■公的支援を受けられなかった40代女性
「行政による支援が届かない場所」にいるのは、10代の若者だけではない。DVや貧困、障害のある子どもを抱えた母親たちもまた、逃げ場のない日常に苦しんでいる。
重い自閉症の子どもがいる40代の綾乃さん(仮名)は、50代の夫から子どもの障害について「お前のせいだ」と言われ続けてきた。
夫は子育てにはまったく関わろうとせず、夫婦間での会話は途絶えて久しい。にもかかわらず「お前は俺のものだ」と言って昼夜構わず不同意性交を強要する。夫は経済力があったが綾乃さんには十分なお金を渡さず、性的にも経済的にも支配する状況が長年続いていた。
公的支援では離婚する前提でなければ保護の対象にはならないが、子どものことや経済的なことを考えると離婚は難しい状況だった。やどかりハウスの相談員である秋山さんは、綾乃さんの複雑な心境を次のように話す。
「支配によって、ここでしか生きられないとか、自分には力がないと思わされてしまっているんです。それがDVだと気づいたとしても、やっぱり大事な家族だという気持ちもあるので、混乱するんですよ。
綾乃さんは家庭から距離を置くために、やどかりハウスをたびたび利用するようになった。元来明るくてエネルギーのある綾乃さんは、複雑な思いを抱えながらも、自立のために資格をとったり、お金を貯めたりするようになる。そしてついに先日、「家を出ました」という報告が届いた。
「誰かがサポートしてくれると思えれば、力が戻ってくる」と秋山さんは言う。綾乃さんは、「いつかやどかりに集まってくる女の子たちとスナックを開きたい」と夢を語る。
■就労、生活保護だけが支援なのか
やどかりハウスの利用者は、劇場を兼ねたゲストハウス「犀の角」に身を寄せる。「宿泊の理由を問わない」という当初からの方針で、駆け込んで来る人たちの背景は、暴力被害に限らず多様だ。
引きこもりがちな青年や、家庭に閉塞感を感じている母子、派遣切りに遭って住む家がなくなった人……。公的支援との違いは何なのか尋ねると、秋山さんは「決めつけないこと」と話してくれた。
「行政はそれが就労なのか生活保護なのか家なのか、みたいに分類して決めないと関われないんですが、本当はそのどれにもあてはまらないし考える時間が必要なだけっていう例がたくさんあるんです」
利用者たちは、やどかりハウスで現実から一時的に離れる時間を持つ。自分と向き合う時間を過ごすこともあれば、旅人や街の人、劇場を訪れた文化人とともに賑やかな宴会に参加することもある。
■支援者だけではつくれなかった環境
「犀の角」の劇場スタッフは、やどかりハウスの利用者を決して排除しなかった。たとえば朝から晩までカフェに滞在してお客さんに次々に声を掛ける人には「用務員ってことにしたらおかしくないかな」と、役を当てはめることで、関係性を捉え直す。
病院で長年ソーシャルワーカーとして働いた経験がある秋山さんは、どうしても「迷惑をかけてしまっていないか」と思ってしまうことが多かった。違う関係性を見出す劇場スタッフの対応を見てはっとしたという。
やどかりハウスの利用者が演劇制作の裏方に参加することもあった。福祉や支援の文脈では「困りごとを抱えて逃げてきた人」であっても、演劇制作の現場では大事な制作スタッフとして頼りにされる。中には、つい昨日まで「死にたい」と訴えていた若者が、演劇関係者と意気投合し「来年の公演も待っています!」と話す場面も。秋山さんはその様子に希望を感じた。
「福祉では、どうしても自立とか就労とか、目的を設定してしまいがちなんです。でも演劇の現場では、目的よりも今そこにいる人やその時感じたことが大事にされていました。そこには、福祉だけでは想像できなかった包摂的な豊かさがあって、福祉よりも福祉的だと思いました」
「犀の角」に出入りする街の人たちを通じて、次第に近隣の映画館や古本店なども、やどかり利用者にとって安心できる場所になっていく。支援者だけでは決してつくることができなかった環境が、そこにはあった。
■20の相談機関をまわった女性がここで得たもの
夫の暴力に悩んでいた40代の真美さん(仮名)は、警察に相談したものの「証拠がない」と支援を断られ、20の公的な相談機関をまわっても何にもならなかった。やどかりハウスにたどりついたのは、2024年1月のことだ。
途方に暮れていた真美さんは「同じような経験がある人の話を聞いてみたい」と訴えた。そこでやどかりハウスの公式LINEで「話を聞かせてくれる人はいますか」と投げかけると、「同じ経験があります」「私も話したいです」と、次から次へと反応が返ってきたという。
