※本稿は、片田珠美『マウントを取らずにはいられない人』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■強い支配欲求の持ち主
物流会社で事務仕事に従事する40代の女性は、上司である50代の女性の厳しい態度と叱責に疲れ果てている。
40代の女性は離婚後一人息子を育てながら、この会社に契約社員として勤務するようになったのだが、働きぶりを50代の女性上司に認められ、正社員に引き上げてもらった。それはいいとしても、女性上司は何かにつけて「あんたを引き上げてあげたのは私」と恩着せがましく言い、40代の女性に厄介な仕事を押しつける。
それだけではない。他の社員の面前でことさら厳しく叱責し、「あんたを通してこの部署のみんなに言っているんだから、厳しく叱らないと意味がない」と正当化するという。
40代の女性は、契約社員から正社員に引き上げてもらったことについては心から感謝している。それによって身分が安定したし、給料も増えたからだ。とはいえ、そのことをたびたび引き合いに出され、厄介な仕事を押しつけられたり厳しい叱責を受けたりしてストレスが溜まり、不眠と頭痛に悩むようになったため、私の外来を受診した。
本当は辞めたいのだが、シングルマザーなので自分が稼がないと息子を育てられないという事情もあって、服薬しながら仕事を続けていた。しばらくは何とか続けられていたのだが、最近になって病状が悪化した。
例の女性上司が「あんたを引き上げてチームリーダーにしたい」と言い出したのだ。
■なぜマウントを取らずにはいられないのか
そのうえ、女性上司が「チームリーダーにしてあげたのだから」と恩に着せ、厄介な仕事をこれまで以上に押しつけ、何か問題が起きると責任をなすりつける姿が目に浮かぶという。だからといって、昇進の話を断ったら、「恩知らず」「恩を仇で返すのか」などと罵倒されそうで、睡眠導入剤を服用しても眠れない日が増えた。
女性上司が40代の女性を正社員に引き上げたことを恩に着せるのは、そうすれば相手が逆らえなくなると踏んでいるからだろう。相手が逆らわずに服従すれば、“道具”として自分の思い通りに使えるようになるので、しめたものだ。
厄介な仕事や責任を押しつけても、スケープゴートにして厳しい言葉で叱りつけても、問題にされることも批判されることもない。自分にとって都合のいい状況を維持できるわけで、やりたい放題といっても過言ではない。
つまり、何か得することがあるからこそ、恩着せマウントによって自身の優位性を誇示し、相手を支配しようとするのである。
もっとも、はたから見ると大して得することなどなさそうなのに、やたらと恩着せがましい人もいる。そういう人は、支配欲求を満たすことによって得られる満足感と快感を忘れられず、恩に着せる可能性が高い。
そもそも、程度の差はあれ、人間は他人を支配することに満足感と快感を覚える。
■従順さを要求するやんわりとした圧力
先ほど紹介した女性上司も強い支配欲求の持ち主のように見えるが、同じタイプがトップを務めていた組織で恩着せマウントを取る姿を私自身も目の当たりにした。
以前勤務していた私立大学で、新しい課程を設置することになり、その可否を問うための採決が教授会で行われた。「理事会にかけるので、できるだけ全会一致でお願いします」という学長(60代男性)の言葉の後、挙手による採決だった。
賛成多数で可決されたのだが、数人の教授が、賛成ではなく、保留に手を挙げた。賛成しなかった教授は、後から学長室に一人ずつ呼ばれて、「この大学の将来についてどう考えているのですか?」と学長を含めた数人の執行部から詰問されたということである。
学長からすれば、私立大学の経営が大変な時代に、大学の将来を考えて新しい課程を設置しようとしているのに、それにたてつくなんてとんでもないということだろう。もっとも、学長は賛成に手を挙げなかったことを直接とがめたわけではない。「大学の将来のため」という正義を隠れ蓑にして、自分たち執行部の方針に従順ではない教授にやんわりと“圧力”をかけたように私の目には映った。
しかも、ある50代の男性教授は「せっかく拾ってあげた恩を忘れたのですか。
■全員を掌握していないと不安になるという心理
この教授が、大学院の博士課程を修了したものの、大学で就職先を見つけるのに苦労し、さまざまな大学で公募があるたびに履歴書と研究実績書を送っていたのは事実らしい。やっとこの大学で採用してもらえたことに感謝しているのはたしかだが、それを恩着せがましく持ち出されて詰問されたせいで、いろいろ悩んだという。
結局、彼は自宅から三時間近くかかる遠方の大学に転職した。この大学に定年までいるつもりで近くに一戸建ての家を購入していたのに、辞めて別の大学に移る決心をしたのは、恩着せマウントに耐えられなかったからだろう。
学長が理事会で教授会の結果を報告する際に、全会一致だと、全員が新しい課程の設置を望んでいるという印象を与えられて、都合がいいのかもしれない。だが、過半数の賛成で可決されている以上、数人が保留に手を挙げたくらいで理事会の決定が大きく左右されるわけではないだろう。
にもかかわらず、学長室に一人ずつ呼び出して詰問し、恩着せマウントを取るのは、教授全員を完全に掌握していないと不安になるからではないか。また、自身の支配欲求を満たして味わえるはずだった満足感と快感が損なわれたことへの怒りも一因と考えられる。これでは合理的な判断が歪められるのではないかと危惧せずにはいられなかった。
この大学では、学長の方針に異を唱えるような教員はどんどん退職した。私もその一人である。
■恩着せマウントの対象になったら
恩着せマウントを取る人は、明らかに相手を選んでいる。
女性上司は、40代のシングルマザーが現在の会社を辞めたところで、正社員として雇ってくれそうな勤務先を見つけるのは至難の業だろうと踏んでいるからこそ、正社員に引き上げたことを恩に着せる。学長も、50代の男性教授が大学で職を見つけるのに散々苦労したことを知っているからこそ、「拾ってあげた恩」を強調する。いずれも、相手の弱みにつけこんでいるわけで、強い支配欲求の持ち主がやりそうなことだ。
二人の思考回路は酷似しているが、学長のほうは読み間違えた。50代の男性教授が別の大学で職を見つけるのは難しそうだと踏んでいたのに、コツコツと研究業績を積み上げて、見事に転職を果たしたのだ。
一方、40代のシングルマザーのほうは、現在と同様の待遇が保障される勤務先を見つけるのは難しそうと自分でも思っていて、転職活動になかなか踏み切れない。結果的に、なかなか辞められないだろうと高を括っている女性上司の思うつぼになっている。当然、不眠も頭痛もなかなか改善しない。
いずれも間近で見ていて痛感したのは、恩着せマウントを取る人からは、できるだけ早く離れなければならないということだ。
だから、40代のシングルマザーにも、できるだけ早く転職活動を始めるように助言しているのだが、経済的な不安から踏み出せないようだ。それも見越したうえで、女性上司は恩着せマウントを取り続けているのかもしれない。
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片田 珠美(かただ・たまみ)
精神科医
精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生として、パリ第8大学精神分析学部で精神分析を学ぶ。著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)など。
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(精神科医 片田 珠美)