■凶作で米価が高騰、田沼意次はどうしたか?
「米が、ない?」
「おととしの米なら」
そんな予告編が流れた、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)第26回「三人の女」では、2025年の今に通じる米価の高騰が描かれます。
浅間山の大噴火による降灰と冷夏による不作で米の値段が高騰し、江戸幕府の要職にある老中・田沼意次(渡辺謙)らが対策に追われるのでした。ドラマにおいて意次は商人らに「米の値下げを命じよ」と指示。しかし効果は薄く、有効な対策をとれず、紀州徳川家の徳川治貞(高橋英樹)に叱責されるありさまでした。結局、意次らは米問屋や仲買が売り惜しみをしないよう米に関連する「株仲間」を廃止し、難局を乗り切ることになりました。
これが今回の概要ですが、ここには大きな嘘があると筆者は感じます。その嘘が何かは後で見るとして、それではまず、株仲間とはいったい何かということを見ていきましょう。
株仲間とは端的に言うと「商人・手工業者たちによる特権的な結合組織」のことです。商人らの同業者仲間は元来より存在していましたが、それが株仲間として公認されたのは8代将軍・徳川吉宗(1684~1751年)による享保の改革の時です。
■徳川吉宗の時代は米価が安く、幕府は苦心
享保期は米の値段が安い状態でした。ところが米が安い代わりに米以外の商品の値段がかなり高くなっていたのです。これは「米価安の諸色高」と呼ばれています。
「令和の米騒動」が起こっている今から見ると信じられないことですが、では吉宗はなぜ米の値段をわざわざ引き上げようとしたのでしょう。それは、米の値段が安い状態が続けば、年貢米が増えたとしても財政収入の増加に直結しないからです。そこで幕府は物価を安定化させるため、また奢侈品(しゃしひん)禁止令の励行のため株仲間を公認したのでした。
幕府は株仲間を公認し、それに営業の独占を認めると共に、株仲間を通じた流通・商工業の統制を図ろうとしたのです。流通の統制を図り、主要商品の価格を落ち着かせようとしたのでした。しかし、幕府の努力にもかかわらず(1732~33年の享保の飢饉の時を除き)、米価の安い状態は続きます。
■「備蓄米」を流通させず、米価を上げようとした
それは意次が権勢を誇った「田沼時代」にも続いていたのです。当然、米価が安いということは幕府や諸藩の財政、ひいては武士の家計に打撃を与えます。では意次の時代にはどのようにして米価を引き上げようとしたのでしょう。
手法の1つとして挙げられるのが「囲籾(かこいもみ)」(囲米)です。囲籾とは幕府が飢饉(ききん)などの非常時に備えて諸藩や村に命じて備蓄した籾米、つまり「備蓄米」のこと。
手法の2つ目は「買米(かいまい)」でした。米価の低下に歯止めをかけるため、市中から米を買い上げ、米の流通量を減らすことにより米価を上げようとしたのです。
米価引き上げ策と共に採られたのが、諸物価の引き下げ策でした。「べらぼう」においては、田沼意次は米に関わる株仲間をしばらく廃する策を打ち出し、難局を乗り切るようです。だが、現実には田沼時代には株仲間の公認が広く行われていたのです。都市部のみならず農村部においても株仲間を公認したのです。
■米商人の「株仲間」を廃止した為政者は…
幕府は株仲間に営業上の特権を与える代わりに献納金を差し出させていました。このような金のことを「冥加金(みょうがきん)」「運上金」と呼びます。冥加金の増加は幕府の財政に寄与します。一方、商人にとってもそれにより営業上の特権を得ることができる。
田沼意次は米に関わる株仲間をしばらく廃する策を打ち出してはいません。冒頭で筆者が書いた「嘘」とはこのことを指します。将来的に幕府は米・油・炭などに関する株仲間を廃止することになるのですが、それを主導したのは田沼意次ではありません。
■老中となった松平定信が構造改革したが…
では、米など生活必需品に関する株仲間を廃したのは誰か。意次の次に登場し「寛政の改革」を断行する老中・松平定信です。とはいえ、定信も全ての株仲間を廃止した訳ではありません。ごく少数の株仲間を廃しただけです。定信もまた株仲間に冥加金の上納や物価調節の役割を期待していたのです。
定信の老中就任前には新たな問題が起こり、それへの対応が迫られていました。連年の飢饉(天明の大飢饉)により、米価や諸物価が高騰していたのです。
■田沼の嫡男が暗殺され、米価が下がった
そうしたときに起きたのが、田沼意次の子・意知(「べらぼう」では宮沢氷魚)の斬殺事件(1784年)でした。意知を殺したのは旗本・佐野政言(同・矢本悠馬)ですが、政言は殺人犯にもかかわらず、庶民から「世直し大明神」として崇められます。それは一説によると刃傷事件の翌日に米の値段が下がり始めたからでした。
一方、意知の葬列には人々から石が投げられています。この逸話からは米価高騰に有効な対策がとれない「田沼政権」への人々の不満が溜まり、ついにそれが爆発した様が垣間見られます。意知が殺害される前年には大飢饉により、各地で打ちこわしや一揆が発生していました。天明年間は江戸時代の中で一揆や打ちこわしが多発した時期といわれています。それらは「天明の大飢饉」による米価高騰に起因した「米一揆」でした。
さて定信は米の値段が上がったのは、商人が米価を操作したり、米の生産が停滞しているからと考えていました。
よって定信は「田沼時代」に続いて倹約令を出し、更には風俗統制を強め、農村復興を図ろうとするのです。しかし「寛政の改革」の倹約令を中心とする景気の極端な抑制策は、庶民に強い不満を生じさせ、改革は頓挫(とんざ)することになります。
■米価にのせるマージンを廃止、どうなったか
さてこれまで見てきたように、定信も「田沼時代」の政策を踏襲した面もありました。株仲間の多くを存続させたこともそうです。株仲間に関しては物価高の根源との批判がありましたが、定信もそれを廃することはできませんでした。商人らは幕府への冥加金を調達するため、物価を高く設定している。また株仲間は排他的である。よって株仲間を廃止し、冥加金の上納を免除すれば物価は安定するという見解(中井竹山『草茅危言』)もありました。
株仲間を解散させたのは、天保の改革を主導した水野忠邦でした(1841年)。ところが株仲間の解散は流通の混乱を招き、景気は悪化。
「令和の米騒動」の今、小泉進次郎農水相は「コメは作らないでという農政から、意欲をもって作り、余っても海外輸出するなど中長期を見据えた農政の根本的改革を実現したい」と語っています(原知恵子「小泉進次郎農水相、コメ生産者と面会「作らない農政」改革にも意欲」朝日新聞2025年5月24日)。筆者も「農政の根本的改革」には賛成ですが、改革によって生じる「負の側面」「弊害」にも目を向け、それへの対応をしっかりしていけば万全の対策となるのではないでしょうか。
参考文献
・藤田覚『松平定信』(中央公論社、1993年)
・藤田覚『田沼意次』(ミネルヴァ書房、2007年)
・高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012年)
・清水光明「べらぼうコラム5 老中・田沼意次が進めた政策で物価高に? 「株仲間」の積極的公認がもたらした影響とは」(「ステラnet」2025年2月2日)
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濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。歴史研究機構代表取締役。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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(作家 濱田 浩一郎)