■なぜ「ハーバード大学」を攻撃するのか
トランプ大統領が、米国きってのアイビーリーグ名門校のひとつであるハーバード大学に対する連邦助成金の打ち切りや、重要な収入源である外国人留学生の受け入れ資格の停止など、「兵糧攻め」を強めている。
トランプ政権は、「左翼の巣窟」とみなす米アカデミア全体を攻撃している。
その中でも、250年前の建国のはるか以前である1636年創立のハーバード大学は、米アカデミアにおいて象徴的な存在だ。「価値のある攻撃目標」として狙い撃ちにされ、ブランドが毀損されはじめている。
攻撃の表面的な理由は、「学内の反ユダヤ主義の放置」「リベラルなエリート主義者の政治的偏見に基づく保守派への攻撃」「(政権が違法と見なす)多様性・公平性・包括性(DEI)方針の実施」「米国の安全保障を脅かす中国共産党との深い関係」などだ。
それらは確かに、政権が圧力をかける動機をそれなりに説明している。
しかし、全体的にとらえた場合に、あまりにも苛烈で、大学の存亡にかかわりかねないレベルであるため、「ここまでやる必要があるのか」と感じる人も多いのではないだろうか。
一見、目標と釣り合っていないように思われる「兵糧攻め」には、米国社会を根本から変えようという、もっと深い目的が隠されている。
本稿では、米国のアカデミアでいま一体なにが起こっているのか、この攻撃の先に、トランプ大統領は一体何を目指しているのか。そして、講じられる戦略と戦術は、「真の目的」にどうつながっているのか。その実態を読み解く。
■次々とくり出される攻撃の手
ホワイトハウスは4月から5月にかけて、ハーバード大学への連邦研究資金26億ドル(約3800億円)超を凍結しただけでなく、今後の助成金も停止した。加えて、同大学と連邦政府の間で残っていたすべての研究委託契約も打ち切ったのである。
トランプ大統領は畳みかけるように、すでに予算化されたハーバード大学への研究助成金30億ドル(約4320億円)も打ち切り、そのお金を職業訓練学校へ振り分けるとまで発言した。
さらに、全世界の米大使館・領事館に対し、留学希望者のビザ(査証)面接の新規受け付けを停止するよう指示。特にハーバード大学については、ビザ申請者をより厳しく審査するよう命じた。
ついには、外国人がハーバード大学に入学するために米国に入国することを禁止する大統領布告に署名した。
加えて、ルビオ米国務長官が、「中国共産党とつながり、重要分野で研究を行う中国人留学生のビザを攻撃的(aggressively)に取り消す」方針を明らかにした。
奨学金で学費が減免されることの多い米国人学生と比べ、言い値の正札で学費をポンと出してくれる中国などからの外国人留学生(正確にはそれらの学生の裕福な両親)は経営陣にとり上得意であるのだが、トランプ大統領はハーバード大学の留学生の枠を「15%に制限すべき」と主張し、外国人留学生受け入れ資格そのものを取り消す動きに出たのだ。
■なぜ「助成金の打ち切り」なのか
米ニュースサイトのセマフォーが指摘するように、米名門校は基本的に「(高品質な)授業と寮生活、さらに(学生生活の結果として得られる)エリートクラブの生涯メンバーシップをサブスク販売」している。
その中でもハーバード大学では、卒業生は成功した富裕層も多く、潤沢な寄付金が得られることが自慢だ。
しかし、大学経営の利幅は「生鮮スーパー並み」に薄い。
なぜなら、売り上げが大きいと同時に、人件費・研究関連支出・施設建設や運営コストをはじめとする経費もまた膨大であるからだ。
実際に、米名門大学は3月以降、40億ドル(約5800億円)余り負債を膨らませたと、米ブルームバーグが報じている。
特に、ハーバード大学の負債は4月の債券発行で16%拡大。
マサチューセッツ工科大学(MIT)の場合は18%増え、52億ドル(約7473億円)に達した。トランプ政権の攻撃を受け、これら名門校は課税債の発行やプライベートローンによる資金調達、コマーシャルペーパー(CP)の発行枠拡大に迫られているのだ。
トランプ大統領の短期的な目的は、「連邦政府から助成金をカットされる原因を作っているリベラルな指導部」を孤立・弱体化させ、政権の意を体した勢力と交代させることだ。
真綿で首を絞める、あるいはボディーブローを効かせるような政権のやり方は奏功している。
■「ハーバードは左翼の巣窟」は本当か
トランプ政権は、ハーバード大学のジェンダー・セクシュアリティ・人種・(不法)移民受け入れ・気候変動など左派的だとみなす研究と教育を問題視している。
