■制度の隙間に落ちた18歳の少女
「親からずっと暴力を受けています。このままだと殺される…」
2019年の夏、深夜。近畿地方に住む18歳の加奈さん(仮名)は、親の暴力から逃げ、助けを求めて警察に駆け込んだ。ところが、警察からは家に帰るように言われ、困り果てる。
加奈さんからLINE電話で相談を受けた長野県上田市のNPO法人「場作りネット」の元島(もとしま)生(しょう)さん(41)は、警察に電話を代わるように伝えた。
「この子の傷、見ましたか? その状態で家に帰すのは危険すぎます。せめて一晩だけでも警察に泊めてあげてもらえませんか」
元島さんは必死に訴えたが、警察の答えは冷たい。
「警察はホテルじゃないから。この子は18歳だし、家に帰ってもらうしかないでしょう」
制度上、18歳からは児童相談所の保護対象から外れる。さらに、都道府県の女性相談センターは、あくまでも配偶者やパートナーからの暴力を受けた女性が対象だ。
元島さんは警察の対応に落胆しながら「だったら今から僕がそこにいくので、せめてそれまで彼女を保護していてください」と伝え、ハンドルを握る。450キロの道のりを夜通し運転し、加奈さんが保護されている警察署に到着したのは、朝日が差し込む時間だった。
制度の隙間に落ちた加奈さんは、いったいどこに行けばよかったのだろうか――。
■法律や制度では救えない人たちがいる
長野県上田市でNPO法人「場作りネット」が運営する「やどかりハウス」は、公的な支援とは違った立場から暴力や支配に苦しむ人と向き合う民間の駆け込み場だ。海野町商店街にある劇場兼ゲストハウス「犀の角」を拠点として、DVや虐待、貧困など、さまざまな理由で困りごとを抱えた人たちに、1泊1000円で宿泊を提供する。
駆け込んできた人は「犀の角」のゲストハウスに宿泊するため、旅人として訪れるゲストと区別がつかない。相談支援を希望する人には、場作りネットの相談員が「犀の角」のカフェスペースで話を聞く。
2020年12月の開始からこれまでの4年間でのべ971人、4429泊を受け入れてきた(2025年3月時点)。うち380人は、今も支援を継続している。その大多数が、行政ではうまく公的支援の条件に当てはまらなかった人たちだ。
一方で長野県の公的支援施設で一時保護をした件数は、この5年間、毎年およそ15件前後。
■「証明できない暴力」がある
「公的な支援につながるためには、被害の証明が必要なんです。例えば暴力を受けた痕や診断書など。でも、それを証明するのはなかなか難しいんですよ。そして、証明できない言葉や態度による精神的な暴力のほうが実は深い傷を与えると私は考えています」
やどかりハウスの相談員で精神保健福祉士の秋山(あきやま)紅葉(くれは)さん(40)はそう語る。秋山さんはやどかりハウスが発足した当初から相談支援に携わり、SNSや電話も含め、1日に少なくとも5人、多ければ10人の話を聞く。昼夜問わず、毎日だ。
公的な女性保護制度では、暴力を振るう相手と離婚することを前提としなければ保護の対象とならない。さらに、精神疾患があると対象外となる他、子どもがいる場合、その子どもが男の子だと一緒に入居することはできないなど、条件は厳しい。
秋山さんによると、たとえ保護が実現したとしても、1度保護をうけると2週間は外出できなくなり、学校や仕事にも行けなくなるという。そのため保護を辞退して車中泊を繰り返したり、友だちの家を転々としたりする人も多い。お金や交友関係がなければ路頭に迷うことになる。
「『証拠を出してください』とか言われてしまうと、暴力を受けた人のほうが悪いような気がしてしまうんですね。相談したことでエンパワーされないどころか、むしろパワーを奪われてしまうんです。公的な支援を断念せざるをえなかった人たちは数えようがないので、なかったことにされる人がいるんですよ」
秋山さんの語り口は穏やかだったけれど、その言葉からは静かな怒りを感じた。
■劇場を兼ねたカフェ、オープンな「駆け込み場」
「やどかりハウス」の拠点となっている劇場兼ゲストハウス「犀の角」は、かつて銀行だった建物。通りに面して大きな窓があり、商店街の通りから中の様子がよく見える。
扉を押し開けて中に入ると、ソファとテーブルがいくつか並んでいる。普段はカフェ営業をしているが、公演があるときは劇場に早変わり。
少し奥にある別の建物の3階が単身者用のゲストハウスになっていて、1キロほど離れた場所には子連れで泊まれる一軒家もある。カフェのカウンターはゲストのチェックインカウンターも兼ねていて、状況に応じて案内する。
取材を約束した4月某日、秋山さんは金髪の少女とスーツを着た男女二人組とともにソファ席に座り、話し込んでいた。しばらくすると彼らは席を立ち、秋山さんはスーツの二人と少女を別々に見送ると、こちらに席を移して言った。
「彼女は18歳で学校には行っていないんだけど、学校の先生からやどかりハウスの存在を聞いて、私たちが関わる前から『犀の角』に来ていたんです。
行政の窓口で案内されるような四角い相談室とはまるで違う、オープンな環境だ。相談者は嫌がらないのだろうか。
「ほとんどないですね。むしろ『聞いてください』みたいな感じで、堂々と話し始める人が多いです。周りに誰かがいることによって、自分のことを誰かに気にかけてもらえる感覚になるというのもあると思います」
■理由は問わず、全員を受け入れる
やどかりハウスは、個人利用が7割。公式LINEで宿泊希望日と氏名、簡単な利用理由、相談希望の有無を伝えるだけで手軽に利用できる。ほか3割は、児童相談所や学校カウンセラー、自治体や警察など、公的機関からの紹介だ。
