※本稿は、上村理絵『こうして、人は老いていく 衰えていく体との上手なつきあい方』(アスコム)の一部を再編集したものです。
■自宅での転倒で老化は一気に進む
私たちが常日頃行っているリハビリの大きな役割の1つが、転倒しにくい体をつくることです。
たかが転ぶことと思うかもしれませんが、それが「たかが」ですむのは若かったときの話です。高齢者にとっては、この事故は「肉体的な老化」の最終到着地である「寝たきり」への出発点となりかねない危険性をはらんでいます。
高齢者が転倒すると、骨が弱くなっていることもあり、骨折を起こす危険性があります。
高齢の場合、ケガからの改善に時間がかかるため、長い安静を強いられがちです。その結果、さらに体が衰えていき、寝たきりになってしまう……。
また、一度、転倒したことで、自分自身や周りが外出など動き回ることを制してしまい、活動量が減り、筋力が落ち、寝たきりに……。こういった話は非常によく耳にします。
さらに、転倒することで、より強烈に自分の体の老いを実感してしまったり、転ぶのが怖くて歩けなくなる「転倒恐怖症」になったりして活動する意欲を奪う、いわゆる「精神的な老化」を引き起こす可能性もあります。
消費者庁によると、2015(平成27)年4月から2020(令和2)年3月末までの5年間で、医療機関ネットワーク事業を通じて、65歳以上の高齢者が自宅で転倒したという事故情報が275件寄せられたそうです。
また、8割以上の方が、通院や入院が必要となるケガを負っていました。もちろん、これは氷山の一角にすぎず、自宅外での事故、通報されない事故を含めれば、おそらく件数はこの数十倍にも上るでしょう。
さらに、こんなデータもあります。
厚生労働省の「令和3年人口動態統計」では、高齢者の転倒・転落・墜落による死亡者数は9509人と発表されています。これは、交通事故の4倍以上の死亡者数です。この危険な転倒という事故は、どうして高齢者に起きやすいのか。そこには、体を転びやすくする見えない敵の存在があったのです。
■筋肉が弱まると姿勢を保てなくなる
筋肉は、どんなときに働いているか、ご存じですか?
歩いたり、走ったり、はたまた何かをつかみとろうとしたときなど、何か体を動かすときに働いている。確かに、その通りです。しかし、それだけではありません。実は今、あなたが本稿を読んでいる間も、ぼーっとしているときも、24時間、365日、筋肉は働いてくれています。
しかも、高齢者の体を転びやすい形に変形させてしまう見えない敵と戦ってくれているのです。
その敵とは、重力です。
人間の体には絶えず重力がかかっていますが、重力に押しつぶされないように体を保ってくれているのが筋肉です。
しかし、筋肉が弱ってくるにつれ、重力に負けて、直立不動の姿勢を保てなくなります。ただ、人間の体は非常によくできており、筋肉が衰えたら衰えたなりに立てるよう、自動的に姿勢を変えてバランスをとってくれます。
そして、図表1のような姿勢になるのです。
背中が丸まり、肩と頭が前に出て、その代わりに骨盤が後ろに倒れ、お尻が後ろに突き出て、膝を曲げた状態になります。
この状態を円背(えんばい)といいます。
■足だけを鍛えても転倒は防げない
街中で腰を曲げてシルバーカーを押しながら歩いている人を見かけたことはないでしょうか。その様子を思い浮かべていただくと、イメージしやすいかもしれません。この円背の状態になることが、転倒の大きな原因の1つです。
人間の頭の重さはどれぐらいかご存じですか。
台がまっすぐのときは、スイカは落ちないですよね。
しかし、それをほんのちょっとでも前側に傾けたら、どうでしょう。手を離せば、スイカもろとも前に倒れてしまいますよね。これと同じ理屈です。筋肉の衰えによって円背になり、重い頭が前方に傾けば傾くほど、人間は転倒しやすくなるというわけです。
筋肉が衰えれば、衰えるほど、腰は丸まり、頭はどんどん前方に傾いていくので、さらに転びやすくなります。
つまり、円背にならないよう、それをなるべく悪化させないようにすることが、転倒予防には大切です。そして、円背にならないためには、重力に負けないように、筋肉を鍛える必要があります。重力に負けないように働く筋肉のことを「抗重力筋」と呼びます。
具体的には、図表2のような筋肉になります。
転倒予防なのだから、足の筋肉を鍛えればよいのだろうと思われがちですが、全身にある抗重力筋を鍛えることが重要です。そのため、転倒予防のリハビリは、この抗重力筋を中心にアプローチをする全身のリハビリになります。
■必要なのは足の力ではなく、バランス感覚
「また、以前のように歩けるようになって、友だちに会いにいきたい」
「歩くのが遅くなってきて、不安。このまま歩けなくなったら、どうしよう」
私たちのリハビリ施設で改善や予防を一番多く望まれるのが、歩行に関することです。確かに、人生において、歩行は重要な役割を担っています。
歩行機能が衰えることで、買い物にいけなくなったり、トイレにすぐにいけなくなったり、生活をするうえでの不便さが増します。それだけでなく、大好きな趣味にいそしんだり、会いたい人に会ったりすることも難しくなってしまう。