連邦助成金獲得を妨げ、政権の兵糧攻めを招いているのは、左派イデオロギーであるというのが、トランプ大統領の立場だ。
こうした政権の動きに対してハーバード大学のアラン・ガーバー学長は、米憲法で保障された学問や言論の自由を盾に、連邦法に照らし合わせた際の政権の措置の非合理性を指摘し、トランプ政権の圧力に屈しないと繰り返し表明している。大学側の主張は数件の訴訟提起となり、連邦裁判所で係争中だ。
重要な争点の一つが、保守派に対する偏見や中国共産党との深いつながりだ。
ハーバード大学は、そうした事実を否定する一方で、「政権は、弊学がガバナンスやカリキュラムのイデオロギーに対するコントロールを差し出さないことに報復している」と主張しており、大学に特定の主義主張があることは認めている。
■「保守派」を自認する学生は9%しかいない
実際に、2003年4~5月にハーバード大学の学生新聞である「ザ・クリムゾン」が人文科学部に在籍する386人の教授陣を対象に実施した意識調査では、政治志向に関する設問で、合計77.1%が「自身はリベラル」「自身はとてもリベラル」と回答。
自身が中道だとしたのは20%に過ぎず、「保守的」「とても保守的」に至っては合計わずか2.9%と完全な少数派だ。
同様に、北東部名門私立大8校から成る名門アイビーリーグのイェール大学でも2023年の調査で、教授らが行った合計12万7000ドル(約1827万円)の政治献金のうち、98.4%とほぼ全額が民主党候補や組織に向けられたものであったと、学生新聞の「イェール・デイリーニューズ」が報じた。
さらに、教授を含む教職員を対象におこなわれた調査結果(2000年-2023年)をグラフで見ると、この傾向は過去をさかのぼっても不変であることがわかる。政治献金がほぼすべて青色の棒で表される民主党向けで、赤色で表された共和党向けの献金は、取るに足りないレベルだ。
つまり、ハーバードやイェールなど米名門校で教鞭を執る教授陣は、圧倒的にリベラル派、あるいは民主党員である。
名門校では学生もまたリベラルだ。
ハーバード大学で自身を保守派とする学生はわずか9%に過ぎない。
また、プリンストン大学に2023年秋の入学で、2027年夏に卒業予定の新入生グループにおいて、合計69%が、「自身はいくらか左派」「自身はとても左派」だと回答したと、学生新聞の「デイリー・プリンストニアン」が報告している。
別のアイビーリーグ校であるダートマス大学でも2023年の調査で、学部生の58%が自身は民主党支持者であると答え、共和党支持者は12%に過ぎなかった。
ブラウン大学でも、71.6%が「自身はいくらかリベラル」「自身はとてもリベラル」と回答したと、学生新聞「ブラウン・デイリーヘラルド」が伝えた。
■リベラル派の「結果の平等」に潜む矛盾
多様性をウリにするハーバード大学は2023年に、終身在職の教授陣の78%が白人、終身在職コース途上の教授陣の59%が白人。米国勢調査局によれば、2024年7月の白人人口比は58.4%だから、テニュアで見れば看板倒れの面がある。
一方で、学部生は人種・出身国・ジェンダー・セクシュアリティ・障害の面で人口比率を反映した多様性に富む。
しかし、トランプ政権や保守派から見た場合、それは本当の多様性ではない。
なぜなら、ハーバード大学はどれだけこうした面で多様でも、政治的志向に関しては、均質的に「リベラル」で、しかも「エリート主義」であるからだ。
憲法学を専門とするジョージ・ワシントン大学法科大学院のジョナサン・ターリー教授が指摘するように、リベラル派は「人口比の結果の平等」を重視し、実力や適性に目を瞑っても人種やジェンダーの属性を選考や採用の主要な基準にすることを主張する。
にもかかわらず、ハーバード大学では「米人口の半分が保守派」である現実が反映されていないと、ターリー氏は批判する。そのため、同大学は多くの保守的な学生や教授陣にとり、寛容性がなく、生きづらさを感じる肩身が狭い場所なのだ。
■「イデオロギー的数の平等」が必要なワケ
米保守派シンクタンクのヘリテージ財団などトランプ大統領に近い取り巻きの主張では、米国民の血税から出た助成金で支えられる米エリート校には、公共に対して果たすべき役割がある。
8人もの米大統領をはじめ、連邦最高裁判事・米上下院議員・統合参謀本部議長・フォーチュン500優良企業のCEOたちなど名だたる指導者を輩出してきた、文字通りトップ校であるハーバード大学は、その公共性について、より高い基準が求められるというわけだ。
