※本稿は、『座右の一行 ビジネスに効く「古典」の名言』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■孫子にみる「優しいリーダーシップ」
時を越えて読み継がれる「古典」には、人を育てるためのヒントがあふれています。
ビジネスパーソンの間で人気が高い中国古典の一つが、『孫子』です。
今から2500年ほど前に書かれた兵法書で1972年に中国山東省で出土した竹簡本(竹の札に書かれた写本)の内容から、この書物が春秋時代の兵法家・孫武によるものであることが通説となりました。
紙が発明される以前のはるか昔に記されたものが、時を超えて現代人に多大な影響を与えているのだからすごいことです。
ビジネスは戦いの場であり、リーダーは常に勝つためのヒントを得たいと考えています。しかも『孫子』に書かれているのは、現代のビジネスシーンでも、そのまま通用するほど非常に具体的かつ合理的なアドバイスばかり。だから多くの人に読まれ続けているのでしょう。
部下のマネジメントに悩む上司には、こんな言葉が響くのではないでしょうか。
「卒を視ること嬰児の如し」
将軍が兵士たちに注ぐまなざしは、可愛い赤ん坊に対するようなものであるべきだ。そんな意味です。
だからこそ、いざというときに兵士たちは戦場で将軍と生死を共にしようとするのだと『孫子』では説いています。
リーダーが部下の心を掴むには、普段から優しさと愛情を示すことが大事というわけです。
■力を伸ばしたくば「死地」に追いやれ
とはいえ、上司が優しいだけだと甘えが生まれ、部下たちの能力が伸びない可能性があります。そこで『孫子』では、こんなことも言っています。
「死地に陥れて、然(しか)る後に生く」
兵士たちは、もう死ぬしかないというほどの窮地に突き落とされて、初めて生き延びる。つまり、人間は追い詰められるとようやく頑張り出すから、部下たちに力を発揮させるには、あえて厳しい状況に放り込みなさいということ。
現代では「死地」というわけにはいきませんが、上手な試練の設定はできます。
愛情と試練の両方が必要というのは、職場の上司・部下の関係に当てはめても、非常に納得がいく現実的なアドバイスではないでしょうか。
■世の中を変えるほどの“蔦重”の才覚
個々人の力を組み合わせて力を引き出す手法もあります。
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公にして、“江戸の出版王”と評される蔦屋重三郎。
彼は書籍や浮世絵を出版する版元の経営者であると同時に、みずから編集を手掛け、多くの話題作を世に送り出した敏腕プロデューサーでもありました。
重三郎のもとで開花した才能は数知れず、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、十返舎一九、東洲斎写楽など、多くが百花繚乱な江戸文化の担い手として名を残しています。
文化が花開くには、豊かな才能を持つプレイヤーはもちろんのこと、その才能を最大限に引き出すプロデューサーの存在が不可欠です。
現代日本が世界に誇る文化である漫画も、編集者が果たす役割が大きいことで知られます。
例えばストーリーを考えるのは得意だが絵はいまひとつな漫画家と、絵はうまいがストーリーをつくるのは苦手な漫画家を編集者が引き合わせて、前者が原作、後者が作画を担当したら大ヒット作になった。こうした事例はよく耳にします。
人と人を結びつけることで化学反応を起こし、とてつもない発想や作品を生み出して、世の中の流れを変えるムーブメントをつくり上げていく。これがプロデュース力であり、重三郎はその才覚が突出していました。
■「江戸中を蔦屋の本で覆いつくしてしまいたい」
彼の生涯を描いた時代小説『稀代の本屋 蔦屋重三郎』は、江戸の吉原で貸本屋を始めた20代の頃から物語が始まります。しかし貸本屋は彼にとってあくまで通過点。いずれ版元になり、自分の手で作品の企画から販売・流通まで手掛けたいと野心を抱いていました。
吉原の案内書である「吉原細見」を見ながら、若き重三郎はこうつぶやきます。
「私なら、もっと吉原をおもしろく紹介できるのに」
自分ならもっと面白いものや新しいものを世に出せる。その思いが彼の原点にあります。
「蔦が絡まるのは自然の道理。江戸中を蔦屋の本で覆いつくしてしまいたい」
これが彼の描くビジョンでした。
■利益を次の縁につなげる投資戦略
その後、吉原細見を手掛ける機会を得て、出版人としての第一歩を踏み出した重三郎は、「近いうちに黄表紙全盛の時代がくる」と予想します。
黄表紙は滑稽や洒落を交えた挿絵つきの本で、出版するには優秀な書き手と絵師の両方が必要です。
そこで重三郎はどのような手を打ったか。答えは「本屋であがった利益を惜しむことなく次の作物のための投資にあてた」です。
既刊の出版物が売れて入ってきたお金を使い、これぞと狙った文人や絵師を吉原に招き、酒を酌み交わしながら作品のアイデアを語り、相手の考え方や人となりを知る。これが重三郎の投資戦略でした。
「──いずれ、こういうご縁が積もり積もって爆発していくのだ」
プロデューサーにとって人と人を結びつけ、縁をつくる力が何より重要であることを、彼は理解していたのでしょう。
私も明治大学に就職したばかりの頃は、同僚たちと夜遅くまで試験の採点に取り組んだときなど、よく帰りがけに皆で飲みに行きました。30年近く前の話ですが、当時酒を酌み交わした仲間とは縁が続いていて、今でも気軽に仕事を頼み合う関係です。
今は職場外のコミュニケーションが敬遠されがちですが、職場とは別の場に集まり、「次はこんな企画をやってみたい」といったアイデアや思いを語り合うのは楽しいものです。こうした場を率先してつくってくれる人がいると、そこから縁が生まれ、新しい仕事につながりやすくなります。
■「才能」を育て、組み合わせる
重三郎が多くの縁を生み出せたのは、どんな相手とも真正面から向き合ったからです。
作者や絵師は個性派揃いで、中には扱いづらい人もいましたが、「語らいは本屋の大事な柱」をモットーに、あるときは叱咤し、あるときは宥(なだ)めながら、相手の才能を高みへと引き上げていきました。
確かな画才を持ちながら、理想の絵を描けず伸び悩んでいた喜多川歌麿には、こんな言葉で激励します。
「蔦屋重三郎が見込んだのは喜多川歌麿。あんたを日本一の絵師にしてみせる!」
実際に歌麿は才能を開花させ、現在では日本だけでなく、世界にその名を知られる巨匠になったのですから、重三郎の功績は計り知れません。
重三郎自身は文章を書くのがうまいわけではなく、絵が得意なわけでもなく、狂歌をつくらせても面白くない。自分だけでは何もできないに等しい人物です。
しかし目指すビジョンがあり、その実現に必要な才能を見出して育てる粘り強さがあり、才能同士を組み合わせて傑作を生み出す力がありました。
ビジネスのシーンでも、上司が部下の強みや個性を見抜き、「君たち二人でコンビを組んでみたらどうかな」と結びつければ、面白い仕事をしてくれるかもしれません。
もしプレイヤーとして自分に才能がないと悟ってしまったとしても、縁を大事にして人と人をつなぐ力を磨けば、プロデューサーとして活躍できる可能性は十分あるはずです。
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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。
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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)