国民民主党の山尾志桜里氏公認見送りをめぐる問題点は何か。ジャーナリストの山田厚俊さんは「出馬を決めた山尾氏は、退路を断って記者会見に臨んだ。
一方の玉木雄一郎代表は、世論の動向などを見て出馬辞退を促した。つまり、出馬要請の初手が間違いだった」という――。
■「8年前」の説明を避けた山尾志桜里氏
元衆院議員、山尾志桜里(しおり)氏の公認見送りで、国民民主党や玉木雄一郎(ゆういちろう)代表への批判が鳴り止まない。まずは簡単に経緯を振り返ってみよう。
5月14日、国民民主党が次期参院選の全国比例の公認候補として足立康史(やすし)氏、須藤元気(げんき)氏、薬師寺道代(みちよ)氏とともに山尾氏を加えた元職4人を発表以降、SNS上での批判、国民民主党の応援は止めたとの声が殺到した。過去に山尾氏は多額のガソリン代支出やJRパスの不正使用などの問題に加え、『週刊文春』で報じられた不倫疑惑などがあり、その批判が再燃したのである。
現場の記者たちからも玉木氏や榛葉賀津也(かづや)幹事長に対し、山尾氏の会見を求める声が続き、ようやく6月10日、約2時間半に及ぶ山尾会見が開かれた。会見で山尾氏は、不倫問題について「当時の自分の行動は未熟だったと反省している」としながらも、「8年前に言ったことは事実」と主張し、「新しく言葉を紡ぐことはご容赦いただけたらと思う。いろいろな思いの人がいて、いろいろな立場がある。今何かを話せば、さまざまなご迷惑をおかけすることもある」と新たな説明、釈明をすることは避けた。
■山尾氏の擁立自体が“敗着”だった
事態はこれで収まらない。翌11日、国民民主党は山尾氏の公認見送りを両院議員総会で決定し、発表した。

これに怒りをぶちまけたのが山尾氏だった。
翌12日、「国政への再挑戦を決意しておりましたが、全国比例代表候補として、その場に立つことはかないませんでした」と悔しさを滲ませた文面で始まるコメントを発表。見送りの経緯に疑問を呈した上で「統治能力に深刻な疑問を抱いている」などと党執行部を批判した。
この公認見送りについて、識者などからは「後ろから撃つ行為」など、党や玉木代表を批判する声が沸き上がった。
ではどうすれば良かったのか。
そもそも、山尾氏の擁立自体が、囲碁や将棋などのボードゲームでいう“敗着”に似たものだ。「負けを決めた指し手」である。私は玉木氏にも山尾氏にも反省すべき点があると感じている。
■禊が済んだと感じていたのか
まず山尾氏だが、仮に「自分は不倫をしていない」と8年前の主張を通すのであれば、薄皮を剝がすように、時間をかけて遺族側との話し合いなどが不可欠だったのではないか。その当事者間の調整を済ませた上で、会見で説明すべきだと思っていた。しかし、そのことは放置したままで、政界復帰ができるという考えが甘いと言わざるをえない。
玉木氏もその点を詰めずに、時間が経ったからもう大丈夫だろうと甘い見込みの上で出馬を要請した。
昨年、自身の不倫問題で役職停止処分を受け、禊(みそぎ)が済んだと感じていたからではないか。
つまり、玉木氏は出馬を要請するべきではなかったし、山尾氏は出馬を受けるべきではなかった。
私は、国民民主党の玉木雄一郎代表が今年3月上梓した『「手取りを増やす政治」が日本を変える 国民とともに』(河出書房新社)の編集を担当した。玉木氏とは取材を通じて長い付き合いだ。玉木氏の心情も理解できる部分は多々あった。山尾氏についても衆院議員時代、何度かインタビューし、一定の理解はしているつもりだった。
だから、玉木氏が山尾氏の才能を高く評価していること、チャーターメンバーとして信頼していることは知っていた。しかし、詰めが甘かったとの指摘は、甘んじて受けるべきだろう。
■理屈でなく生理である世論
山尾氏は、法律家としてのキャリアがあるがゆえ、会見での発言は十分過ぎるほど慎重だった。しかし、「申し訳ないんですが、今ご指摘のことについて私は事情を存じ上げません」と言ったのが“致命的”だった。「相手方の奥さんが自ら命を絶たれている。国政議員として立候補する資格があると思うか」との質問への回答だった。

