物価上昇が止まらない。今年1月に亡くなった森永卓郎さんは「企業は原材料コストの上昇を上回る値上げを行っており、『強欲インフレ』が起きている。
消費者は生活を守るために、企業には徹底的に値下げを要求していかなければならない」と訴えていた。著書『保身の経済学』(三五館シンシャ)より、その一部を紹介する――。
■現代社会の被害者は若者
日本中で進む「保身」の被害者は、若者たちだ。
保身を図る人々が目先の利権確保のために没落させた経済社会を、長く生きなければならないのは彼らだからだ。
じつは、若者の地獄はすでに始まっているといってよい。ブルシット・ジョブの拡大だ。
1984年に15.3%にすぎなかった非正社員の比率は、いまや4割に迫っている。
彼らの担う仕事は、基本的にマニュアル労働で、企業の歯車としての活動に働く喜びはない。
最近では、そこにコンピュータ管理が入り込んで、労働がますます苦役化している。
心を持つ労働者が、心を持たない労働力へと転換されているのだ。そうした事情は、非正社員だけでなく、トップダウン経営によって正社員にも広がっている。
自由裁量のある仕事なら、少々長時間労働をしたところで疲れない。
しかし、マニュアル労働は心底大きな負担をもたらす。それでも生きていくためには働かないといけないから、翌日また栄養ドリンクを飲み、疲れた体にムチ打ってブルシット・ジョブに出かけていく。
「どんなときに一番幸せを感じますか?」
私が若者たちにこう尋ねた際、ショッキングな答えが返ってきた。
「たまの休みの日に布団から一歩も外に出ずに、ずっとスマホをいじっているときが一番幸せです」
それでも彼らはこれまで反乱を起こさなかった。政府や評論家が流すウソにすっかりだまされてきたからだ。
■企業の利益は労働者に分配されない
1つは、政府が言い続ける「賃金が上昇すれば暮らしは良くなるのだから、企業が高い賃金を支払えるように国全体で支援しましょう」という主張だ。
たとえば、吉野家が2024年10月9日から1週間限定で牛丼を100円引きするキャンペーンを実施し、498円だった並盛が398円となった。
私はニッポン放送のラジオ番組でその話題を採り上げ、「やればできるじゃないか。1週間といわず、ずっとやってほしい」と発言した。
私は消費者として当然のことを言っただけだと思っていたのだが、その後、私の発言に若者中心に非難が殺到した。
「森永は経営のことがまったくわかっていない。そんなことをしたら、吉野家が倒産してしまう」
たしかに20%の値下げを続けたら、赤字になると思われるかもしれない。

