性犯罪へのネット上のバッシングは何をもたらすか。精神保健福祉士の斉藤章佳さんは「一度ネットに出た情報は半永久的に残り続けるため、執行猶予期間が明けても刑期を終えても、加害者が社会復帰するうえで足かせになることもある」という――。
※本稿は、斉藤章佳『』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■「文春砲」の社会的な功罪
近年、性加害にまつわる報道といえば『週刊文春』を抜きに語ることはできないでしょう。有名芸能人や大手芸能事務所の性加害問題が「文春砲」で取り上げられたことがきっかけで、大企業や政府をも揺るがす社会問題にまで発展するのは、私たちがここ数年にわたって目にしてきたとおりです。これまで「なかったこと」にされていた被害者の声が広く社会に届けられ、「性暴力は絶対に許されないことだ」という気運が高まることは、とても歓迎すべきです。
しかし、それが行きすぎると、「社会的に許されない行為をするなんてけしからん!」と義憤に駆られた人々による、匿名でのバッシングや誹謗(ひぼう)中傷が横行します。そうした一部の人たちの声が「世論」とみなされることで、法律にもとづかない形での排斥や制裁を求める動きが加速するのです。
性加害の問題に限らず、有名人や芸能人に関する報道は、「報道の自由」と「個人の権利やプライバシー」が常に絡み合います。またスキャンダル報道が事実であったとしても、報じられた側の言い分が十分に伝えられないことがあります。その結果、誤解や偏見が生まれ、社会的に大きなダメージを受ける人もいます。
■「SNS私刑」を受ける加害者家族
さらに「文春砲」に追従する他メディアやSNSによって、本来は加害行為や疑惑とは関係のない家族のプライバシーが侵害されることは由々しき問題です。事実、加害疑惑をかけられた芸能人に未成年の子どもがいる場合、「いじめられて不登校になるかもしれない」「母親と海外へ移住するのではないか」などの憶測にもとづいた記事も散見されます。
テレビや週刊誌などいわゆる「オールドメディア」だけでなく、インターネット上でも加害者家族は追い詰められていきます。
とくに性犯罪事件は世の中の注目度も高く、性犯罪事件のみを追いかけているマニアもいるといいます。性犯罪の裁判で傍聴席がいっぱいになる光景を見ていても、注目度の高さは明らかです。
近年ではSNSでの誹謗中傷も深刻です。本来、自由な言論空間として機能するSNSですが、その自由さが「私刑(しけい)」「炎上罰」と呼ばれる新たな社会的制裁を生み出しています。加害者本人の行為とは無関係な家族に対しても、「犯罪者の家族」という負の烙印が押され、匿名での攻撃が相次ぎます。
■アテンションエコノミーの負の側面
とくに膨大なフォロワーを有するインフルエンサーが事件に言及すると、その情報は爆発的に拡散されます。影響力のある人物が発信することで、正確性を欠いた情報があたかも事実であるかのように受け取られるケースも珍しくありません。
数年前には「私人逮捕系」「世直し系」といわれるYouTuberが、盗撮や痴漢などの性加害行為が疑われる一般人を動画で配信したり、追跡したりすることが問題となりましたが、過激な投稿によって二次的に家族にまで影響が及ぶこともあります。
「正義」という名のもとにYouTuberたちが過激化していく背景には、世間の注目を集め、再生回数が多くなればそれだけ収益につながる、いわゆる「アテンションエコノミー(関心経済)」の負の側面があります。
視聴者のなかには眉をひそめる人もいる反面、勧善懲悪的なコンテンツに「スカッとする」と支持する人も一定数います。
■半永久的に残り続けるネット情報
の第2章でも触れた世間学の佐藤直樹氏は、ネット上のバッシングについて次のように述べています。
「世間」には、プライバシー権をはじめとする人権という概念が存在しない。ネットで形成される人的関係も「世間」のひとつにすぎないから、そこでは権利も人権も存在しない。空気はあらゆる権利に優先される。ネット上の個人情報の公表は、あきらかに人権侵害なのだが、そんなことは「屁理屈」にすぎないのだ。
(『なぜ日本人は世間と寝たがるのか 空気を読む家族』春秋社、2013年)
家族会でも「ネットは見ないようにしている」と述べる方が多数います。事件の渦中にいる家族は、それにまつわる情報を目にすることで精神的負担が増すため、意図的にインターネットを遮断するのです。
