※本稿は、連続テレビ小説「あんぱん」6月19日以降放送のネタバレを含みます。
■やなせたかしの父・清とはどんな人物だったのか
「いいか、嵩……お前は、父さんの分も生きて……みんなが喜べるものを作るんだ……。何十年かかっても、諦めずに作るんだ……」
NHK連続テレビ小説「あんぱん」第59話(6月19日)で、食料が尽き、空腹で倒れた柳井嵩(演・北村匠海)の前に現れてそう語りかけたのは、亡き父・柳井清(演・二宮和也)だった――。
「あんぱん」は、すでに清が中国で他界したところから物語が始まっているため、これまで回想シーンや写真でチラッと登場するだけだった。まとまったセリフを発するのは今回が初めてとなる。満を持して登場し、アンパンマン制作へとつながる意味深なセリフを残したシーンは、視聴者に強烈な印象を残したに違いない。
ただ、幻の父が夢枕に立ち、アンパンマン誕生を匂わせるセリフを言う……というのは、いかにもドラマ的演出のようにもみえるかもしれない。しかし、実はこのシーン、史実と密接に結びついている。やなせたかしの著書を読み解くと、あの短いシーンでは伝えきれなかった父・清の嵩への愛や、アンパンマンとの深いつながりが浮かび上がってきた。
■5歳のときに中国で死去
清とは、どのような人物だったのか。
優しい父だったという。子供を連れて、しょっちゅう家族旅行に行った。日光、富士登山、博覧会……。やなせの記憶にはないが、さまざまな旅先での写真が残っている。仕事に出かけると、毎日のようにお土産を買ってきてくれた。文学や音楽を愛し、家には蓄音機があったが、子供向けの童謡のレコードも備えられていたという。やなせもそんな父になつき、寝巻に着替えさせるのが父でないと嫌がったほどだ。
やなせが5歳のころ、朝日新聞の中国特派記者だった清は、任地で病にかかり帰らぬ人となる。そんな父とのゆかりの深い中国へ出征したやなせたかし。
■見えない力がぼくをまもった
やなせ自身「運命を感じた」と語るエピソードがある。
清は、東亜同文書院の卒業旅行で中国全土を回ったが、その際通った太平洋岸の山岳地帯を進むルートが、やなせが陸路で福州から上海まで行軍した道のりと、一部偶然一致していたのだ。
「お父さん、この景色を見せたかったんだね」――。1日40キロを歩く過酷な行軍の間、やなせは何度もそうつぶやいたという。無事に上海にたどり着いた後、2センチほどに分厚くなった足の裏の皮がポコンとはがれたというのだから、いかに厳しい道のりだったかがよくわかる。やなせは著書で、当時をこう振り返っている。
「ぼくは覚悟していた。多分ここで戦死すると思った。
この戦力では勝てるわけがない。異郷で果てるのは残念だがしかたがないと観念していた。しかし、何かの見えない力がぼくをまもった。
(『アンパンマンの遺書』岩波現代文庫)
■両親から受け継いだもの
文学と絵を愛するインテリ青年だった一方で、テニスと水泳の達人だった清。スタイルが良く、自分でもその体を自慢に思っていたようで、やなせいわく「上半身裸の筋肉美を見せびらかす写真を数枚残している」そうだ。
美しい母とインテリでスタイル抜群の父の間に生まれたやなせだが、本人は幼いころから「器量が悪い」と言われ続け、ルックスにコンプレックスを抱いていたという。一方、やなせが父から受け継いだのは、その優しくてナイーブな性格だった。
やなせは、「感謝」という詩のなかで、こう語っている。
母の美しい眉
長いまつげはもらえなかった
父の広い胸
長い脚ももらえなかった
団子鼻や水虫は
だれからもらったのだろう
欠点だけが遺伝したような気がする
父のやわらかく傷つきやすい心
母の負けず嫌い
それはたしかにもらった
僕は負けず嫌いなのにすぐ傷つく
しかしこれがぼくなのだ
ぼくは立派な人間にはなれそうもない
でも
心がやわらかくてよかったと
思う時がある
硬質で強くて凶暴であるよりも
やさしい心がいい
白鳥に石をなげるような
芸術に全く関心がないような
そんな人間に生まれなくてよかった
(『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』河出文庫)
やなせが父から受け継いだ、やわらかく傷つきやすい心。「あんぱん」でも、受験勉強がうまくいかない嵩が、自暴自棄になり線路に寝そべるシーンが描かれたが、あれは著作に基づく史実である。
