ローソンが古米を使ったおにぎりを「ヴィンテージ米おにぎり」として発表し、SNSで批判の声が上がった。桜美林大学准教授の西山守さんは「古米の価値が十分に訴求できていないなかで名称を変更するのは、消費者に不信感を抱かせても仕方がない」という――。

■「ヴィンテージ米」呼称に手厳しい声
コンビニ大手のローソンは6月3日、古米を使ったおにぎりを関東の一部店舗で7月から発売することを発表した。同社の竹増貞信社長は「古いコメをヴィンテージ米と呼ぶことにしました」と発言している。
SNS上では「名前を変えても、目的は古い米の在庫処分」「経年劣化している米を、名前を変えてごまかしている」といった手厳しい声が目立つ。
名前を変えてイメージの回復や向上を図ることは、企業活動では通常に行われていることだ。しかし、今回に関しては、悪手だと言えるだろう。
■名称変更が「大本営発表」に見えてしまった
備蓄米はメディアでは「古古米」「古古古米」などと呼ばれていたが、この呼称について、国会で公明党の三浦信祐・参院議員が「この呼び方を変えてはどうでしょうか?」と発言した。それに対して、小泉進次郎・農水大臣が「令和3年産米とか令和4年産米、こういった形のほうが実際、適切かもしれません」と回答している。
ローソンの発表は、国会のやり取りに先立ってはいるが、ほぼ同時に報道されているため、どうしても「ローソンが大本営発表に従った」というような見え方になってしまっている。
第二次大戦時に「撤退」を「転進」、「敗戦」を「終戦」に言い換えたような、政府主導で情報操作を行っているように見えてしまった感がある。
「ヴィンテージ米」という呼称は以前からあり、新米とは異なる価値を持つ商品としてポジティブな意味で使われてきた。ただ、一般には普及しておらず、そこに備蓄米というネガティブなイメージを抱かれているものにこの呼称を使用したから、反発を招いてしまったのだ。
しかも、今回の備蓄米の放出は「進次郎構文」として独特のレトリックがネタにされる小泉農水相が主導していている事案だ。
あらゆる点で、揶揄される要素は十分に揃っていたと言えるだろう。
■改名で成功した企業や商品はたくさんあるが…
「印象操作だ」「名前を変えても中身は同じだろう」という批判は理解できるが、呼称が大切だ――というのも紛れもない事実だ。
改名で成功している事例は多数ある。
有名なものでは、松下電器産業が2008年に企業名と「ナショナル」ブランドをパナソニックへと変更、統一した事例がある。
最近では、2019年に旭硝子がAGCに、2021年に日本製粉がニップンに、2023年に凸版印刷は持ち株会社化に伴いTOPPANホールディングスに名称を変更している。
商品の名称変更について考えてみよう。
2014年に発売された日清食品の「カレーメシ」は、以前は「カップカレーライス」という呼称だった。「カレーライスとは別物ではないか?」という消費者の声を受け、リニューアルとともに改名され、ヒット商品として成長している。
やや古い事例になるが、王子ネピアのボックスティシュ「鼻セレブ」は、1996年に「ネピア モイスチャーティシュ」という名称で発売されたが、2004年に現在の名称に変更され、高級ティッシュ、保湿ティッシュのポジションを獲得することに成功している。
■名称変更には戦略性が求められる
企業名の変更には、古いイメージの刷新、グローバル化に伴う名称の統一といった目的がある。また、商品名の変更には、新たなカテゴリーの創造という課題があり、商品のリニューアルが伴っている。
いずれにしても、名称変更には課題や目的に沿った「戦略性」が求められており、定着するまでに一定の時間を要するのが一般的である。