一度ネットに出た情報は半永久的に残り続けるため、執行猶予期間が明けても就職活動が難航したり、住宅ローンや賃貸借契約の審査に落ちたりするなど、加害者が社会復帰するうえで足かせになることもあります。そのため加害者家族のなかには、両親が「ペーパー離婚」をして、加害者当人やきょうだいが親(多くの場合は母親)の旧姓を名乗ることでプライバシーを守ろうとする人もいます。
■性犯罪の再犯防止のための「日本版DBS」
ちなみに、2026年に始まる「日本版DBS」の制度のもとでは、たとえ加害者が名字を母親の旧姓にするなどして名前を変えても、性犯罪歴のある人は子どもに関わる仕事には就けなくなるようです。
日本版DBSとは、性犯罪を防止する措置のひとつとして、対象の事業者に対し、学校の教員や保育士など子どもに接する仕事に就く人について、過去の性犯罪歴の確認を義務づける制度のことです。イギリスのDBS(Disclosure and Barring Service)制度を参考にしたため、日本版DBSと呼ばれています。
この制度の立法事実となったのは、2014年に逮捕されたベビーシッターによる男児殺害および強制わいせつ事件と、2015年に保育士が他の認可外保育施設で傷害致死および強制わいせつ事件(再犯)を起こしたことです。
学校や保育園などの認可事業者には性犯罪歴の確認が義務づけられる一方、学童保育や学習塾、スイミングスクールなどの民間事業者は任意の認定制度となっています。
もちろんこの制度も万全ではなく、現行の制度設計では、個人のベビーシッターや家庭教師など、個人事業主は対象外となっており、性犯罪歴のある者が子どもと接する可能性は残るという指摘があります。またこの制度は再犯防止には焦点を当てていますが、初犯を防ぐための対策にはなりません。
■子どもの安全か、加害者のプライバシーか
日本版DBSについては、日本国憲法が定める「職業選択の自由」や「プライバシー権」との兼ね合いがたびたび議論されています。
私は法律の素人ではありますが、やはり子どもは社会や大人が守るべき絶対的な存在だと強く思います。「子どもを守ること」と「加害者の職業選択の自由」を天秤にかけたとき、優先されるべきは明らかに前者です。また、加害者は子どもに関わる職業に就くことを制限されるだけで、その他数多くの職業に就く自由は保障されています。
プログラムに参加している加害当事者は、日本版DBSによって子どもに関わる職業を制限されること自体が、加害者にとっては再犯のリスクを回避してくれる制度だと語っていました。再犯防止プログラムでは、自分が再犯の危険性が高まる「ハイリスク状態」を特定し、それぞれが持っているトリガーをいかに回避するか、また日々のストレスにどのように適切に対処するかを学びます。
子どもを対象とする性加害者は、子どもの姿を目にすること自体が再犯のトリガーとなる人も多いので、日本版DBSは、いわば入口段階から加害者のハイリスク状態を遠ざけてくれる制度というわけです。
その意味では、日本版DBSは加害者自身を間接的に守る制度でもある、という彼の意見は大いにうなずけます。
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斉藤 章佳(さいとう・あきよし)
精神保健福祉士・社会福祉士
西川口榎本クリニック副院長。1979年生まれ。大学卒業後、アジア最大規模と言われる依存症回復施設の榎本クリニックでソーシャルワーカーとして、長年にわたってアルコール依存症をはじめギャンブル・薬物・性犯罪・DV・窃盗症などさまざまな依存症問題に携わる。専門は加害者臨床で現在まで3000名以上の性犯罪者の治療に関わり、性犯罪加害者の家族支援も含めた包括的な地域トリートメントに関する実践・研究・啓発活動に取り組んでいる。主な著書に『男が痴漢になる理由』『万引き依存症』(ともにイースト・プレス)、『「小児性愛」という病 それは、愛ではない』(ブックマン社)、『しくじらない飲み方 酒に逃げずに生きるには』(集英社)、『セックス依存症』、『子どもへの性加害 性的グルーミングとは何か』(ともに幻冬舎新書)、『盗撮をやめられない男たち』(扶桑社)、監修に漫画『セックス依存症になりました。』(津島隆太・作、集英社)がある。
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(精神保健福祉士・社会福祉士 斉藤 章佳)
※本稿は、斉藤章佳『』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■「文春砲」の社会的な功罪