他者への敬意、人心の感情を理解していれば、自死した人のことについて「事情を存じ上げません」という発言はできないだろう。予想通り、生中継されていた会見は、大炎上した。
一度出馬すると決めた山尾氏は、まさに退路を断って会見に臨んだ。一方の玉木氏は、世論の動向、支持率の低下などを見て出馬辞退を促した。つまり、出馬要請の初手が間違いだったのである。
私は5月下旬、玉木氏と話す機会を得た際、こう伝えた。
「今の世論の反発は、理屈ではなく生理です。生理的に受け付けないものをひっくり返そうとするには、それなりの手順が必要です。それをいきなりの公認では無理があったのではないでしょうか」
玉木氏は、私の言葉を苦しい表情で聞いていた。玉木氏も山尾氏も頭脳明晰の優秀な人間だ。人に対して理解を求める説明の筋立てや理由の組み立て方には定評がある。
しかし、人心は時に理不尽で乱暴に振り切る。
両名はその“移ろいやすい人の心”に対する配慮が足りなかったのではないか。
■身の丈に合った政党支持率になった
この時、差し出がましいと自覚しつつも、山尾氏の出馬辞退を促すよう進言した。しかし一方で、山尾氏の翻意は難しいと感じていた。となれば、公認見送りしかない。どのタイミングでそのカードを切るのか。私はそんなことを考えていた。
結局、そのカードは最悪のタイミングで切られた格好だ。しかし、どのような時期であっても現在のような批判は殺到しただろう。
私は、誰であってもセカンド・チャンスは必要だと思っている。山尾氏も類まれな才能を持ち、このまま埋もれてしまうのはもったいないと感じさせる一人だ。だからこそ、何もせずに時間で風化させようとしたことが悔やまれるのではないか。再起を果たそうとするなら、遺族との対話をしていくべきだと今も思っている。

野党第1党を上回る政党支持率を誇っていた国民民主党は、一気に急落した。今や立憲民主党の後塵を拝するようになった。玉木氏も代表辞任を促す声が止まない。
しかし、政党支持率に一喜一憂することほど愚かなことはない。これまでが身の丈以上に高かっただけではないか。ようやく身の丈に合った支持率になったと思えばいい。
■失地回復に向けた新たな指針
6月17日、国民民主党は「手取りを増やす夏。」をキャッチフレーズに据えた7月の参院選の公約を発表した。
これまでの看板政策である所得税の課税最低ライン「年収の壁」の178万円への引き上げや、実質賃金が持続的にプラスになるまでの消費税の一律5%への引き下げ、ガソリンの旧暫定税率の廃止を掲げるとともに、名目国内総生産(GDP)1千兆円の実現を自民党の目標より5年早い2035年を目指すとした。
税収120兆円で「増税なき税収増」は、失地回復に向けた新たな指針となるだろう。こうやって一歩一歩、改めて国民に向き合い、信を問うていくしか道はない。
そして、玉木雄一郎氏。昨年の衆院選以降、不倫問題を皮切りに、さまざまな課題、難問を突き付けられ、もがき苦しんできたことだろう。

しかし、玉木氏の政策に賭ける意欲は失われていない。その点に不安はない。とはいえ、所帯が大きくなった政党運営はこれからも険しい道が待ち受けるだろう。今後は政策とともに“人の心”についても学んでいってほしい。そう私は願っている。

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山田 厚俊(やまだ・あつとし)

ジャーナリスト

1961年、栃木県生まれ。東京工芸短大卒業後、建設業界紙記者、タウン紙記者を経て95年4月、元読売新聞大阪本社社会部長の黒田清氏が主宰する「黒田ジャーナル」に入社。阪神・淡路大震災取材に従事。『震災と人間 あれから一年・教訓と提言』(三五館)の執筆陣に加わる。2001年7月に黒田氏逝去後、大谷昭宏事務所に転籍。2009年からフリー。永田町を中心に取材活動を行う。また、社会問題や音楽にも積極的に取材。国民民主党代表の玉木雄一郎著『「手取りを増やす政治」が日本を変える 国民とともに』(河出書房新社)では編集を担当。

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(ジャーナリスト 山田 厚俊)
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