しかし、そうでもないのだ。2024年2月期の吉野家HDの連結決算(はなまるなどを含む)によると、吉野家の原価率は35%だ。大雑把にいえば、牛丼並盛の原価は175円程度ということになる。原価以外に家賃や電気代などの間接経費がかかるのだが、それらは固定費で、売上げに連動しない。細かい計算は省くが、吉野家が値下げで20%売上げ減になっても、そのことで客数が増えて、実際の減収が7%にとどまれば、赤字転落は避けられる。20%の値下げで16%客数を増やせばよい計算だ。
それは、不可能な話ではないだろう。そもそもサラリーマンの懐具合を考えたら、牛丼は卵などのトッピングを加えてもワンコイン以下というのが限界価格だ。逆にいえば、それを実現すれば確実に客は戻ってくる。
そういう話をすると、今度は「そうした発想するから現場の賃金が上がらないのだ」という批判が出てくる。
しかし、それもまた間違いだ。
賃金は個別企業の経営状況で決まるのではなく、労働市場全体の需給で決まるものだからだ。
現に岸田政権のなかで進んだ値上げによる収益拡大のうち、賃金に回されたのは1割未満で、大部分は企業の利益拡大に回っているのだ。
■物価上昇の実態は「強欲インフレ」
もう少し具体的な話をしよう。2024年4月19日の「週刊エコノミスト Online」は、「株価好調でも消費低迷『強欲インフレ』で際立つ明暗」と題した次のような記事を掲載している。
欧州で生計費危機とも言われるインフレが起きていたころ、原材料コストを上回る値上げで企業収益は好調だった。国民の苦しみをよそに値上げでもうけた企業への不満を込めて、その状況は「グリードフレーション(強欲インフレ)」と呼ばれた。
似たようなことが最近の日本でも起きていた。それはGDPデフレーターという物価指標でわかる。GDPデフレーターには、輸入コストの転嫁で値上げされた分は含まれず、それを上回る値上げ、いわゆるホームメード・インフレだけが反映される。そのGDPデフレーターが、直近ボトムからの5四半期でプラス5.5%と記録的な上昇になった。
前述の通り輸入コスト分は含まれないので、この値上げで得られた利益は国内の企業と労働者に分配される。企業の取り分をユニットプロフィット(UP)、労働者の取り分をユニットレーバーコスト(ULC)と言う。
衝撃の事実は、5.5%の値上げ分のうち5.3%分が企業の手元に残り、賃金として労働者に還元されたのはわずか0.1%分だったということである(四捨五入のため合計不一致)。
企業が悪意で行ったことではないので「強欲」と言うのは少し違うが、結果論として、こんなに値上げできるなら昨年もっと賃金を上げられたはずだ。

具体的な計算手法まで踏み込むと、膨大な解説が必要になってしまうので割愛するが、この「エコノミスト」誌の分析が正しい手法で行なわれていることは、こうした分析を生業にしてきた私が保証する。
そして、重要なことは、日本で平均5.5%の値上げがされたのに、働く人に分配されたのはたった0.1%分だけだという事実だ。
つまり、いくら企業が値上げをしても、それは企業の利益を増やすだけで、労働者にはほとんど分配されなかったのだ。
その結果、第二次安倍政権が発足して以降、企業の内部留保は2倍以上に膨らみ、いまや600兆円を超えている。一方で、実質賃金は前年比マイナスを続けている。
■企業には値下げを要求せよ
企業が利益拡大を賃金に回さない以上、労働者の生活を豊かにする唯一の方法は、企業に対して徹底的な値下げを要求することだ。
もともと経済学では、完全競争市場の下では企業間競争によって、利益はゼロになると想定されている。
だから、消費者は、経営者的な発想で企業の利益を懸念する必要などまったくないのだ。
いま消費者に求められていることは、1円でも安い商品を選択することだ。消費者がそうした行動をとることが、企業間競争を促進し、われわれの暮らしを改善する唯一の方法となるのだ。
ちなみに私は「値上げに理解を」という空気に対抗するため、逆に値上げを我慢して頑張っている企業を徹底的に応援している。
つまり、値上げしない企業の商品を買うのだ。
たとえば、ファミレスのサイゼリヤでは、いまだに「ミラノ風ドリア」が税込300円で食べられる。
また、全体的に値上げをした企業でも、低価格メニューを残しているケースもある。
たとえば、マクドナルドでは、スマホアプリのクーポンを利用するとハンバーガーのハッピーセットが税込400円で買える。ハンバーガー+ドリンクS+ポテトSにおもちゃまでついて400円だ。
商店街にも、値上げを我慢している惣菜店や飲食店などの零細企業がたくさん残されている。血のにじむような企業努力で、値上げを避けているのだ。
消費者が真剣に「安い商品」を探して、その需要を増やしていかないと、値上げを我慢して頑張っている企業が倒産したり、格安メニューが消滅してしまう。
そうなれば、値上げによって利益を拡充させている企業の思うツボになってしまう。いまこそ消費者は節約に走るべきなのだ。

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森永 卓郎(もりなが・たくろう)

経済アナリスト、獨協大学経済学部教授

1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。
専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。

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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)
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