※本書は、川島隆太・岡田拓也・人見徹『欲しがる脳』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■「見る」ことに脳の大部分が使われている
私たちはレオナルド・ダ・ヴィンチの、「五感は魂の僕(しもべ)である」という言葉どおり、五感すべてを使って外界を認識しています。しかし、それぞれの五感から脳が受け取る情報量には大きな差があります。
中でも最大のデータ帯域を占め、「第一の感覚」として利用されるのが視覚です。網膜から視覚中枢へ伝わる信号は毎秒およそ1億ビットと推定され、これは聴覚系の100倍~1000倍前後に相当します。
こうした膨大な情報を処理するため、ヒトの大脳皮質の約20%は視覚関連領域で占められていると推定されており、後頭葉全域に加え、側頭葉・頭頂葉の一部まで広がる巨大ネットワークを構成しています。
■情報を取捨選択するフィルター
哺乳類、特にヒトの視覚系がここまで肥大化した背景には、視覚情報が生存の可能性を大きく左右することがありました。肉食動物のような危険な捕食者を避け、安全に獲物(食物)を見つけるための感覚器が必要不可欠だったのです。そこで視覚系は、遠距離からでも「敵か餌か」を瞬時に判断できるよう、情報を取捨選択するフィルターとして進化していきました。
逆にいえば、危険を瞬時に判断できなかった個体から命を失い淘汰されていくわけですから、当然その視覚情報の処理は高速であればあるほど生存の可能性が高まります。そのためには、網膜から受け取る膨大な視覚データすべてを緻密に処理することはあまりに非効率的です。
そこで網膜からの信号は脳内で10分の1以下に圧縮され、さらに前頭眼野の担うトップダウン処理によって「いまもっとも重要そうな信号」に選択的に注意資源を配分します。言い換えれば、視覚系は大量の情報を能動的に捨てながら、限られたリソースを生存価値の高い刺激へ集中させているのです。
■「視線を奪う」にはどうすればいいか
いわば私たちは、その大量の視覚情報を上手に捨てることができたヒトの子孫です。そのため、捕食者・獲物・異常事態という生存上重要そうな情報を迅速に抽出できる一方、その他の情報を容易に見落としやすいという性質を生まれながらに持っています。ですから視覚は「騙されやすい警報装置」というわけです。
錯視や両眼視野闘争など、視覚は興味深いテーマが溢れており、それぞれの研究だけで本が何冊も書かれているほど奥深いものです。
これ以上の専門的な解説はそちらに譲るとして、ここでは作為的に「視線を奪う」というニューロマーケティングの仕掛けテクニックの観点から、ヒトが生存するために獲得してきた3つの重要な視覚に関する特性①動き、②パターン変化、③色コントラストのうち、③に絞って解説します。
■鍵は「色と明度のコントラスト」
言うまでもなく色はヒトの視覚に影響を与える非常に重要な要素です。
たとえば本書の第2章で紹介した「青色は信頼できるイメージを与えやすい」という経験則的ノウハウは最新の研究からもある程度確認されていますから(※1、2)、Facebook、IBMなど主要IT企業のコーポレートカラーに青が多いのは偶然ではありません。また、赤いユニフォームは勝率が高いというような話は耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
色と人間の関係は色彩心理学として一つの学際領域が成立していますが、そういった学問とはまったく別として、色に関するさまざまなアドバイスが巷(ちまた)には溢れています。科学的に見ると眉唾なノウハウも少なくありませんが、そういう情報のほうが身近に触れる場面は多いかもしれません。
※1Mehta, R. & Zhu, R. Blue or red? Exploring the effect of color on cognitive task performances. Science 323, 1226-1229 (2009).
※2Alkozei, A. et al. Exposure to blue wavelength light is associated with increases in bidirectional amygdala-DLPFC connectivity at rest. Front Neurol 12, 625443 (2021).
■暖色系がいい? それとも緑色がいい?
「どの色なら売れるか」というのはマーケティングの現場で必ず出てくる疑問です。一昔前のWebデザインでは、ショッピングサイトの購買を促すボタンはオレンジや黄色といった暖色系にするのがセオリーと言われていました。その前は緑色がいいぞと言われていたこともあります。
しかし結論から言うと、視線を集めて行動を促すという観点からは、色そのものは重要ではありません。視覚系は色の絶対的な波長ではなく、「どれだけ際立っているか」、つまりコントラストを重視して処理するようにできているからです。
そのメカニズムはこうです。網膜にある水平細胞が隣接する受容野を抑制し合う(側方抑制)ことで明暗差や色差が強調され、境界線がくっきり浮かび上がります。これにより、視覚系は空間的・時間的な変化量(コントラスト)を優先的に符号化します。
いきなり難しい説明で申し訳ありませんが、要は周囲の背景から際立つ色や輝度を持つ対象ほど脳内表現が強まり、注意を引きやすくなるというわけです。
■「売れる色」は周りの色が決める
つまりオレンジや緑が“効く”という定説は、多くのWebサイトが青やグレー系の寒色背景を用いているため、その反対色(たとえば寒色の補色であるオレンジや明るい黄緑)がたまたまマッチしていただけに過ぎなかった……ということになります。
Amazonが購買ボタンにオレンジ色を使うのはたまたまではなくて、自社ページの支配色(青・白)と真逆の色相を衝突させて視線を誘導することを計算しているからです。目を引く色合いには、理由があるということですね。
Webデザインのセオリーという形でまとめるならば、まずページ全体の背景トーンを決め、そこから最大コントラストを持つ補色・高彩度色で購買などの行動喚起を促すボタンを配置するのが実務上の進め方となります。
広告の分野でも、この特性を利用して高コントラストな配色が積極的に採用されています。「目立つ色」とはコントラストの産物なのです。
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川島 隆太(かわしま・りゅうた)
東北大学加齢医学研究所教授
1959年千葉県生まれ。89年東北大学大学院医学研究科修了(医学博士)。脳の機能を調べる「脳機能イメージング研究」の第一人者。ニンテンドーDS用ソフト「脳トレ」シリーズの監修ほか、『スマホが学力を破壊する』(集英社新書)、『オンライン脳』(アスコム)など著書多数。
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(東北大学加齢医学研究所教授 川島 隆太)