1.2kgの「重すぎるフライパン」がヒットして、長年ジリ貧だった町工場が黒字企業に生まれ変わった。開発したのは、愛知県の鋳物メーカー・石川鋳造。
リーマンショックで創業以来初の赤字に転落、廃業寸前まで追い込まれた中で生まれた「逆転のアイデア」で復活を遂げた。社員の給料アップまで実現した「再生の舞台裏」を、ビジネスライターの伊藤伸幸さんが取材した――。
■町工場から生まれた「鋳物のフライパン」
重くて高いにも関わらず、大人気のフライパンがあることをご存じだろうか。
商品名は「おもいのフライパン」。売れ筋の20cmサイズのもので、重さは1.2kgと一般的なフライパンの2倍以上であり、価格は1万2650円(税込) と5倍以上も高い。
にもかかわらず、「世界で一番お肉がおいしく焼けるフライパン」として、フライパンとしては異例の発売から7年で累計8万枚以上の販売を達成している。
美味しく焼ける理由は、鉄ではなく鋳物製だから。鋳物とは、溶かした金属(鉄、銅、アルミニウムなど)を鋳型に流し込んで造った器物。熱伝導が良く、蓄熱温度が高い。
この利点を最大限に活かすために、「おもいのフライパン」はあえて塗装されていない。それができるのも、塗装をしなくてもフライパンの表面をきれいに仕上げる独自の技術があるからだ。
このフライパンを開発したのは、愛知県碧南市の中小企業、石川鋳造。
80年以上の歴史を持つ老舗の鋳物メーカーだ。「おもいのフライパン」は現社長の石川鋼逸氏が逆転の発想から生み出した起死回生の商品だった。
■甲子園を諦め、父の会社を継ぐ
1972年、鋳物の有数の産地として知られる愛知県碧南市に生まれた石川氏は、野球が大好きな少年だった。小学校から大学まで野球漬けの毎日を過ごし、大学卒業後は母校の碧南高校の監督に就任した。監督時代には県大会でベスト4まで進出させたこともある。
あと少しで甲子園に手が届くところまで来ていた石川氏だったが、2001年8月、30歳のときに家業の石川鋳造に入社することになる。「30歳までは好きなことをしてもいいが、30歳になったら家業を継ぐ」と父親と約束していたからだ。
小さい頃からの夢だった甲子園を諦めることに対して未練はなかったか。
「約束していたこととはいえ、やはり未練はありましたよ。通算で7年間監督をやりましたが、最後の4年間は本当に選手層が充実していました。1年だけは元中日の朝倉選手がいた東邦に4回戦で当たってしまい負けましたが、その年以外は毎年ベスト8以上まで進出していたのです。良い選手がたくさん集まっていたので、あと2、3年やったら確実に甲子園に行けるんじゃないかと思っていました。
だから余計辞めたくなかったですね」
入社した直後は甲子園への夢を諦めきれず、1年間は仕事に身が入らなかった。しかし、仕事に取り組んでいくうちに、鋳物業の仕事を面白く思えるようになった。
■リーマンショックで創業以来初の赤字に転落
工場での仕事と経理の業務をそれぞれ1年ずつ経験したのち、入社3年目の2004年、石川鋳造の4代目社長に就任した。順調な船出であったが、2008年に起きたリーマンショックが同社を直撃することになる。
主力製品だった「アルミ用鋳鉄ルツボ」(※)の売上は最盛期の3分の1にまで落ち込んだ。売上が安定していたバルブなどの水道部品も減少。その結果、創業以降初めての赤字を計上した。
※ルツボ:高熱を利用して物質の溶融などを行う際に用いられる耐熱性の容器のこと。様々なものが混ざっている状態のたとえとしても用いられる。
「赤字を出したことで、父親からひどく叱られました。しかし、10年や20年の周期で考えれば、必ずこういった大きな出来事が起きます。事実、その後も新型コロナが発生しています。
だから時代の流れや景気に左右されないものを造らなければいけないと真剣に考えるようになりました」
同社の収益は、水道関連の製品だけでは赤字だが、利益率の高い自動車関連の製品でこれを補填する構造になっていた。
