日本では学校で性教育をちゃんと教えない。避妊方法や性感染症予防、性的同意といった基本的な内容も知らぬまま大人になる。
そのため、彼ら彼女らの性の手本はAV俳優というのが実情だ。ジャーナリストの池田和加さんは「日本では女性の性を消費する一方で、女性を性犯罪から守ろうとしない。それが若い女性の結婚・出産意欲に負の影響を与えている可能性が高い」という――。
■「女性誌にAV女優出すのをやめてほしい」
宝島社発行の女性誌『sweet』のキャッチフレーズは「28歳、一生“女の子”宣言!」。ファッションやメイクなどの情報が満載で若い女性に人気の雑誌だが、そのweb版の一部記事が先日大きな反響を呼んだ。
それはセクシー女優・河北彩花さんが同誌内で始めた「女のコが誰しも抱えるセックスレスやテクニックの上達など……夜のお悩み」に答える読者相談コーナーの告知。編集部がXに投稿したところ、「女性誌にAV女優出すのもやめてほしい」「性の悩みは産婦人科医に相談すべき」とのリプライがあった。この主張に1万9000の「いいね」がつき、波紋を巻き起こした。
他に「セックスワーカーを差別すべきではない」との声もあったが、ほとんどのリプライがAV女優による指南に違和感を表すものだった。ただ、AVに出演する女優・男優によるこのようなメディアやネット上の活動は珍しくなく、中には、通常のモデル・俳優として露出し、自分でプロデュースする商品を売り出すケースもある。そして、そのようなタレント活動はこれまで総じて好意的に受け止められていたように思える。
しかし、こうした現象は日本の性教育をめぐる深刻な問題、もっと言えば、男女の分断や、若者の非婚化・少子化への悪影響を浮き彫りにしている。

■世界標準から大きく逸脱する日本の現状
欧米では、性教育に携わる人材には極めて厳格な要件が課されている。アメリカの性教育者アニー・スプリンクルは、元セックスワーカーでありながら「ヒューマン・セクシュアリティ」で博士号を取得した専門家だ。アメリカや欧州で正式な性教育者として認められるには、教育学、医学、保健学、心理学や性科学などの関連学位取得、専門機関での研修・認定、実務経験の蓄積などのプロセスが必要だ。
一方、日本の性教育の現状は、国際的な基準から大きく立ち遅れていると言わざるを得ない。ユニセフをはじめとする国連機関が策定した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」は、世界各国の性教育政策の指針となっているが、その内容は極めて包括的だ。
包括的性教育の8つのキーコンセプト

