長年、ハーバード大学経営大学院の授業や日本への研修旅行を取材してきた佐藤智恵さんは、「同大学院の学生や教員の間では、近年、日本の長寿企業への関心が高まっている」という。最新の日本研修旅行、授業、教材から見えてきた日本の知られざる強みとは――。

■ハーバード経営大学院恒例の「ジャパントレック」
――ハーバード大学経営大学院で一番人気の研修旅行先が日本ということですが、そもそも学生や教員は、日本にどんなことを学びに来ているのでしょうか。
【佐藤智恵、以下・佐藤】ハーバード大学経営大学院恒例の学生主催の日本への研修旅行「ジャパントレック」は毎年5月に実施され、約100~120人もの学生が来日しています。この研修旅行の目的は日本の歴史・文化体験。学生たちは9日間かけて、東京、京都、広島などを回り、神社、寺、ミュージアムから、ドン・キホーテやユニクロの店舗、ゲームセンターまで、日本の文化をまるごと体験します。
研修には、アメリカ人学生に加え、世界各国から来ている留学生も参加しています。「生まれて初めて日本に行く」という学生が多いのが印象的ですね。
参加した学生たちにインタビューしていて、毎回、感心するのが、経営大学院や大学の学部で学んだ知識をもとに、自分なりの観点から日本をとらえているところ。話をしていると、鉄道のオペレーション、駅の構造、店舗の販売方法など、専門的な知識を基に詳しく分析してくれることが多々あります。こうした視点から日本の本質をとらえているのはさすがだと思います。
また学生たちがそれぞれ日本でハマるものが違うのも面白いです。ラーメンばかり食べたという人もいれば、ひたすら「ししとう」の料理を食べたという人もいます。アナログなクレーンゲームの虜になったという人もいれば、駅のスタンプ集めに夢中になったという人もいます。

一方で共通して語ってくれるのが、日本人から親切にされた経験。学生たちの話を聞いていると、「私たち日本人ってこういう良いところがあるんだよな」と気づかされることもしばしばです。こうした日本人との触れ合い体験も含めて、学生たちは日本の文化を学びに来ているのだと思います。
■トランプ政権との対立が続く2025年も…
――2025年もジャパントレックは実施されたのでしょうか。
【佐藤】2025年も5月21日から29日までの日程でジャパントレックは実施されましたが、例年と大きく違っていたのは、旅行3日目の5月23日、「米トランプ政権がハーバード大学の留学生受け入れ資格停止を発表した」というニュースが、いきなり飛び込んできたことです。
これを受けて、旅行の幹事をつとめる日本人学生たちは、最新の入国情報を収集したり、アメリカに帰国を希望する学生の数を把握したり、早朝から対応に追われたと聞いています。「多くの留学生が帰国してしまうのではないか」「旅行を続行できなくなるのでは」と不安になったそうですが、翌日にハーバード大学が提訴し、その日のうちにマサチューセッツ州の連邦地裁が一時的に差し止める仮処分命令を出したこともあり、すぐに帰国した留学生は数人で、ほぼ全員がそのまま旅行を継続することを希望したそうです。
■なぜ日本には「桁外れ」の長寿企業が?
――学生だけではなく、教員の間でも日本は研修先として人気が高いと聞いています。2024年の教員研修ではどのような企業を視察しましたか。
【佐藤】2024年6月にハーバード大学経営大学院の教員33人が研修旅行で来日しましたが、多くの長寿企業を視察したのが印象的でした。虎屋、山本山、第一生命ホールディングスなど、視察した企業13社のうち5社が長寿企業でした。
限られた研修旅行の時間の多くをこれらの企業に割いたのは、それだけ強い関心を持っていることの表れだと思います。
このうち、虎屋の事例は2022年にハーバード大学経営大学院の教材に取り上げられ、授業でも教えられています。
なぜ世界の中でも特に日本の長寿企業がこんなに注目を集めているのか。その理由は2つあります。1つは圧倒的に数が多いこと。日本には、創業100年以上の企業が約4万5000社もあります(2024年帝国データバンク調査)。
もう1つは超長寿企業が数多く存在していること。世界最古の企業、建設会社の金剛組の創業は西暦578年。1400年以上の歴史を持ちます。このほかにも日本には創業1000年を超える企業が11社も存在しています(2024年帝国データバンク調査)。
そもそも建国約250年のアメリカには、長寿企業の数は極めて少ないですし、大企業の寿命も平均15~20年とどんどん短くなっています。アメリカに住んでいる人たちから見れば、創業500年、創業1000年というのは、想像もつかないほどの歴史の長さです。
もちろんヨーロッパにも長寿企業はありますが、日本ほど超長寿企業が集まっている国はありません。
そのため、教員たちは「日本に行ったら、ぜひ長寿企業を直に見てみたい」と思うのではないでしょうか。
――日本の長寿企業は学生の間でも関心が高いのでしょうか。
【佐藤】ハーバード大学経営大学院で「虎屋」の事例を教えているローレン・コーエン教授によれば、学生の間でも、長寿企業への関心が高まりつつあるそうです。その理由の1つは、発展途上国の財閥の後継者、日本の中小企業の後継者など、ファミリービジネスの後継者が少なからずいること。こうした学生たちにとって、「自分のファミリーの事業をいかに長く存続させるか」は、まさに自分の人生やキャリアに影響する重大な問題なのです。
もう1つは、就職先として「ファミリーオフィス」(超富裕層を対象に資産管理や運用サービスを提供する機関)の人気が高まっていること。ここで働く人たちが知りたいのは、どのような企業に投資をすれば、永続的にファミリーの資産を増やせるのかです。こうした2つの理由から、学生の間でも長寿企業への興味が増しているのだそうです。その中でも、創業500年企業の虎屋は、授業で教えている企業の中でも最古だそうで、毎回、高評価を得ていると聞いています。
■虎屋など同族経営の「世襲」の良さとは?
――日本では政治でもビジネスでも「世襲」は批判されがちですが、ハーバード大学経営大学院では同族経営企業の後継者選定制度はどのように評価されているのでしょうか。
【佐藤】社長の後継者をファミリーの中から選ぶという制度は世界中の同族経営企業に見られます。ところが、ハーバード大学経営大学院のジェフリー・ジョーンズ教授によれば、他の国では「長男が継ぐ」というルールを定めている企業が結構多いのだそうです。

