企業がファンを獲得するために、重要なこととは何か。2024年に新日本プロレス社長に就任したプロレスラーの棚橋弘至さんは「プロレス人気が低迷していた時期にも、地方での宣伝活動に積極的に参加し続けた。
そうした場で直接会った人は、その後も試合を観に来るファンになってくれる」という――。
※本稿は、棚橋弘至『棚橋弘至、社長になる プレジデントエースが描く新日本プロレスの未来』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
■プロレスファンはなぜ社長人事にまで注目するのか
プロレス会社にとって、社長人事は通常の会社とはやや異なる意味合いを持つ。
ゲームやアニメなどのファンを持つエンターテインメント会社において、社長人事をファンの方々が気にする機会はそれほど多くないだろう。だが少なくないプロレスファンはレスラー社長であろうとも、そして背広組の社長であろうとも、その経歴や人柄なども含めて興味を持ってくれる。
これは新日本プロレスがこれまで何度も経営危機に陥ったことが一つの原因かもしれない。つまりファンの方も経営者目線を自然と持ってくださっていて、自分だったらこう経営すると考えたり、レスラーへのアプローチなどもそれぞれの理想とするものを考えてくださったりしていると思う。
これはなぜか。リング上の対立構造などに会社というものが関わり、時として反体制派のチームからは耳が痛い会社批判が発せられる、プロレス独自の文化構造と切り離せない。つまり経営と現場のレスラーがある意味地続きとなっていて、ファンの方はそこを切り離しておらず、どこか株主のような視点で見ておられる特殊構造の世界なのかもしれない。
■コロナ禍で停滞した空気の刷新を期待されていた
だからこそ僕が、明るい空気感を作り出せる経営者として木谷オーナーから求められた側面も大きいだろう。
新日本プロレスの親会社がユークスさんからブシロードグループへと移り12年。

干支が一周する期間を経て、コロナ禍もあり一度停滞してしまった新日本プロレスの空気を変えたいと木谷オーナーは思われていたそうだ。
その適任者は誰かと考えた中で、やはり明るい人がいいと考えた上で棚橋の名前が浮かんだと伝えられた。
その意味では僕はまさに最適な人材だと思っている。
疲れない、落ち込まない、諦めない。
この三つを僕は逸材三原則と呼んでいるが、この三要素を兼ね備えた僕が新たな決意とともに新日本プロレスの空気をより明るいものに変えていきたいと思う。
■社長就任会見で掲げた三つの公約
僕は社長就任会見において三つの公約を掲げた。
これは社長就任が決まってから、改めて自分は新日本プロレスをどうしていきたいのかを冷静に考え直した上で作り上げた公約だ。
そんな一つ目の公約は「東京ドーム大会を超満員にする」こと。
これは社長になる前から、僕がずっと抱いていた目標でもある。やはり超満員となった東京ドームのお客様の視線を浴びながら、リングに向かう花道を歩くのはまさにプロレスラーにとって誉れでもある。
かつての新日本プロレスには、まさに超満員の東京ドームが存在し、多くの名選手たちが花道をリングに向かって歩いてきた。だからそれを、今いる選手にも経験してほしい。
この経験は絶対にその後のレスラー人生に大きな影響を与えるし、何より超満員で盛り上がった東京ドーム大会は間違いなくファンの皆様の記憶の中にも楽しい記憶、良い記憶として残っていくに違いないからだ。
2023年と比べ、僕が社長に就任したばかりの2024年はしっかりと東京ドームのお客さんを増やすことができた。ただ、これで満足することなく、できる限り近い将来に必ず東京ドームを超満員にするところまで僕は持っていきたいと思っている。
■地方でのプロモーションにレスラーとしてただ一人参加
次に二つ目の公約は「地方でのタイトルマッチをどんどん増やしていく」こと。
現在、新日本プロレスは国内で年間約150大会。それに海外での大会が加わるわけだが、かつては年250大会くらいやっていた時代も存在した。内訳はもちろん関東圏と大阪が多くはなるのだけど、地方大会での動員数はまだまだ厳しい部分もある。
地方会場でコンスタントに1000人来てくれたら、地方の中核都市では5000人を目指していける、そして地方中核都市で1万人を目指せるようになれば、東京ドームの超満員が見えてくるというのが僕の肌感覚だ。
この肌感覚は2000年代の新日本プロレスが苦しい状況にあった時代に、新日本の営業の皆さんとプロモーション活動をたくさんやらせていただきながら養ったもの。地方の大会で200人から300人くらいの状況を、まず500人を入れることを目指そう、そして500人を達成したら次は1000人……そんな形で僕は2006年から3年ほどの間、レスラーとしてただ一人プロモーションに参加し続けてきた。
2009年くらいからプロモーションを真壁刀義選手が手伝ってくださるようになり、今では新日本プロレスに所属する多くのレスラーが協力してくれるようになっている。
■何年たっても自分を覚えていてくれるファンがいる
こうして実際に地方に足を運んでプロモーションをさせていただくと、はっきりと手応えを感じられることが多い。

