■「自然派長官」が食品規制を次々と実行
アメリカの食品安全行政が今、揺れに揺れていることはご存じでしょうか?
トランプ大統領がR.F.ケネディJr.氏を保健福祉長官に任命しました。ケネディ氏は以前から自然志向で、反ワクチン、反農薬などを掲げ弁護士として活動していた人物。長官になって以降次々に、新方針を打ち出しています。
たとえば4月、石油系着色料(合成着色料)の段階的な廃止方針を示しました。5月には、子どもの健康について、超加工食品や合成着色料、人工甘味料、電磁波などの影響を示唆する「MAHAリポート」を公表しました。
ところが、廃止や批判の理由となる科学的根拠(エビデンス)がはっきりしないのです。それどころか、MAHAリポートは、実在しない論文が引用されているのが見つかり、ハルシネーション(AIが事実と異なる情報を作り出すこと)が起きたとみられています。
アメリカの科学者の間では、ケネディ長官の反科学、陰謀論的な思考に懸念が高まっているようです。日本でも、ケネディ長官と同じような自然志向を持つジャーナリストや市民団体、政治家などが一定数います。アメリカはどうなるのか? 日本にどのような影響があるのか? 日本も反科学に流れてゆく可能性があるのか? 探ります。
■「子供たちの健康や発達に大きな有害性」
ケネディ氏が長官を務める保健福祉省(HHS)は、下部組織として食品医薬品局(FDA)や疾病予防管理センター(CDC)、国立衛生研究所(NIH)などを抱えています。
食品分野では、HHSとFDAが4月22日、石油由来の合成着色料を2026年末までに廃止し、新たな天然着色料の審査と承認を進める、と公表しました。
2つの着色料は承認を取り消しし、6つについては段階的に排除する、との計画。ケネディ長官は発表の中で「長い間、事業者は理解も同意もなく、石油系着色料を用いてきた。これらの有害な化合物は、栄養学的な利益がなく、子供たちの健康や発達に大きな有害性を持っている。こうした事態は終わりを迎える」と宣言しました。
■天然系着色料のほうが健康に良い?
しかし、これらの着色料は、FDAやFAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)などにより安全性を評価されたうえで使われてきたものです。有害性を示す根拠が新たに出てきた、というわけでもありません。
とはいえ、一般の人たちやメディアがなんとなく、「石油から作られた着色料」に不安を抱いているのは、アメリカも日本と同じ状況です。ケネディ長官の下、FDAの長官に任命された外科医のマーティ・マカリー氏は「子供たちの間で糖尿病や肥満、うつ症状や発達障害(ADHD)が増えている。医師や両親は石油系着色料に懸念を抱いており、私たちはリスクをとるべきではない」などと説明しています。
合成着色料から天然系へ……。
なぜならば、天然系着色料のほうが毒性が低い、という保証はまったくありません。天然物で毒性が高い物質は多数あります。また、天然物は精製が難しく不純物が混じります。過去に天然系着色料において、不純物として含まれるたんぱく質によりアレルギー発症者が多数出た事例がありました。加えて、天然系着色料は色が薄く、使用量が増える傾向があります。
それに比べれば石油系着色料のほうが、純度が高くたんぱく質が混じる可能性はなく、使用量が少なくて済むのです。
■バイデン政権の規制とは理由が異なる
合成、天然を問わず着色料一つ一つについて検討しリスク評価したうえで、使用の可否を決める必要があります。なのに、ケネディ長官らは科学的根拠、データを示さず「合成から天然へ」と宣言しました。あまりにも乱暴なやり方です。
ややこしいことに、FDAはバイデン政権時代の今年1月、食用赤色3号の使用許可取り消しを公表しました。
赤色3号は、以前からラットを使った試験で発がん性が指摘されており、これが「動物やヒトにがんを引き起こすと考えられる物質は食品添加物として使用できない」とするデラニー条項に違反することから許可取り消しとなりました。しかし、FDAは「発がんはラット特有のものであり、ヒトが摂取する着色料としての安全性については懸念がない」と断言しています。
■“宣言”はただのパフォーマンスか
今回の合成着色料禁止の流れは、赤色3号の判断とは異なっており、ケネディ長官らは「着色料は、子供たちの健康や発達に大きな有害性を持っている」などと述べています。ところが、有害性の具体的な科学的根拠(エビデンス)は、示していません。
実のところ、ケネディ長官らの廃止“宣言”は、法令改定などの具体的な道筋が示されていないのです。日本のメディアは「段階的に使用停止」などと確定的であるかのように報道しましたが、現段階ではパフォーマンスに過ぎず、今後の行程は不明です。
