なぜ、皇位継承問題は重要なのか。皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「万が一『天皇不在』という事態になると、日本の国はフリーズし、機能不全に陥ってしまう」という――。

■「女性天皇」容認を示した世論調査
毎日新聞では、今年5月に皇室についての世論調査を行った。それによれば、皇室への関心の有無を聞いたところ、「今の皇室に関心がある」は「大いに」と「ある程度」を合わせて66%にのぼった。「あまり」と「全く」を合わせた「関心がない」が33%だから、その2倍に達したことになる。
およそ3分の2が皇室に関心を持っていることになるが、18歳から29歳までの若年層になると、関心があるが50%まで低下している。関心がないが49%だから、それはわずかに上回っているものの、若年層の皇室への関心は薄いと言わざるを得ない。
女性天皇については、それを支持すると答えたのが全体の7割にのぼった。一時、女性天皇を支持する声が9割を超えたこともあった。ただし、悠仁親王が誕生したことでその数字は下がった。重要なのは、今回の調査で女性天皇を否定したのはわずか6%だったことである。女性天皇を容認する声が大多数を占めていることになる。
こうした調査が行われたのも、開会中の国会で皇統の安定的な継承、皇族数の確保について議論が進められていたからである。これについては、今回は先送りになってしまったが、喫緊(きっきん)の課題であることは間違いない。

■「天皇不在」で機能不全に陥る日本
なぜ皇統の安定的な継承ということが問題になってくるのか。
端的に言えば、万が一「天皇不在」という事態が起これば、日本の国はフリーズし、機能不全に陥ってしまうからである。世論調査でも尋ねてほしいところだが、そのことを理解している国民は意外に少ないのではないだろうか。
その点については、拙著『日本人にとって皇室とは何か』でも説明した。日本国憲法によって天皇は「国事に関する行為」を行わなければならないと定められている。
もちろん、天皇が勝手にそれを行うわけではない。内閣の助言と承認を必要とするのだが、国会の指名にもとづいて内閣総理大臣を任命すること、内閣の指名にもとづいて最高裁判所の長たる裁判官を任命することからはじまって、次のような国事行為が定められている。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

二 国会を召集すること。

三 衆議院を解散すること。

四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。


六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七 栄典を授与すること。

八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

九 外国の大使及び公使を接受すること。

十 儀式を行ふこと。
一見してわかるように重大なことばかりである。
これはまったくの架空の話だが、今この瞬間に天皇不在という事態が起これば、そうした重大なことがすべてできなくなる。
■唯一の解決策は摂政を置くこと
架空の話だとは言ったが、皇位を継承する資格を持つ男性皇族は、今や秋篠宮、悠仁親王、それに常陸宮に限られている。常陸宮は上皇の弟であり、現在89歳である。皇位継承の可能性があるのは秋篠宮と悠仁親王だけであり、少し先のことを考えてみれば、悠仁親王以外に天皇になれる人間はいないのだ。
ただ、天皇不在の状況に直面したとき、ただ一つ解決策がある。それが摂政(せっしょう)を置くことである。
皇室典範の第16条では、天皇が成年に達しないときと、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」は、皇室会議の決定で摂政を置くと定められている。
摂政になれるのは成年に達した皇族であり、慣例的に男性が優先されるが、女性も含まれている。皇后や皇太后、太皇太后、それに内親王や女王でも摂政になることはできる。その点で、女性皇族の存在は重要なのである。
ところが、これは皇族の数の減少がもたらしたことでもあるが、女性皇族の負担が増大し、それが問題を生みはじめている。
■佳子内親王にみる「ご公務」の激務
それは佳子内親王をめぐっての出来事である。佳子内親王は6月5日から15日までブラジルを公式訪問した。それは、両国の外交関係樹立130周年及び「日本ブラジル友好交流年」の機会に、ブラジル政府から招待されたからである。
訪問自体は無事に終わったものの、帰国後、佳子内親王は体調を崩し、6月23日に予定されていた昭和天皇の陵墓(りょうぼ)である武蔵野陵への参拝をキャンセルしている。ブラジルでは、移動日を除いた10日間で8都市をまわるハードスケジュールだったので、それが原因ではないかと推測されている。
幸い、参拝をキャンセルした翌日には、日本芸術院賞の受賞者らを招いたお茶会には出席している。しかし、4月と5月には、石川県と岐阜県に泊まりがけの地方公務も行っており、佳子内親王に相当の負担がかかっていることは間違いない(「週刊女性PRIME」7月1日)。