プロモーションでお会いしたり、訪れさせていただいた場所からは、本当にたくさんの人が会場に足を運んでくださる。
さらにそれは一度限りではなく、中には何年経っても僕のことを覚えていてくださって、毎年地方大会に足を運んでくださるようになる方も少なくない。
これは間違いなく今の新日本プロレスと僕の大きな財産になっている。
だからこそ、地方で喜んでもらえるカードを提供することが大事だと僕は考えている。
それにタイトルマッチを開催することで、新日本プロレスの大会に毎年足を運んでくださっている方が、周りのプロレス初心者の方を誘いやすいのではないかと思っている。
「タイトルマッチがあるから新日本プロレスを見に行こうよ」
誘い方はいろいろだと思うけど、そんなふうに言っていただけるように、都市部の大会場だけではなく地方でもいろんな工夫をしていきたいと思っている。
実際、矢野通選手が観光大使を務めている北海道の登別などでも、僕自身が所有していたNEVER無差別級6人タッグ王座をメインイベントで開催することができた。
もちろん北海道だけではなく、九州、四国、中国、東北と少し大きな括りでは各地でタイトルマッチの数を増やすことができてきている。
だからこの方針は堅持しながら、地方大会をさらに盛り上げていきたい。
そしてこの地方大会活性化という目標は、最初の目標である東京ドーム大会を満員にすることにもつながっている。日本全国でプロレスファンの熱量を高めることで、初めて東京ドームを満員にすることができるはずだ。だからこそ、地方大会の一つ一つを改めて大事にしていきたい。

■スポンサードを受けることが社会的信用につながる
そして三つ目となる公約は「スポンサー様とのパートナーシップを強化する」こと。
ここ数年、新日本プロレスは吉野家さんやミツカンさん、理研ビタミンさんなど多くの有名な企業様にスポンサードしていただいているけど、これは同時にプロレスに対する社会的信用にもつながると感じている。
実際に2025年の東京ドーム大会に関しては、JR東海さんが冠スポンサーとして応援してくださり、12月から1月末日まで2カ月間、東海道新幹線の車内放送で、新日本プロレスのクイズや東京ドーム大会の宣伝を流していただいた。
JR東海さんといえば、かつて世界的に有名なカート・アングル選手に勝った試合後に、「俺の成長は光より速い」と口にしたことを思い出す。
あの言葉を放った瞬間、僕とノーリアクションのマスコミ陣の間に温度差が生まれ、その空気を察した僕はもう少し何か言わなければと思い、つい「むしろ光だ!」と締めの言葉をつなげてしまった。
言い切る形で言葉を終えることができ、完璧だと思ったのだが、冷静に考えれば光より速いと言っているのに、むしろ光だと言ってしまうと逆に遅くなっている……あとで頭を抱えることとなった記憶が思わず蘇ってきたけど、改めてJR東海さんをはじめとした多くの有名企業様のスポンサードは本当にありがたいと思っている。
■レスラーが自ら発信するのはプロレス業界の強み
かつてのようなイメージはないにしろ、やはり過去にさまざまな興行会社で、完全に白とは言えないプロモーターが活動していた時代もあった。だからこそ今の新日本プロレスはきちんとした上場企業の傘下として、クリーンで信頼ある会社だということを、多くのスポンサー会社さんが認めてくださっていることは非常にうれしく、ありがたい。
もっともスポンサードはただ信用のためにしていただくのではなく、スポンサードしていただく以上、僕たちもスポンサー会社さんのことを積極的に発信していく必要がある。
そして、これはプロレス団体の得意とする部分だとも思っている。それはプロレスラーそれぞれが、スポンサーさんの商品などを個人的に世間に発信することができるからだ。選手からの発信量に関しては、プロレスは他のプロスポーツ以上に発信していると思う。

■メジャーリーグを視察して驚いたこと
このような選手とスポンサーとの関係を考える上では、アメリカでメジャーリーグを視察した時の経験が非常に大きい。ドジャースのグッズ売り場に足を運んだ僕は、そこにあらゆるスポーツメーカーが協賛するドジャースグッズがあることに驚いた。
日本だと一社提供の分野なども多いけど、新日本プロレスに関してはユニットや選手ごとにスポンサーが変わってもいいという発見があり、実際前述したミツカンさんと理研ビタミンさん両社のスポンサードが実現している。
プロレスファンはプロレスに関わってくれた企業さんに対し、プロレスラー同様に感謝の気持ちを持ってくれる傾向があり、だからこそ団体と同時にスポンサードしてくださった企業さんのことも推そうとしてくださるようだ。その意味でも新日本プロレスとしても、スポンサード企業様としてもお互いにとってプラスとなる関係性を強化していくことを目指していきたい。
この三つの公約を掲げて、僕は新日本プロレス社長に就任した。

----------

棚橋 弘至(たなはし・ひろし)

新日本プロレス第11代代表取締役社長

1976年11月13日岐阜県大垣市生まれ。キャッチコピーは“100年に一人の逸材”“エース”。立命館大学法学部在学時にレスリングを始め、卒業後の1999年に新日本プロレスへ入門。2006年に当時の当時の団体最高峰王座・IWGPヘビー級王座を初戴冠して以降、歴代最多記録となる8度の戴冠を果たす。真夏の最強戦士決定戦『G1 CLIMAX』は3度の優勝。2023年12月、現職就任。
2024年10月14日両国国技館大会の試合後に、2026年1月4日での現役引退を発表。

----------

(新日本プロレス第11代代表取締役社長 棚橋 弘至)
編集部おすすめ