老後のお金のリスクを最小化するためにはどうしたらいいのか。リクルートワークス研究所研究員の坂本貴志さんは「老後資金について語るとき、多くの人が貯蓄(ストック)に注目する。
しかし、貯蓄よりも収入(フロー)を増やすことが重要だ。本稿ではデータを用いてその理由を説明しよう」という――。
※本稿は、坂本貴志『月10万円稼いで豊かに暮らす 定年後の仕事図鑑』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。
■60代・70代の純貯蓄額の平均値は約2000万円
老後資金のことを語るとき、多くの人が貯蓄(ストック)に注目する。「老後2000万円問題」などはその典型である。
総務省の「家計調査」によると、60代・70代の純貯蓄額(貯蓄から負債を引いた額)の平均値は約2000万円。平均値は極端に高い層に引っ張られるため、より多くの人に当てはまる中央値をみると約1500万円となっている。
しかし、様々なデータを分析すると、実は60代と70代で純貯蓄額はあまり変わらない様子も見て取れる。このことから、多くの世帯は貯金をあまり取り崩すことなしに生活を送っていると思われる。
人生100年時代と言われて久しい中、日本人男性の平均寿命は81.41歳、日本人女性の平均寿命は87.09歳まで延伸している。
60歳まで生きた人に限れば寿命の期待値はさらに高まり、男性は83.68歳まで、女性は88.91歳まで生きることが予想される(※)。
(※)厚生労働省令和5年簡易生命表
自分が何歳まで生きるかは不確実性が高く、老後に備えお金を貯め込んではきたものの、怖くて使えないという人も多いと考えられる。

■定年後は貯蓄よりも定期的に入ってくる収入が重要
残された寿命が長く、しかもいつまでかわからない……この状況で、お金のリスクを最小化するためにはどうすべきか。
その観点で言えば、「ストック=貯蓄」もさることながら「フロー=定期的に入ってくる収入」を増やすことが最も重要だ。
毎月定期的に入ってくる収入さえしっかりあれば、日々の生活には困らないし、多額の貯金は必ずしも必要ない。本書で後述するが、高齢期は現役世代と比べて大きく支出が減る。
フローである程度の収入が見込まれるのであれば、貯金がそれほど多くない水準であっても、現在の高齢世帯が送っている平均的な暮らしを送れると考えられる。
もちろん目指す生活水準によっても異なるが、もし貯金が数百万円ほどであっても、健康状態が悪化するまでの期間、毎月小さく稼ぎ続けることができれば問題ないだろう。
■65歳以降の定期収入の中心は「公的年金」
老後に漠然と不安を抱いている人は多いが、意外と毎月のフロー、つまり「収入」と「支出」がいくらになるのかを把握している人は少ない。
本書では1人あたり「月10万円を無理なく稼ぐ」ことを定年後の仕事のベンチマークとして用いている。夫婦ともに働く場合であれば、世帯で月20万円程度稼ぐというところをひとつの目標としたい。
65歳以降のフロー=定期収入の中心は「公的年金」である。
年金の支給額については、厚生労働省がモデル世帯の厚生年金保険新規裁定者の支給月額を毎年公表している。新規裁定者というのは新しく年金をもらい始める人のことで、モデル世帯とは妻が専業主婦、夫は会社員で継続的に厚生年金保険を支払っている家庭を指す。

このモデル世帯をみると、2024年の年金支給額は約23万円。年金は物価に応じて変動するので、足元の物価上昇に伴って名目額は増えているが、実質年金支給額は過去から

抑制されている。
最近の女性の労働参加の拡大や資産価格の高騰などで年金財政の健全性自体は保たれているものの、2010年代から年金支給の実質額は減少傾向にあり、今後も長期的には減っていくと見られる。
■公的年金の支給額の決まり方
公的年金の支給額は、
・自身が現役時代にどのような働き方をしていたか(厚生年金保険の対象となる会社員か、国民年金のみの自営業か)

・自身の現役時代の収入がいくらだったか(厚生年金の平均報酬月額がいくらか)

・配偶者が雇用されて働いていたか。またその収入はどの程度だったか
によって支給額の水準が大きく変わる。
下記の図表3は正社員中心で働いていた場合と自営業中心で働いていた場合の年金受給額の分布を示したもの。
正社員中心で働いていた男性では1人あたり月20万円ほどもらえる割合が最も高くなっている。一方、自営業中心で働いている場合は、約半数の人の年金受給額が月4~8万円程度という水準だ。
自営業は元々の制度の建て付けとして、農業等を典型として長く働けることが前提となっている。そのため、定年制のあるサラリーマンと違い、現役時代の年金保険料が少ない代わりに、定年後のフローが保証されるような仕組みになっていないのが現状である。
■定年後の収入(フロー)を増やす戦略
男女別に見ると、女性も雇用されて働いていた方が年金の受け取り額が多くなるが、正社員中心で働いていた場合でも月10万円程度で、男性より年金額が低くなっている。
女性の場合は標準報酬月額がもともと少なかったり、キャリアの途中で退職した時期や雇用形態が変わった時期があることなどが年金額が少ない原因となっている。