ハーバード大学においては、リベラルな教授陣がその独占的な地位を使って学生を「オルグ(組織化)」していると保守派は見ている。
なぜなら同大学は、将来の国の指導者となる優秀な卒業生を政府や民間の重要な機関に送り出し、産学官連携の構造の下、ジェンダー・セクシュアリティ・人種・移民・気候変動などリベラルなアジェンダで米国を支配するようになっているからだ。
トランプ政権と対決するハーバード大学は法廷において、「本学には保守派への偏見はない」と主張しているが、それは一般社会に対する説得力のない、苦しい言い訳だろう。
■第1次政権からの悲願だった
2025年5月に米CNNが行った世論調査で、68%の回答者が米大学教育は間違った方向に進んでいると答え、45%が米大学は左派に寄り過ぎだとしている。
保守派から見れば、連邦助成金を受けるハーバード大学の「乗っ取り」と「武器化」は公金の濫用であり、高等教育の目的をはき違えているということになる。
それを抜本的に是正するためのトランプ政権の同大学に対する具体的な要求は、以下3点だ。
①指導部の刷新
②人種やジェンダーに基づく入学選考基準の改正と透明性の確保
③言論の多様化
第1次トランプ政権は繰り返し、「(多数派の)リベラルが『正しい』と認めない(保守派の)言論が、『他者を傷つけるヘイトスピーチ』として米大学で排除されている」として、共和党支持者の教授や学生にも言論の自由を認めるよう大学を提訴する是正に乗り出していたが、実効性はなかった。
■21世紀版の「アカ狩り」
そのため第2次トランプ政権では、連邦助成金や大学の資金源を取り上げ、公共教育機関としての免税資格を剥奪するという、強権的手段を用いて状況を一変させようとしているわけだ。
トランプ政権の手法は、共産主義者や進歩的自由主義者を社会的に追放したかつての「アカ狩り」を想起させる。
また、「復讐と逆転の反革命ドラマ」の様相も帯びている。
当時と違い、今回の局面でリベラル派は必ずしも大学から追放されるわけではない。
だが、役職を取り上げられ、カネを自由に使えないため萎縮して、トランプ大統領に恭順するしかない。だから実質、リベラルなアジェンダを実行できなくなる。
■MITも降伏、外堀は埋まりつつある
そうした中、兵糧攻めを使うトランプ大統領の攻撃で、ハーバード大学の「すぐそこのお隣さん」までもが降伏してしまった。
マサチューセッツ州ケンブリッジでキャンパスがほぼ隣接するMITが、DEI事務所と包摂性プログラムの役職を廃止すると発表したのだ。連邦政府が医療や科学など重要分野の研究に拠出する、多額の助成金を確保し続けるためだ。
米AP通信は、ハーバード大学が全米の大学に率先してホワイトハウスに抵抗しており、高い代償を支払っていると評している。
こうした中、多くの米有力大学の経営陣が膝を屈することで、ハーバード大学は孤立し、外堀が埋まりつつある。
トランプ氏にとっては、他大学が陥落すれば、米アカデミアのトップに君臨するハーバードのリベラル勢力が恐怖して落城する。そして、「アカ狩り」の攻防においてハーバード大学が攻め落とされ、降伏すれば、その政治的な意味は極めて大きい。
実際にトランプ政権は、大学に対する調査をアイビーリーグだけではなく、全米トップの公立校であるカリフォルニア大学バークレー校を含む他校にも拡大すると表明した。
同校は第1次トランプ政権の後期に、保守派が「言論活動の妨害や抑圧だ」と主張する事件が頻発していたいわくつきの場所だ。
■日系移民2世のオノ学長までも…
さらに注目されるのが、南部の優良公立校であるフロリダ大学の学長人事だ。
同大学の評議会により満場一致で新学長に選出された免疫学者のサンタ・ジェレミー・オノ氏(日本名:小野三太)は、「原爆の父」ことロバート・オッペンハイマー博士に招聘されて1959年に渡米した、兵庫県西宮市出身の高名な数学者である小野孝氏を父親に持つ二世で、5月まで中西部の名門公立校ミシガン大学の学長を務めていた。
フロリダ州は、トランプ大統領が本拠地とするマーアラゴを擁する保守派の牙城だが、フロリダ大学理事会は6月3日、10対6でオノ氏の学長人事を非承認とした。極めて異例な決定で、トランプ大統領の長男であるジュニア氏の意向などが反映されたと見られている。