合成色素と天然色素の両方の事業者が入っている国際着色料事業者協会(The International Association of Color Manufacturers)は声明を発表し、「現在許可されている着色料は合成、天然問わず安全である」とし、「天然着色料は豊富な農業資源を必要とし、ケネディ長官らが主張する26年末までの代替は無理。大きな混乱を招く可能性がある」と警告しています。
■日本では「安全上の懸念なし」と判断
では、日本ではどういう影響があるのか? 日本でも合成着色料を避ける風潮はあり、ケネディ長官の動きを支持する人もいます。アメリカの動きを受けて、消費者庁が専門家を集めて設置している「食品衛生基準審議会添加物部会」で2月と6月、着色料の安全性が検討されました。
日本で使われている合成着色料は図表1の12種類で、そのうちケネディ長官らが段階的禁止を示したのは灰色の6種類です。
赤色3号については、アメリカと同様に「ラットの発がんは、ヒトでは安全性上の問題とはならない」としました。日本にはデラニー条項のような規定はなく、科学的なリスク評価とリスク管理が行われます。
審議会の検討を受け消費者庁は「食品添加物としての通常の使用の範囲内では安全性上の懸念はない」と判断しています。赤色3号は日本では、菓子やかまぼこ、漬物などに使われています。
■子どもへの影響についても検証
審議会では、アメリカで使用されてきた7種類のほか、使われていない残りの5種類についても検討しました。いずれも、菓子、漬物などに長年使われてきた着色料です。
消費者庁から、アメリカの動きが新たな科学的知見によるものではないこと、アメリカ以外の国では合成着色料の取り扱いを変更する動きがないこと、日本における摂取量が極めて少ないこと、引き続き情報収集に努めることなどが報告されました。委員から異論は出ませんでした。
ケネディ長官らは「子どもに有害」などとシンプルなフレーズで主張していますが、アメリカのメディアでは合成着色料の有害性を示す研究が報道されています。それらの一部についても、6月の審議会で消費者庁が説明しています。
英国で2007年、日本で用いられている合成着色料(食用赤色4号、赤色102号、黄色4号、黄色5号)と認可されていない二つの合成着色料、それに保存料の混合摂取が、子どもの多動性に影響を与えるとする研究が発表されました。これを受け、英国食品基準庁が国民に向けて注意喚起のアドバイスをしました。
日本の審議会でも2008年、検討されましたが、 研究結果へ疑問が出され、日本での子どもの摂取量が英国の研究で用いられた摂取量よりもかなり低いことも確認されて、規制の変更はありませんでした。
なお、英国食品基準庁の注意喚起については、日本だけでなく他の国も同意しておらず、たとえばドイツ連邦リスク評価研究所は「観察された影響はわずかであり、多動性との因果関係を示す証拠はない」と判断しています。
■原因は「食事、化学物質、ライフスタイル、医療」
次に、ケネディ長官らが掲げたのが、冒頭に触れたMAHAリポートです。こちらは、着色料問題に輪をかけて、アメリカの今後の医療や食品行政の混迷を促すものとなりそうなので、紹介しましょう。
MAHAとは、Make America Healthy Againのこと。2月に大統領令として出され、5月22日、ホワイトハウスからMAHAリポートが出ました。子供たちに肥満や糖尿病、自閉症やアレルギーなどが増えているとし、原因として食事、環境中の化学物質、ライフスタイル、医療の4つであると断定しています。
■一見もっともらしい「疑似相関」
具体的に槍玉に挙げているのは超加工食品、合成着色料、人工甘味料、農薬、電磁波、マイクロプラスチックなど多岐にわたり、82日後に具体策を公表する、としています。
ただし、リポートにこれらの作用メカニズムについての詳細な記述はありません。「○○が大量に利用されている→子どもの健康問題が増えている→だから、○○が原因である」というようなストーリーばかりです。
トランプ大統領、ケネディ長官肝煎りの内容で、一見もっともらしい。しかし、増えている、というのが実態なのかどうか、まず疑う必要があります。たとえば、自閉症の増加は社会の関心が高まり診断の機会が増えた影響が大きい、とされています。
また、増加が事実だとしても、擬似相関になっている可能性があります。擬似相関というのは、実際には直接的な因果関係はないのに、関連があると見えるものです。「アイスクリームの売り上げが増えると水難事故も増える。だから、アイスクリームが事故の原因だ」とはならないのは、だれでもわかります。これが擬似相関。このような論法にとらわれていると、真の原因を見落とす可能性があります。
アメリカでも、科学者たちがソーシャルメディアなどで批判を展開しています。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部で長年、情報の解析をしてきた畝山智香子・同研究所客員研究員はコラムでMAHAリポートについて「陰謀論のカタログになっている」と評しています。
■生成AIの「幻覚」が混じっている疑惑