もっとも、この図表は現在高齢の人のデータを取っているため、女性の社会進出が進んでいる現役世代においては、女性のグラフがより男性のグラフに近づくと考えられる。
年金支給額は自身や配偶者の現役時代の働き方によることになる。定年後の家計の戦略としてまず第一に考えてほしいのは、厚生年金の加入期間をできるだけ長くして老後の年金の受給額を増やすということだ。
定年後も厚生年金に加入し続ければ、いざ年金をもらうときの年金額は大きく増える。「できるだけ長く会社で雇用されて働きながら、将来の年金の額を増やす」――これが、定年後のお金についての重要な戦略になるのである。
さらに、第二の戦略として考えておきたいのは、特に年金の支給額が少ない人については、可能な範囲で年金の繰下げ受給をして、フローの収入を増やすということだ。年金を65歳で受け取らず、66~75歳に繰下げて受給した場合、繰下げた年月に応じて支給額が増額される。
年金支給額は、1カ月繰下げるごとに0.7%ずつ増える。例えば70歳まで繰下げた場合は42%の増額、75歳まで繰下げた場合は84%の増額となる。現実的に75歳までに繰下げをするというのは難しいが、繰下げ受給ができる環境にあるのであれば、積極的に考えたい選択肢だ。
■年金の受給見込み額は早めに確認しておこう
先述のとおり多くの人にとって、自身の死期の予想は難しい。このため年金を受け取らずにやっていける期間は、仕事から得られる収入や現在の預貯金を日々の家計支出に優先的に充当し、年金の受給は後に取っておくということも検討をしたい。

高齢期のリスクに対応するためには、健康状態が悪化し、働けなくなったいざというときに向けて、年金のフローをしっかり確保することが重要である。
もちろん年金の繰下げ受給を選択した後に早く亡くなってしまった場合は損をすることになるが、どちらを取るかを考えたとき、リスクを減らすためにはフローを増やす価値は大きい。
自分が年金をいくらもらえるのかは、ねんきん定期便や厚生労働省の公的年金シミュレーターで確認することができる。これからの働き方を決めるうえでも、年金の受給見込み額はだれしも必ず確認しておきたい。
■【2人以上世帯】65~74歳の月平均支出は33.4万円
もらえる年金額がわかった。では、定年後の月の「支出」はいくらになるのだろうか。図表5は総務省「家計調査」から、2人以上世帯のひと月あたりの平均収支額を示したものだ(※65歳以降は無職世帯のデータ)。
・50~59歳

・60~64歳

・65~74歳

・75歳以降
の4つに分けて「夫婦2人の平均的な家計簿」を見ていこう。
【支出】月平均33.4万円(65~74歳)
月の「総支出額」をみると、50~59歳で56.4万円とピークを打った後に60代前半から60代後半にかけて大幅に減り、75歳以降は27万円にまで減少することがわかる。
内訳として、最も減少幅が大きいのは「税・社会保険料」。50代で月平均14.4万円だったものが60代後半で月3.9万円に、70代後半で月3万円にまで減少。所得税や住民税、医療の保険料がゼロまたは大幅減となり、年金保険料も払う側から受け取る側へと回ることで、家計の負担はずいぶん減る。

さらに、50代には負担が大きかった「教育費」も60代後半でゼロに転じ、「住宅費」も75歳を過ぎると月1.6万円にまで減少する。
■約3~7万円の労働収入で生活することは可能
【収入】月平均26.5万円(65~74歳)
勤労収入は、50~59歳で夫婦合わせて66.4万円が平均額だが、60~64歳で44.4万円まで下がる。このデータは65歳以上については無職世帯のデータを取っている。このため、65歳以上は勤労収入はゼロ。年金や民間の保険による収入が65~74歳で月平均26.5万円、75歳以降は月平均23.8万円となっている。
つまり、65歳で年金暮らしになると、月の収支は約3~7万円の赤字になる(なお、単身世帯になると家計は赤字にはならず、黒字が維持される結果となっている)。
この赤字を補うのが「定年後の仕事で稼ぐ10万円」だ。単身の方であれば自身で、夫婦二人世帯であれば二人それぞれで無理なく労働収入を得ることができれば、年金が少なくても生活することも可能だし、年金を受け取っているのであれば貯蓄を積み増しながら生活することができる。

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坂本 貴志(さかもと・たかし)

リクルートワークス研究所研究員/アナリスト

1985年生まれ。一橋大学国際公共政策大学院公共経済専攻修了。厚生労働省にて社会保障制度の企画立案業務などに従事した後、内閣府で官庁エコノミストとして「経済財政白書」の執筆などを担当。その後三菱総合研究所エコノミストを経て、現職。
著書に『統計で考える働き方の未来 高齢者が働き続ける国へ』(ちくま新書)、『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』(講談社現代新書)、『「働き手不足1100万人」の衝撃』(プレジデント社)など。

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(リクルートワークス研究所研究員/アナリスト 坂本 貴志)
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