■コメ農政の「構造疲労」が一気に露呈
2025年、日本のコメ市場は“異常”としか言いようのない状態にある。価格は一時、平年の2倍に達し、消費者は「高すぎて買えない」、生産者は「これでも儲からない」と悲鳴を上げた。足元ではやや価格が下落し始めてはいるものの、流通現場ではパニック買いと品薄が繰り返され、配送遅延や在庫偏在といった流通の混乱も表面化している。第5次問屋まで存在するという流通の異常構造まで一般にも明らかになった。備蓄米の放出によって一時的な供給は補われたが、その中長期的な効果は限定的で、「備蓄米が底をついた後には輸入が必要になるのでは」との指摘も現場では広がりつつある。
この騒動の原因について、「需給バランスの偶発的なゆがみ」や「不作・天候要因」と論じられることが多いが、それはあまりに短絡的だ。本当の原因は、日本における農業制度、特にコメ農政の構造疲労である。そして、その根本には「長期的戦略の不在」がある。
■なぜ小手先の“対処”が続くのか
今回の米価高騰を受けて政府は備蓄米の随意契約による放出を決定した。確かにこれは短期的な対応としては合理的かもしれない。しかし、その中長期的効果が限定的という事実が突きつけているのは、「そもそも制度設計が市場変動に耐えうる構造になっていない」という現実である。
農政に限らず、日本の制度運営にしばしば見られるのが、「制度そのものを問い直すのではなく、既存制度に小手先の処置を積み重ねて“場当たり的に延命させる”」というパターンだ。
米問題もその典型である。
■減反政策の“ゾンビ的存続”がもたらしたもの
表面上は2018年に廃止されたとされる減反政策だが、転作支援金という名目の補助金は今も温存され、水田のかなりの割合が実質的に減反されているとも指摘されている。この制度廃止と継続のあいだに漂う曖昧さは、まさに戦略不在の象徴だ。
政策目標が明確でないため、農家にとっては「いつ何が変わるかわからない」という不確実性が残る。農業は本来、数年単位で投資と回収を見据える長期産業であるにもかかわらず、目先の制度変更に振り回され続ける“短期農業”に矮小化されている。
■「守る政策」から「創る政策」へ移行できない制度文化
もう一つの深層的な問題は、日本型制度が基本的に「守る」ことを前提に設計されてきたという点である。価格を守る、農地を守る、流通慣行を守る──そのすべてが“現状維持のための制度”であり、“未来を創るための制度”や“攻めるための制度”ではない。
この「防衛的制度文化」の中では、新技術の導入も、流通構造の見直しも、根本的な生産構造改革も後回しにされる。例えば、スマート農機の普及率が他国と比較して著しく低いのも、技術そのものよりも「それを受け入れる制度・現場・補助金設計がない」ことが最大の障害と分析される。
■小選挙区制、農家とJAの組織票、自民党
これは、日本のコメ政策が単なる需給調整の問題や農業経済の問題ではなく、選挙制度、支持基盤、政党戦略が一体化した“構造的な政治問題”であることも示している。
コメ政策の本質は、小選挙区制、農家とJAという組織票、そして自民党の地域運営戦略によって支えられた三位一体構造にある。
特に、全国289ある小選挙区のうち、農村・地方において農業票の比重が相対的に高くなる「1人区」では、わずか数千票が議席の行方を左右する。
JAは、組織として選挙支援を行い、地元候補と“顔の見える関係”を持ちつつ投票動員を行う。候補者はその見返りとして、「農家を守る」「輸入反対」「減反廃止反対」などを明言せざるを得ない。政策の合理性よりも、「農家を守っている」というイメージと実利(補助金・価格維持策)の方が、自民党の当選戦略にとっては圧倒的に重要なのである。
■「誰もが責任を取りたくない構造」が戦略を殺す
日本の農政にはもう一つ深刻な構造的特徴がある。それは「責任の所在の不明瞭さ」だ。コメ政策一つとっても、農水省、都道府県、JA、自治体、政治家がそれぞれに影響力を持ち、利害が絡む。しかし、いざ何かが起きた時、「どこが設計責任を持っていたのか」がはっきりしない。だから、改革も進まず、問題が起きるたびに“次の担当者”へと先送りされていく。
戦略とは、本来「誰が・いつ・何を・なぜ実行するのか」を明確にする設計行為である。だが、誰も意思決定のリスクを取りたがらない制度空間では、“戦略”は最初から成立しえない。
