※本稿は、毎日新聞取材班『出生前検査を考えたら読む本』(新潮社)から一部抜粋・再編集したものです。
■40代夫婦が受けた「遺伝カウンセリング」の中身
出生前検査を受けたカップルは、結果次第で妊娠を続けるかどうかという難しい決断を迫られる。正確な知識を得た上で少しでも冷静に意思決定してもらおうと、医療機関が検査前から遺伝カウンセリングを実施している。中絶方法などを伝え、時には重苦しい雰囲気になることもある。私たちは、ある夫婦が受けたカウンセリングに同行した。
2022年5月、私たちは日本医科大学付属病院(東京都文京区)を訪ねた。医局のインターフォンを押してから数分後、「お待たせしました」と、白衣姿の川端伊久乃医師が現れた。
川端医師は産婦人科医であり、大学の准教授(取材時は講師)も務めている。臨床遺伝専門医の資格をもち、出生前検査の遺伝カウンセリングを担当していた。私たちが、NIPTの遺伝カウンセリングの様子を取材したいと申し込むと、川端医師は、相談者の特定に至らないよう匿名記事にすることを条件に協力してくれた。
川端医師に案内され、エレベーターに乗った。
■医師「年齢的に受けたほうがいいよ」
ソファーには、落ち着いた雰囲気の夫婦が座っていた。私たちに顔を向け、会釈する。東京都内に住む妻(43歳)と夫(43歳)で、あらかじめ川端医師を通じて取材の許可を得ていた。
夫婦と向かい合うように、川端医師と病院の遺伝カウンセラーが腰掛けた。新型コロナウイルス感染症への対策が強化されていた時期で、4人ともマスクを着けており、表情は読み取りにくい。
「体調大丈夫? 午前中は赤ちゃんを見せてもらって元気そうで良かったです」
川端医師が笑顔で語り掛けると、夫婦は緊張気味にうなずいた。遺伝カウンセリングに先立って、通常の産科の診察を行い、母子の健康状態を確認していた。
妻は第2子を妊娠したばかりだった。第1子の出産では出生前検査を受けておらず、もともとNIPTのことを知らなかった。
■調べられるのは「3項目」の病気
その話を聞いた川端医師は、
「NIPTは赤ちゃんの病気の一部がわかる検査であって、全部の病気がわかるわけではないからね」
と前置きして、手元のファイルをめくる。「染色体・遺伝子・DNA・タンパクの関係」というタイトルのページで手を止め、夫婦の前に差し出した。
細胞と染色体の構造の説明から始まり、染色体の変化で生まれつきの病気になること、NIPTで調べるのはダウン症候群など3項目であること。
日本の高校は「生物」が必修でなく、遺伝子やDNAの基礎知識を持っている人が少ない。川端医師は遺伝カウンセリングで、一般の人にも理解してもらえるように、なるべく平易な言葉で、わかりやすく伝えることを心掛けているという。さらに、ダウン症候群の当事者の発育上の特徴と、成人になった後の生活状況、NIPTの仕組みと検査の流れと、解説は続いていった。
■「万が一、陽性だったら」
「一個だけちょっと嫌な話をするんだけど」
開始から20分ほど経った頃、川端医師が切り出した。
「陰性だったらこの三つの病気については大丈夫だよってことで良いと思いますけど、万が一、陽性だったときは羊水検査をお願いするかたちになります」
「(NIPTで陽性と出てから)羊水検査まで4週間かかるから、思い悩んじゃうかもしれない。妊娠16週で検査させてもらって、結果が出るのに2、3週間かかってしまう。(今から)2カ月ぐらいもんもんと過ごすことになります」
妻はこの時、妊娠10週と4日だった。もしNIPTで何らかの項目が陽性となり、羊水検査を受けて結果が確定する頃には、妊娠18~19週になっているという計算になる。
■中絶を選択する前にできること
「もちろん、その間にわかることは、希望に応じてきちんとお伝えします。例えば、『小児科の先生の話を聞きたい』ということでしたら、つなげることもできます。『実際にダウン症のお子さんを育てている方に話を聞きたい』ということであれば、ご紹介できます。『一切話を聞きたくない』という方もいらっしゃるので、ニーズに応じた対応をしていきます」
妻はひざの上で手を強く握りしめながら、じっと耳を傾けている。
川端医師は続けた。
「その上で妊娠を継続するのか、中断(人工妊娠中絶)するのかについてお話をしなければいけません。ご夫婦で赤ちゃんのことを考えた上で、中断の選択肢は『あり』だと思っています」
「ただ、妊娠19週くらいだと、(赤ちゃんの)胎動が結構出てきます。妊娠初期(の中絶)みたいに、麻酔をかけている間に、知らないうちに中断(中絶)ということができない。3泊4日で入院し、2日間くらいかけて子宮の出口を開いて、ご出産というかたちを取らざるを得ないんですね。そこがトラウマになったり、次の妊娠に影響したりするかもしれません。実際に陽性になった後では頭に入らないと思うので、検査前に必ずお伝えしています」
■夫婦のホンネ
すると、川端医師の隣に座る病院の遺伝カウンセラーが、夫婦に尋ねた。
「その辺について話し合いをされてますか」
「何もしてないです」
夫が早口で答える。
「ご夫婦でお話しされて一致していたら、それがその時点でのベストですかね」
と重ねる遺伝カウンセラー。妻は細い声でつぶやいた。