1.人権とジェンダー平等:性教育を人権やジェンダー平等の枠組みで捉える

2.人間関係:健全な関係性の構築方法

3.価値観・人権・文化・性のあり方:多様性の尊重

4.ジェンダー理解:ジェンダーアイデンティティと表現

5.暴力と安全確保:性暴力の防止と対処

6.健康とウェルビーイング(単に病気がない状態だけでなく、身体的・精神的・社会的に「良好で満たされた状態」を指す概念)のためのスキル:自己決定能力の育成

7.身体と発達:身体的・性的発達の理解

8.性のあり方と行動:責任ある性行動
このガイダンスによると、5歳から18歳以上まで年齢に応じた段階的な学習目標を設定し、科学的に正確で発達段階に適した内容を提供しなければいけない。さらに重要なのは、包括的性教育が単なる知識の伝達ではなく、子どもや若者が自分と他者のウェルビーイングや権利を守る力を身につけることを最終目標としている点だ。
こうした包括的性教育によって、初交年齢が遅延し、性感染症や望まない妊娠が予防され、性暴力が減少するなど、大きな効果が出ているという。
■日本の「はどめ規定」がもたらす制約
一方、日本では、学習指導要領の「はどめ規定」により、小学校理科での「人の受精に至る過程」、中学校保健体育での「妊娠の経過」や性交については原則として授業で一律に教えないことになっている。
文部科学省は「はどめ規定は絶対的な禁止規定ではなく、必要がある場合や学校の判断で発展的内容を教えることは可能」と説明しているものの、実際の教育現場は自己忖度をして、はどめ規定に従っていることが多い。その結果、日本の性教育は避妊方法や性感染症予防、性的同意といった基本的な内容すら十分に教えられていない。
2023年に導入された「生命の安全教育」では、性犯罪防止や性的同意の指導がある程度強化されたが、依然として被害防止に特化した対策に留まっている。
性の多様性、人権、ジェンダー平等といった包括的テーマは不十分で、国際機関が「日本は性教育を人権教育として再構築すべき」と繰り返し提言しているにもかかわらず、抜本的な改革は進んでいない。
この結果、日本の性教育は国際水準から大きく取り残されている。学校で十分な性教育を受けていない日本で、国際的な専門性を満たす教育や訓練を受けていないAV男優・女優が「お悩み相談」というライトな形で私的な“性教育”を担うという現象が生まれているのである。これは教育の空白を埋め、読者の悩みに寄り添うという意味では理解できる面もあるが、科学的根拠や専門性を欠いた情報が広まる可能性は否めない。
■AVによる「性教育」の問題点
日本のAVの大部分は男性の欲望を満たすために制作され、女性を「性的モノ」として描いている。痴漢や強姦といった性加害行為さえ堂々と描かれる。男優の顔や体がほとんど映らず、女性を単なる女体として撮影し、女性の性的同意や快楽は二の次という構造は、健全な性関係とはほど遠い。
一方、欧米にもそれに近いものもあるが、「フェミニスト・ポルノ」は性的同意や出演者の幸福を前提とし、多様な身体や性指向を肯定的に描き、出演者の主体性を尊重している。
日本には医療従事者や教師など性教育の専門訓練を受けたプロフェッショナルが存在する。しかし現実には、多くの「当事者」となった女性が専門家に相談することを躊躇している。医療受診への心理的ハードル、教師との距離感、医療費への不安など、さまざまな障壁が存在するのも事実だ。
この専門家へのアクセスの困難さが、AV俳優による性の発信が一定の支持を得る社会的背景となっている。
彼らの発信は確かに専門性を欠くものの、気軽にアクセスでき、タブー視されがちな性の話題を身近にする役割を果たしているのだ。
問題は、メディアがこうした現実的な需要に応える際に、なぜ性教育の専門家との協働を求めないのかという点だ。AV俳優を性教育者とみなす現象は日本独特であり、メディアの責任が問われてもしかたないだろう。
■真の性教育とは何か
スウェーデンで活躍するセックス・セラピスト、マーリン・ドレヴスタムさんに以前取材をしたことがある。元エコノミストという異色の経歴を持つ彼女は、心理学で修士号を取得して性科学を学びセックス・セラピストとなった。現在はスウェーデンのテレビに出演するほどの活躍を見せている。
※マーリン・ドレヴスタムさんのinstagram:https://www.instagram.com/malindrevstam/
マーリンさんによれば、セックス・セラピストの役割は「技術指南」ではなく、パートナー間の性的ミスマッチ解決の支援だという。セックスとは「親密さ(Intimacy)」であり、互いの内面でのコミュニケーションだと彼女は説明する。
彼女のセックス・セラピーでは、カップルそれぞれの幼児期からの愛着形成まで遡り、なぜ歩み寄れないか、そして歩み寄る方法を探求する。マーリンさんは、人間が性的に幸せになるには身体的親密さ、感情的親密さ、精神的親密さの3つが必要だと説明する。
マーリンさんによれば、セックスを単なる「行為」や「プレイ」と捉えるのはナンセンスだという。例えば、いわゆるセックスレスとは身体的親密さだけでなく、感情的・精神的な親密さも欠けている場合が多い。
逆に、パートナーに身体的親密さばかりを求められ他の親密さがないと、人は性的モノ化された気分になり、幸せになれないという。
つまり、性行為のみに焦点を当て、そこに至る親密さの道のりを描かないAVを「セックスの手本」とするのは根本的な誤りなのだ。
■世界最低レベルの性的満足度
興味深いことに、日本人は数々の国際的な研究から、世界最低レベルの性的幸福度に留まっていることが分かっている。年間2兆~7兆円もの売り上げがあると指摘する人もいるほどの性産業大国なのに一体どういうことなのか。包括的性教育の欠如と世界最低レベルの性的満足度には相関が見られると言ってもよいのではないだろうか。これが直接的な因果関係なのか、それとも他の社会的要因が両方に影響を与えているのかは、さらなる研究が必要だ:
● 2024年フランス調査会社Ipsos調査(31カ国対象):日本の「恋愛・性的生活満足度」2年連続最下位(37%)

The Financial District “Japan Ranks Lowest Among 31 Nations In Love Life Satisfaction Survey
● We-Vibe国際調査(11カ国対象):日本の性生活満足度最下位(35%)

@DIME「世界の性生活満足度ランキング、1位はスペイン、日本は何位?
● 性的幸福感や性的満足度に関するグローバル調査(Journal of Family and Reproductive Health, 26カ国)でも、日本は中国やタイと並び、感情的・身体的満足度が最も低いグループに分類されている。

