「女性宮家」創設案が今期国会で見送られた。皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「結婚した夫や生まれた子どもを皇族にするかどうかで議論が対立したが、どちらになっても、皇族女性の結婚のハードルが今よりもさらに上がることは間違いない」という――。

■愛子内親王と「アン王女」
最近、愛子内親王のことについて書いていくと、映画『ローマの休日』の主人公であるアン王女のことがしきりに思い起こされる。
その第一の理由は年齢の近さである。愛子内親王は2001年12月1日の生まれで、今年6月の時点で23歳である。
映画のアン王女の年齢は10代後半から20歳前後と想定されており、愛子内親王よりも若い。ただ、アン王女を演じたオードリー・ヘプバーンは1929年5月4日の生まれで、映画の撮影がはじまった1952年6月の時点で23歳だった。映画の公開は翌53年になるが、撮影時には愛子内親王と同じ年齢だったのである。
映画では、アン王女がどこの国の王室に属しているかは示されていない。ヨーロッパ諸国を歴訪しているという設定で、冒頭はロンドンなので、イギリス王室ではないことになる。
ただし、アン王女は英語を話しており、そこからすれば、イギリス王室の一員としか思えない。実際、アン王女のモデルは、エリザベス2世の妹マーガレット王女ではないかと言われている。
おりしもエリザベス2世は1952年にイギリス女王に即位し、53年6月2日にはウェストミンスター寺院で戴冠式を行っている。映画は絶好のタイミングで公開されたことになる。

■通過儀礼を描いた映画『ローマの休日』
私は女子大で宗教学の授業をしていたときに、『ローマの休日』を学生たちに見せることがあった。それも、この映画が宗教の世界において重要な「通過儀礼」を扱っているからである。
通過儀礼は大人になるための儀式である。その過程で試練が課され、それは短期間で終わらせなければならない。長引けば試練が試練でなくなるからだ。『ローマの休日』の原題が“Roman Holiday”と単数になっているのがミソで、アン王女のお忍びでのローマの休日は、ぎっしり中身がつまっているように見えて、たった一日のことなのである。
アン王女にとっての試練は、いやでたまらなくなっていた公務に戻る決断ができるかどうかだった。その決断を果たすことで、彼女は寝る前に必ずミルクを飲む、まだ幼さの残る少女から、威厳を備えた立派な王室の一員へと大きく変貌する。そのふたつの対照的な姿を見事に演じきったことで、ヘプバーンは、瞬く間に世界的なトップ女優へと上り詰めていくのである。
愛子内親王が『ローマの休日』を見ているのかどうか、興味を引かれるところだが、その点についての情報はない。おそらく見ているだろうが、どういう感想を抱いたのか、それは是非とも知りたいところである。
■新型コロナウイルス感染症という試練
愛子内親王は皇室の一員として生まれ、そのまま天皇の娘としての生活を送ってきた。
その境遇は、ローマを訪れるまでのアン王女と重なる。
では、愛子内親王に、アン王女が乗り越えたような試練はあったのだろうか。その朗らかな印象からは、まっすぐに育ってきたように見える。
だが、愛子内親王は、2019年末からはじまった新型コロナウイルスの感染拡大という状況のなかで大学生活を送っている。それは、その時期に学生生活を送った若い世代全体の試練となったはずで、愛子内親王も例外ではなかった。
愛子内親王の場合、2020年3月に学習院女子高等科を卒業し、4月から学習院大学文学部日本語日本文学科に入学している。
私もその時期、東京女子大学で非常勤講師として教えていたが、4月になってもすぐに授業ははじまらず、5月のゴールデンウィーク明けから、ようやくZoomによるオンライン授業がはじまった。対面に戻るのは1年半後の2021年10月からである。
学習院大学で対面授業に戻ったのは2022年5月からと東京女子大より遅く、その後もオンライン授業が併用された。愛子内親王が対面での授業を受けるために大学に通うようになったのは23年4月からのことで、すでにその時点で4年生になっていた。
■愛子内親王が詠った和歌の真意
私のような非常勤講師には、大学に行く必要のないオンライン授業は楽だった。しかし、学生にとっては相当に過酷な環境であったはずだ。
学習の成果については、オンラインで十分だったという研究もあるようだが、キャンパス・ライフがないわけで、友達作りに苦労したという学生の話は当時よく聞こえてきた。その影響が今に及んでいることもあるだろう。
愛子内親王が、2024年の歌会始で披露した「幾年の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ」(お題は「和」)は、おそらくはそうしたコロナ禍で経験した難しい状況を詠ったものであろう。
また、今年の歌会始の「我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの夢」(同「夢」)には、コロナ禍を経て、友というものを持つことの重要性を改めて認識したことが詠われているように思われる。
2020年に大学に入学した世代は、コロナの流行によって、もっとも影響を受けた世代である。私の娘は翌年に入学しており、それと比較しても、大変な体験だったことがわかる。
■閉ざされた環境が導く通過儀礼
アン王女の場合には、滞在先の宮殿を抜け出したことが通過儀礼に結びついた。愛子内親王の場合には、むしろ、オンラインでしか授業を受けられないという閉ざされた環境におかれたことが通過儀礼に結びついた可能性がある。
少なくとも、同じようにコロナ禍を経験した同世代に対する共感の思いにはかなり強いものがあるのではないだろうか。その経験は、現在活発になってきた公務にも生かされているはずである。
アン王女のモデルとされるマーガレット王女の場合には、その生涯は波乱に満ちたものになった。『ローマの休日』が公開される頃には、離婚歴のある16歳年上の空軍大佐と付き合っており、この関係については、王室のメンバーから猛反対を受けた。

