ごはんの炊き方は“料理”といえないのか。作家で料理家の樋口直哉さんは「初心者向けの料理本にも掲載されていないごはんの炊き方が、実は日々の生活クオリティを確実に上げる」という――。

※本稿は樋口直哉『料理1日目』(光文社)の一部を再編集したものです。
■「鍋で炊いたほうがおいしい」は本当か?
昔、炊飯には〈かまど〉と〈かま〉が使われていましたが、ガスの普及にともなってそれらは〈コンロ〉と〈文化鍋〉に代わり、さらに時代が下ると電気炊飯器が登場しました。
電気炊飯器は白黒テレビ、電気洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器(じんぎ)」と並び、日本人の生活を変えました。ライフスタイルを変えた、という意味では最近のガジェットに例えるとiPhoneの登場くらいのインパクトがあったのです。
それまでごはんを炊くとなるとつきっきりで火加減の調整をする必要がありましたが、電気炊飯器であれば目を離せるので、そのあいだに他の料理をつくることもできます。火の消し忘れの心配もなくなり、タイマーを使えば外出もできるようになりました。
今はAIやセンシング技術を応用した自動調理器の開発が盛んですが、日本生まれの炊飯器はそのさきがけとも言える存在です。
一方、料理本や雑誌で取り上げられるごはんの炊き方は「鍋炊き」が主流で「炊飯器を使ったごはんの炊き方」はあまり掲載されません。料理上級者はよく「鍋で炊いたほうがおいしい」と言いますし、そればかりか「炊飯器で炊いたごはんはおいしくない」と悪口を言われることも。
しかし、それは事実ではありません。おいしくない、という意見は昔の印象を引きずっているだけで、現在の炊飯器は技術が進み、常に90点以上のごはんが炊けるように設計されている優(すぐ)れものです。
■炊飯器が登場して、調理工程がわからなくなった
そもそもお米を炊くのは炊飯器がいいか、それとも鍋がいいか、という議論以前に、炊飯について多くの人が理解していません。
皮肉なことですが、炊飯器の登場によって炊飯という調理工程を知らなくても、スイッチ一つでごはんが炊けるようになったからです。
炊飯器は結果として、「お米がごはんに変わるあいだになにが起きているのか」を見えづらくしてしまいました。現在、炊飯器の普及率は95%を超えていますが、多くの人は炊飯についてよくわからないままごはんを炊いて、食べています。多くの人が炊飯についてよくわかっていないので、なんとなく「これでいいのかな?」と不安に思う人が多いのです。
その証拠にごはんをおいしく炊くための情報は世の中にあふれています。しかし、インターネットを検索するとなかには「?」がつくコツもあります。ここで迷わないために必要なのが、知識です。誤った情報に惑わされないために調理工程についてあらかじめ知っておく必要があるのです。
炊飯はいくつかの工程に分かれています。それぞれをきちんと踏んでいけばお米の持つポテンシャルを100%引き出したおいしいごはんが炊けますし、自分の好みの具合に調整もできるでしょう。
食材が持つおいしさを損なわず、引き出すことは料理の大原則です。そして、自分にとっての理想のごはんがわかれば、誰かの言葉にも惑わされなくなります。

■高級炊飯器には、投資する価値がある
家電量販店にはたくさんの種類の電気炊飯器が並んでいますが、どんなふうに選んだらいいのでしょうか? 価格帯の幅も広く、様々なメーカーが機能を競っていて、どれも同じように見えますが、最初に確認するべきは「容量」です。
炊飯器には一般的に
「3合(ごう)炊き」

「5.5合炊き」

「1升(しょう)(10合)炊き」
の3種類の容量があります。一人暮らしであれば1合炊くだけで充分かもしれませんし、2人暮らしであれば2合~3合炊く必要があるでしょう。
お米はこんなふうに1合、2合という具合に数えます。1合は150gなので、2合であれば300g、3合であれば450gです。お米を炊くと重量の2.2倍になるので、150gのお米を炊くと
150g×2.2=約350g
が炊きあがりの重量です。ごはん茶碗1杯分がおおよそ150gなので、1合を炊くとごはん茶碗2杯と少しという計算になります。
お米は炊飯器のなかで保温でき、冷凍することで長く保存できるので、多めに炊飯することをおすすめします。注意するのは「容量の最大で炊かない」こと。ごはんと内蓋(うちぶた)のあいだの空間が少ないとお米が対流しづらくなり、炊きムラができるからです。一人暮らしで普段2合炊飯する場合、3合炊きの容量を選び、2人暮らしであれば2合~3合炊くので、5.5合炊きの容量を選びましょう。
■炊飯器の価格差はどこに出る?
サイズ以外の部分ではどんなところで価格差が出てくるのでしょうか? メーカーはよく内釡(うちがま)の素材の差をアピールしていますが、価格差が出る一番のポイントは「加熱方法の違い」で、味にも大きく影響します。

