ドラマ「あんぱん」(NHK)では、今田美桜が演じる“のぶ”が愛国心を募らせる一方、嵩(北村匠海)はいやいやながら徴兵された。田幸和歌子さんは「嵩のモデルであるやなせたかし氏も軍隊へ。
小倉連隊に入り、顔の形が変わるぐらいのビンタを受けていた」という――。
■今田美桜演じる“愛国”のヒロイン「お国のために立派なご奉公を」
国民的アニメ『アンパンマン』の原作者で漫画家・やなせたかし(1919~2013年)と妻・小松暢をモデルとした今田美桜主演のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)「あんぱん」。第9週「絶望の隣は希望」では、最大の理解者である伯父・寛(竹野内豊)の死に立ち会えなかった嵩(たかし)(北村匠海)と、のぶ(今田美桜)の結婚に対する傷心が描かれた。肝心なときにいつも「間に合わない」嵩の臆病さや不甲斐なさをじれったく感じた視聴者は多かったろう。
第10週「生きろ」では、いよいよ太平洋戦争が始まり、のぶの夫で一等機関士の次郎(中島歩)も船で軍隊のために働くことになった。「愛国の鑑(かがみ)」と称えられるのぶは、「この戦争に勝てるとは思わん」という夫に、「そんなことを思うてはいけません!」「お国のために立派なご奉公を」と叱咤激励。やなせがモデルの嵩も召集令状を受け取り、実母(松嶋菜々子)から「あなたみたいのが、兵隊にはいちばん向いてない」と言われて、内心逃げ出したくてたまらないのだが、軍隊に入る日は近づいてくる。
しかし、ここまでドラマで描かれてきた嵩の「弱さ」は、戦時下では生き延びる「強さ」に変わる。
やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)によると、やなせのもとに召集令状が届いたのは、1941年(昭和16年)。やなせは福岡県の小倉にあった陸軍第十二師団野戦重砲兵第6連隊の補充隊第一中隊に入営した。満21歳から1946年1月に復員するまで、5年に及ぶ軍隊生活の始まりである。
■「お前が死んでも泣く者はいない。
おめでとう」と言われた
やなせが入営前に受けた徴兵検査の結果は「第一乙種合格」。体格や健康状態によって甲・乙・丙・丁・戌の5種に分けられ、甲種と乙種(第1~第3)が現兵役に適するとされたが、やなせは第一乙種と判定された。甲種ではなく乙種だったのは、近眼のためである。
しかし、これを悔しがるわけでもないのが、やなせらしい。そもそも徴兵検査は居住地の東京でも受けられたが、本籍地の高知で受けたのも、田舎には体格の良い若者が多いため、見劣りすることを期待したためだった。しかし、近眼以外悪いところがなく、結果的に現役兵として入営することになる。
■顔が変わるまで殴られたり、お互いにビンタしあうよう強制された
しかも、本来なら本籍地の部隊に入るところ、縁もゆかりもない小倉に行くよう命じられた。その理由について、『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)では、検査官がやなせの身上調査票を見て次のように語ったと説明されている。
「貴様は父も母もなく、弟は養子に出て、戸籍ではたったひとりか。国家のために一身を捧げても泣く者はいないな。心おきなく忠誠を尽くせ。おめでとう」
ここからは「ビンタの嵐吹き荒れる恐怖の内務班」の生活が始まった。
ビンタの合図は、「一歩下がって足を開け! 眼鏡をはずせ! 奥歯をかみしめろ!」。足を開くのは、よろけて転ばないため、眼鏡をはずすのは壊れないようにするため、奥歯をかみしめるのは舌をかまないためだ。「ボクサーのように顔が変型してしまう」「一人駄目だと、一班全員なぐられる。革製の上靴でなぐられたり、むきあってたがいになぐりあう往復ビンタというのをやらされる」など、悲惨なものだった(『アンパンマンの遺書』)。
■やなせの後ろ向きの性格が、軍隊では自身の身を助ける
やなせが入営することになったとき、周囲からは「おそらく1カ月ともたず脱走するだろう。軍隊の訓練に耐えられるはずがない」と言われていた。おまけに、やなせが軍隊で下士官になったとき、自分の身上調査票のカードを調べてみると、備考欄には「軟弱にして気迫に欠ける。男性的気性の養成を要す」と書かれていたという。
しかし、結果的に見ると、やなせのこの後ろ向きの性格が自身の身を助けることになったのではないだろうか。
やなせが入営した「野戦重砲」は馬の手入れが毎日あり、それ自体は大変な重労働だったものの、演習では歩兵のように前線に走らずに済むので楽だった。とはいえ、訓練で使っていた要塞攻撃用の重砲は旧式で、接近戦の訓練も木の銃を持って藁人形に突撃するという前時代的なもので、「実戦では役に立つはずがない」「この戦力では勝てるわけない」と思い、やなせは死を覚悟するようになったという。
■意外にも軍隊には適応でき、幹部候補生の試験も受ける
その一方、やなせはあるときから全ての訓練をまじめにやるようになった。

