※本稿は、大愚元勝『絶望から一歩踏み出すことば 大愚和尚の答え一問一答公式』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■何歳になっても「学歴」はつくれる
「大学くらい出ておくべきだった」
「本当ならもっとレベルの高い大学に行っているはずだった」
学歴コンプレックスの人から、けっこう相談が来ます。
まず知っておいてほしいのは、お釈迦様もキリスト様も、大学を出ていないということ。ミュージシャン、芸術家、起業家、経営者……、学歴がなくても歴史に名を残す人はいくらでもいます。
どうしても気になるなら、学歴なんていつでも、いくらでもつくれます。
福厳寺のお檀家さんのおばあちゃんで、娘さんが離婚し、孫を連れて帰ってきたという方がいました。シングルマザーとして働いていた娘さんは、やがて新たにいい人ができて、子どもを置いて出ていってしまった。そこで、おばあちゃんが孫の面倒を見ることになりました。
離婚した父親と会うこともなく、母親にも捨てられた孫が不憫で、おばあちゃんはなんとか孫を大学に入れたいと思いました。それがすべてではないにしろ、学歴があったほうがいいと思っていらしたんですね。
■孫と一緒に勉強し、早稲田大学に合格
しかし祖母の心、孫知らず。
そこでおばあちゃん、なんと自分も一緒に受験勉強を始めたんですよ。60代も終わりで長らく勉強から遠ざかっていた普通のおばあちゃんが、孫と図書館に通って必死で勉強なさった。
そして早稲田大学に合格したんです。学費の問題もありますから、おばあちゃんは合格しただけで大学には行きませんでしたが、お孫さんも別の大学に合格。今ではちゃんと就職して、立派に働いています。
私はこのおばあちゃんを見ていると、人生の本質を教えられる気がします。
学歴はいつでもつくれるし、そもそも学歴なんてどうでもいい。だって、結局大学に行かなかったおばあちゃんは高卒のままですが、どんな一流大学を出た人よりも素晴らしい方ですから。
■自分の実力が分からず「妄想」しているだけ
突き詰めれば、学歴コンプレックスの人の問題は、学校ではありません。
「本当ならもっと上の大学に行っているはずだった」というのは考え違いなんです。
今行っている学校はレベルの低い学校ではなく、その人の実力に合った学校です。
自分の実力を正確に把握していないという時点で、レベルが低いとも言えます。
厳しいことを言うと思うかもしれませんが、山にたとえてみましょう。
Tシャツと短パンとスニーカーで近所の山に登って、「俺はエベレストに登る。俺はこんな低レベルじゃない」と思っていたら、永遠にエベレストに登れません。
自分のレベルを認められない人は、「何が足りないか」すらわからない。
エベレストは、生半可な準備では登れません。必要なトレーニングや装備など、近所の山とは天と地ほど違います。
今の自分がいるところから、どうやって這い上がっていくか。これが本当の勉強なんです。これが人生にとって最大の研究テーマなんです。
自分の現在地も知らず、別の場所のことばかり考えているのは、ただの妄想です。
■「足るを知る」人こそ豊かになる
自分を知らない人は、見るものが何でも欲しくなる。限りなく欲がふくらみ、欲に振り回されて、本当になすべきことができません。
知足(ちそく)という仏教の言葉があります。足るを知る、つまり「すでに持っているものに目を向ければ満たされる」ということ。「知足第一富(だいいちのとみ)」という言葉もあり、「自分が十分満ち足りていることを知っている人こそ豊かになる」という意味です。
ここまで話すと、「それって現状に満足しろって意味ですか? もっと満たされたいという欲は悪いことなんですか?」という質問が出ます。
いやいや、全然そんなことではありません。それに、欲自体は悪いものではない。
なぜなら人間は、欲がなければ生きることはできないからです。生きるには食べ物が必要だし、健康に生きるには質の良い食べ物が必要です。食べ物を得るには、お金がいります。自給自足の生活を目指すにしても、畑の土地代も必要ですし、苗や種、肥料、収穫する道具だっていります。
■「満足」と「知足」は似て非なるもの
教育を受けるにもお金は必要で、この資本主義社会の仕組みの中でより良く生きていくためにはやっぱりお金が必要です。
健康や教育を求めるのも、悪いことではありません。また、欲しいものを得るための努力や工夫も、ちっとも悪いことじゃない。むしろ積極的にやっていいのです。問題は、「悪い欲」が巨大化すること。
日常的に私たちが使う言葉に「満足」がありますが、「満足」と「知足」は似て非なるものです。
満足とは、外から何かを得て満たされていくイメージ。しかし多くの人は、自分が外から得たいものが何なのか、実はよくわかっていません。だから他人が持っている「何か」を欲しがります。
たとえば、売れっ子芸能人のセレブな生活をテレビで見たら、「自分もあんな生活をしてみたい」と思う。優しい彼氏がいる友達を見たら、「自分もあんな彼氏がいたら幸せになれる」と思う。
でも、人が持っているものが、自分にも必要かといったら、必ずしもそうではないんです。
■自分に必要なものだけ求めればいい
背は低いけど、足腰が強いサッカー選手がいたとします。自分の強みを生かすために体幹のトレーニングに力を入れ、より活躍できるようになりました。
しかし隣にいる背が高いバスケットボール選手を見て、「もっと身長があればなぁ」と嘆くのは無駄です。
仮に奇跡が起きて背が伸びたとしても、今度は天才フィギュアスケーターを見て「あんな美しさが欲しい」と思うかもしれません。サッカー選手に美しさはいらないにもかかわらず。
まず、自分が持っているものを知ること。「私にはこういう良さがある」と認識し、「それは価値があることだ」と評価し、まずは足るを知る。
その上で、自分に本当に必要なものを求めていく。その欲は健全な「良い欲」ですし、努力しようという意欲にもつながります。
そうやって向上し続けていく喜びこそが、人生の豊かさなのです。
自分のことをよく知って、自分に必要なものだけを求めなさい。
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大愚 元勝(たいぐ・げんしょう)
佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表
空手家、セラピスト、社長、作家など複数の顔を持ち「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。
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(佛心宗大叢山福厳寺住職、(株)慈光グループ代表 大愚 元勝)