※本稿は、荒木博行『努力の地図』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■幼少期から刷り込まれる「努力神話」
自動販売機は150円を入れて商品を押したら、必ずその商品が出てくる。当たり前だ。
お金を入れたら、それに見合ったリターンがよほどのことがない限り返ってくるのが自動販売機だ。
このように、努力という「硬貨」を投入すれば、報酬という望んだ「商品」が必ず出てくる。これを「自動販売機型神話」と呼ぶことにしよう。「努力は決して裏切らない」という言葉に代表される神話だ。
この神話は、健全な努力を促す効果がある。しっかり努力をすれば、必ず報われる。
だったら頑張らない手はないだろう。だからこそ、教育の場面でもこの神話は多く登場することになる。
そして、もし望むような報酬が手に入らなかった場合、逆説的に自分の努力が不足していることにもなる。
■「主人公が努力したから強豪校に勝てた」
漫画『スラムダンク』には、努力の重要性を強調するシーンが何度も出てくる。中でも主人公である桜木花道がインターハイ10日前の合宿に同行せず、一人居残り1週間で2万本のシュート練習を黙々とこなす場面は象徴的だ。
彼はそこで地味なゴール下のシュートを繰り返し練習し、結果的にそのシュート練習が山王戦のいちばん大事な最終場面で花開くことになる。読者はこの地道な努力の姿を知っているからこそ、クライマックスで感動することになるのだ。
1週間で2万本というのは、とてつもない量だ。単純平均で1日3000本弱であり、もし1日10時間練習したとしても、1時間に300本、1分間に5本のシュートを打ち続けることになる。それを休まずにやってようやく2万本だ。
これが1万本だけだったら、それだけの成果しかあげられなかったかもしれない。しかし、桜木花道は血の滲むような努力をしたからこそ、山王戦ラストの大事な場面で力を発揮できたのだ……。私たちはそんなメッセージを受け取ることになる。
■「努力がすべて」という生き苦しさ
「努力に応じて報酬は変わる」というこの教訓は、私たちの脳裏に深く刻み込まれ、神話として機能することとなる。
もちろん、『スラムダンク』に限らず、多くの感動的なストーリーには、この神話が使われており、そして、自分の過去の人生を振り返ったときにも、同じようなストーリーで語る人は多いだろう。
多くの人が共有している「自動販売機型神話」は、生き苦しさを生んでいるという側面も忘れてはならない。この神話には強い副作用があるのだ。
それは、他者を見る眼差しにある。報酬を得ていない人を総じて努力不足と断じてしまうのだ。
この神話が描くのは、努力すれば努力に応じた報酬を手に入れることができるというシンプルな世界だ。そこには、複雑な環境要因や他者の影響といった外的要因、個人の才能などが入り込む余地がない。
つまり、本来は複雑性のある世界を、「個人の努力」という変数だけで見ている。だから、もし低い報酬しか手に入れてないのであれば、それに見合うだけのわずかな努力しかしていないと判断することになる。
■自己責任論に囚われた人間の末路
「自動販売機型神話」は、「自己責任論」へと直結する。自己責任論とは、個人の行動や選択の結果に対し、その責任をすべて本人が負うべきだとする考え方である。
山崎豊子による長編経済小説『華麗なる一族』(新潮社)には、阪神銀行の頭取である万俵大介という自己責任論を体現したような主人公が登場する。
万俵は、幼少期から厳格な教育を受け、膨大な読書や学問、武道などに励み、自己を鍛え続けた。さらに、財閥再編の荒波を乗り越えるため、卓越した経営手腕と冷徹な判断力を磨き、阪神銀行頭取に上り詰めた。
彼は自身の成功を「努力と才覚の賜物」と信じており、その思想から家族や部下に対しても高い基準を押し付ける。失敗や弱さを許さず、他者の苦境を「自己責任」と切り捨てる態度が、周囲との軋轢を生み、やがて悲劇を招く。
■ネガティブな影響を見過ごしてはいけない
万俵の人物像は、「自動販売機型神話」に基づく自己責任論の副作用を象徴的に描いた作品として読むことも可能だ。彼のように努力から直線的な報酬を得てきた人は、自己の中で「自動販売機型神話」を育て、「報酬が低いのは低いレベルの努力しかしていないからであり、それだけしか努力をしないのは本人の責任である。もっと高い報酬がほしいなら高いレベルの努力を投入すればいいだけだ。言い訳不要!」と考えてしまう傾向にある。
しかし、言うまでもなく、世の中はそこまで単純ではない。極端な話、ヘッジファンドのマネジャーとケアワーカーの間には、場合によっては数千倍の報酬の差があるが、それだけの努力の差があるわけではない。
つまり、「自動販売機型神話」は、「自分が頑張れば結果につながる」というポジティブなパワーを生み出す一方で、それ以外の要因で動くに動けない人たちへの視線を歪ませることにもつながっていく。ポジティブな作用も大きい反面、見過ごすことのできないネガティブな影響もあることを忘れてはならない。
■努力以外の要素に触れない成功者たち
そして、この「自動販売機型神話」を力強く語るのは、たいてい成功者であることにも注意が必要だ。もし、あなたが自分のここまでの人生に対して否定的だとすれば、「努力と報酬は比例する」と考えことに対して、心理的ハードルが高いはずだ。
なぜなら、いまの自分のダメな人生は自分の努力不足だからだというストーリーになってしまうからだ。それよりも「努力をしたけど、外的要因によって報酬につながっていないだけだ」と考えたほうがストレスなく受け入れられる。
したがって、この神話の語り部は、おのずと成功者に限られる。そして、この神話が成立する背景には、往々にして成功者の「後付けの物語」が潜んでいることを忘れてはならない。成功者はしばしば、自身の成功体験をドラマティックに仕立て上げる傾向がある。
「逆境に陥ったが、自分を信じて誰よりも努力を重ねたことが、大きな成功につながった」というように。
