■「コメを買ったことがない」前大臣とは大違い
小泉農水相になってからの備蓄米放出は世間から好意的に受け止められている。
これ自体は全体のコメの値段を下げることにどれだけ役に立つかどうかは疑問である。しかし、備蓄米を放出してもコメの値段が下がらないような仕組みにした前大臣と違って、消費者から遠いJA農協ではなく直接スーパーや小売店に販売したこと、供給量を増やさないようにする放出後の買い戻し要件を撤回したことは評価できる。前よりも迅速に消費者に届くようになったし、米価が下がらないような仕組みを排除した。
さらに、備蓄米で足りない場合には、輸入を拡大しようとする考えにも大いに賛成である。
供給量を増やさなければ、コメの値段は下げられない。残った備蓄米30万トンには4年古米(古古古古米)が含まれる。消費者に食べさせられるかどうか不安である。国産米の供給でコメの値段を下げられないなら、輸入を増やすしかない。農林族議員は反対しているようだが、1年限りの緊急避難的措置である。
何よりもコメの値段を下げようとする意思が感じられる。農林族議員だった前大臣には、そのような気持ちは感じなかった。だからコメを買ったことがないという発言になったのだろう。前大臣だったら輸入を増やすことはしなかっただろう。
備蓄米がなくなると災害時に対応できなくなるのではないかという主張があるが、心配する必要はない。そのときは今回のように輸入すればよい。平成のコメ騒動のときは輸入で対応した。すぐに対応できないのではないかという心配もあるかもしれないが、まずは民間在庫で対応して、後に輸入して在庫を積みなおせばよい。
そもそも100万トンの備蓄米は危機の時にほとんど役に立たない。中国はコメ1億トン、小麦1億4000万トンの備蓄を用意している。日本の備蓄米は毎年20万トン市場から買い上げて米価を維持しようとする不純な動機から行っているものだ。
■卸売業者の利益が増えたワケ
しかし、気になることがある。
第一点は、ある大手卸売業者の営業利益が前年比500%となっていることや最大で「五次問屋」まで存在することを指摘して、「流通が問題である」と主張していることだ。
なぜ、営業利益が増加しているのだろうか? これを分析しないで、単に卸売業者が儲けているのはけしからんという情緒的な対応になっていないだろうか?
コメのように鮮度が重要な食品や農水産物の場合、販売のルールは“先入れ先出し”である。古いものから販売していくということである。そうしなければ、腐ったり食味が落ちたりしてしまう。
卸売業者がJA農協から昨年買っていたコメ(令和5年産米)の相対価格は、1万5000円台だった。ところが現在、卸売業者は玄米60kgあたり2万7000円でJA農協から買っている。1年間で8割も上昇したのだ。
小売り段階では、精米価格5kgあたり2500円だったものが4200円となっている。
この価格に合わせて卸売業者全体が高い価格でスーパー等に売っている。ある卸売業者が買ったときの値段が安かったからといって、安く売れば、スーパーがいま売れる価格にあわせて販売し、利益を上げるだけだ。価格というのは、需要と供給で決まる。
■価格低下の損失を補塡するのか
そして、買うときも時価、売るときも時価である。
つまり、1万5000円で買ったものが、先入れ先出しの原則から売るときに2万7000円になったのなら、利益が出るのは当然である。
逆に、備蓄米や輸入米の放出の効果が上がって、米価が例えば2万円に下がれば、2万7000円で買ったコメを売らざるを得なくなった卸売業者は損失を被ることになる。現在卸売業者の利益が増加しているのは、このような特殊な事情があるからだ。恒常的に高い利益を上げられるものではない。いまの儲けを批判するなら、価格低下で損失が生じた際には、政府は損失補塡をする必要がある。
五次問屋が存在するかどうかは不明である。あるとしても特殊なケースではないだろうか。スーパーのバイイングパワーによって安価な販売を要求されているときに、多数の卸売業者が介在して多額のマージンを稼ぐようなことは想定しにくい。
もしそのような実態があるなら、どうして昨年まで5キログラム2000円台のコメが販売されていたのだろうか? 突然五次問屋が出現して、コメの値段を4000円台に引き上げることになったのだろうか? つじつまの合う説明は困難だろう。
■「直接支払い」と「収入保険」とでは大違い
減反を廃止して米価が下がったときの対策として、石破茂首相は対象者を限定した「直接支払い」に言及している。
コメ価格が下がれば、コストの高い零細な兼業農家は農地を貸しだすようになる。例えば5ヘクタール以上の主業農家に限って直接支払いをすれば、主業農家の地代負担能力が上がって農地は主業農家に集積する。
