■内示もなく28歳のとき営業局長から執行役員に
27歳の若さでインターネット広告事業の営業局長に就任し、それを機にプレイヤーからリーダーへと成長を遂げた河合典子さん。現在は執行役員という立場にあるが、ポジションに関していえば、自ら道を切り開いてきた実感はまったくないという。
「当初はマネジメントのマの字も知らなかったし、意識もしていませんでした。今の自分があるのは、組織に引き上げてもらった結果だと思っています」
局長になっただけでもすごいのに、28歳のときには、突然、執行役員に“引き上げ”られた。本人は何も知らされないまま、全社員が集まる半期に一度のグループ総会でいきなり発表されたのだ。事前の打診はおろか、「なぜ選ばれたのか」という説明もなかった。
「びっくりですよね。でもうちってそうなんですよ」と河合さん。役員になったからといって新たな仕事やミッションを与えられることもなく、最初の経営会議では「典子、役員になったけど何やる?」と逆質問されたほど。聞けば、サイバーエージェントではそれが普通なのだそうだ。
ちなみに、このときの就任は同社独自の人事制度「CA18」によるものだ。
■女性活躍のロールモデルとして期待された
人一倍元気で明るく、意欲旺盛で入社後に大きく伸びたタイプ。社員にとって身近で親しみやすい存在で、今では経営陣からの信頼も厚い。だから若手のモチベーションアップにつながる存在として、また女性メンバーのロールモデルとして適任だと思った――。
「ありがたかったですね。でも役員として何をやるかは自分で考えて提案していく必要があったので、そこは大変でした。自分は何をすべきなんだろう、何ができるんだろう、どんなチャンスをつかめばいいんだろうと散々考えました」
就任時はまだ28歳。役員としてのあり方を模索すると同時に、兼任していた営業統括との仕事のバランスにも試行錯誤する日々が続いた。そんな中、29歳で結婚。
役員になったばかりで迷うところもあったが、「子どもは授かりものだから、自分たちのタイミングを優先していいんだよ」という上司のひとことでスッと気が楽になり、31歳のとき、男の子を授かった。
■執行役員の立場で出産、産休育休中の不安
出産にはもちろん不安もあった。20代の半ばごろから、この先出産したとして仕事と育児を両立できるのか、今のように営業回りを続けられるのかなど、漠然とした悩みを抱き続けてきたという。
「でも、未来がどうなるかなんてわからないじゃないですか。子どもが生まれたら、自分の価値観も人生の優先順位も変わるかもしれない。だから今は走り続けて、そのときが来たら悩めばいいやって思うようにしてきました」
だが、実際にやって来た“そのとき”は想像以上につらかった。産休と育休をあわせて1年。これまで全力で走り続けてきただけに、半年がたつころには、仕事もなく家でひとり乳幼児と向き合う生活に耐えられなくなった。
夫婦ともに実家は遠方で、夫が仕事に出かけている間は話し相手もいない。家事育児のほとんどがワンオペで、夜泣きで眠れないことも多々。かわいいはずの我が子が憎たらしく思えるときもあり、そんな日は自己嫌悪で落ち込んだ。
社会から取り残されたような感覚や、復帰後どこまで会社の期待に応えられるのかという不安も日に日に大きくなり、やがて河合さんはちょっとしたことで気持ちが沈んだりイライラしたりするようになっていく。
そんな窮地から救ってくれたのが、前編で登場した3歳年上の戦友だった。ひと足先に出産し復職していた彼女は、河合さんの話を聞いて「それは産後うつでは?」と指摘。悩みや不安に寄り添いながら、「育児って今は大変だけど、もう何カ月かすれば光が見えるから」と励まし続けてくれた。
■コロナで保育園に預けられず、ワンオペでパンク
そんなつらかった育休が明け、河合さんはようやく仕事ができると喜び勇んで職場に復帰。育休中にCA18が廃止され、新たな役員体制に移行していたため、営業統括として再スタートを切った。
とはいえ仕事の内容や量は役員時代とほとんど変わらず、忙しい毎日が続く。しかも世はコロナ禍に突入したばかりで、さんざん探し回ってようやく確保した保育園も休園になってしまった。
そのため時短勤務で復帰したが、リモートワークをしようにも、そばに小さな子どもがいてはなかなか仕事にまで手が回らない。保育園に預けて働くという選択肢が消えた中、仕事と育児の両立は想像以上に難しかった。
「復帰したときは、何だか意気込んじゃっていたんですよね。心の中で腕まくりして『よしやるぞ!』って張り切っていましたから。仕事も育児も完璧を目指して、全部自分でやろうとしていました」
しばらくは頑張り続けたものの、そんな気を張りっぱなしの生活を長く続けられるはずもない。そのうち気力にも体力にも限界が来て、これ以上は無理というところまで追い詰められた。そうなってようやく、河合さんは当時役員だった女性に相談しに行く。
「そうしたらめちゃめちゃ怒られました。
■仕事も育児も「80%ぐらい」を心がけるように
ポジションは変わらなかったものの仕事量は調整され、以降は仕事も育児も「80%ぐらい」を心がけるようになる。部下や外注に任せられるところは任せ、手を抜けるところは抜く。そうして徐々に自分なりの両立のコツをつかみ始めたころ、執行役員への再就任が決まった。復帰から2年後のことだった。
今回は事前に副社長から打診があり、「お前らしく好きなことをやれ」というメッセージももらった。両立への不安もなく、前回の役員経験を糧にできる自信もあった。
「今、インターネット広告事業部は2000人以上の組織になっていて、私はそのうち200人ほどを統括しています。再就任後は部署の女性管理職比率を上げるための取り組みも始めました。色々な施策を勝手にやっています(笑)」
■執行役員に改めて就任、女性管理職を30%にまで引き上げた
サイバーエージェントの女性比率は全従業員で33.7%、管理職で24.9%、執行役員以上で18.2%。中でも河合さんが率いる部署は女性管理職比率が高く、約30%にのぼる。
しかし、他の部署ではまだ男性管理職が多数を占めているところも、ワーママ比率が低いところもたくさんある。マネージャーに引き上げられた女性が、悩みを相談できる同性の先輩がいないことから辞めてしまうケースも相変わらず多い。
そのため、まずは自分の部署から変えていこうと、河合さんはスキルアップの機会や横のつながりをつくる機会を次々と提供。女性管理職がつまずきがちな“しくじり”を共有するワークショップも開催している。
■たくさんの「つまずき」があったからこそ、楽観的になれる
自身も、数々のしくじりを経験したからこそ今がある。今ではマネジメントの失敗も出産後の苦い経験も、すべて笑って話せるようになった。
好きな言葉は「明日は明日の風が吹く」。未知の出来事に直面して不安を感じても、先のことはそのときが来たら考えればいい、どうにかなると楽観的に考えようと決めている。突然の昇格も出産への不安も、そうやって乗り越えてきたのだから、と。
若手の育成にも余念がない。今の若者は優秀で効率よく仕事をこなすが、それだけに全力で突進して壁にぶち当たるような機会は少なくなっている。そう語った後、「だから、ほどよい修羅場をセットしてあげたくて苦心しているところなんです」と笑った。
夫婦ともに、動くことで疲労回復やストレス発散を図る「アクティブレスト」派。休日は、6歳になった息子を連れて頻繁に旅行やスノーボードに出かけている。
20代のとき社長に言われた「人一倍元気で明るく意欲旺盛」は今も健在。この先また壁にぶつかることがあっても、その長所と挫折経験を活かし乗り越えていくに違いない。
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辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。
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(フリーランスライター 辻村 洋子 取材・文=辻村 洋子)