これに加えて5月末、リポートを解析したメディアなどから「引用文献の中に、存在しないものが複数ある」という指摘が出ました。ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、CNNなどが続々と報じ、論文を引用された科学者のひとりが、「私は、このような論文は書いていない」と名乗り出る始末となっています。生成AIによる誤情報、ハルシネーションではないか、とみられています。
このようなミスは学術論文では許されず、見つかったら論文自体が掲載撤回となります。ましてや、政策の根拠となる国の報告書なのですから、前代未聞。ところが、ホワイトハウスの報道官は「編集上のミスに過ぎない」と説明し、更新版に差し替えたのみ。リポートを公開しているホワイトハウスのウェブサイトでも、どこを変更したかなどの説明はまったくありません。
■「企業が悪者」と単純だから、一部で歓迎される
全体を通じて見えてくるのは、自然志向で反ワクチンや反農薬、反添加物、反加工食品などを訴え企業批判を繰り広げ、それ故に自然派ママなどの支持を得て社会への影響力を強めてきたケネディ長官の意向が通り、科学的な精査がないまま、「悪いに決まっている」という話になっている、ということ。話が単純で企業が悪者になり、一部の人たちにはウケのよい構図です。
日本は今のところ、アメリカになびく方向性は見えません。むしろ消費者庁は、アメリカの着色料規制の動きを受けて迅速に一般向けの解説Q&Aを更新したり、審議会で検討したりして、科学的根拠に基づく食品安全行政を強くアピールしようとしているように見えます。
食品添加物など化学物質の毒性とリスク評価に詳しい小川久美子・星薬科大学教授は「化学合成の着色料であっても、規格や基準が明確で安全性が確認されているものの方が、成分が不均一になりやすい天然系よりも信頼性が高いのは明らか」と説明します。
■優秀な科学者が逃げ出したFDAの信頼性
アメリカの動向について「FDAで科学的な行政を支えてきた優秀な科学者が、どんどん辞職している実態があります。日本はこれまで、FDAやEUの食品安全評価機関(EFSA)などの判断も参考にして科学的なリスク評価と管理を行ってきました。
ところが今、FDAの情報や判断を信用していいのかわからなくなってきました。さらに、世界保健機関(WHO)関連のリスク評価に、FDAの熟練した専門家が参加できなくなり、国際評価や国際協調にも混乱をきたす事態になってきています。日本の食品安全行政への影響は小さくないのでは」と話しています。
日本の現在の政治的な状況も見る限り、単純でわかりやすい陰謀論に流れる雰囲気がない、とは言えません。反科学の思い込みは実効性のある対策にはつながらず、かえって市民のリスクを大きくする可能性があります。アメリカでも日本でも、食品安全行政の方向に注意が必要です。
※記事は、所属する組織の見解ではなく、ジャーナリスト個人としての取材、見解に基づきます。
<参考文献>
アメリカ食品医薬品局(FDA)ニュースリリース(2025年4月22日)・HHS, FDA to Phase Out Petroleum-Based Synthetic Dyes in Nation’s Food Supply
The International Association of Color Manufacturersプレスリリース(2025年4月23日)
消費者庁・食用赤色3号のQ&A
消費者庁・食品衛生基準審議会添加物部会
アメリカ保健福祉省(HHS)プレスリリース(2025年5月22日)・MAHA Commission Unveils Landmark Report Exposing Root Causes of Childhood Chronic Disease Crisis
Foocom.Net・畝山智香子野良猫通信
NOTUS(2025年5月29日)・The MAHA Report Cites Studies That Don’t Exist
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松永 和紀(まつなが・わき)
科学ジャーナリスト
京都大学大学院農学研究科修士課程修了。毎日新聞社の記者を経て独立。食品の安全性や環境影響等を主な専門領域として、執筆や講演活動などを続けている。主な著書は『ゲノム編集食品が変える食の未来』(ウェッジ)、『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(光文社新書、科学ジャーナリスト賞受賞)など。2021年7月より内閣府食品安全委員会委員(非常勤、リスクコミュニケーション担当)。記事は、所属する組織の見解ではなく、ジャーナリスト個人としての取材、見解に基づきます。
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(科学ジャーナリスト 松永 和紀)