備蓄米の名称変更も一朝一夕にできるものではない。ローソンの「ヴィンテージ米」のおにぎりにしても、商品が発売されて、新米にない価値が訴求できて、はじめて消費者に認められて定着していくことになるだろう。
大阪・関西万博が開幕前にイメージ先行で叩かれたが、今回もそれと同様の現象が起きていると言える。正念場となるのは、実際に商品が流通した後である。
■日本では食品の「古さ」は受容されづらい
二次流通商品は、これまでは「中古」「古着」「古本」などと呼ばれ、新品のものと比べて価値が低いというイメージが強かった。フリマサイト・フリマアプリが普及し、環境意識も高まるトレンドとともに、「セカンドハンド」「ユーズド」という新たな言葉の普及もあいまって、二次流通市場にポジティブなイメージが付与されるようになっている。
フリマサイトで商品を出品する際に「ヴィンテージ」という言葉を付けると、高く売れやすいとも聞く。
一方で、食品に関しては、フードロスに関する意識の高まりは見られるものの、「古いものに価値を見出す」というトレンドはまだ定着していないように見える。
日本は、歴史と伝統のある国ではあるが、必ずしも古いものに価値を見出す国民性とは言えないようだ。特に、飲食に関してその傾向は強い。江戸時代には「初鰹は女房を質に入れても食え」と言われ、現代ではヨーロッパではさほど話題にならないボージョレ・ヌーボーに消費者が殺到する――という現象が起きている。
熟成肉のブームはあったが、これは海外から輸入されたトレンドだ。

高温多湿で食品の保存が難しく、四季が明確で季節感を楽しむ日本の文化・慣習も影響していると思われるが、日本で古い食品に価値を付加するのはハードルが高い。
米に関しても、「新米」という言葉は、比喩としては否定的な意味もあるのだが、商品として見た場合は付加価値が高いものと見られがちだ。一方で、「古米」は「新米が劣化したもの」と捉えられがちだ。
■日本人が米に抱く特別な感情
さらに、米に関しては別の難しい問題もある。
日本神話において、米は「神からの贈り物」とされているし、日本史においても農民や民衆の年貢は米で納められてきた。日本人の米の消費量は、年々低下はしてきているが、依然として米は特別な価値を担っていると言える。
昨今の物価高騰に関しても、特に米の価格はメディアでも取り沙汰されている。江藤拓・前農林水産大臣が「コメは買ったことがない」と発言して辞任に追い込まれたが、米ではなく、パンや小麦粉について同様の発言をしたとしたら、ここまで叩かれることはなかっただろう。
■必要なのは改名ではなく「古米の価値の普及啓発」
10年ほど前、筆者は友人と集まってさまざまな食材をブラインドで食べ比べて、高額なほうを当てる「格付けチェック」のようなイベントを過去に行ったことがある。
価格差が大きい商品でも意外に当てるのは難しいのだが、新潟産コシヒカリとブレンド米の食べ比べでは、ほとんどの参加者は両者の違いを見極めることができていた。
やはり、日常的に食べ慣れている米の味はちゃんとわかるもののようだ。
備蓄米の味がさほど悪くはなかったり、新米とは別の味わいがあったりしたとしても、多くの日本人は食べ慣れた新米のほうに価値を感じてしまうだろう。

筆者自身は、日本の米はとてもおいしいし、作り手の努力や創意工夫には敬意を持っている。一方で、アジアを中心に海外諸国を回ってきた中で、海外のインディカ米もおいしいと思うし、白米へのこだわりは少ない。食べ方を工夫すれば、輸入米や備蓄米でもおいしく食べられると考えている。
筆者の旅仲間には同様の意識を持っている人も多いのだが、多くの日本人にとって、食べ慣れたものと味の違う米を受け入れるハードルは決して低くはないことも理解できる。
政府や企業は単純に名称を変更するのではなく、多様な米の新たな価値の普及啓発を同時に図っていくことが求められる。

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西山 守(にしやま・まもる)

マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授

1971年、鳥取県生まれ。大手広告会社に19年勤務。その後、マーケティングコンサルタントとして独立。2021年4月より桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授に就任。「東洋経済オンラインアワード2023」ニューウェーブ賞受賞。テレビ出演、メディア取材多数。著書に単著『話題を生み出す「しくみ」のつくり方』(宣伝会議)、共著『炎上に負けないクチコミ活用マーケティング』(彩流社)などがある。


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(マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授 西山 守)
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