■なぜ、そんなものまで弔うのか――ニッポン珍供養の現場
バッタを弔い、道路を供養する――。
筆者は、ジャーナリスト・僧侶として長年、無生物や有害生物、さらにはデジタル機器に至るまで、珍奇なる弔い・供養の現場を取材することをフィールドワークとしてきた。

本稿では、これまでに筆者が心を揺さぶられた度合で10の事例をお届けする。日本独自の「山川草木 悉皆成仏(ありとあらゆるものは、仏になり得る)」という深淵なるアニミズム信仰に触れてほしい。
第10位:菌・海藻の供養
【理由】顕微鏡でしか確認できないような微生物にまで供養の対象は広がっている。その姿勢は、生命を「見える・見えない」で区別しないアニミズムの思想の極みといえる。とりわけ菌類や海藻は食や医療にも貢献しており、人間生活を支える重要な存在として感謝と弔いを受けるに値する。
【背景】京都・東山にある曼殊院には菌塚がある。これは繊維産業に欠かせない「糊」を落とすために、大量の菌を利用し、同時に犠牲にしていることを悔いた企業の社長が1981年に建立したものだ。兵庫県林崎漁港の近くにあるのは「乃り(海苔)供養塔」。当地は「明石海苔」の養殖や加工で知られている。海の幸にたいする感謝と、海苔養殖の成功を祈念して建立された。
第9位:迷子郵便の供養
【理由】昔は愛情表現を伝える手段のひとつが「ラブレター」だった。そんな気持ちのこもった郵便物に「供養」を施す。
その発想は、気持ちや愛情すらも「霊的存在」として可視化し、畏れ敬う日本人ならではの感性によって生み出されるものだ。人間同士の関係性が宿った手紙を無碍に処理することなく、丁寧に祀る態度には感動すら覚える。
【背景】長野県の善光寺の境内に「迷子郵便供養塔」が立っている。白御影石と黒御影石を組み合わせて造られた、実に堂々たる供養塔である。供養塔はおよそ1.5対1の縦横比になっていて、どこかハガキを想起させる。碑の建立者は県内の郵便局長一同。碑文にあるように、郵便制度が始まった100周年の記念事業として立てられた。また、東京都内にも、宛先不明で配達不能となった手紙を供養する「郵便塚」が存在する。
第8位:太陽・月の供養
【理由】太陽や月といった天体を供養する行為は、古来より人間が天文現象に畏怖を抱いてきた証左である。科学的に説明される以前の世界観を今に残すこの供養は、人類の宇宙へ向けられたロマンチシズムの表れともいえる。自然科学とは異なる視点から宇宙を見つめ直す契機ともなる。
【背景】江戸期から明治期にかけて、各地の農村などでは太陽や月への供養祭が行われてきた。
それが「月待ち」と呼ばれる講(信仰を同じにする結社、集団)の存在であり、講中が建立した「月待供養塔」である。今でも昔ながらの集落を歩いていると、路傍に月待供養塔が立っているのを見かけることがある。月待供養塔の特徴は、「十三夜」「二十三夜」など、「○○夜」といった碑文が刻まれている点にある。
■ラーメンを「いただきます」の精神を儀礼として可視化
第7位:豚骨ラーメン供養
【理由】全国にご当地麺があり、日本人のソウルフードといっていいラーメンと供養が結びついた点がユニークである。とりわけ、食材である豚(あるいは鶏など)の命に対し、感謝と弔いの心を込める。この行為は、「いただきます」の精神を儀礼として可視化したものといえるだろう。日々の糧を支える命に対する感謝のかたちとして興味深い。
【背景】福岡県久留米市の水天宮では、ラーメン店主たちが集まって「とんこつの日(10月2日)」に豚骨供養を行っている。2015年に始まったこの行事は、食材としての豚に対して「おかげさま」の気持ちを表す祭礼として、地元の信仰と食文化が融合した新しい民間宗教の表れとなっている。同類の供養として、京都には「京料理の供養塔」が存在する。
第6位:AIBO(ロボット犬)の供養
【理由】ソニーが販売しているペットロボットAIBOは、金属とプログラムで構成された「無機生命体」である。だが、長年家族のように接してきたユーザーにとっては、単なるロボットではなく心の通った存在、まさに「ペット」になっている。
AIBO供養は、生命の定義を拡げ、物にも魂を宿らせるということを明らかにする存在でもある。AI時代の新たな宗教儀式の誕生といえる。
【背景】修理が困難となったモデルを、別のAIBOが「ドナー」となって蘇らせる。犠牲になってくれた代替のAIBOの葬式が千葉県の日蓮宗寺院で継続的に実施されている。100匹以上の動かなくなった「犬」が本堂に設けられた祭壇にずらりと祀られ、住職が読経して供養する。一連の儀式をみていると、単なる廃棄処理ではないことがわかる。
第5位:三味線の皮に使われた犬猫の供養
【理由】ペットとしての犬や猫の墓や供養は一般化しているが、産業用に使われてきた彼らを慰霊する場もある。伝統芸能を支えてきた三味線。その音色の背景には、犬猫の皮がある。この「隠された犠牲」に対し、きちんと供養を行う。この姿勢には、文化・伝承の裏に潜む命への配慮がにじむ。表舞台の美と音を支える存在にまで感謝を捧げるという倫理的な態度が、三味線供養の根底にある。