「アルミ用鋳鉄ルツボ」に代表される自動車関連の製品は利益率が高かったが、景気の影響に大きく左右される。一方で水道関連の下請けの仕事は景気変動の影響は比較的少ないが、価格競争は厳しく、利益はほとんど出ていなかった。
■あえて「安い下請け」を断る
新商品開発の必要性を痛感した石川氏だったが、まずは止血が最優先だった。
それまではとにかく仕事量を確保するために、安い価格でも下請けの仕事を受注していたが、リーマンショックを契機にこれをやめた。価格の安い下請けの仕事は思い切って断り、適正な利益を出せる仕事だけを受けるようにした。
この決断によって会社としての受注量は減ってさらに苦しい状況が続いた。当然社員の昇給もできず、ボーナスも減らさざるを得ない。社内の雰囲気も暗く、社員全員が会社の先行きに不安を感じていた。先代社長である父親との口論が絶えなかった。社員に対する申し訳ない気持ちと自分自身に対する情けない気持ちが交錯し、眠れない日々を過ごしていた。
そんな地獄の日々を、石川氏はとにかく我慢するしかなかった。
2年間耐え続けた結果、ようやく自動車関連の受注が回復する。ついに利益が出るようになり、赤字を抜けた。
「リーマンショックの頃は本当につらかったですが、結果的に会社の体質を大きく変えることができました。リーマンショックが無かったら、恐らく今でも安い受注案件を続けていたと思います」
■「会社が潰れるかも…」変わらないジリ貧の構造
荒療治によって会社の収益構造を強くすることができた。しかし、本質的な課題は解決していなかった。
水道関連の仕事は安定していたが、国の予算の減少により売上は徐々に減っていた。自動車関連の自社製品もEV化の進展で減少していく恐れが高い。そしてリーマンショックのような危機がまたいつ来るかわからない。
「今のままの状況が続けば、数年後には会社が潰れてしまうかもしれない…」
以前から新規事業の必要性は感じていたが、そのためには膨大な費用と時間が必要になる。だから、石川氏はなかなか行動に移せないでいた。
残された時間はもう少ない。「今やるしかない!」と石川氏は腹をくくった。

2008年、若手を中心とした新商品開発のプロジェクトチームが発足した。頑丈で熱伝導性が高い鋳物の特性を活かした新商品案として持ち上がったのが、フライパンだった。
■二番煎じになってしまう…社長の迷い
しかし、プロジェクトは必ずしも順調とは言えなかった。チーム発足から1年後には、一時中断。調査を進めていく中で、すでに同業他社から鋳物製のフライパンが発売されていることがわかったからだ。
今から同じ鋳物でフライパンを作っても結局二番煎じになってしまう。このまま進めてもきっとうまくいかないだろう――。石川氏は諦めかけていた。
そんな迷いを断ち切る出来事が起きる。自社製の鋳物鍋で急成長していた企業の経営者と話す機会があり、石川氏は率直に疑問をぶつけてみた。
「御社の製品は海外メーカーの類似品ではないですかと聞いてみました。そうしたら『似ているように見えるかもしれないが、これは私たちの技術を駆使した全く別の商品だ』と言われたのです。
その言葉で目が覚めました。同じ鋳物のフライパンでも、自分たちの技術で全く新しいフライパンを作ればいいのだと」
自社の技術を活かしたオリジナルのフライパンを目指し、チームは再び動き出した。その中で、石川氏の少年時代の思い出がフライパン開発のヒントとなった。
父親がよく連れていってくれた馴染みの鉄板焼き店の肉は美味しいのに、自宅で食べる肉はなぜかそこまでは美味しくない。その理由を調べ続けた結果、鉄板の厚さの違いであることに気づく。鉄板が分厚いと熱伝導性が良くなり蓄熱温度が高くなるので、より美味しく焼けることがわかった。
■1000枚の試作品と1000万円の開発費
こうして、肉をおいしく焼くことだけに特化したフライパンの開発が始まった。重くなるのは承知で極限まで分厚くし、鋳物の熱伝導性を損なわないようにするために無塗装にすることにした。しかし、その過程は順調とは言えなかった。