「兵隊としてやっていくには要領、つまりコツがある。それは、言われたことだけをきっちりやり、自分の頭で考えないことだ。考えるのをやめて上に従うことで、初年兵は一人前の兵隊になっていく。軍隊とはそうやって成立しているものだと気づき、ここでやっていくためには受け入れるしかないと割り切ることにしたのだ」(『やなせたかしの生涯』)
この諦めの境地により、軍隊生活はスムーズになった。身体もまた、入浴のとき裸体になると「いい身体になったのう」と褒められるほど筋骨隆々になっていった。軍での世活に慣れてきた頃には幹部候補生の試験を受けるが、やなせは「乙幹」となった。
幹部候補生は甲幹と乙幹に分かれ、甲幹は士官(少尉→中尉→大尉)に、乙幹は下士官(伍長→軍曹→曹長)に進む。やなせは成績では甲幹に合格だったのだが、試験前夜、病気の馬を隔離する厩舎の不寝番をする際にうっかり居眠りしたところを週番の士官に見られ、不合格となったのだ。しかし、この結果はむしろ幸運だった。なぜなら、士官になった同期は満州や中国の前線に送られ、多くの戦死者が出ており、生き残っても戦後シベリアに抑留された者もいたためだ。
■日本国内で暗号班に配属され、班長として慕われるが…
一方、やなせは伍長となって内地に残り、暗号班に配属された。暗号の勉強はしなくてはならなかったが、重い大砲を運んだり、馬の世話をしたりせずに済むようになった。
軍曹に昇進し、班長として新兵の教育も担当することになると、兵を殴らないこと、話が面白いことなどから、気が付くと初年兵たちの人気者になっていた。『』によると、初年兵の母親から「息子がお世話になりました。班長さんがいい人でよかった」という手紙をもらったこともあるほどだ。
「あんぱん」では、出征するときに母親が「逃げ回ってもいいから。卑怯だと思われていい。何をしてもいいから、生きて帰ってきなさい」と懇願していたが、この時点では戦死する可能性が高いルートからは外れていった。
自伝『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)によると、
「生まれたときから自由主義というか、束縛されるのが大嫌い。おまけに生意気、権威に対して反抗する、軟弱……という嫌な性格だから、軍隊には絶対向かない」

と思っていた青年が、軍隊に入り、

「文字通り叩き直されてしまいました。

二年目ぐらいになると馴れてきて、身体も頑丈になり、筋肉がついて立派な身体になるし、要領を覚えると軍隊も簡単でした」

となるほど、適応していった。

しかし、内心は「早く俗世間に帰りたかった」という。その後、戦争は激化し、やなせもついに戦地の中国に送られることになる。

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田幸 和歌子(たこう・わかこ)

ライター

1973年長野県生まれ。
出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など

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(ライター 田幸 和歌子)
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