「もしもの時は……という話はちょっとしていて……中断かな……って」
実は、夫婦の頭の中には、中絶の選択肢があった。
重苦しい空気が漂う。川端医師は肯定も否定もせず、フォローした。
「決めていただいたことを最大限サポートしております。それは全然間違いだということはありません」
一通りの説明を終えて、川端医師がNIPTを受けるかどうか確認する。妻は「はい」と即答しつつ、ふと疑問に思ったことを口にした。
「羊水検査をしないで、NIPTの結果だけで判断する人もいるんですか」
妻は頭の中で、羊水検査で調べ直しても結果は変わらないのではないか、もし中絶をするなら早い方が負担は軽いだろう、と思い浮かべていたようだ。
川端医師はすかさず否定した。
「基本的にそれはしないです」
NIPTでは、誤って陽性と出る「偽陽性」が一定割合で出る。羊水検査をしなければ、本当は陰性の赤ちゃんも中絶する可能性があり、医療者としては受け入れがたいのだ。
妻は説明に納得し、それ以上の質問はしなかった。
夫婦は、テーブルに置かれた同意書に署名した。
■陽性になったとき、どう思うのか
約40分間の遺伝カウンセリングが終わり、私たちは夫婦に話を聞いた。
夫婦は、説明がわかりやすかった、と口をそろえる。夫は、NIPTへの理解が深まったものの、「いい結果じゃなかったときの話を考えると、より不安になりますね」。妻は43歳という年齢に不安を感じていて、「NIPTを受けて、どこか安心したい気持ちがある。でも、結果を見てどうなるのかな」と話す。
ここに来る前に夫婦で軽く話し合ったとき、「中絶」の選択肢が浮かんだ。だけど、本当に陽性となったときにどう思うのか、まだイメージできていない。
「おおよそ答えは出ているけれど、実際にそうなったら迷うだろうね。妊娠でこれだけ喜んじゃってるから」と話す妻に、夫は「そうね」と相づちを打つ。
一方、川端医師の提案は、妻の心に残っていたようだ。
2人は揺れる心情を漏らしつつ、NIPTの採血へと向かった。
(第1回「出生前検査を受けたら『染色体異常』を告げられた…中絶まで考えた36歳女性が心底驚いた“想定外の結果”」)
■万が一のことを「検査の前」に伝えるワケ
後日、川端医師にも話を聞いた。
「もし陽性だったら」という投げかけは、NIPTの遺伝カウンセリングで毎回しているという。夫婦そろって「中断する」と即答したときは、カウンセリングは長くは引っ張らず、必要な情報だけ伝えて終えるようにする。一方、夫婦が迷っていたり、「親戚にダウン症の子がいて」などと話し始めたりすることがある。その時は、川端医師が夫婦に背景事情を聞いて、何が心配なのか一緒に整理する。夫婦の反応を見て、カウンセリングでの対応を変えているのだ。
この問いを大事にするようになったきっかけがある。かつて、NIPTを受けて陽性となった女性から「妊娠のことはもう一切聞きたくない」「妊娠をなかったことにしたい。忘れたい」と言われた。女性は精神的にショックを受け、川端医師の話を冷静に聞ける状態ではない。羊水検査を受けずに、すぐに中絶するため、他の医療機関へ移っていった。
この一件以降、「NIPTは異常を見つけにいく検査だから、陽性に出ることもあると、きちんと考えておいてほしい」と願い、必ず検査前に陽性だったときのことを詳しく話すようになった。そして、夫婦がそれぞれ悩んでいることを言語化し、話し合い、導き出した答えに納得する。川端医師はその手伝いをしながらも、特定の結論へ誘導しないよう心がけている。
■人間の口でないと伝わらないこと
「検査を受けるか迷う夫婦は多いです。夫婦の迷いを整理して、夫婦で納得できる結論を出すお手伝いをしています。NIPTを受ける、受けないのどちらが正しいということはありません」
一方で、遺伝カウンセリングで不安がすべて解消できるとは考えていないという。それでも希望する人に検査を提供する。
「NIPTの結果が陰性だったら、夫婦は多少安心できるかもしれない。だけど、それですべての不安が消えるわけじゃない。NIPTでわかることは病気の一部にすぎず、NIPTという検査は産科診療のごく一部なのです。通常の妊婦健診などを通じてきちんとフォローしていくことの方が大事だと考えています」
日本医学会の認証を受けずにNIPTを実施する美容クリニックなどで、カウンセリングを原則実施するとホームページなどで掲げている施設は少ない。タブレットで説明動画を見てもらうことで、説明を代替する医療機関はある。(第2回「『週4日勤務・年収1700万円」で専門外の医師が妊婦を診る…『出生前検査』でボロ儲けする無認証クリニックの実態」)
「情報提供はタブレットの動画でできます。だけど、妊娠に対する漠然とした不安は、動画を見ただけではわからないので、人が介入する意義は大きい。特に、NIPTで何もかもわかるとか、誤った認識に基づいて検査を受けにくる人がいます。医療機関から正しい情報を提供したり、夫婦の迷いや心配ごとをゆっくり聞いたりする場が必要です」
----------
毎日新聞取材班
毎日新聞くらし科学環境部の記者らによる取材班。毎日新聞デジタルで「拡大する出生前検査」を連載している。
----------
( 毎日新聞取材班)