フライパンを造るだけなら半年もかからない。しかし、世界一肉をおいしく焼けるフライパンを造ろうとすると、やらなければならないことが山ほど出てくる。商品開発を進めていくと色々とこだわりたい部分が出てくる。
「取っ手が熱くならないようにするためにはどうしたらいいか」

「フライパンを持ったときに少しでも軽く感じてもらえるような設計はできないか」

「無塗装にするのなら今のままではだめだからどうしたらいいか」

「熱処理をかける必要があるのか」
他社の鋳物製のフライパンは軽量化を重視し、底面の厚みが1.5mm程度のものが多い。しかし、肉をおいしく焼くことを最重視した石川氏は、女性でも持てるギリギリの重さとして4mmにすることを決めた。
フライパンを持ったときに少しでも軽く感じてもらえるよう、持ち手部分の形状を何度も変更。ここに穴をあけて軽量化することにした。
さらに他社製品を購入し調査を続けていく中で、他社のフライパンに共通する問題があることがわかった。
重心バランスの関係で手に持ったときにフライパンが前に下がる。そうなると実際の重さよりも、より重く感じてしまう。だから手に持った際に重心が手前になるように取手の角度を、1mm単位で変えながら何度も繰り返し変更した。
こうした結果、ついに最適な角度を見つけることができた。試作品の数は1000枚を超え、開発費は1000万円を超えていた。
結局、納得のいくフライパンが完成したのは2017年。プロジェクトチームが立ち上がってから10年を要した。なぜ長い年月を費やしたのか。それは、技術力がなかったからではなく、自分たちが本当に納得できるものを造りたかったからだという。
利益を全く生み出さない状況で、10年も構想や試作を続けられたのは、これまでに先代たちが残してくれた貯えがあったからだ。多少のゆとりがあったから何とかプロジェクトを続けることができた。もし会社の経営が厳しくなってから始めていたら、恐らく2、3年で中途半端なものを出して失敗していたと石川氏は話す。
■「中途半端なものは出したくない」
「商品開発は一切妥協しませんでした。それでも理想の商品に近づけないとつらくなって妥協しようと思ったことが何度もあります。しかし『こんな中途半端なものは出したくないから、もう少しこだわって続けましょう』と、社員たちが言ってくれたのです」
社員たちの努力の甲斐もあってようやく納得のいくフライパンが完成したが、まだ大きな関門が残っていた。それは、同じ品質の製品を安定して生産する方法。温度や湿度などの環境条件によってどうしてもバラツキが出てしまうのが課題として残っていた。
鋳物は砂型の中に鉄の液体を流し込んで作る。その砂型にたどりつくまでの液体の流れ方が非常に重要になる。流し込む際の鉄の温度も製品の質を左右する。製造過程の様々な要因が絡み合うため、前日に100枚綺麗に作れたとしても翌日は全然うまくいかないケースもあった。
そこからはとにかくデータを集めてテストを続けていった。流し込む鉄の温度やスピード、流路など、考えられる要素をデータに基づき調整を繰り返した。
■最後の難関
量産化のメドが立っても、石川氏にはまだ気がかりな点が残っていた。商品としては十分に納得できるものの、使い勝手の部分でまだ改善の余地があった。
肉をおいしく焼くためにあえて無塗装にしたが、その代償として"錆びやすい"という問題が残っていた。手入れをすればある程度は防ぐことができるが、ユーザーにはどうしても手間がかかる。長く使ってもらうためには"錆びにくい"フライパンが不可欠だと感じていた。
「ここまで来たらもうやるしかないと思いました。せっかくフライパンを買っていただいても、手入れの手間が面倒で使わなくなってしまったら意味がありません。熱処理加工することで作業工数が大幅に増えてしまいますが、それだけの価値があると思ったのです」