近年、性加害にまつわる報道といえば『週刊文春』を抜きに語ることはできないでしょう。有名芸能人や大手芸能事務所の性加害問題が「文春砲」で取り上げられたことがきっかけで、大企業や政府をも揺るがす社会問題にまで発展するのは、私たちがここ数年にわたって目にしてきたとおりです。これまで「なかったこと」にされていた被害者の声が広く社会に届けられ、「性暴力は絶対に許されないことだ」という気運が高まることは、とても歓迎すべきです。
しかし、それが行きすぎると、「社会的に許されない行為をするなんてけしからん!」と義憤に駆られた人々による、匿名でのバッシングや誹謗(ひぼう)中傷が横行します。そうした一部の人たちの声が「世論」とみなされることで、法律にもとづかない形での排斥や制裁を求める動きが加速するのです。
性加害の問題に限らず、有名人や芸能人に関する報道は、「報道の自由」と「個人の権利やプライバシー」が常に絡み合います。またスキャンダル報道が事実であったとしても、報じられた側の言い分が十分に伝えられないことがあります。その結果、誤解や偏見が生まれ、社会的に大きなダメージを受ける人もいます。
■「SNS私刑」を受ける加害者家族
さらに「文春砲」に追従する他メディアやSNSによって、本来は加害行為や疑惑とは関係のない家族のプライバシーが侵害されることは由々しき問題です。事実、加害疑惑をかけられた芸能人に未成年の子どもがいる場合、「いじめられて不登校になるかもしれない」「母親と海外へ移住するのではないか」などの憶測にもとづいた記事も散見されます。
テレビや週刊誌などいわゆる「オールドメディア」だけでなく、インターネット上でも加害者家族は追い詰められていきます。
掲示板で加害者の名前や居住地が特定されたり、事件の詳細がネット上に残り続けたり、「傍聴マニア」と呼ばれる人のブログによって、個人的な情報が拡散されたりすることもあります。
とくに性犯罪事件は世の中の注目度も高く、性犯罪事件のみを追いかけているマニアもいるといいます。性犯罪の裁判で傍聴席がいっぱいになる光景を見ていても、注目度の高さは明らかです。
近年ではSNSでの誹謗中傷も深刻です。本来、自由な言論空間として機能するSNSですが、その自由さが「私刑(しけい)」「炎上罰」と呼ばれる新たな社会的制裁を生み出しています。加害者本人の行為とは無関係な家族に対しても、「犯罪者の家族」という負の烙印が押され、匿名での攻撃が相次ぎます。
■アテンションエコノミーの負の側面
とくに膨大なフォロワーを有するインフルエンサーが事件に言及すると、その情報は爆発的に拡散されます。影響力のある人物が発信することで、正確性を欠いた情報があたかも事実であるかのように受け取られるケースも珍しくありません。
数年前には「私人逮捕系」「世直し系」といわれるYouTuberが、盗撮や痴漢などの性加害行為が疑われる一般人を動画で配信したり、追跡したりすることが問題となりましたが、過激な投稿によって二次的に家族にまで影響が及ぶこともあります。
「正義」という名のもとにYouTuberたちが過激化していく背景には、世間の注目を集め、再生回数が多くなればそれだけ収益につながる、いわゆる「アテンションエコノミー(関心経済)」の負の側面があります。
視聴者のなかには眉をひそめる人もいる反面、勧善懲悪的なコンテンツに「スカッとする」と支持する人も一定数います。
■半永久的に残り続けるネット情報
の第2章でも触れた世間学の佐藤直樹氏は、ネット上のバッシングについて次のように述べています。
「世間」には、プライバシー権をはじめとする人権という概念が存在しない。ネットで形成される人的関係も「世間」のひとつにすぎないから、そこでは権利も人権も存在しない。空気はあらゆる権利に優先される。ネット上の個人情報の公表は、あきらかに人権侵害なのだが、そんなことは「屁理屈」にすぎないのだ。
(『なぜ日本人は世間と寝たがるのか 空気を読む家族』春秋社、2013年)
家族会でも「ネットは見ないようにしている」と述べる方が多数います。事件の渦中にいる家族は、それにまつわる情報を目にすることで精神的負担が増すため、意図的にインターネットを遮断するのです。
一度ネットに出た情報は半永久的に残り続けるため、執行猶予期間が明けても就職活動が難航したり、住宅ローンや賃貸借契約の審査に落ちたりするなど、加害者が社会復帰するうえで足かせになることもあります。そのため加害者家族のなかには、両親が「ペーパー離婚」をして、加害者当人やきょうだいが親(多くの場合は母親)の旧姓を名乗ることでプライバシーを守ろうとする人もいます。
