周囲にポジティブな影響を与える話し方とはどんなものか。2024年に新日本プロレス社長に就任したプロレスラーの棚橋弘至さんは「『だと思います』よりも『です』と言い切るほうが力強いメッセージを与えられる。
レスラーとしてのマイクパフォーマンスで学んだこの話し方は、今は会社の朝礼でも活かされている」という――。
※本稿は、棚橋弘至『棚橋弘至、社長になる プレジデントエースが描く新日本プロレスの未来』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
■毎日出社するようになって事務方への意識が変わった
社長になる前の僕は、新日本プロレスの経営方針や事務方に対して声を上げたことがほとんどなかった。正直、会社のその部分に関しては全然ノータッチだった。
僕に限らず、新日本プロレスのレスラーは事務所に足を運ぶこと自体がほとんどない。取材やインタビュー、写真撮影、あとは年末年始の契約更改ぐらいだけで、そういった特別な機会がなければ事務所に行くことがなかった。
しかし、社長はオフィスに毎日出勤する。すると、同僚というべき事務方の見え方が全然変わってきた。
もともと僕は、自分がレスラーとして新日本プロレスのエースやチャンピオンであればこそ、団体のレスラーやその家族を食わしてやるという気概を持っていた。しかしながら社長となった今、レスラーだけではなく会社のオフィスで働いているみんなを食わせなければいけないというふうに、意識が明確に変わった。
そう、新日本プロレスに関わる全ての人を今の自分は背負っているのだ。
背負いすぎて前以上に膝がボロボロになったような気もするけど、自分一人で全てができるわけではなく、周囲の支えのおかげなのだと気づくことも増えた。

実際、僕は社長であると同時に、改めての社会人一年目でもあるのだ。
■会社のためを思って働いているのはレスラーだけではない
いや、もちろんプロレスラーも立派な社会人である。しかし僕は大学を卒業してそのままプロレスラーになった以上、スーツを着て出社をして同僚と机を並べてという経験は初めてだったのだ。
だからこそ社長就任を機に、事務方の仕事や思いを積極的に学び、そしてレスラーたちの思いを当事者として事務方に伝えたいと思っている。まさに事務方とレスラーとの(棚)橋渡しだ。
年間150試合を行う上で、過密な連戦日程が組まれた場合や、長距離の会場間移動が必要な場合の過酷さはレスラーとして十分にわかっているから、以前も会社に対し、改善案を含めた意見を持っていったことはある。でもそれは経営目線ではなく、あくまで選手として、試合日程や巡業に関するものが大半だった。
しかし社長として会社全体を見渡すからには、やはり利益を上げなければいけないので、大会数を増やしたり、連戦のスケジュールを組んだり、長距離の会場間移動を考えなくてはいけない場合もある。レスラーだけではなく事務方も間違いなく会社のためを思って働いていて、悩みや困難を抱えているのだと、社長になってから肌身に感じた。
新日本プロレスにおいて、巡業チームと事務方はまさに会社の両輪だ。僕はその両者のクッション役、橋渡し役を今後積極的に担っていくつもりだ。この両輪が今以上にうまく噛み合えば、もっと会社は良くなると信じている。

■プロレスラー棚橋弘至が落ち込まない理由
僕は落ち込むことがない。それどころか疲れないし、諦めもしない。
基本的に、僕は落ち込む時間が非常にもったいないと思っている。人差し指を顔の前で一周させて円を描き、指をパチンと鳴らして「わ~すれろ」と唱える。途端、悔しい気持ちや落ち込む気持ちは隠れてしまう。このおまじないをすることで、僕は仮に一瞬だけ落ち込んだとしても、もう次の瞬間には平常心に戻れるのだ。
やはりプロレスラーは不甲斐ない試合をしてしまったり、大事なタイトルの試合で負けたりして落ち込むことはある。でも、絶対にそれを引きずるわけにはいかない。なぜならば次の日の相手となる選手や、次の日に見に来てくれるお客様はそんな事情を知らないからだ。
年に一度しか巡業で回ってこない試合を、本当に楽しみにされている日本各地のファンの皆さんに見せたいのは、前日の失敗を引きずって落ち込んでいるレスラーの試合ではなく、100%の全力で相手に挑むレスラーの試合だ。だから、前日のネガティブな気持ちを引きずらないことの重要性を、僕自身は巡業から学ぶことができた。
■リング上で学んだ「期待が能力を引き出す」
一方、いかに僕が落ち込まない人間だとしても、社員に対し一切落ち込むなと言うことはできない。
だから社員に対しては、社長として励まして背中を押してあげることを意識している。
そのために重要なのは、社員を一目見て落ち込んでいるのに気づくことだ。気づくことができなければ、励ますという行動にたどり着くことさえできない。つまり重要なのは、普段から積極的にコミュニケーションを取り、社員それぞれの普段の性格やテンションを理解しておくこと。
そしてその上で、普段と違って落ち込んでいる社員に対しては、自分が期待していることをしっかりと伝える。
僕もプロレスラーとして、ファンからの棚橋コールをいただいたり、頑張れという願いや祈りを受け取ることが、本当にエネルギーになってきた。その実体験から、人間は期待されることで能力が引き出され、立ち上がることができると思っている。だから僕も落ち込んでいる社員を目にしたら、そっとその社員のそばに歩み寄って「期待しているからね」と伝えたいのだ。
その上で、僕が意識しているのは「暴れん坊将軍」。お忍びで江戸の町に入り込み、庶民と同じ目線で行動する暴れん坊将軍は、いつも新さん、新さんと呼ばれている。僕も暴れん坊将軍にならって、社長として高みの見物をするのではなく、社員の中に入って、タナさん、タナさんと呼ばれながら同じ目線でものごとを考えたいのだ。
■自分が前に出て引っ張ると気負っていた就任当初
社長に就任して一年、今オフィスで一番意識していることの一つは空気作りだ。
仕事効率はやはり働きやすい空間から生まれるし、それは社長の大事な役割である。
新日本プロレスは以前より社員の数が増えて、さらにブシロードの社員の方も手伝ってくださって、以前以上に良い空間となってきている。彼らが効率よく働くことができる環境を作ることが、結果的に新日本プロレスの収益につながる。風が吹けば桶屋が儲かるというように、僕が良い空気をオフィスに吹かせることが会社のためになるのだ。
そしてもう一つ意識していることは、積極的に周囲に頼ることだ。
社長就任当初は、がむしゃらに全部自分が前に出て、数字を見て、会議も仕切って、一選手として頑張るとともに他の選手も鼓舞してと、そんなふうに走ろうとしていた。だけど全てを一人でやることなんて不可能だ。社員の良いところを引き出していくことこそ社長の仕事だと今は考え直した。
■背中を見せる存在から、背中を押す側に変わった
これまではレスラーであったからこそ、他のレスラーに対して自分の背中を見せることを意識してきた。だけど社長となった今、オフィスでは背中を見せる側から背中を押す側に変わったという意識がある。
各部署のスタッフを信頼し、社長である僕はその確認と責任を取る。まだ新米社長ではあるけど、そうして僕は会社とともに成長していきたい。