結局、大佐とは別れ、王族としてのつとめをまっとうしようと決心したところまでは、まるでアン王女のようだった。ところが、浮き名を流した後、30歳でカメラマンと結婚している。2人の子宝にも恵まれるが、夫婦仲は悪くなり、王女自身が不倫する。結局、二人は離婚している。
マーガレット王女の場合、姉がイギリスの女王に即位しているわけで、自分がそうした境遇におかれることはない。その点で、どう生きればいいのか、立場は難しいものであったのかもしれない。
■愛子内親王がたどる最難関とは
戦後の日本では、「開かれた皇室」ということがキャッチフレーズとして打ち出され、その点でイギリスの王室がモデルとされた。しかし、スキャンダルが頻発してきたイギリスの王室と、それとは無縁の日本の皇室では、まるで状況が違う。騒ぎになった眞子元内親王の場合でさえ、同じ大学出身の民間人の男性と結婚したというだけのことである。
『ローマの休日』は、一日だけの冒険を終え、王族としての決意を固めたかに見えるアン王女が記者会見する場面で終わる。観客は、その後のアン王女がどのようになっていくかに関心を持つが、続編は作られなかった。
おそらく、続編は大失敗に終わっていただろうが、アン王女が実在していたなら、当然、その後も人生は続いていたはずである。
それは、今後、愛子内親王がたどっていくであろう道でもある。
一番の問題は結婚ということになるが、果たして愛子内親王にふさわしい相手は現れるだろうか。それについては、誰もが心配するところである。
■皇族女性の結婚という難題
しかも、今期の国会ではまとまらなかったが、結婚後の皇族女性が女性宮家を創設することで、皇族数が減ることを防止しようとする法改正がめざされている。その際に、結婚した夫や生まれた子どもを皇族にするかどうかで議論が対立したわけだが、どちらになっても、皇族女性の結婚のハードルが今よりもさらに上がることは間違いない。
夫も皇族になるとすれば、生活のあり方は根本から変わる。皇族としての責任は重く、数々の公務をこなさなければならない。そもそも、結婚を契機にそれまでのキャリアを捨てなければならない。
皇族にならないとなると、一つの家庭のなかに皇族と一般の国民とが同居することになる。そうした例は今までないので、想像が難しいが、様々な問題が派生する可能性がある。
皇族は姓を持たないわけで、その点では、これも国会で先送りされた夫婦別姓が実現された形にはなるが、それは姓を持たない者と持つ者との結婚になる。子どもは父親の姓を名乗るしかないが、奇妙な状況である。
第一どこに住むのか、それも問題になってくる。
女性宮家の創設の話がまとまらないのも、そうした難しい問題が様々に生まれてくるからである。
■愛子内親王の結婚相手に求められるもの
拙著『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)でも述べたように、歴史的に振り返っても、皇室に生まれた女性の人生は難しい。かつては伊勢神宮の斎王になる道はあっても、それは未婚のときだけのことで、宮中に戻ってきてから幸福な結婚生活を送れるとは限らなかった。生涯未婚だった女性も多かったと考えられる。
近代に入ってからは、内親王の場合には、皇族や華族、あるいは戦後になると旧皇族や旧華族と結婚する場合が多かった。ただ最近は、清子元内親王に代表されるように民間人と結婚する方が多くなってきた。
となれば、愛子内親王の場合も、結婚するとなれば、民間人が相手になる可能性が高い。あるいはそれは、天皇夫妻の望むところかもしれない。
愛子内親王の結婚相手になるには、相当な覚悟が必要だろう。だが、ここのところの公務で発揮されている愛子内親王の人間的な魅力があるのならば、意外に早い段階で相手が見つかるかもしれない。
その時点で女性宮家創設ということになるのかどうか。愛子内親王なら、アン王女のように、勇気をもってその道に踏み出していくのではないだろうか。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)

宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)
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