■減税を潰した犯人
2024年12月20日、与党の税制改正大綱が決定された。
国民民主党が要求してきた103万円の壁引き上げに関しては、人的控除を20万円引き上げることが明記された。国民民主党が要求した75万円の引き上げとくらべると、話にならない少額だ。
しかも、20万円の引き上げのうち、基礎控除が10万円、給与所得控除の最低保障引き上げが10万円なので、年収300万円のサラリーマンの場合、年間の減税額は地方税を含めて5000円程度と、国民民主党の要求が完全に実現した場合の11万3000円とくらべると、大きく見劣りする結果だ。
衆議院選挙で与党が過半数割れを起こした現実を踏まえ、自民・公明・国民民主3党の幹事長が、「課税最低ラインを2025年から178万円を目標に引き上げる」ことで合意し、文書まで作っていたのに、なぜ与党はそこからかけ離れた小さな数字を税制改正大綱に盛り込んだのか?
答えは明らかだ。日本維新の会がすり寄ってきて、自分たちが要求する教育無償化と引き換えに補正予算への賛成を与党に打診したからだ。
教育無償化であれば、必要な予算は6000億円程度で、年収の壁を178万円に引き上げることとくらべると、10分の1のコストで済む。
財務省は、そちらを選んだということだろう。
もう少しで四半世紀ぶりの本格減税が実現しようとする直前に、減税つぶしに出た日本維新の会・前原誠司共同代表の罪は重い。総選挙で与党過半数割れに追い込んだ民意を壊してしまったからだ。
もうひとり、今回の「年収の壁引き上げ」をつぶした犯人がいる。
立憲民主党は、今回の壁引き上げに一切賛同せず、静観を決め込んだ。もし立憲民主党が前向きだったら、とっくに大型減税が実現していたはずだ。
■野田佳彦と前原誠司の共通点
前原氏と野田氏の2人には共通点がある。それは増税派で、財務省の強力サポーターであること、民主党の元代表であること、そして他党に入り込んで代表に収まっていることだ。
なぜ、そんなことが起きているのか?
旧民主党が結成されたのは1998年、中道リベラルを理念として政権交代できる政党を目指した若い力が結集した。
しかし、その実態は、当初から保守とリベラルの混成だった。自民党が世襲で候補者の公募がほとんどないなか、新たに政治家を目指す若者たちは民主党の公募に応じるしかなかった。そこに保守派がなだれ込んでいったのだ。
松下政経塾1期生の野田氏も、8期生の前原氏もそのなかのひとり、つまり当初から保守派だったのだ。
■日本政治の特殊事情
欧米では、保守派とリベラル派が対立する形で二大政党制が成立している。保守派は、規制緩和による格差拡大を容認し、大企業や富裕層の税負担を減らそうとする。
一方のリベラル派は広範な規制によって格差を是正し、中小企業や庶民の税負担を減らそうとする。
ところが、先進国のなかで、日本だけが与党のなかにも、野党のなかにも、保守派とリベラル派が混在していて、国民が選挙で政策を選択しにくくなっている。
だから、2017年に希望の党への参画を拒否されたリベラル派を中心に、立憲民主党が結成されたとき、私はようやく純粋なリベラル政党ができたと喜んだ。
だが、事もあろうに立憲民主党は、2020年に野田氏を受け入れ、2024年には代表に選んでしまった。
一方の、前原氏も2024年に日本維新の会に入党したあと、新たに日本維新の会の代表に選ばれた吉村洋文氏の指名で、共同代表となり国会での活動を仕切ることになった。
野田氏も前原氏も、強烈な増税派として知られている。その姿勢は、それぞれの党の立場とも異なっている。
2024年の総選挙で、日本維新の会は消費税8%への引き下げを主張していた。
立憲民主党も、2022年までは消費税5%への引き下げを掲げていた。ところが、前原、野田という2人の民主党代表経験者の代表就任で、この政策はどこかに吹き飛んでしまったのだ。
与党が過半数割れをしたといっても、立憲民主党と日本維新の会は、財務省のシンパ、もっといえばザイム真理教の信者が仕切っている。それでは、大型減税が実現することはありえない。
■あっという間に洗脳された「使い勝手よしひこ君」
だが、もともと野田代表は、民主党が政権を奪取する前までは、「増税の前に利権に群がるシロアリを退治することが先決だ」と消費税増税に否定的だった。
それが、2009年に財務副大臣となってからわずか数カ月で、ザイム真理教の布教活動に染まって信者となり、その後、財務大臣を経て総理大臣となった際には、実質的な教団幹部として、自民・公明・民主の3党合意を結び、消費税を10%に引き上げる道筋をつけてしまった。財務省内では、野田代表のことを「使い勝手よしひこ君」と呼んでいるという。
また、新たに立憲民主党の代表となった際には、小川淳也氏を幹事長に据えた。小川氏の持論は消費税率25%への引き上げだ。つまり、いまの立憲民主執行部は、完全な増税シフトを敷いていることになる。
前原氏は、野田氏ほど明確な姿勢を表明しているわけではないが、基本的に増税路線をブレることなく主張し続けている。
日本維新の会の吉村代表は、なぜそんな増税派を共同代表に選んだのか?
複数の維新関係者に尋ねたのだが、明確な答えはなかった。ただ、財政緊縮に反対するかどうかについて、維新内部は一枚岩ではないという見立ては一致している。
■なぜ政治家は増税派になるのか
国会議員たちは、なぜ本来の理念をかなぐり捨てて、増税派に変わってしまうのか?