現在の電気炊飯器は大きく〈マイコンタイプ〉〈IHタイプ〉〈圧力IHタイプ〉の3種類に分かれます。
マイコンタイプは古くからある方式で、釡の底に搭載したヒーターで加熱するもの。「安価」なので少量を炊くのであれば充分という意見もありますが「炊飯器で炊いたごはんはおいしくない」と言われていた時代の方式なので、炊く量が増えると釡の底部と上部で温度のムラが生じやすいのが弱点です。
マイコンタイプの後に登場したのがIHタイプ。IH=電磁誘導加熱という加熱方式を採用したことで下部だけでなく、内釡全体から加熱されるので、ムラなく炊きあがります。現在の主流で、価格帯は1万円~5万円台といったところ。
■高級炊飯器を買うメリットはどこにあるのか
さらに上の価格帯の電気炊飯器が採用している加熱方法が圧力IHです。圧力をかけることで水の沸点を上げる=高温で炊くことでごはんをより「甘く」炊き上げる技術で、メーカーによって圧力の強さや時間が異なり、なかには減圧と加圧をくり返すことで水の対流を促(うなが)し、炊きムラを減らす工夫をしている製品もあります。
高級な炊飯器は使用ワット数が大きい=高火力なので薪(まき)炊きに匹敵する炊きあがりが約束されますし、圧力を変えることで「しゃっきり」から「もっちり」まで炊き分けたり、玄米や麦飯をおいしく炊き上げるのも得意です。
圧力を使うメリットがもう1つ。気圧の影響を受けないのです。例えば標高1000mの軽井沢は気圧が低いので水を沸(わ)かしても96℃までしか上がらず、ごはんが硬めに炊きあがったりしますが、どんな環境でも一定の温度で加熱できる圧力IH炊飯器であれば、常においしいごはんが炊けます。

持っている炊飯器を大事に使い続けている人も多いですが、メーカーも毎年、小さなバージョンアップを積み重ねています。そのため、ごはんをもっとおいしく炊きたい、という場合は買い替えるのも一手。新しい炊飯器はスマートフォンと同じで、見た目や機能は変わらなくても中身はアップデートされているからです。
予算の都合もありますが、加熱方式はIH方式以上がベター。懐(ふところ)に余裕があったり、標高が高い場所に住んでいる場合は圧力IHをおすすめします。
圧力IHに代表される高級な炊飯器を買うメリットは他にもあるのでしょうか? 一定以上の価格の炊飯器であれば、ごはんはどれもおいしく炊けるのは事実で、炊きたてのごはんであれば現状、大きな差はありません。
一方、炊飯器の本領は冷めてから食べるとわかります。高級な炊飯器で炊いたごはんは高温で充分加熱されているので、おいしさが長持ちするのです。つまり、毎日、お弁当をつくったり、冷凍したごはんを温め直して食べる人であれば購入する理由はある、ということ。常に炊きたてを食べる、という人であれば、それなりの価格帯の炊飯器でも事足りるでしょう。
■料理初心者にこそ良い道具を勧める理由
高級炊飯器のすごさは保温性能にもあります。安価な炊飯器にごはんを入れておくと、黄色く変色したりボソボソになったりしますが、高価な炊飯器にその心配は無用で、朝炊いたごはんを夜まで保温しても味がまったく落ちません。
いつでも温かい状態のごはんが用意されていれば好きなときに食べることも可能なので、家族が多く食事をする時間がバラバラの場合などは投資する価値が充分にあります。
道具選びはレシピや食材を選ぶのと同じくらい重要ですが、ほとんどの料理本にはページが割かれていませんし、雑誌などで紹介されるベストバイやAmazonレビューが役に立たないこともあります。RPGの世界で戦士、魔法使い、僧侶などの職業によって適切な装備が異なるように、炊飯器一つとっても人や環境によって最適解が異なるからです。
ただ一つだけ言えることは、料理レベルが低いうちはある程度、いいものを買ったほうが楽ということです。料理レベルが上がってくれば100円ショップで売られている鍋と、カセットコンロでもおいしい料理を安定してつくれるようになりますが、レベルが低いうちは少し上のランクの道具を買うことで楽に攻略が進められるでしょう。

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樋口 直哉(ひぐち・なおや)

作家、料理家

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒業。2005年『さよならアメリカ』で第48回群像新人文学賞を受賞しデビュー。同作は第133回芥川賞の候補にもなった。料理家としての著書に『新しい料理の教科書』(マガジンハウス)、『料理1日目』(光文社)、『ロジカル男飯』(光文社新書)など多数。調理科学をベースとした、おいしさを最大限に引き出すレシピとわかりやすい解説が人気。

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(作家、料理家 樋口 直哉)
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