■長嶋茂雄さんの訃報から見直す肺炎予防
6月3日、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄さんが89歳で永眠されました。原因は肺炎でした。1936(昭和11)年の二・二六事件の6日前に産声をあげ、戦後の高度経済成長期に巨人軍の四番打者として国民に夢と活力を届け、その後も長く監督として、そして野球界のシンボルとして多くの人々に愛され続けたレジェンドの訃報は、肺炎という病気を改めて見直すきっかけになります。
野球界の巨人をも苦しめたこの病気は、昔から非常に多い死因の一つです。最新の2023(令和5)年の政府統計によると、日本人の死因の第5位は約7万6000人で肺炎、さらに第6位は約6万人で誤嚥性肺炎と報告されています。両者で死亡総数の8.6%を占めており、年間約13万6000人が肺炎でお亡くなりになっています(「呼吸器系の疾患」では年間約19万5000人)。
肺炎で亡くなる方の約7割が75歳以上の高齢者です。高齢になるほど免疫力や体力が低下し、ウイルスや細菌への抵抗力が弱まる。また、飲み込む力や咳の反射が弱まるため、食べ物や唾液などが誤って気管に入る。このことが肺炎・誤嚥性肺炎の要因になっています。
高齢化による肺炎のリスクの高まりは避けられません。しかし、肺炎を「高齢になってから考えればよい病気」としてひとごととして捉えるよりも、若い世代から始められる予防法を知っておくことが重要です。
■口から始まる誤嚥性肺炎
肺炎は、細菌やウイルス、カビなど、さまざまな種類の病原体による感染や、感染以外の免疫異常などによって、肺に強い炎症反応を起こした病気の総称です。中でも、特に高齢者に多くみられる誤嚥性肺炎の特徴は、その発症メカニズムにあります。
誤嚥性肺炎では、前述したように食べ物や唾液が誤って肺につながる気道の中に入り込み、口やのどに潜む細菌が肺に侵入して炎症が引き起こされます。健康な若い人であれば、たとえ少量の食べ物が気管に入りかかっても、強力な咳反射が働き、むせ込みや咳払いで異物を外に追い出してくれます。しかし、加齢とともにこの防御システムが衰え、さらに口腔内の細菌が増殖することで、誤嚥性肺炎のリスクが飛躍的に高まるのです。
そのため、若いうちから口腔ケアに真剣に取り組むことが何より重要になります。口腔ケアは、虫歯だけでなく肺炎の予防にもなるのです。朝起きた時、毎食後、そして就寝前の歯磨きを習慣化することから始めましょう。特に就寝前の数分間の丁寧なケアは、睡眠中の細菌繁殖を防ぐ最も重要な予防策となります。睡眠中は唾液の分泌が減り、口腔内が細菌にとって格好の繁殖環境となるからです。高齢世代だけでなく、忙しい現役世代でもいま一度、歯磨き習慣の徹底をすることが重要です。
日々の歯ブラシだけでなく、歯間ブラシやデンタルフロスを使って歯と歯の間の汚れを除去したり、舌ブラシで舌の表面も1日1回やさしくケアしたりすることで、細菌の温床を清掃することも大切です。また、セルフケアだけでなく、数カ月に1回の歯科受診により、専門家による口腔清掃と早期の問題発見を行うことで、口腔内環境を最良の状態に保つとよいでしょう。
■バランスの取れた食事で高める肺の免疫力
肺を守るためには、口腔ケアだけでは終わりません。日々の食事選択もまた、将来の肺の健康を左右する重要な要素です。私たちの肺を日々守るためには、下記のような免疫機能を高め、炎症を抑える栄養素を含んだ食事が欠かせません。
ビタミンC:免疫細胞の働きを助け、気道の炎症を抑える効果が報告され、柑橘類、イチゴ、ブロッコリーなどに多く含まれる。
ビタミンD:免疫応答の調整に関わり、肺炎や呼吸器感染症の発症リスクを下げる可能性があるとされています。日光に当たることでも合成されますが、魚、きのこ類、卵黄などからの摂取も意識するとよいでしょう。日本人高齢者ではビタミンD不足が非常に多く、サプリメントでの補充が推奨されるケースもあります。
ビタミンE:肺を酸化ストレスから保護します。ナッツやアボカドなどに多く含まれます。
ベータカロテン(体内でビタミンAに変換):ニンジンやカボチャなどに多く、気道粘膜を健康に保つ働きがあります。
以上のビタミン系に加え重要なのが、
オメガ3脂肪酸(EPA・DHA):炎症を抑制する作用があり、サバ、イワシ、サンマなど青魚に多く含まれます。ぜんそくやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)患者でも効果が示唆されています。青魚を週2~3回取り入れることが、将来の肺の健康を支える一歩となるでしょう。
EPA・DHAは、中性脂肪低下や血液サラサラ、記憶力の維持への作用があるという印象を持つ人が多いでしょうが、肺の健康にも一役買っているのです。
さらに最近の研究で注目されている発酵食品によって腸内環境をよくすることも肺強化につながります。ヨーグルト、納豆、味噌、キムチなどは善玉菌を増やし、腸内のバリア機能を高めます。腸と肺はつながっており、腸内環境が乱れると肺の免疫力にも悪影響を及ぼすことがわかっています。