また韓国ドラマを見ているとわかりますが、創業家一族の多くが同じ会社に就職し、経営を担い、結果、骨肉の争いを繰り広げるというパターンもよくあります(笑)。すると経営が混乱し、企業は破綻へと向かってしまいます。
一方、日本の「超」長寿企業は、後継者の選定ルールが合理的かつ明確なのだそうです。逆にいえば、だからこそ長く存続できたともいえます。たとえば創業500年企業の虎屋には、「一世代につき一人限り」(一世代につき一人しか虎屋に就職できない)という厳密なルールがありますし、創業1400年企業の金剛組には、「後継者は能力で選ぶ」というルールがあります。そのため金剛組では、長男だけではなく、直系の三男、分家の次男、女性、養子などが実力で後継者に選ばれ、トップを務めてきました。
こうした後継者選定方法の利点は、若い頃から経営者候補として育成できることだと思います。一般的な日本企業ですと、年功序列が重視され、だいたい60代ぐらいの人が社長に選ばれて、次も60代ぐらい、また次も60代ぐらいというパターンが多く、30~40代が抜擢されることはまずありません。
ところが同族経営企業では、早くから後継者候補を育てていますから、ベテランの経営者が、思い切って、若い経営者にバトンを渡すこともできます。たとえば虎屋の18代当主、黒川光晴氏が社長に就任したのは35歳のときです。すると若い経営者は大胆な改革ができて、時代にあったイノベーションを起こすことができます。この制度は企業を長く存続する上で、非常に理にかなった制度だと感じています。