■性犯罪の再犯防止のための「日本版DBS」
ちなみに、2026年に始まる「日本版DBS」の制度のもとでは、たとえ加害者が名字を母親の旧姓にするなどして名前を変えても、性犯罪歴のある人は子どもに関わる仕事には就けなくなるようです。
日本版DBSとは、性犯罪を防止する措置のひとつとして、対象の事業者に対し、学校の教員や保育士など子どもに接する仕事に就く人について、過去の性犯罪歴の確認を義務づける制度のことです。イギリスのDBS(Disclosure and Barring Service)制度を参考にしたため、日本版DBSと呼ばれています。
この制度の立法事実となったのは、2014年に逮捕されたベビーシッターによる男児殺害および強制わいせつ事件と、2015年に保育士が他の認可外保育施設で傷害致死および強制わいせつ事件(再犯)を起こしたことです。
そして2020年にベビーシッターのマッチングアプリを利用したシッターの男性ふたりによる子どもへの性加害をきっかけに、日本版DBSの導入を求める声が一気に高まりました。
学校や保育園などの認可事業者には性犯罪歴の確認が義務づけられる一方、学童保育や学習塾、スイミングスクールなどの民間事業者は任意の認定制度となっています。
もちろんこの制度も万全ではなく、現行の制度設計では、個人のベビーシッターや家庭教師など、個人事業主は対象外となっており、性犯罪歴のある者が子どもと接する可能性は残るという指摘があります。またこの制度は再犯防止には焦点を当てていますが、初犯を防ぐための対策にはなりません。
■子どもの安全か、加害者のプライバシーか
日本版DBSについては、日本国憲法が定める「職業選択の自由」や「プライバシー権」との兼ね合いがたびたび議論されています。
私は法律の素人ではありますが、やはり子どもは社会や大人が守るべき絶対的な存在だと強く思います。「子どもを守ること」と「加害者の職業選択の自由」を天秤にかけたとき、優先されるべきは明らかに前者です。また、加害者は子どもに関わる職業に就くことを制限されるだけで、その他数多くの職業に就く自由は保障されています。
プログラムに参加している加害当事者は、日本版DBSによって子どもに関わる職業を制限されること自体が、加害者にとっては再犯のリスクを回避してくれる制度だと語っていました。再犯防止プログラムでは、自分が再犯の危険性が高まる「ハイリスク状態」を特定し、それぞれが持っているトリガーをいかに回避するか、また日々のストレスにどのように適切に対処するかを学びます。
子どもを対象とする性加害者は、子どもの姿を目にすること自体が再犯のトリガーとなる人も多いので、日本版DBSは、いわば入口段階から加害者のハイリスク状態を遠ざけてくれる制度というわけです。
その意味では、日本版DBSは加害者自身を間接的に守る制度でもある、という彼の意見は大いにうなずけます。
この意見は、再犯防止プログラムの他の受講者からも賛同の声を多数得られた点でも、説得力があると思います。
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斉藤 章佳(さいとう・あきよし)
精神保健福祉士・社会福祉士
西川口榎本クリニック副院長。1979年生まれ。大学卒業後、アジア最大規模と言われる依存症回復施設の榎本クリニックでソーシャルワーカーとして、長年にわたってアルコール依存症をはじめギャンブル・薬物・性犯罪・DV・窃盗症などさまざまな依存症問題に携わる。専門は加害者臨床で現在まで3000名以上の性犯罪者の治療に関わり、性犯罪加害者の家族支援も含めた包括的な地域トリートメントに関する実践・研究・啓発活動に取り組んでいる。主な著書に『男が痴漢になる理由』『万引き依存症』(ともにイースト・プレス)、『「小児性愛」という病 それは、愛ではない』(ブックマン社)、『しくじらない飲み方 酒に逃げずに生きるには』(集英社)、『セックス依存症』、『子どもへの性加害 性的グルーミングとは何か』(ともに幻冬舎新書)、『盗撮をやめられない男たち』(扶桑社)、監修に漫画『セックス依存症になりました。』(津島隆太・作、集英社)がある。
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(精神保健福祉士・社会福祉士 斉藤 章佳)
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