また、免疫細胞や筋肉の材料となるタンパク質の摂取も重要です。鶏肉、魚、大豆製品、卵などからバランスよく摂るようにしましょう。のど周辺の筋肉の減少は誤嚥リスクの増大にもつながるため、肺炎予防の観点でも軽視できません。
■肺の力を高める運動習慣
高齢期の肺機能維持のためには、若いうちから筋力を保持しておくことが不可欠です。肺機能を高めるためには、適切な運動習慣が欠かせません。
週3回以上、30分程度のウオーキングは呼吸筋(呼吸の際に胸郭を拡大・収縮させる筋肉。主に横隔膜と肋間筋)を強化し、心肺機能を向上させる最も手軽で効果的な方法です。水泳や水中ウオーキングは水圧により呼吸筋が自然に鍛えられ、関節への負担も少ないため長期間継続しやすい運動といえるでしょう。
さらに、日常生活の中で腹式呼吸を意識的に行うことで、横隔膜を含む呼吸筋を効果的に鍛えることができます。鼻から息を吸い、口からゆっくりと吐く深い呼吸を1日10分程度練習するだけでも、長期的に大きな効果をもたらします。
筋力トレーニングも重要な要素です。腕立て伏せやスクワットなどの体幹トレーニングの要素を含んだ運動は呼吸に関わる筋肉群も強化します。さらに舌の運動や頬の筋肉トレーニングは将来の嚥下筋維持に直結します。風船を膨らませるような単純な動作でも、継続することで嚥下機能の維持に貢献が期待できます。腹式呼吸や発声トレーニングなども誤嚥予防として有効です。
■生活習慣と環境も整える
一方、喫煙は肺の健康にとって最大の敵です。タバコの煙は肺の線毛機能を麻痺させ、細菌や異物を排出する能力を著しく低下させます。
水分摂取もまた、見落とされがちですが重要な要素です。1日1.5~2リットルの適切な水分摂取により、気道の粘膜が潤い、細菌の排出が促進されます。痰の粘度も下がり、排痰が容易になることで、肺の清浄性が保たれます。
室内環境の管理も長期的な肺の健康に影響します。湿度を40~60%に保ち、定期的な換気によりウイルスや細菌の濃度を下げることで、感染リスクを軽減できます。特にアレルギー体質の方にとっては、空気清浄機の活用や、こまめな掃除によるハウスダスト・カビの除去も大きな効果をもたらします。
■予防ワクチンの積極的な活用を
現代医学による最も効果的な予防手段の一つがワクチン接種です。肺炎球菌ワクチンは65歳以上で定期接種対象となりますが、重症化リスクの高い基礎疾患がある方などは、自費になっても早めの接種を検討することが重要です。また5年以上経ってから肺炎球菌ワクチンの再接種を検討することも勧められます。
毎年のインフルエンザワクチン接種は、高齢者の重症肺炎などを予防する効果が証明されています。
特に注目すべきは、新しく導入されたRSウイルスワクチンです。RSウイルスは高齢者や基礎疾患のある方にとってインフルエンザよりも重症化しやすく、60歳以上の成人や50歳以上で重症化リスクが高い方が接種対象となっています。これらのワクチンを組み合わせることで、将来の肺炎リスクを大幅に軽減することが期待できます。
■年代別の肺炎予防アプローチ
20~30代は肺の健康にとって基盤づくりの時期です。この時期に確立した正しい口腔ケア習慣、定期的な運動習慣、禁煙、バランスのよい食事が、将来の肺の健康力を高めます。
40~50代になると予防の強化が必要になります。定期的な健康診断、歯科受診の頻度向上、免疫力向上のための生活習慣見直し、基礎疾患の早期発見と治療が重要な課題となります。
60代以降は積極的な介入の時期です。各種ワクチンの積極的接種、嚥下機能の維持・向上トレーニング、口腔ケアの一層の強化、栄養状態の管理など、より具体的で集中的な対策が求められます。
■長嶋茂雄さんが残したメッセージ
国民的スターの長嶋さんの訃報は、肺炎が決して軽視できない病気だと日本中に伝えることになりました。しかし同時に、適切な予防策を若いうちから講じることで、将来の肺炎リスクを大幅に軽減できることを学ぶ機会にもなります。
口腔ケアの徹底、バランスのよい食事、適度な運動、禁煙、ワクチン接種など、今日から始められる対策を積み重ねることで、「100年使える強い肺」を作ることは十分可能です。「予防は治療に勝る」という医学の格言は、肺炎においても当てはまります。
長嶋さんが生涯にわたって示し続けた挑み続ける精神を受け継いで、医療者、家族、そして何より本人が一丸となって取り組む予防戦略こそが、肺炎から体を守る最も確実な方法になります。今日からでも少しずつ、生活習慣の改善などに取り組んでいただければと願っています。
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谷本 哲也(たにもと・てつや)
内科医
鳥取県米子市出身。1997年九州大学医学部卒業。医療法人社団鉄医会理事長・ナビタスクリニック川崎院長。日本内科学会認定内科専門医・日本血液学会認定血液専門医・指導医。2012年より医学論文などの勉強会を開催中、その成果を医学専門誌『ランセット』『NEJM(ニューイングランド医学誌)』や『JAMA(米国医師会雑誌)』等で発表している。
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(内科医 谷本 哲也)