■問われているのは「価格」ではなく「構造」である
今回のコメ問題は、価格だけの問題ではない。
今、必要なのは「米が安いか高いか」という議論ではなく、なぜこの程度の需要変動で混乱が起きるのか、なぜ市場が硬直的なのか、なぜ農家が自律的に動けないのか、という構造そのものへの問い直しである。
このように、制度の中で守られ・分断され・思考停止した農業構造において、最も根本的な打ち手は「大規模化」ではない。むしろ、どのような規模・地域・年齢・設備であっても成果を出せる仕組み=生産性向上の再設計こそが、本質的な戦略なのである。
現在の農政に求められているのは、“面積を拡大する”という旧来的な発想ではなく、「同じ面積で、より高く、より効率よく、より確実に生産する」ための構造的イノベーション=生産性向上である。
■なぜ「大規模化」ではなく「生産性向上」なのか
これまでの農政では、「規模拡大=効率化」という図式が語られがちだった。
確かに、大面積で一括管理し、機械化を進めれば、コスト削減と収量増は両立できるように見える。だが、それはあくまで“平野が広く、農地集約が可能で、労働人口が潤沢”という前提があって初めて成立する話である。
現実の日本はどうか?
中山間地が多く、零細農地が入り組み、農業従事者の平均年齢は67歳を超えている。農地の集約化も進まず、農業人口の絶対数は減少の一途をたどる。つまり、「面積を広げようにも、広げられない」構造がそこにある。そうであれば、唯一残された打ち手は明確である──今ある面積・人員・時間の中で、どれだけ多く・無駄なく・安定的に生産できるか=生産性の最大化である。
■「農機のアップル」に学ぶ3つの戦略施策
では、限られた条件下でも成果を最大化するために、日本の農政はどのような方向へ舵を切るべきか。
ここでは、私の過去記事<アメリカの製造業をなめてはいけない…「農機のアップル」が到達した日本人がまるで知らない未来の農業>で取り上げたジョンディア社の戦略を踏まえながら、3つの具体的施策を提示したい。
① 「農業OS化」──すべてを“見える化”し、つなぐ
ジョンディアの本質は、単なる高性能農機のメーカーではない。彼らの競争優位の中心にあるのは、“Operations Center(オペレーションセンター)”という統合クラウドプラットフォームである。これにより、作業工程・土壌状態・気象条件・投入資材・収量・機械稼働データがすべてリアルタイムで一元管理される。
日本でも同様の「農業OS化」が不可欠である。圃場ごとに作業履歴と収量を記録し、肥料の投入量や収穫時期をデータに基づいて最適化する。農家の経験や勘に頼るのではなく、科学と可視化によって“経営としての農業”を支援する制度への転換が急務である。
② 「共有化と自律化」──“持たずに最適運用する”新しい形
ジョンディアが進めるもう一つの革新は、“所有”から“利用”への移行である。AIトラクターや自動運転田植機を、個人農家が買い揃えるのではなく、地域単位で共同利用し、サブスクリプション型で“使う分だけ払う”モデルにシフトしている。
日本においても、農機の共同運用や圃場単位での成果主義的支援制度を導入すべきだろう。中山間地や小規模農家が多い日本では、農機のシェアリングこそが、スケーラブルな農業を可能にする実効的手段である。
③ 「UX設計」──“続けたくなる農業”へ
生産性を上げるには、“効率”と“判断の質”だけでは不十分だ。農業の継続性、すなわち「やる気が続く」「使いたくなる」「誇りが持てる」設計=体験の質(UX)こそが、中長期的な生産性を支える。
ジョンディアは、システム操作の簡便性、作業結果の視覚化、SNS共有機能、ゲーミフィケーション要素を取り入れ、“農業が感情的にも満足できる体験”になるよう設計されている。日本でも、若手・女性・高齢者のいずれにとっても「わかる・嬉しい・続けられる」アプリや仕組みの導入が求められる。日本の農業にもマーケティングの思想を定着させるのだ。
なお、詳細は、添付の「ジョンディア社の戦略から得られる、日本のコメ農政改革への7つの示唆と具体施策」をご覧いただきたい。
■「もう同じことは繰り返さない」