しかし、それが本当に努力だけの結果なのか、それとも運や偶然、社会的要因などの「見えない要素」が作用していたのかを、冷静に検証することは少ない。
■「努力不足だ」と自分を責めてしまう
このようにして、「自動販売機型神話」は、そのわかりやすさと成功者が語ることによる問答無用の説得力によって、次第に社会全体に共有され、理想的な成功モデルとして広がる。書籍やSNSなどを通じて、私たちは1年中そのストーリーを浴びるように吸収するのだ。
それによって多くの人に健全な努力を促していくというポジティブな側面があるというのは先ほど述べた通りだが、その一方で、自らの努力が報われないとき、必要以上に自分を責めることになる。「自動販売機から商品が出てこないのは、自分がその商品に見合うだけの硬貨を入れてないのではないか」と考えてしまうのだ。
本来、「自動販売機型神話」は数多くある努力神話のひとつでしかない。しかし、この神話は想像以上に私たちの内面へ浸透しているため、ここから逃れるのが難しい現実がある。
■努力しても報酬が得られないこともある
「自動販売機型神話」の副作用は、ほかにもある。それは、努力して報酬を手に入れることに強迫観念を持ってしまうことだ。つまり、いったん報酬を得られなくなったとき、そんな自分が許せなくなって、自分のことを無価値だと思ってしまう。
努力と報酬が比例するのだから、努力をする限り、その報酬は止まることはないはずだ。そうであるなら、報酬が少ない自分はどういう存在なのか。
この強迫観念から逃れるためには、「自動販売機型神話」の信奉をいったんリセットしなくてはいけない。努力と報酬は必ずしも比例しない。だからこそ、努力しても報酬が返ってこないことだってある。自分の思考の裏側にある神話を疑い、いままで努力を注いできた対象をあきらめ、新しいストーリーを始める必要がある。
■「右肩上がりでなくていい」を選んだ名シーン
たとえば、『スラムダンク』の登場人物・三井寿のエピソードは、「自動販売機型神話」の罠から脱却する典型例だ。
三井は、中学時代にMVPを獲得するほどの才能を持ち、鳴り物入りで湘北高校に入学する。しかし、入部早々に膝の怪我を繰り返し、仲間の活躍を遠目に見るしかなかった。それまで努力とともに右肩上がりに上手くなっていった彼は、常に最高の選手であり続けたが、怪我はその後の継続的な成長を許さなかった。
自分が停滞している間、かつて下に見ていた仲間の選手に追い抜かれても、その事実を認めることができず、バスケを離れて不良へと転身し、かつてのチームメイトがいるバスケ部を潰しに襲撃を図る。
『スラムダンク』の名シーンのひとつと言われる「安西先生…!! バスケがしたいです……」は、そんな重たい「自動販売機型神話」の呪縛から解き放たれた瞬間の発言だ。このときから三井は、過去から延々と抱え続けていた「成長し続けなければ価値がない」という強迫観念を乗り越え、新しいストーリーを始めていく。
三井は、成長の強迫観念に囚われて、現実を直視できず、不良という破壊の道へ進んでしまった。挫折なく期待通りの報酬を手に入れてきた人が陥りがちな極端な選択肢だ。強い成功体験と強い神話への信奉があったからこそ、強く自己を否定し、徹底的にバスケ部を破壊するしかなかった。
しかし、安西先生を目の前にして「本当はどうしたいのか」という問いに直面したとき、失ったはずの情熱を認め、再びコートに戻る決断を下す。つまり、彼は、「人間は右肩上がりではなく、時に停滞もしながら成長していく」という神話を選択したのだ。
その過程では、抜かれることも失うことも傷つくこともある。努力と報酬が必ずしも比例しない世界だ。そんな神話に切り替えた瞬間、世の中の見え方は変わってくる。誰もが過去の成長の直線上に居続けるわけではない。その時々の自分があり、それを許容して再出発の一歩を踏み出す勇気を、三井の物語は教えてくれる。
■自分を苦しめる神話なんか捨てていい
努力は必ずしも報酬につながるわけではない。そんなことは誰もがわかっていることだ。
誰もが才能を疑わない選手も怪我でキャリアを中断せざるを得なくなり、2万本のシュート練習をしたところで本番の大事な場面で失敗してしまうのが人生だ。
しかし、私たちは無自覚に慣れ親しんだ「自動販売機型神話」を引っ張り出してしまう。「努力すれば必ず報われる。努力は決して裏切ることはない」と……。それが自分を苦しめていくのだ。
「自動販売機型神話」は私たちを努力に駆り立て、成長へと導いてくれる。しかし、常に使用し続けるのは副作用が大きく危険を伴う。時に神話を疑い、ストップさせる勇気も必要なのだ。
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荒木 博行(あらき・ひろゆき)
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、株式会社学びデザイン代表取締役
住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤーなどスタートアップのアドバイザーとして関わる他、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部、金沢工業大学大学院、グロービス経営大学院などで教員活動も行う。北海道にある株式会社COASや一般社団法人十勝うらほろ樂舎にも関わり、学びの事業化を通じた地方創生にも関与する。著書に『努力の地図』『構造化思考のレッスン』『裸眼思考』『独学の地図』『自分の頭で考える読書』『藁を手に旅に出よう』『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』など多数。Voicy「荒木博行のbook cafe」、Podcast「超相対性理論」のパーソナリティ。
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(武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、株式会社学びデザイン代表取締役 荒木 博行)