熱処理加工とは、鋳造したフライパンを窯に入れて焼くことを指す。高温になったフライパンを冷ます工程を加えることで耐久性が増し、油が浸透しやすい表面に変えることができる。熱処理の温度と時間によってその効果も変わる。石川氏はここでも熱処理を繰り返し、不安要素を潰していった。
「本当に最後の最後まで、考えられる不安要素を一つ一つ潰していきました。振り返ってみると、高校野球の監督時代に取り組んでいた『勝つための練習』と同じことをしていたんです。当時はいろんなことをシミュレーションして、勝つための確率を上げる練習をしようと選手たちに話していました。バッティング練習もヒットになる確率を高めるためにはどうしたらいいかを工夫して取り組んでいたのです。最終的にはここまでできれば大丈夫だと判断して発売に踏み切りました」
フライパンの熱処理加工のために、300万円かけて専用の装置を作った。決して安い投資ではないが、理想のフライパンには必要だった。
■本当に売れるのか、心配だった
2017年12月、ついにフライパンを発売した。やるべきことは全てやったが、本当に売れるのか。石川氏の不安は大きかった。
しかし、それは杞憂に終わる。口コミが広がりフライパンは順調に売れた。販売直後に碧南市のふるさと納税の返礼品に採用されたこともあり、一気に人気が広まった。一時は入荷まで3年待ちの状態になったこともある。
「おもいのフライパン」がヒットした一番の要因は、世の中にないものを造ることができたからだと石川氏は考えている。
実際にフライパンを造ると決めてから、あらゆるフライパンを調査したそうだ。そうしたらほとんどの顧客は軽さや価格を基準に購入を決めていることがわかった。しかし、本当に肉をおいしく焼けるフライパンがあれば、重くても値段が高くても買いたいと思う人が必ずいるはずだと考えた。
「おいしい肉を食べられるなら他のことに目をつぶってくれる消費者が、100人に1人くらいはいるだろうと思ったのです。たったの1%ですが、それでも世帯数にすると55万世帯くらいにはなるのです。売上が年間10億円程度の当社の規模からすれば、十分すぎるマーケットだと判断しました」
■「何も知らない」が強みに、社内に変化も
このような真逆の発想ができたのも、高校野球の監督時代の経験が大きいと石川氏は考えている。
一般的に中小企業では、後継者は学校を卒業したらすぐに親の会社に入るか、もしくは他社で修行を積んでから入社することが多い。しかし、石川氏は「高校教師、野球部監督」という全くの異分野から入社したのだ。
「入社したての頃は、『何も知らないから』という理由で、古参の社員から馬鹿にされることもありました。それでも知らなかったからこそ、これまでのやり方に対して『なぜ?どうして?』と純粋に疑問に思うことができたのです。従来の考え方にとらわれなかったからこそ新商品の開発に取り組むことができたし、その結果がフライパンの商品化に繋がったのだと思います」
「おもいのフライパン」が大ヒットしたことで、社員にも大きな変化が起きた。鋳物業は典型的な3K(きつい、汚い、危険)の職場であるため、それまでは石川鋳造の社員であることを隠している社員が多かった。
ところが発売後は、逆に石川鋳造の社員であることに誇りを感じてもらえるようになったという。
石川氏が社員の変化を感じた出来事がある。社員全員で慰安旅行に行った際に、一人の社員が「おもいのフライパン」のロゴが入ったパーカーを着て来たことだ。
「そのときにやっと社員が胸を張ってくれる会社に変わることができたと思いました。本当に嬉しかったですね」
■「下請けだけの工場」からの脱皮で給料アップ
フライパンがヒットしたおかげで、2018年には臨時のボーナスを出すことができた。
さらに、従来からの下請けの仕事とフライパンの両方で利益を出せるようになり、会社の経営も安定するようになった。石川氏は今年4月、社員の給料アップに踏み切った。最大で15%の昇給になった社員もいたという。