■そもそもの組織力が高い日本企業
――「長寿であること」のほかにも、『なぜハーバードは虎屋に学ぶのか』を執筆された中で見えてきた日本企業の強みはありますか。
【佐藤】著書では日本企業の強みを数多く紹介していますが、今回の取材で特に印象的だったのが、日産自動車の危機管理能力が高く評価されていたことです。
日本では、日産は業績が悪化していることもあり、課題系のニュースばかりが目立ちますが、ハーバード大学経営大学院の教員は逆にそういう課題をその都度乗り越えて、存続してきたことを強みとしてとらえているのが興味深かったですね。
日産は創業から現在に至るまで、あらゆる経営危機を何度も乗り越えてきているので、社内に危機対応に関する知識が蓄積されている。だからこそ、「つぶれる」といわれながらも「つぶれない」のだと。そしてその能力が震災後やパンデミック下でいかんなく発揮されているところに注目して、教材化しているのです。
このように日本には長い歴史の中で、何度も経営危機に見舞われながらも、蘇ってきた企業は数多くあります。その大きな要因は、現場の社員の能力が高く、国や会社への忠誠心が強いことだと言われています。アメリカでは企業が危機にみまわれると社員はさっさと退職してしまいますから。
一方、日本では、経営者が経営に失敗して、会社が危機に陥っても、現場の社員が団結して能力を発揮して見事に再生させてしまう。たとえばリクルートホールディングスの事例もハーバード大学経営大学院の教材に取り上げられていますが、それを読むと、当時の若手社員がどれだけ企業文化の変革に貢献し、再生への原動力になったかが分かります。
先ほど申し上げたとおり、アメリカ企業の寿命は短くなるばかりです。
これはこれで、経済を活性化する上で利点もありますが、実はパンデミックや金融危機のような状況をうまく乗り切って、長く存続させたいと思っている経営者は多い。だからこそ、日本企業の危機対応能力や復元能力が学ばれているのだと思います。
■フジテレビ問題でフジより注目された企業
――反対に、日本企業の課題はどんなところでしょうか。の中でもフジテレビ問題が取り上げられていますが、やはりコーポレートガバナンスに対する意識が低いところでしょうか。
【佐藤】これまではグローバル化、ダイバーシティの実現、イノベーションの創出などが課題として挙げられてきましたが、近年、特に指摘されているのがコーポレートガバナンスです。
いわゆる「フジテレビ問題」は日本では大きく報じられていますが、アメリカでは全くと言っていいほど知られていません。ハーバード大学経営大学院でも認識しているのは、日本企業のコーポレートガバナンスを研究している教員ぐらいではないでしょうか。
しかも、アメリカのコーポレートガバナンスの研究者や投資家が興味を持っていたのは、フジ・メディア・ホールディングスのガバナンス機能不全よりもむしろ、トヨタ自動車やホンダなど、世界経済にも影響を与える日本の大企業がいかにこの問題に対応したかです。
つまり、すぐにCMの出稿を取りやめたのを見て、逆に「日本の大企業のコーポレートガバナンスは健全に機能している」ことを確認したわけです。
コーポレートガバナンスは日本だと「不祥事を未然に防ぐための仕組み」のようにとらえられていますが、本来の目的は価値創造。つまり、健全な経営を実現し、もっと効率的に儲けて、利益を増やして、株主などのステークホルダーに利益を還元するための仕組みです。フジ・メディア・ホールディングスをはじめ、多くの日本企業は、それを今まさに学んでいる渦中にあるのではないでしょうか。
ですからハーバード大学経営大学院の教員も投資家も関心があるのは、個別の不祥事案件よりも、むしろ日本企業が低い利益率をどう改善して、株主に還元していくのかという点だと思います。
――ハーバード大学経営大学院の教員や学生の間では、日本経済はさらに成長すると考えられていますか。
【佐藤】それについては賛否両論がありますが、確実に言えるのは、「日本企業にはまだまだ伸びしろがある」と考えている人が増えていることです。
ハーバード大学経営大学院のチャールズ・ワン教授によれば、これまで多くの日本企業の経営者は「会社は社員や事業に直接関わる人々のものだ」と認識し、「会社を存続させることこそが経営者の責任なので、赤字さえ出していなければOKだ」と考える傾向にあったそうです。そのため、株主への還元は後回しにされてきました。
しかし近年は、コーポレートガバナンス改革が進み、資本コストを意識した経営を実施している企業も増えてきました。またそれに対応するように株価も上昇してきています。こうした変化を見て、教員や学生の中にも日本経済はこれからさらに成長するとみる人も出てきています。
そう考えるとフジ・メディア・ホールディングスも、これから再生する可能性は非常に高いと思います。アクティビストがあれだけ真剣に株主提案をするのも、まだまだ成長する能力があると見ているからだと思います。先ほども申し上げましたが、日本企業は現場の社員が優秀なので、これまで能力を存分に発揮できなかった社員が奮起すれば、見事に再生できるのではないでしょうか。
同じように、今、行き詰まっている日本の企業も、経営者が本気になって自社の経営を見直し、社員の能力を活かせば、再生できる可能性は非常に高い。日本企業には、そのための底力が備わっていると思います。

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佐藤 智恵(さとう・ちえ)

作家、コンサルタント

1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。『ハーバードでいちばん人気の国・日本』(PHP新書)、『ハーバード日本史教室』(中公新書ラクレ)など著書多数。最新刊は『なぜハーバードは虎屋に学ぶのか』(中公新書ラクレ)。

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(作家、コンサルタント 佐藤 智恵 構成=池田純子)
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