利用者のうち「家族と一時的に距離をとりたい」という理由が最も多い。DVや虐待などの家族関係の悩みの他、育児や介護による孤立や引きこもり、病気や障害特性による生きづらさ、経済的困難など、さまざまな社会課題が複雑に絡み合う。
「断る条件はないので、基本的に全員受け入れます。ただ、『犀の角』はオープンな場所なので、身体的な暴力被害や追跡のおそれがある場合は、警察や行政に相談するか、オープンにしていない場所を案内するか、電話でやりとりしながら一緒に考えます」(秋山さん)
利用者の性別は問わないが、約8割が女性だ。
■「必要としている人がいるんだったら、受け入れてから考えよう」
やどかりハウスを運営する「場作りネット」は、副理事長の元島さんが立ち上げた。元島さんは、熊本県で水俣病の被害者救済を求める活動を担ってきた父に影響され、社会的に弱い立場にある人たちへのまなざしを育んだ人物。
2011年に学生時代の友人とともに富山県で子どもや若者の居場所を立ち上げると、若年層だけではなく、出所した元受刑者やDV被害者など、困っている大人がたくさん集まってきた。
「そこで『ここは子どもや若者の居場所だからDV被害には対応できません』って言うことだってできたんですよ。でも俺たちはそうしなかった。必要としている人がいるんだったら、受け入れてから考えようと思ったんです。どういう人たちが社会にいて、どういうふうに困っていて、どういう問題があるのか知りたいと思いました」(元島さん)
困窮する人たちの声を聞く中で、もっと生活に踏み込んだ関わり合いをしたいと考えるようになり、2013年に「場作りネット」を結成。国の電話相談事業と並行して、引越し業者を装ってDV被害者の夜逃げに手を貸したり、当事者グループをつくったり、必要とされることはなんでもやった。
2018年に縁があった長野県上田市に本拠地を移すと同時に、若者支援に力をいれようと、電話だけではなくSNS相談にも着手する。
■“駆け込み場”の必要性を確信する
冒頭で紹介した加奈さんは、このSNS相談に助けを求めた若者の一人だ。こうした相談は年間1万件以上寄せられた。
厚生労働省「令和6年度版自殺白書」によると、10代の死因1位が自殺なのはG7各国の中で日本のみ。この状況は10年ほど前から変わらない。元島さんが関わった若者の中にも、残念ながら自殺をしてしまう若者が何人もいた。
加奈さんをそのままにしたくなかった元島さんは、警察で加奈さんを保護したあと、自治体に支援方法を掛け合った。ところが、福祉課や弁護士、警察が集まって何時間もかけて協議しても、結局なんの打開策も見出されない。成人年齢が20歳だった当時は、親の同意なしに入院することも難しかった。
元島さんは、友人のつてを頼って近隣で運営されていた民間の居場所に依頼し、加奈さんとともに滞在する。2週間後、親の代わりに市町村長が同意をすることで入院できる方法があると分かり、加奈さんは精神科に入院することになった。
電話やSNSでの相談を通して、家庭の抑圧を受けた若者や暴力に苦しむ人の存在を日々目の当たりにした元島さんは「安心して家出ができる場所が必要だ」という思いを強くする。
そして2020年3月、新型コロナの流行で“その時”はやってくる。
■コロナ禍があぶり出した社会の矛盾
「自粛が叫ばれ出した時、パートは切られるだろうし、暴力は増えるだろうし、弱い人から切り捨てられるってすぐに直感しました。これは急ぎで何かしなきゃいけないっていう感覚でしたね」(元島さん)
案の定、家庭内でのDV被害や虐待、さらには失業や貧困の問題が顕在化し、ニュースを賑わせる。それは長野でも同じだった。「犀の角」がある海野町商店街では、コロナ禍によって増えた困窮者を有志で助け合う草の根の活動が動き出す。
その流れの中で、コロナ対策で劇場としてもゲストハウスとしても利用できなくなっていた「犀の角」を、駆け込み場として活用することになった。このときのことを元島さんは、次のように話す。
「社会構造のせいで生まれる困りごとを、相談を受ける僕らだけが知って終わるのは、むしろ社会は変わらなくていいっていう言い訳に加担しているようなものなんです。ガス抜きに終わらせず、『こういう人がいる』『こういう問題がある』ってことを世の中に分かってもらうことは、相談を受ける者の責任だと思うんですよ。コロナ禍によって、僕らが見ている光景が表に出てくる感じがあって、これは世の中に分かってもらうチャンスだと思ったし、今なら出来るという感覚がありました」
(後編につづく)
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ざこうじ るい
フリーライター
1984年長野県生まれ。東京大学医学部健康科学看護学科卒業後、約10年間専業主婦。地方スタートアップ企業にて取材ディレクション・広報に携わった後、2023年よりフリーライター。WEBメディアでの企画執筆の他、広報・レポート記事や企業哲学を表現するフィクションも定期的に執筆。数字やデータだけでは語りきれない人間の生き様や豊かさを描くことで、誰もが社会的に健康でいられる社会を目指す。タイ・インド移住を経て、現在は長野県在住。重度心身障害児含む4児の母。
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(フリーライター ざこうじ るい)