こうした活動は、「ご公務」と呼ばれる。「公」という字が使われているので、皇族の義務であるかのように考えられるかもしれないが、法律でそれが義務づけられているわけではない。日本国憲法においては、天皇が国事行為を果たさなければならないことは定められている。だが、日本国憲法において、「皇室」という用語は登場しても、「皇族」についてはいっさい言及されていない。
■皇室の人数はわずか16人
ではなぜ皇族は「ご公務」に励まなければならないのか。それは、法律で規定されたことではなく、伝統や慣習にもとづくものである。
「ご公務」という言葉には、社会貢献や国民との交流という意味があるが、戦前にはそうした言葉は使われていなかったものと考えられる。ただ、現在の「ご公務」に通じるような活動を皇族は行っており、その中には、軍事活動(軍事演習への参列や部隊視察)、地方巡行、社会事業や慈善事業への関与、学術・文化・スポーツの振興、そして外交活動などが含まれた。
戦後、日本軍が解体されたため、軍事活動はなくなった。そもそも戦前の皇族男子は、昭和天皇の兄弟がそうであったように軍人であった。現在の「ご公務」は、軍事活動を除けば、戦前の諸活動を引き継いだものである。
戦前と現在とで大きく違うのは、皇族の数である。
現在、皇族の数は14人で、皇族には含まれない天皇と上皇を加えてもわずか16人である。
戦後の1947(昭和22)年10月14日に11の宮家が皇籍離脱し、そこには51人が含まれた。その結果、その時点での皇室には、昭和天皇一家(昭和天皇、香淳皇后、明仁親王、正仁親王、4人の内親王で8人)と、秩父宮家(2人)、高松宮家(2人)、三笠宮家(4人)の三つの直(じき)宮家が残ることとなった。皇室は16人で構成されることとなった。これは現在と同数である。
■秋篠宮家に集中する公務の現状
ただ、男性皇族が多く、将来において、皇族の数が増えていくものと見込まれていた。だからこそ、11の宮家が皇籍離脱しても、皇族の数は確保できると考えられたのだろう。だが、実際にはその方向にはむかわなかった。それが、現在の皇族数の減少という危機的な状況を生んでいるわけである。
これは、一昨年の記事になるが、2023年12月21日の毎日新聞は、「秋篠宮家に集中する公務 担い手不足、縮小する皇室の実態」という記事を掲載した。天皇皇后が行ってきた「七大行啓」のうち、全国障害者スポーツ大会や全国育樹祭などへの出席は秋篠宮夫妻に引き継がれ、秋篠宮家が皇室全体の「ご公務」のうち約3割を担うようになってきたというのだ。佳子内親王が激務なのもそのためである。

たとえ、今国会で議論されたように、旧宮家から養子をとることと女性宮家の創設が認められ、皇室典範が改正されたとしても、それが機能する保証はない。果たして、皇籍離脱した旧宮家の中に、養子になろうとする男性はいるものなのだろうか。
女性宮家の創設の前提には、女性皇族の結婚ということがある。眞子元内親王のこともあり、結婚のハードルは相当にあがっている。
現実に議論がまとまり、法改正にまで進んだとしても、それが問題の解決に結びつくのかはまったくの未知数であり、むしろ、意味がないものになる可能性さえ十分に考えられるのだ。
■政府がまず着手するべきこと
その間も、天皇や皇族は「ご公務」に励まなければならない。相当に大胆な形で「ご公務」の軽減をはからなければ、これから様々な問題が生まれてくる可能性は否定できない。旧宮家からの養子や女性宮家の創設についても、あまりに「ご公務」が多いことが障害になる可能性もある。
日本各地では、折あるごとに天皇や皇族が来訪してくれることを望み、いったんそれが実現されると恒例となるよう求める傾向がある。皇室の存続を望むのであれば、国民の側がその点で自重する必要がある。「ご公務」が法律で定まっていない以上、政府がその方向でのぞめば、負担の軽減はいくらでも可能なはずなのである。
政府はまずそこから手をつけるべきではないか。ひいてはそれが、「天皇不在」という最悪の事態が訪れることをなんとか防止する一助になるはずだ。
■複雑な皇室制度は周知されているか
ただ、こうした皇室の現状について、一般の国民はどれだけ理解しているだろうか。たとえ皇室に関心を持っていたとしても、詳しい情報や知識を持ち合わせてはいないのではないだろうか。
私自身も最近、皇室への理解が十分ではないと感じたことがあった。それは、前回「これで『愛子天皇』も『悠仁天皇』も実現できる」という記事を書いた際のことである。
同じように、当媒体で「皇室ウォッチ」を連載している高森明勅氏から指摘を受けたのだ。
私は「昭和の時代に入ってから27年間も皇太子はいなかった」と書いた。それは、現在の上皇の立太子の礼が行われたのが1952(昭和27)年のことだったからである。
ところが、高森氏の指摘では、旧皇室典範が定められてから、皇太子になるには特別の儀式は必要なく、天皇の長男として生まれれば、自動的に皇太子になるという。実際調べてみたら、誕生した時点で奉祝歌「皇太子さまお生まれなつた」が北原白秋作詞、中山晋平作曲で作られている。
高森氏には感謝しなければならないが、改めて、皇室をめぐる制度は複雑で、時代によって変遷をとげていることに注意しなければならないと感じたのである。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)

宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)
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