私は、それこそが議員の「保身」だと考えている。
国会議員ほど、議席を失ったときの影響が大きい職業はない。
また新幹線グリーン車に無料で乗車できる特殊乗車券が支給されるうえ、秘書を3人まで公費で雇える「秘書雇用手当」が年間約2500万円支給される。さらに民間家賃相場が60万円を超える都心のマンションを議員宿舎として格安で使用できる。フリンジベネフィット(給与以外の経済的利益)を含めた国会議員の報酬は8000万円前後に達するのだ。
そうした厚遇が、議席を失うと完全にゼロになる。サラリーマンだったら、経営陣に逆らって出世の道を閉ざされたり、左遷されることはあっても、いきなり年収がゼロになることはない。しかし、国会議員はそれが当たり前のように断行されるのだ。
そうしたなかで、財務省に逆らうのは国会議員にとってもリスクのあることだ。
財務省は国会議員にレクチャーと呼ばれるザイム真理教の布教活動を日常的に行なうと同時に、つねに身体検査を重ねている。財務省に逆らえば、スキャンダルを暴露され、党からの公認が得られなくなることもある。
国民民主党の玉木代表の不倫スキャンダルや、2024年の総選挙における旧安倍派議員の公認はずしについてもそうした見立てができる。
■立民の最大の支持母体「連合」は増税派
さらに、立憲民主党の最大の支持母体である連合は増税派だ。
立憲民主党がまだ消費税減税を主張していた2021年6月17日の記者会見でも、連合会長は明確に消費税減税を否定した。
連合の神津里季生(りきお)会長は17日の記者会見で「連合として具体的に消費減税すべきとの考え方はない」と話した。立憲民主党の枝野幸男代表が時限的な消費税の5%への減税を目指すとの考えを表明していた。
連合は立民の有力な支持団体だ。神津氏は連合の政策と枝野氏の方針に「率直に違いがあることは事実」と述べた。
連合は消費税を巡る低所得層への対策として、負担分を払い戻す「給付付き税額控除」を提唱する。神津氏は家計支援に関して「(立民と)大きい考え方は一致している」との認識を示した。(日本経済新聞電子版、2021年6月17日)
私は何度も連合関係の雑誌に寄稿してきたが、そのたびに大揉めになるのが、私の消費税減税論なのだ。
たとえば、私が「働く人の実質所得を増やすもっとも確実で効果的な経済対策は、消費税の撤廃だ」と書くと、編集担当からトーンダウンを要請する連絡が来る。編集部として私の意見はわかるのだが、連合は消費税減税を支持していないからだという。
連合は、さまざまな労働組合の上部組織だが、最大の勢力を誇るのが官公労働者の組合だ。彼らの収入源は税金であり、基本的に税金を増やしていきたい。
■連合の政策を丸のみした立民
彼らは、増税で財政規模が拡大すれば、自分たちの給料に回せる原資が増えると思い込んでいる。
だが、それは誤った認識だ。増税で経済を失速させれば、税収が減り、かえって財政規模の緊縮に追い込まれる。
2022年の参議院選挙までは消費税減税を主張していた立憲民主党は、2024年の衆議院選挙ではついに消費税減税の旗を降ろし、「給付付き税額控除の導入」を掲げた。連合の政策を丸のみしたことになる。連合の誤った経済認識に立憲民主党は深く引きずり込まれたのだ。
財務省の圧力、連合からの圧力のなかで、立憲民主党が当初、掲げてきた「国民のためのリベラル政策を実現したい」という政治理念はどんどん薄らいでいく。
■誰も私の話に耳を傾けてくれなかった
私はテレビの討論番組などで、立憲民主党の国会議員と共演する機会が多くあったので、いまの日本の財政が世界一健全になっていて、消費税を撤廃しても財政上なんの問題もないことを放送中はもちろん放送が終わったあとも力説し続けてきた。
たとえば、小川淳也幹事長には、放送中に消費税を何%まで上げるのかを直接聞いた。小川幹事長は25%と答えた。
私は即座に「そんなことをしたら国民生活が破綻する」と抗議したが、彼の考えは微動だにしなかった。
長い付き合いのある長妻昭代表代行にも、何年か前に、国民生活の改善には積極財政への転換が不可欠だと話した。
ところが、長妻代表代行は、
「森永さんの話は理論としてはわかるんだけど、何か腑に落ちないんだよね」
と言い、私の意見は結果的に無視される形になった。
結局、立憲民主党のなかに、私の声に同意してくれた議員はほとんどいなかった。
ちなみに立憲民主党内でも、江田憲司氏を中心に60人程度の国会議員が反緊縮財政の政策を掲げている。それでも、彼らは党全体から見れば少数派で、党内での力も大きくない。力を持つことができないといえるかもしれない。
2024年の総選挙で立憲民主党・野田代表が掲げた「政権交代こそ、最大の政治改革」というキャッチフレーズは、国民に向けられたものではなく、所属議員に向けられたものだったのだろう。
与党を過半数割れに追い込んだことにより、安住淳氏が予算委員長に就任するなど、立憲民主党は国会内での大きなポストを獲得することには成功した。
理想の政治実現に燃えていた若き政治家志望者たちは、いつのまにか国民生活よりも、自分自身の国会議員という立場を守ることを優先するように堕落してしまったのだ。
----------
森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
----------
(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)