【背景】東京都墨田区の回向院には、1935年に建立された「三味観世音犬猫供養塔(糸塚)」があり、今も義太夫協会関係者が参詣する。供養塔は三味線の撥をかたどった台座に立ち、犠牲になった動物たちを弔う場として機能している。東京都台東区の待乳山聖天などでも、三味線の糸の供養のため1864年に建立された糸塚がある。糸塚は芸事の盛んな東京や京都、大阪などで見られる。
第4位:スマホ供養
【理由】無機質なスマートフォンを供養するという行為は、現代人の生活にとってデジタルデバイスが欠かせないものになっていることを示している。スマホはただの物理的端末ではなく、SNSなどを通じた他者とのコミュニケーションツールでもある。また、写真、メッセージ、思い出など、個人の記憶と感情が詰まった媒体である。故に、それを「ただ捨てる」のではなく、感謝とともに供養する発想が生まれてくるのは至極、自然といえる。
【背景】寺社におけるスマホ供養は、近年急速に広まりを見せている。福岡市中央区の鳥飼八幡宮では2024年からスマートフォンやタブレット、パソコンなどのデジタルデバイス供養をスタートさせた。デジカメ、ICレコーダー、USBやDVDなどのガジェットの持ち込みも受け付けている。見返したくない画像や音声データ、メールなどを削除する前に供養することで、穢れた気持ちを清め、気分をスッキリさせる効果もあるという。

■象、バッタ、道路を弔う人々の事情
第3位:象の供養
【理由】日本には野生の象は存在しない。したがって、象をリアルに慈しむことは、動物園の飼育員でもない限りは考えにくい。にもかかわらず、象の供養がなされている。これは日本人の慈悲心が、いかに深淵で広いものかを物語っている。同時に象牙を用いた工芸品が重宝された歴史的背景や、命を奪って得た素材に感謝と懺悔を示すという人間のエゴも見え隠れする。
【背景】東京都文京区・護国寺にある象の供養塔は、1926年に象牙美術工芸組合によって建立された。茶道具や三味線の撥、印鑑など、日本の伝統文化に欠かせなかった象牙。だが、その背後にはアフリカゾウの大量密猟が存在する。ワシントン条約によって象牙取引は禁じられた今、この象供養は、動物保護と宗教的な悔悟とを結びつける象徴的存在となっている。
第2位:バッタの供養
【理由】万博会場でユスリカが大量発生し、駆除に乗り出しているように害虫は、基本的に人間にとって「忌み嫌い、駆除すべき存在」だ。にもかかわらず、それを供養するという行為は、きわめて逆説的かつ、慈悲的で奥深い。人間に被害を与える存在にすら、命の尊厳を認めている。
これは、通常であれば「加害者と被害者の非対称性(両者の間に存在する解決困難な要素)」と言われているものを、仏教の菩提心によって乗り越えようとする試みといえる。これらは、各地のバッタやシロアリ、ゴキブリなどへの慰霊として表現されている。
【背景】明治期の北海道では、バッタの大発生が農業壊滅をもたらした。これに対し、農民らは祈祷や供養を通して、自然災害としての蝗害を鎮めようとした。今でも北海道には、開拓使時代につくられた「バッタ塚」が現存する。また、殺虫剤などを手がける製薬会社では例年、役員が参列して害虫の供養祭を実施している。憎むべき存在すらも「慰霊」の対象にする懐の深さが、日本人の宗教行動の特徴といえる。
第1位:道路の供養
【理由】道路は本来、人間の生活を支えるインフラである。供養の対象になるとは、想像しにくいものだ。しかし、わが国では道路の敷設やメンテナンスを通じて、「労苦」や「犠牲」を見つめ、供養するという風習が実在する。物言わぬ存在に対しても感謝と鎮魂を示す行為は、日本人の根底にある「慈悲」と「寛容」の精神性を表している。仏教的な「無情(非情)成仏」(心を持たないものでも成仏できる)の思想とも響き合う。
【背景】実際に存在する「道の墓」として知られるのが、鎌倉街道や東京都・渋谷の道玄坂に残る供養塔である。これらは通行中の事故死や、長年の酷使によって損耗した「道」自体の霊的存在を慰めるもの。江戸時代からの民間信仰や建設関係者の職業的倫理に根ざしている。とくに土木建設従事者の間では、工事の安全祈願とともに鎮魂を込めて建碑する習慣が続く。土地の地鎮式にも通じる考え方である。
■「ありとあらゆるものには魂があり、仏になり得る」
日本における「供養」という行為は、単なる死者慰霊にとどまらない。「生命とは何か」の定義、倫理、記憶、さらには企業の社会的責任までも内包した多層的な宗教実践といえる。本ランキングで取り上げた対象の多くは、人間ではなく、非人間的存在(動物・無機物・天文・人工物)だが、にもかかわらず、供養の対象となっている。
これは、日本の仏教における、「ありとあらゆるものには魂があり、仏になり得る」との思想「草木国土 悉皆成仏」に通底する。命や魂を「存在の有無」ではなく「関係性」で捉える日本独自の宗教観を示しているといえる。
加えて、供養される対象には必ず「ストーリー」がある。例えばバッタ塚の背景には明治期の農民の苦悩があり、スマホ供養には「現代人の孤独」と、「誰かとのつながり」への執着が映し出されている。
このような供養文化の広がりは、死をタブー視せず、それを生活の一部として取り込む日本文化の懐の深さを証明している。
本ランキングの他にも、各地の様々な珍奇なる弔いの世界を新刊『ニッポン珍供養』(インターナショナル新書)に掲載している。ぜひ、手に取っていただきたい。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

浄土宗僧侶/ジャーナリスト

1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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