一方、僕が社長として積極的に取り組んでいきたいこともある。それはプロモーションだ。
プロモーションに関しては、社長に就任する前から、僕は新日本プロレスのトップ宣伝マンであったと自負している。試合と試合の合間にできる限りプロモーション活動を行い、少しでも新日本プロレスを知っていただき、会場に足を運んでいただくために奔走してきたからだ。
しかし社長に就任してから、そんなプロモーション活動を行うことがさらに多くなっている。北は北海道から南は九州に至るまで、本当に休みなく全国を飛び回りプロモーション活動に従事し、月の休みは一日あるかどうかというスケジュールだ。そうやってプロモーションに奔走する中で、同時に僕は社長のあるべき姿を考え続けてきた。
プロレスラーとしての僕は、さまざまなチャレンジをここまで続けてきたし、ある種のパイオニアにもなれたと思う。
社長としては、その精神と経験を元にできる限り社員のみんなの挑戦を支える、そして最終的な責任を取るという仕事をしてあげたい。
そして同時に社長としての明確なビジョンを打ち出していかなければいけない。ビジョンがなければ、会社のみんながどこを目指すべきか、方向がブレてしまう。
■毎朝の朝礼で大切にしている「言い切る力」
だからこそ僕は社長就任後、毎日行う朝礼を非常に重視している。
朝礼で新日本プロレスという会社の理念やビジョンを社員に語りかけ、やる気を爆上げするパワーのある言葉を発することができれば、間違いなくその日の仕事の効率は上がり、長期的な目標にもブレずに向かうことができる。
朝礼のために毎日早朝に起きてニュースを頭に入れ、会社に着くまでの間に話す内容を考えている。
朝礼で心がけているのが、できる限り「~だと思います」とは言わず、「~です」と言い切る形で伝えることだ。社員のみんなに活力を与えられるようなエネルギーのある言葉を吟味する中で、力強く言い切ったほうがチカラのあるメッセージになることを実感した。
これは若いレスラーにも伝えておきたい。彼らがよく試合後のコメントなどで「頑張りたいと思います」や「勝ちたいと思います」などと発言しているが、「頑張ります!」や「勝ちます!」と言い切ってほしい。同じ意味であっても、印象は全く変わるはずだ。
■6年前の過去最高売上54億円を超えてみせる
もっとも、入念に準備して毎日挑んでいる朝礼ではあるけど、時にはダジャレを言って滑ってしまい、練習や試合以上の汗が出たこともある。だけど、結果的にオフィス内の雰囲気は明るくなったから、決して失敗ではなかったと思いたい。
こうして朝礼をはじめ、オフィスの各部署の社員とコミュニケーションを取りながら、僕と新日本プロレスは進んでいる。
その中で浮かんできた一つの目標がある。それは2019年に新日本プロレスが記録した過去最高売上の54億円を超えること。コロナ禍で売上が落ち込んでしまったことは事実だけど、プロレスと同様に社員一丸で再び立ち上がり、2023年には過去最高売上に迫るほどまで数字は回復してきた。だからこそ僕は社長として、さらにその先に行きたい。

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棚橋 弘至(たなはし・ひろし)

新日本プロレス第11代代表取締役社長

1976年11月13日岐阜県大垣市生まれ。キャッチコピーは“100年に一人の逸材”“エース”。立命館大学法学部在学時にレスリングを始め、卒業後の1999年に新日本プロレスへ入門。2006年に当時の当時の団体最高峰王座・IWGPヘビー級王座を初戴冠して以降、歴代最多記録となる8度の戴冠を果たす。真夏の最強戦士決定戦『G1 CLIMAX』は3度の優勝。2023年12月、現職就任。2024年10月14日両国国技館大会の試合後に、2026年1月4日での現役引退を発表。

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(新日本プロレス第11代代表取締役社長 棚橋 弘至)
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