実際のやなせたかしも、青年期は自殺未遂を起こすナイーブな青年だった。やわらかく傷つきやすい心をもって生きていくことは、その分、人よりつらいことも多かったはずだ。
■岩男とリンをモデルにした絵本
しかし、だからこそ、アンパンマンは生まれた。自分の頭を分け与え、そのことで力を失ってしまっても、周囲の人を笑顔にすることに喜びを感じるアンパンマン。
18日の「あんぱん」では、「逆転する正義」の象徴的なシーンとして、田川岩男(演・濱尾ノリタカ)になついていたように見えた中国人の少年・リン(演・渋谷そらじ)が、母を殺された復讐を果たすため、岩男を銃で撃ち殺す……というストーリーも描かれた。
このリンと岩男のモデルとなっていると思われる物語が、やなせたかしの絵本『チリンのすず』(フレーベル館)である。
オオカミの「ウォー」に母を殺されたひつじの子供「チリン」。チリンはかたき討ちを誓い、ウォーに「あなたのような強いオオカミになりたい。弟子にしてください」とお願いに行く。それを聞いたオオカミの心はふわっとあたたかくなる。
ウォーと共に修行を積み、強くなったチリンは、あるときウォーを裏切って殺してしまう。するとウォーは「いつかこういう時が来ると覚悟していた。お前にやられて俺は喜んでいる」と答えるのだった。
母の仇を倒したはずのチリンの心は晴れず、チリンはいつしかウォーが好きになっていたことに気づく。
岩男を撃つ瞬間、恐ろしい目つきに変わったリン。それでも「岩男を好きになっていた」と語る言葉から、いかに復讐がむなしいものなのかが伝わってくる。
■完全な悪人はこの世にいない
『チリンのすず』について、やなせたかしは著作『わたしが正義について語るなら』(ポプラ新書)でこう述べている。
「悪者は最初から最後まで完全に悪いわけではありません。世の中にはある程度の悪がいつも必要なのです。現実の社会はそういうところが厳しい。ぼくはみなさんが社会出る厳しさを思うと、そういう絵本も読んだ方がいいのではないかと思って『チリンのすず』を書きました」
「あんぱん」でも、完全な悪人は描かれない。嵩を殴り続けていた兵士も嵩の昇進を共に祝ってくれる優しい面があったし、岩男を撃ち殺したリンにもリンなりの思いがあった。
アンパンマンの世界でも、いじわるなばいきんまんも、わがままなドキンちゃんも、折り合いを付けながら同じ世界で暮らしている。ばいきんまんの仲間ともいえる菌がなければ、パンを焼くことができないように、バランスを取りながら世界が続いている。
■「お父さん、これでよかったのか」
やなせたかしは著書の中でこう語っている。
「ぼくが『アンパンマン』の中で描こうとしたのは、分け与えることで飢えはなくせるということと、嫌な相手とでもいっしょに暮らすことはできるということです。
『マンガだからできることだ』『現実にはムリだ』なんて言わずに、若い人たちが真剣に考えてくれればうれしいです。」
(『ぼくは戦争は大きらい~やなせたかし平和への思い~』より(小学館))
「日中の親善と東亜の存続は双生の関係にある」――。
「あんぱん」でも嵩が宣撫班の任務で紙芝居を作る際の参考にしていたが、この言葉は実際に清が書籍に残した言葉だ。平和を愛し、共生を目指した清の心は、アンパンマンの中に確かに息づいている。
生前、父・清が残した手紙に「どんな職業に就くにしても、詩を書くことと文章を書くこと、絵を描くことは続ける。そして自分の著書を出版したい」という一節があったそうだ。まさにそんな父の遺志を継いだ、やなせたかし。
時々、仏壇の遺影に「お父さん、これでよかったのか」と語りかけたという。返事はなかっただろう。かわりに響いているのは、アンパンマンが大好きな子供たちの熱狂だ。
(文中敬称略)
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市岡 ひかり(いちおか ひかり)
フリーライター
時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。
AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。
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(フリーライター 市岡 ひかり)