現在、同社では不良率低減の活動を進めているが、目標を達成すればその部分は社員に還元することを決めている。例えば10トン分の目標値を達成した場合、1キロあたり400円で換算すると400万円だ。この400万円を社員全員に分配することになるが、それでも不良が原因で莫大な損失を出すこと考えれば大した金額ではないと石川氏は考えている。
社員だけでなく新入社員の初任給も上げることができるようになった。約20%アップさせたことで、近隣地域の中小製造業の平均よりも3万円程度高い水準になった。このため「おもいのフライパン」による知名度の向上もあり、ここ数年で志望者が増えてきている。
「野球の監督時代と同じ戦法ですね。強豪校に勝つためには、高校の3年間だけで選手を鍛えようとしても間に合いません。だから、最初に有望な選手を獲得した上で、しっかりと鍛え上げて強豪校と勝負する。基本的には会社における組織づくりもこれと同じです。いい人材を集めるために施策を打って、その後でしっかりと育成する。その原資はフライパンで生み出した利益から捻出しています。月に3万円くらい余分に払ったとしても、年間で36万円です。これで優秀な人材が獲得できるのであれば安いものです」
■重いフライパンに更なる付加価値を
石川氏には以前からこだわっていることが二つある。一つは、これからも無塗装の調理器具を作り続けることだ。これまでは肉に特化した調理器具を作っていたので、結果的に非常に重いものになってしまった。しかし、その一方で重さをプラスに変えることができる調理器具があるのではないかと考えている。
「逆に『重いほうがいい、重くなくちゃいけない調理器具だって世の中にひとつくらいはあるんじゃないか』っていつも考えています。鋳物の特長である重さを最大限に活かした調理器具の開発をこれからも続けていきたいですね」
そして、もう一つは和牛とフライパンをセットにして海外に販売することだ。
「メイドインジャパンの二つの良いものを揃えて海外に販売していく。もちろんハードルはものすごく高いですよ。だけど、日本にある本当に美味しい食材と人気の調理器具を世界中の人に広めていきたい。私が考えている究極の目標です」
鋳物は水道管の部品、自動車の部品、電車の車台など、生活の基盤を支える重要な製品に数多く使われている。しかし、目に触れる機会が少ないため、一般の人にその存在がほとんど知られていないのが実情だ。石川鋳造には近隣の小学校から工場見学に来ることが多いが、地元であっても鋳物のことを知らない子供が多い。
「子供たちに鋳物って知ってますかと質問すると、『おいもの工場!』ってみんな答えるんです(笑)。でも、鋳物って本当にいいものなんですよ。だから、鋳物の存在をもっと多くの人に知ってもらいたいし、鋳物産業を活性化させるためにどうしたらいいかをいつも考えています。そのためにも、身近な製品であるフライパンを通じて鋳物の魅力を発信していきたいですね」

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伊藤 伸幸(いとう・のぶゆき)

中小企業診断士、ビジネスライター

1966年愛知県生まれ。関西大学社会学部卒。新卒で精密機器メーカーに就職し、営業職を経験後、商品企画、経営企画、事業企画など30年近く企画系の業務に従事。中小企業診断士の資格取得後は、経営ビジョン・戦略策定、重点施策管理、提案書作成など、企業が成長していくために必要となる一連の言語化作業のサポートを中心に活動している。得意分野は事業戦略、方針管理、マーケティング、ビジネスライティング全般。

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(中小企業診断士、ビジネスライター 伊藤 伸幸)
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