現在の高校入試の仕組みはどのようにして作られてきたのか。東京大学教授の中村高康さんは「学力検査と内申書の比重やその取扱いをめぐる制度改革の試行錯誤が、高校入試の歴史といってもよい」という――。

※本稿は、中村高康『高校入試と内申書』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■現代日本で最大の「選抜イベント」
「高校入試」と聞くと、なんともいえない緊張感と甘酸っぱい思い出がよみがえってくる人も多いのではないだろうか。
社会には好むと好まざるとに関わらず教育を通じた進路の分岐が生じていく局面がある。その大きな分岐点となるのが入学試験である。そして、世間では大学入試がなにかと話題になるが、実は現代日本の文脈で最大の選別イベントといえるのが、高校入試なのである。だからこそ、この制度に対する人々の思いは様々に交錯する。そのため、つい自分の体験から現代の高校入試を批判したり評価したりする。
しかし、本当によい制度を考え議論するためには、体験だけに頼らない社会学的視点を確保したい。それが本書を通じたミッションとなる。さしあたりこの序章では、本書全体で取り組む高校入試――とりわけ本書で注目する内申書――の諸問題に関する歴史的・学術的背景をまず押さえておこう。
■全中学生のうち9割は公立中学生
日本社会では、もっとも多くの人が経験している入試は高校入試である。小学校はもちろんだが、中学校も義務教育段階であるから、国立・私立の中学校や公立中高一貫校などの入試はあるものの、多くは無試験で自分が居住している学区の公立中学校に進学する。
全中学生に占める公立中学生の比率は、東京では7割強(国立・私立中学生の割合は27.2%)であり、日本全体でみれば91%である(※1)。
※1 文部科学省「令和6年度学校基本調査」より筆者計算。
首都圏の中学受験は過熱しているといわれるが、基本形は、公立中学への無試験進学なのである。一方、大学は義務教育ではないから、当然ほとんどの大学でなんらかの選抜や資格審査がある。しかし、四年制大学進学率は年々上がってはきているものの、現在でも同年齢人口の半数を超える程度である。それに対して、同年齢層の9割をカバーする高校入試は、ある意味で、子どもたちを一斉にふるい分ける日本最大の選抜イベントなのである。
■「どの高校に進学するのか」が重要になった背景
もっとも、そのふるい分けの意味合いは、高校教育のあり方がどうなっているのかによっても大きく変わってくる。もし高校教育が希望者を基本的に入学させる緩やかなシステムであったならば、入試はあるにせよそれは資格確認的なものとなり、多くの人にとって思いの残るようなイベントにはならなかっただろう。しかし、現実はかなり違っていた。
ご存じの通り、日本では「どの高校に進学するのか」によってその先の進路が分かれていくイメージが持たれており、また実際にデータでもそのことがたびたび裏付けられてきたからである。教育社会学ではこうした様々な高校の間にある卒業後の進路の違い=高校間格差の構造を「トラッキング」と呼び、日本の選抜システムを特徴づける重要な研究対象として分析がなされてきた(藤田1980、岩木・耳塚編1983他多数)。
なかでも、樋田らの研究グループ(樋田他編2000、樋田他編2014)および尾嶋らの研究グループ(尾嶋編2001、尾嶋・荒牧編2018)は、長期にわたって同一の高校を主な対象とする調査を継続し、その経過の中で様々な変化を見出しつつも、高校間格差構造の基本的な形は長期的に安定してきたと指摘している。

