様々な病気を悪化させる可能性もある。いい睡眠の確保には「睡眠を軽視せず、謙虚になること」と吉岡は言う。
睡眠不足で疲れた状態が続く、起きたときに寝た感じがしないなど、不安がある場合は、専門医に相談してほしい。
※5 無呼吸により酸素飽和度の変動が繰り返されると酸化ストレスを誘発し動脈硬化の一因となる。
(カニジル編集部 取材・文=中原 由依子 写真=馬場磨貴)