オノ氏は2016~2022年まで、カナダ西部のブリティッシュコロンビア大学の学長を務めていた期間に、「結果の平等と包摂(equity and inclusion)は学問のあらゆる面に埋め込まれるべきで、ジェンダー的多様性で大学における研究をよりよくすべき」と唱えていた。また、人種的正義の実現や気候変動への対応も主張していた。
ところが、第2次トランプ政権が発足すると、オノ氏は180度の変節を見せ、「イデオロギー的なDEIを支持していたのは誤りであった。DEIは分断を招き、(差別是正のための)官僚機構を肥大化させる一方で、学生を人生の成功に導くものではない。そのため、私はミシガン大学の学長として2025年3月に、DEI事務所を廃止し、実力主義の学力向上プログラムに予算を再配分することにした」と言明していた。
まさに「日和る風見鶏」の感があるが、トランプ政権の「アカ狩り」は、DEI支持派であったオノ氏を要職に就けなくする形で、ハーバード大学の外堀を埋めてしまっている。
■トランプ大統領の本当の狙い
2024年の大統領選において「エリートが支持する民主党vs.労働者層に支持される共和党」で戦われた階級闘争は、そのままハーバード大学などの「俗世からかけ離れた象牙の塔」で今、再現されている。
そこで繰り返し現れるのは、分断が固定化する米社会にあって「誰のための大学か」という根源的な問いである。
ハーバード大学ではリベラル派が権力側で、「反知性主義」と批判される保守派が抵抗勢力となっている。
一方で、トランプ大統領の返り咲きが示すように、多国間主義と自由貿易に基づくリベラルな戦後秩序が必ずしも民意に沿わないものであることが明らかになっている。
それは、世界的な傾向でもある。
こうした中で公共性が求められるはずのアカデミアは、社会の変化に対して意識がアップデートできておらず、制度疲労によって政治や経済の問題にうまく対応できていない。また、新世代の知性による新しい解決策も提示できていない。
トランプ大統領は、将来の国の指導者や知識を生産する名門校や高等教育機関全体を保守化させることで、米国政治・経済・社会におけるリベラルエリート層の影響力を弱め、より大きな目的である「反グローバリズムに基づく大衆の常識革命」の達成を企む。
レビット大統領報道官は、「ハーバード大学で性的少数派のLGBTQについて学んだ人より、電気工や配管工などの人材がもっと必要だ」と発言。トランプ大統領も、同大学への助成金を職業訓練校に回すべきだと述べ、実学を重視する姿勢を示したのは、その表れだ。
■「アカデミアVS政権」攻防のゆくえ
そうした環境下で、トランプ政権の要求に「譲歩の余地はない」との立場を貫くハーバード大学の今後の決断は、「試金石」として注目を集めている。
この強気の裏には、卒業生などの巨額の寄付金を基に運営される、2024年6月現在の時価総額が532億ドル(約7兆5600億円)のハーバード大学寄付基金の存在がある。他大学がマネできない強みだ。
だが、「軍資金」は無限ではない。多くの米国人学生に奨学金による授業料減免を提供する中、正札で支払ってくれる中国などからの留学生の多くを失えば大学財政は逼迫し、他大学のように政権に対して降伏せざるを得ないだろう。
トランプ大統領は5月28日に、「ハーバードの指導部は自分たちがどれだけ賢いか証明するために政権との戦いを欲しているが、逆にボコられている(getting their ass kicked)」との見立てを示した。
リベラル派の象徴的な抵抗の砦であるハーバード大学がいずれ白旗を掲げ、その結果として米社会全体の保守化が不可逆な流れになるというトランプ氏の目論見が当たる可能性は、低くないのではないだろうか。
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岩田 太郎(いわた・たろう)
在米ジャーナリスト
米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の基礎を学ぶ。米国の経済を広く深く分析した記事を『現代ビジネス』『新潮社フォーサイト』『JBpress』『ビジネス+IT』『週刊エコノミスト』『ダイヤモンド・チェーンストア』などさまざまなメディアに寄稿している。noteでも記事を執筆中。
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(在米ジャーナリスト 岩田 太郎)