そして、包括的性教育の欠如は、世界最低レベルの性的満足度以外にも、深刻な問題を引き起こしている可能性がある。
■若い女性たちの不安と絶望
筆者が以前、20~30代の女性約20人に取材したところ、その中の2割が「日本で女の子を産むと“性被害者”になるから、子どもを作る気になれない」と語っていた。サンプル数が少なく、この声が全体を代表するものとは断じられないが、一定数の若い女性がこうした不安を抱いている現実は看過できない。
現実として、2023年に東京都が警視庁と共に行った16~39歳の電車や駅構内における痴漢被害者(2219人)、そして、16~69歳の痴漢目撃者(2219人)にWeb調査を実施したところ、女性の4割超、男性の約1割が、これまでに痴漢被害にあったことがあった。
※東京都「『痴漢撲滅プロジェクト』痴漢被害実態把握調査結果の公表
さらに、2024年に内閣府が16~29歳の男女3万6000人あまりを対象にアンケート調査を行ったところ、全体の1割が痴漢の被害を受けたことがあり、そのうちの8割が被害を訴えることができずに泣き寝入りしていたという。
※株式会社リベルタス・コンサルティング「若年層の痴漢被害等に関する オンライン調査 報告書
警察庁の統計によれば、痴漢の検挙件数は毎年2000件以上に上るが、これは氷山の一角に過ぎない。
被害者の多くが「証拠がない」「相手にされない」「恥ずかしい」といった理由で届け出を諦めているのが実情だ。
※警察庁生活安全局生活安全企画課「若年層の痴漢被害等に関するオンライン調査
このような深刻な被害が放置される中、お笑い芸人の粗品が今春のイベントで「痴漢」と「痴漢冤罪」を避けるために立見エリアで男女分離席を設けると発表し、ネット上では大きな支持を集めた。しかし、この対応は重大な問題を起こし得る。
なぜなら統計的に見れば、痴漢は痴漢冤罪よりも圧倒的に多く発生しているからだ。つまり、痴漢と痴漢冤罪を「同じ重さの問題」として扱うこと自体が、被害の実態を歪めている。
さらに問題なのは、この男女分離という解決策が、「男性は性加害者だから、男女は分離されなければいけない」というメッセージを発し、ジェンダーバイアスを強化し、男女を分断する。性加害者の大半は男性だが、全員が加害者ではないし、男性の性被害者の存在を透明化してしまうことにもなる。加えて、男女分離は根本的な問題解決を放棄しているといってもよいだろう。防ぐべきは痴漢加害者の行動であり、被害者や一般市民が行動を制限される理由はない。
痴漢を防止するなら、警官、警備員や監視カメラを増やし、痴漢を絶対に警察へ引き渡す、痴漢防止アプリ使用の推進、痴漢を厳罰化するなど、「痴漢は絶対に許さない」という断固としたポリシーをもつべきだ。国、公共交通機関やイベント運営側が痴漢対策を怠り、警察が罰せず、有名人が男女分離を「合理的解決策」として提唱する社会――これが2025年の民主主義先進国の姿だろうか。
最近、X上では若い女性たちから「日本人男性の2人にひとりが風俗に行ったことがあるなんて気持ち悪い」「日本男の大半はポルノ脳」といった、性風俗やポルノと男性不信を結びつけた投稿が目立つようになった。
これは単なる偏見ではなく、性風俗やAVが日常の一部となった一方で、女性に対する性犯罪や差別が軽視される現実への反発なのだ。
■少子化問題への根本的視点
女性の性を消費するくせに、女性を性犯罪から守らない日本社会の性のダブルスタンダードと少子化には複雑な関係性がある。直接的な因果関係を証明するには縦断的な研究が必要だが、少なくとも若い女性の結婚・出産意欲に負の影響を与えている可能性は高い。
真の性教育とは、人権とジェンダー平等を基盤とし、科学的根拠に基づいて行われるものだ。性を「商品」や「娯楽」として消費する文化から脱却し、互いを尊重する健全な関係性の構築を支援する教育こそが、日本社会に今求められている。専門性を欠いた「性教育」は、個人の幸福を損ない、少子化を含め社会全体の未来をも危うくしているのである。

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池田 和加(いけだ・わか)

ジャーナリスト

社会・文化を取材し、日本語と英語で発信するジャーナリスト。ライアン・ゴズリングやヒュー・ジャックマンなどのハリウッドスターから、宇宙飛行士や芥川賞作家まで様々なジャンルの人々へのインタビューも手掛ける。

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(ジャーナリスト 池田 和加)
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