※本稿は、片田珠美『マウントを取らずにはいられない人』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■面倒で儲からない仕事を押しつける発注元
中小企業を経営する40代の男性は「大きな仕事が発生したら、必ず声をかけますから」と発注の可能性をほのめかしながら、面倒な仕事や儲からない仕事ばかりを振ってくる取引先の30代の担当者の男性にいつも泣かされている。しかも、何かミスが発生すると、自社の責任であっても、こちらのせいにする。
こちらが資金繰りに困っているのをいいことに、便利な使い捨ての下請けとしてしか考えていないのではないかと思うと腹が立つが、なかなか断れない。一度断ると、次から仕事を回してもらえなくなるのではないかという危惧があるし、もしかしたら本当に大きな仕事を振ってもらえるかもしれないと一縷の望みも抱いているからだ。
厄介なのは、この取引先の担当者が嘘をついているとは決めつけられないことだ。大きな仕事が発生したら、本当に声をかけてくれるつもりだったのだが、これまでは大きな仕事がなかったから、声をかけられなかっただけかもしれない。そうだとしたら、「こちらの弱みにつけこんで面倒な仕事や儲からない仕事ばかり押しつけているんだろう」と担当者を責めるわけにはいかない。
たとえ「今まで一度も大きな仕事を回してくれなかったじゃないですか」と中小企業の経営者が問い詰めても、先方の担当者は「大きな仕事がこなかっただけで、本当に回してあげるつもりでしたよ」と巧妙に言い逃れるだろう。
担当者の言葉の真偽をたしかめるのが難しいからこそ、経営者は振り回される。このようにあいまいさを残すことによって非難されないようにするのは狡猾だが、それをさらりと平気でやってのけられる担当者は手練手管にたけている。
■なぜ“発注マウント”を取らずにはいられないのか
もっとも、いつか大きな仕事を発注する可能性を匂わせながら取引を進めるのは、ビジネスの常套手段である。その最大の理由として、発注元が相手を思い通りに操作しやすいことが挙げられる。
本当にいつか大きな仕事を振ってもらえるかもしれないという期待があると、できるだけ発注元の意に沿うようにしなければという心理がどうしても働く。万が一発注元の機嫌を損なったら、仕事を一切回してもらえなくなるのではないかという喪失不安にさいなまれるかもしれない。だから、面倒な仕事でも儲からない仕事でも断りにくい。
受注する側がこのような心理状態にあると、発注元は少々の無理でも通せるので、非常にやりやすい。つまり、発注元にとって得することがあるからこそ、発注マウントを取るのである。
だが、それだけではない。いずれ大きな仕事を回してもらえるかもしれないという期待から、発注元のすべての希望や要求に全力で応えようとする姿を見て、快感を覚える発注元もいるはずだ。
とくに自身の支配欲求が満たされることによって味わえる満足感と優越感は強い快感をもたらすだろう。だから、それを忘れられず、大きな仕事を発注する可能性をほのめかして、相手を振り回す発注元もいるに違いない。
■地元名士として君臨する役場職員
こうした傾向は、田舎ほど強くなる。
その背景には「地域に落ちる、落とすお金の多くが自治体による発注業務である比率が強まれば、民間で食べている者は、日常からの発注元と下請けという構図の延長で、誰も、地域の公務員様には頭が上がらない」(同書)という事情がある。
結果的に、「役場の公務員は地方においては絶対」であり、「県庁職員、市役所職員、町役場、村役場の職員といえば、それぞれの土地では名士階層に君臨する」(同書)ことになる。
私自身が田舎の出身なので、この辺りの事情はよくわかる。住民に対する口の利き方や電話応答も、都会でやったら告発され突き上げられるだろうと思うほど横柄なのだが、それで問題になったという話はあまり聞いたことがない。「公務員様」から仕事をもらえなくなったら困るので、機嫌を損なうようなことは慎み、波風を極力立てないようにするのではないか。
このような土壌があるところでは発注マウントが常態化しやすい。いつか大きな仕事を発注する可能性をほのめかしながら、場合によっては汚れ仕事を押しつけたり、キャッシュバックを要求したりする。それが後から問題になって、公務員が逮捕されたという事件がときどき報じられるが、おそらく氷山の一角にすぎないだろう。
■「願望」と「現実」を混同してしまう人々
結局、問題の根源は、仕事がない、たとえ仕事があっても儲かる仕事はごく限られているという状況にある。だから、発注元にとって圧倒的に有利な状況が続くわけで、発注マウントを取りながら相手を振り回しても、悪いとは思わない。
「大きな仕事が発生したら、必ず声をかけますから」と発注元から言われても、真に受けてはならない。とくに、この言葉を何度も繰り返す発注元が、面倒な仕事や儲からない仕事ばかりを振ってくる場合、いずれ大きな仕事を回す可能性を餌にして下請けを釣っているだけだと認識すべきだろう。
もしかしたら本当に大きな仕事を回してもらえるかもしれないと一縷の望みを抱き、発注元の意に沿うようにする下請けも少なくないはずだ。だが、それは、「大きな仕事を回してもらえたらいいのに」という願望と「大きな仕事を回してもらえる」という現実を混同しているにすぎず、精神医学では「幻想的願望充足」と呼ばれる。
既婚男性と不倫関係にある独身女性が「いずれ妻と別れて君と結婚するから」という甘い言葉を信じてずるずると関係を続けているのと同様に、だまされている可能性が高い。もちろん、発注元が大きな仕事を回してくれる可能性も、不倫相手の男性が妻と別れて結婚してくれる可能性も必ずしもゼロとはいえない。だが、その可能性は限りなく低いといわざるを得ない。
だからといって、発注元と完全に決別するわけにはいかないだろう。不倫相手なら別れればいいだけの話で、「やはり結婚したいので、独身男性とつき合います」と決別宣言をして別れ話を進めればそれですむ。だが、相手が発注元であれば、より狡猾に立ち回ることが求められる。
■“面従腹背による打開”のススメ
「大きな仕事が発生したら、必ず声をかけますから」と何度も言われながら、それが常に空約束に終わる状況が続いた場合、表向きは「ありがとうございます」と感謝しつつ、別の発注元を探してはどうか。いわゆる面従腹背で対処するわけだ。
どうせ、向こうも、大きな仕事が発生しない状況にあるか、たとえ大きな仕事があっても別の下請けに割り振っている可能性が高い。いつも空約束に終わっているのは、冒頭で紹介した中小企業の経営者が感じたように便利な使い捨ての下請けとしてしか認識されていないからだろう。
にもかかわらず、なまじ発注元の言葉を信じたばかりにずっと振り回されてきたのだから、いい加減に方向転換すべきである。今後は発注元に振り回されないようにするために、別の地域に営業をかけたり、新たな製品やサービスを開発したりするのも手である。とにかく、発注マウントを取って振り回すような相手に依存しなくても、何とか売り上げを伸ばせるように経営努力を積み重ねるしかない。
何もせずに発注元の言葉を信じて待ちながら、与えられた仕事を文句一つ言わずこなしていたら、なめられるだけだ。やがて「だまされた」とはらわたが煮えくり返る日がやってくるに違いない。
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片田 珠美(かただ・たまみ)
精神科医
精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。
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(精神科医 片田 珠美)