そのような環境下にあっては、「どの高校に進学するのか」が、当事者である受験生やその保護者、あるいは学校や塾の関係者にとってきわめて重要な課題となり、要するに高校入学をめぐる競争的状況が長期にわたって続いてきたのである。そうであるならば、当然高校入試は研究テーマとして重要な主題となる。高校入試こそがその高校トラックへの配分を決める実質的な最終機会となるからである。では、高校入試のどの部分に注目すべきだろうか。ヒントは歴史の中にある。
■「地域の中学生がそのまま地域の高校に入る」構想だった
日本で高校入試がおおむね現在のような形になった契機は、第二次大戦後の学制改革に遡る。小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年といういわゆる6334制となり、中学校までを義務教育とする体制がとられることになった。当初は、高等学校は、GHQの指示により、高校三原則(小学区制・総合制・男女共学)と呼ばれる制度設計が図られ、地域の中学生がそのまま地域の高校に入るシステムが構想されており、また、原則として希望者全員入学を理念として掲げていた。もしこれが実現していれば高校入試でのふるい分けは現在のような重みをもたなかったと思われる。
■現在の高校の格差構造の原型ができた
しかし、現実には、戦前からの中等教育システムの伝統や現実的制約などから、地域的ばらつきが生じた(香川他2014)。戦前のエリート校であった旧制第一中学から移行した高校、それ以外の旧制中学や高等女学校などの流れをくむ高校、それらとは別に実業学校などを母体とする職業高校が並存する形が残る地域が多く、これが現在の高校の格差構造の原型となっているといってよいだろう。戦前の中等教育の格差構造が、戦後に持ち越されたとみることができる。
それによって、戦前にすでに社会問題化していた旧制中学入学をめぐる受験競争が、「どの高校に進学するのか」という問題として継続されることになった。
戦後学制改革直後の高等学校入学者選抜は、現在とは異なり、中学校からの報告書をもとにしていたが、この仕組みはすぐに維持できなくなり、選抜は高校が主体となって行う形になっていく(金子1992)。ただし、中学校の報告書による選抜の時代においてもすでに、学力検査と現代の内申書に該当する内容が重要な要素として組み込まれていた。報告書の作成主体は中学校ではあったが、現代の選抜資料の大きな構成――すなわち学力検査と内申書のミックス――がすでに完成していたとみることもできる。そして、学力検査と内申書の比重やその取扱いをめぐる制度改革の試行錯誤が、高校入試の歴史といってもよいほどである。
■意外なことに十分な研究が行われていない
注目すべきポイントは研究の観点によって変わってくるが、基本的にはこの学力検査と内申書の二本柱を押さえることが日本の高校入試制度を検討するうえで枢要となる。実際、学校教育法施行規則第九十条では、学力検査と内申書(調査書)(※2)が明確に条文に書き込まれ、この二つが特段の重みを持っていることが法的にも明確化されている。したがって、現在においても、基本はこの二つに何かをアレンジしたものという形で高校入試のスタイルを大まかには理解できる。そこで我々が注目したのは、内申書であった。
※2 法令的には内申書は「調査書」であるが、本書では内申書という名称が一般に定着している現状を踏まえ、特別に言及が必要な場合を除いて、基本的に「内申書」の名称を用いる。
実は、ほとんどの中学生が巻き込まれ、また社会的にも大いに注目される高校入試という現象それ自体、意外なことに研究のメスは十分には入っていない。もちろん、高校入試が重要なキャリアの分岐点であることは理解されており、「15歳時選抜」に注目したテーマで議論されることも実際にあった(※3)。
しかし、選抜そのものは偏差値や学力を基準に客観的に行われてきたというイメージが強く、そのあり方やメカニズムについては自明視されてきたためか、それ以上に入試制度に踏み込んでいく社会学的研究はほとんどなかった(※4)。
もちろん、その理由には、都道府県ごとに入試制度が大きく異なるなど、全体をとらえるには複雑な現実が存在するという事情もあっただろう。しかし、仮にそうであったとしても、現時点で高校入試に関する詳細な研究が十分には積み上げられていないのは憂慮すべき事態といえる。

※3 日本教育社会学会大会シンポジウム「一五歳時選抜:日本の選抜文化と教育システムを考える」(1994)。

※4 たとえば、「偏差値体制」「輪切り指導」など高校受験が社会的問題としても議論されることが多かった1980年代から1990年代前後には、山村編(1983)、志水の一連の研究(例えば1986、1990)、苅谷(1986)、藤田の一連の研究(例えば1996)といった高校受験を軸とする選抜システムの有力な社会学的研究が蓄積されていたことは記しておく必要がある。また、それ以降の代表的な高校入試の社会学的研究としては、中澤(2007)がある。しかし、近年になるほど散発的にしか研究されていない印象がある。また、社会学に限定せず教育研究全体としてみても、課題の重要性に比して、十分な研究が行われてこなかった観は否めない。
■「抑圧」と「救済」を併せ持つ
そこで、私たちは、選抜システムの一つとして社会学的に高校入学者選抜をとらえ、この選抜システムがもたらす教育的・社会的な影響を、調査研究によって仔細に明らかにすることを目指した。その際に、私たちは特に、内申書に着目した。多様な現実を切り出すためにまずは焦点を絞る必要があったこともあるが、それ以上に、このテーマが社会的にも検討すべき大きな課題を抱えていると見立てたからである。
例えば、読売新聞では、2022年10月から11月にかけて「教育ルネサンス・高校入試と内申書」という連載が行われており、そこでは主体的態度の評価や部活の実績をどう組み込むか、自己表現を選抜に導入した自治体の事例、絶対評価の難しさなど、内申書をめぐる課題が様々な角度から提示されている。

いずれも当事者にとっては切実な問題であり、また中学校教育に大きく影響する課題が指摘されている。これらがすべてというわけではないが、日本で最大発行部数を誇るマスメディアにおいて連載が許される程度には注目の社会的テーマであるとはいえるだろう。
こうした社会問題としての内申書は、実は学術的に見ても注目すべき対象として措定できる。詳細は本書全体を通して議論するが、予告的に述べるならば、普遍化した後期中等教育は多様な生徒を抱え込むがゆえに、それに対応したシステムとならざるを得ない面があり、それが管理強化的作用(抑圧)と競争緩和的作用(救済)を生み出している。その二つを併せ持つ結節点に位置するものとして、内申書制度は枢要な位置にある。
私たちは、このように社会的にも学術的にも重要性を持つ内申書に注目して、高校入試の現状と課題にせまることを目指したのである。

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中村 高康(なかむら・たかやす)

東京大学教授

東京大学大学院教育学研究科総合教育科学専攻(比較教育社会学コース)教授。1967年神奈川県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。東京大学助手、群馬大学講師、大阪大学助教授を経て現職。第2回社会調査協会賞。
大学への進学』『大衆化とメリトクラシー』『暴走する能力主義』など著書多数。

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(東京大学教授 中村 高康)
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