主業農家の生産コストが低下して収益が上昇するので、元零細農家に支払う地代も上昇する。消費者は減反廃止とコメ農業の効率化によって二重にコメ価格低下の利益を受ける。主業農家に限定するので、財政負担は今の3500億円の減反補助金の半分以下で済む。主業農家や零細農家などの農業者、消費者、納税者にとって三方よしの政策だ。
これに対して、小泉農水相は「収入保険」に言及している。
これは農産物価格が低下するなどして農家の収入が低下するときに補塡するものである。
対象者は青色申告をしている農家であればだれでもよい。兼業農家は青色申告をしていないかもしれないが、JA農協はこれらの農家が価格補塡を受けられるよう、手助けをするだろう。結局すべてのコメ農家が価格補塡の対象となってしまい、零細兼業農家温存という今まで通りの農政になってしまう。
■収入保険は減反補助金と同じ
いまは、主食用のコメから麦や大豆、あられ・せんべい、輸出用、エサ用のコメなどに転作した場合に、減反(転作)補助金を出している。収入保険による価格補塡は、これまでの転作作物への助成からコメ生産自体への助成に切り替えることになる。
減反廃止でコメの生産量は増える。そのうえ、すべての農家に価格補塡してしまえば、価格の低下と対象数量の増大によって、どれだけ財政負担が増えるかわからない。消費者は減反廃止の効果しか受けない。コメ農業も効率化して世界市場を開拓することは困難となる。
そもそも、収入保険は、一定の価格水準を想定して需給変動によって価格が低下する際に対応しようとするものである。減反廃止によって、価格水準自体が大幅に引き下がる場合に適用するのは制度の趣旨からもそぐわない。
■小泉農水相の指南役は誰か
昨年夏スーパーからコメが消えたとき農水省は「卸売業者がため込んでいるのだ」と主張した。また、新米が供給されると価格が低下すると言いながら逆に価格が高騰すると、誰かが投機目的で売り控えているのだと主張した。これは同省の調査自体で否定された。
これまで、農水省はコメ不足、価格高騰の責任を卸売業者などの流通に押し付けてきた。また、備蓄米の放出になかなか応じず、また放出を決定しても米価が下がらない仕組みを組み込んだ。高い米価を維持したいとするJA農協に忖度したのである。また、米価低下の際にバラマキになる収入保険を採用するのも、零細兼業農家に立脚するJA農協の利益を考慮したものだろう。
小泉農水相の発言の後ろに、農水省幹部の姿が透けて見える。
流通に目が行くようにしたのは、減反から大臣や世間の注意を逸らすためではないだろうか? 収入保険も兼業農家とJA農協擁護のニオイがする。かれらは農林族議員と同根である。野村哲郎元農水相は、小泉農水相が相談もしないであまりに矢継ぎ早に方針を出すので職員が困っていると言った。農水省幹部が野村氏にご注進に上がり不満を漏らしたのだろう。
今の農水省幹部は農政トライアングルの一員であり、改革に水を差す人たちである。独断専行したように見えた小泉純一郎氏には財務省という相談相手がいた。小泉農水相には、そのような人たちがいないように思われる。
農水省幹部は政策を作ることには長けてはいないが、政治的に動く能力には優れている。小泉農水相は、彼らを一掃して農水省内部に“チーム小泉”を作るべきである。そうしないと、いまの農水省幹部に足をすくわれてしまわないか心配だ。
「人主はただ一心にして、これを攻める者は衆(おお)し」である。
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山下 一仁(やました・かずひと)
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
1955年岡山県生まれ。77年東京大学法学部卒業後、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、同局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員、2010年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。著書に『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書)、『農協の大罪』(宝島社新書)、『農業ビッグバンの経済学』『国民のための「食と農」の授業』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本が飢える! 世界食料危機の真実』(幻冬舎新書)など多数。近刊に『食料安全保障の研究 襲い来る食料途絶にどう備える』(日本経済新聞出版)がある。
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(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 山下 一仁)