歩けなくなることで、人生から楽しみがぐっと減ってしまうのではないか。そのような不安を抱えている方が非常に多いと感じます。では、歩行機能を改善するために大切なことは、何でしょうか。
それは、足の力をつけるというよりも、しっかりとバランスがとれる力を養うことです。
自分がゆっくりと歩く姿を、頭のなかでイメージしてみてください。右足を上げて、前に運んで、地面に着く。次は、左足を上げて、前に運んで、地面に着く。この足を上げた瞬間、片足立ちになっていることに気がつくでしょうか。
それまで2本の足で支えていた体重を1本の足で支えている。ここでバランスを崩し、片足立ちの時間を十分に保てず、ふらついて歩けなくなったり、足を前に運べずに歩幅が狭くなったりしてしまうのです。
■「イスから立ち上がるのがつらい」は危険なサイン
この足を上げた瞬間にバランスをとっているのが、図表3のイラストで紹介している腰方形筋と中殿筋という筋肉です。イラストが複雑になるので、さきほどは紹介していませんが、この2つの筋肉も抗重力筋の1つです。
これらの筋肉が普段の体の使い方や姿勢の悪さなどから弾力がなくなって縮んだり、筋力が低下したりすると、骨盤を水平に保てなくなります。うまくバランスをとれずに、ふらついて転倒することにもつながりかねないので、この2つの筋肉はしっかり鍛えておきましょう。
イスから立ち上がるのがつらい、立ち上がろうとするとバランスを崩す、何かを持たないと立ち上がれないなど、特に「肉体的な老化」が進んでいる方からは「立ち上がり」に関しての悩みがよく聞かれます。
立ち上がりがつらくなると、動くのがおっくうになるため、外出を控えるなど体を動かさなくなり、老化がさらに促進される恐れがあるのです。
そればかりではありません。立ち上がりができなくなったその先には、寝たきりが待っています。
■“ダメな立ち上がり方”で足腰は弱っていく
この立ち上がりに大切なのも、やはり抗重力筋です。抗重力筋の衰えから、円背になる。姿勢の悪化が、この立ち上がりを難しくしてしまう原因だからです。
図表4のイラストを見てください。これは、立ち上がりのときの動きを表したものです。
足を少し引いて、上半身が前傾姿勢になった状態で腰を浮かせ、最後にぐっと体を立たせています。これが、普通の立ち上がり方です。
ポイントは前傾姿勢になるところと、腰を浮かせる瞬間に骨盤が後ろに倒れていないところです。抗重力筋の衰えから円背が進んでしまうと、途端にこの2つのポイントが実践できなくなります。
ここで試しに、背中を丸めた状態のまま、立とうとしてみてください。転倒の危険があるので、無理はしないでくださいね。
いかがでしょうか。
何かをつかまないと、立つのが難しくはなかったですか。イスの手すりなどをつかまないと立てなくなるのは、肉体的な老化とともに、円背が進んでいる証拠です。
立てるのだからよいのではと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、立ち上がるのに手を使うようになると、それだけ立ち上がるのに必要な足腰の筋肉が衰えてしまいます。また、立ち上がろうと思ってつかまったものが固定されていなかった場合、バランスを崩して転倒するリスクもあります。
こうした理由からも、抗重力筋の衰えを予防・改善して、できるだけ正しい立ち方で立てるようになることは、とても大切なことなのです。
■普段から良い姿勢で座ることが大切
この立ち上がりに関して、抗重力筋を鍛えることのほかに、もう1つ、とても大切なことがあります。
それは、普段からよい姿勢で座ることです。背中を丸めて、骨盤が後ろに倒れた姿勢で座っているのがクセになると、骨格が歪んでしまい、円背が起きやすくなります。
ポイントは、図表5のように軽くあごを引いて、背筋ではなく腰をピンと伸ばして、骨盤を立たせて座るのを意識することと、足の裏をしっかりと地面につけることです。
最後によい座り方と悪い座り方を比較したイラスト(図表5)を紹介するので、ぜひ参考にしてみてください。
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上村 理絵(かみむら・りえ)
理学療法士
リタポンテ株式会社取締役。1974年生まれ。中京女子大学(現・至学館大学)卒業後、関西女子医療技術専門学校理学療法学科(現・関西福祉科学大学)を経て、理学療法士として活動。「理学療法士によるリハビリテーション」「日本で初めて介護保険分野で受けられるサービス」を世に誕生させた誠和医科学(現・ポシブル医科学株式会社)の創業を支援。同社退任後、リタポンテ株式会社の立ち上げに参画。著書に『こうして、人は老いていく 衰えていく体との上手なつきあい方』(アスコム)がある。
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(理学療法士 上村 理絵)