日本の米農政改革は、「大規模化」自体が目的化してはならない。「誰でも・どの地域でも・どの規模でも」生産性を高められる構造をつくることが本質である。その鍵は、“OS化(可視化)・共有化(自律化)・UX化(体験価値)”という3つの戦略軸である。
コメは単なる“主食”ではなく、この国の制度、構造、そして未来の象徴である。
「また同じことが起きた」と嘆く前に、「もう同じことは繰り返さない」と決めるべき時が来ている。
面積ではなく構造、補助金ではなく設計、規模ではなく仕組みへ──。
今こそ、“農政のOS”を再起動するときが到来しているのだ。
ジョンディア社の戦略から得られる、日本のコメ農政改革への7つの示唆と具体施策
① 【農業の“OS化”】:データに基づく圃場・作業・経営の可視化と最適化を国家主導で推進
示唆:ジョンディアは「トラクター=OS」という思想で、すべての農作業をセンサー+クラウドで可視化・分析し、経営全体を見える化している。
施策案:
→ 農水省主導で「全国圃場データ統合基盤(Japan Agro OS)」を構築し、農家ごとに圃場・作業・収量をリアルタイムで記録・分析できるクラウド環境を提供。
② 【小規模農家への“共創支援”】:機械の所有から“サービス利用”への移行を後押しする
示唆:ジョンディアはAI農機をSaaS・サブスク型で提供し、「機械を持たずとも利用できる農業UX」を実現している。
施策案:
→ 地方自治体やJA主導で「農機SaaS利用助成制度」を創設。小規模農家が高額なスマート農機を“共同利用”または“サブスクリプション”で導入できる枠組みを整備。
③ 【中核は“オペレーションセンター”】:個人農家ではなく“地域農場経営単位”の推進を
示唆:Operations Centerを核に、複数圃場・複数工程を一括管理する“農業経営OS”として機能している。
施策案:
→ 地域単位で「アグリ・マネジメント・コンソーシアム」を設立。農家が個々に動くのではなく、地域ごとに“農業経営支援センター”を設けて統合管理。
④ 【AI農機の“判断力”活用】:See & Spray技術を日本向けに導入・実証する
示唆:ジョンディアは画像認識AIで作物と雑草を識別し、農薬をピンポイント散布。コスト削減・環境対応・人手不足対応を同時実現。
施策案:
→ 国内農機メーカーとの連携で、日本仕様の「ピンポイント農薬散布AI農機」を開発・導入し、普及コストを国が助成。特に中山間地の小規模農家で実証展開。
⑤ 【農業を“接続するOS”に】:土壌・天候・物流・価格と連携する“エコシステム”の構築
示唆:ジョンディアはOperations Centerを開放型APIプラットフォームとし、農薬・肥料・物流業者・気象会社などと連携。
施策案:
→ 「Japan Agri API基盤」を創設し、気象庁・物流業者・農薬業界・JA・市場価格情報との相互接続を標準化。すべての作業・判断を1つのUIに集約。
⑥ 【UX=農業の“日常業務を制する”】:農業支援アプリを“LINEのように使いやすく”設計
示唆:ジョンディアは「情報アクセスUX」ではなく、「作業そのものに溶け込むUX」を設計。
施策案:
→ 「Agri Passport」アプリを農家1人1人に配布し、作業計画、天気、土壌、販売、補助金申請までを一元化。LINE並のUI/UXを目指し、農業デジタルリテラシー格差を解消。
⑦ 【国家OS化の覚悟を】:農政を“価格調整”から“生産性構造改革”へ
示唆:ジョンディアの根幹思想は「農業を支配するOSになる」ことであり、それは国家戦略と不可分。
施策案:
→ 日本の農政も「構造再設計」を明確に掲げ、「農業生産性中期戦略2030」を政府として策定。単なる補助金型から“支えるために構想する”国家OS設計型農政へと移行すべきである。
----------
田中 道昭(たなか・みちあき)
日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント
専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。
----------
(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)