「それまでスタッフとして流していた文章には全然反応がなかったんだけど、当事者がなげかけたことに対する反応たるやすごかったです。頭では分かってたはずなんだけど『あ、こっちなんだな』って体で理解できた感じがしました」(元島さん)
真美さんの呼びかけをきっかけに、利用者同士が対話をする「女性の自立のためのお茶会(通称『お茶会』)」が生まれた。以来、「お茶会」は今でも月に2回、「犀の角」のカフェスペースで開催される。
「自分はずっと社会的存在じゃなかったんだと感じた」
「同じように苦しい人がいると分かってホッとした」
「ここでは話しても誰も怒る人がいない」
私も何度か参加させてもらったお茶会では、そんな声が聞こえてきた。
必要だったのは、支援者でも閉じた相談室でもなく、助かりたい人同士がつながって話をする、開かれた場所だったのだ。
■危機の「やどかりハウス」、救ったのは……
2024年3月、スタートから3年強で2751泊もの利用があったやどかりハウスはしかし、存続の危機に陥る。
年間1000万円以上かかる運営経費は、これまで休眠預金活用事業や新型コロナウイルス緊急支援金などの補助金を組み合わせてなんとかやりくりしてきた。ところが、2024年夏以後の運営費の目処がたたなくなってしまったのだ。
そこで元島さんたちは、宿泊利用料を1泊500円から1000円に引き上げた。さらに、今度はやどかりハウス自体が「助けて」と発信を始め、支援者を募った。その結果、もともと10人ほどだった月間継続寄付者は8月末には100人を超える。クラウドファンディングと合わせて合計約800万円の支援金が集まり、1年間は存続できる見込みとなった。
同時に、やどかりハウスに支援をしてくれた人が利用者になったり、利用者が支援する側に回ったりする場面も生まれた。
「誰が誰を助けているか、もはや分からないんですが、みんなが助かってますよね。『助ける』『助けてもらう』の関係性を覆して、人として関わろうとするこのあり方が、本来の福祉であるべきだと思いました」(秋山さん)
SOSの発信で集まったのは、お金だけでなく、活動を続けるためのエネルギーだった。
■「制度や法律があっても子ども一人助けられない」
2025年の4月から、やどかりハウスは長野県の事業として補助を受けることが決まった。民間団体との協働を謳った女性支援新法に基づいた動きである。これにより、ひとまず1年間は一定の資金を確保できた。しかし元島さんは、「行政の支援がどれだけ整えられても、それですべての人々が救われるわけではないです」と言う。
「暴力を受けて逃げてきた10代の子をこれまでたくさん見てきましたけど、行政やら病院やら法律家やらなんやら大人が寄ってたかって、子ども1人助けられないんですよ、今の世の中って。
利用者の中には、「生活保護を受けるくらいなら死んでやる!」と叫びながら商店街に飛び出した高齢女性もいる。相談支援をしていた秋山さんは途方に暮れたが、他の利用者や街の人たちの申し出により、彼女は今、古本店の選書や子どもの見守りなどをしながらなんとか暮らしている。
彼女の生き方は、本人の意思に反して生活保護申請を進めていたら見えなかった景色を見せてくれた。行政が用意した制度がいつも正解だとは限らない。
■「人間の力は信じたいと思っている」
では、私たちは何に希望を見出せばいいのか。
「制度とか法律とかの“システム”が必要な場面もあるし、逆にそのシステムで排除されてしまう人もたくさんいます。それが今の社会の限界だということもわかっていて、そのことに日々絶望しています。でも僕は、システムが人間を幸せにするのではなく、むしろそれを超えていく人間の力を信じることが大切だと思っています。それは暴力や自分自身と日々戦っている人たちと触れ合う中で、彼らが絶望の中からも自分の世界を変えていく姿を何度も見てきたからです。自分たちには世界を変えていく力があるんだっていうことをみんなで信じたいんです」
元島さんは、日々絶望する人たちと出会い続ける理由をそう語った。最近では何度も対話を重ねる中で、制度や法律を運営する公的支援に関わる人たちも少しずつ変わってきたことを感じているという。
秋山さんも「女性に限定した支援をしているつもりはないし、これまで通りのことをしていくだけ」と淡々と話す。
「支配によって身体的、精神的、社会的、経済的暴力の関係になるということはこの世に溢れていて、行政だけではどうにもならないことが毎日のように起こっています。それは、被害者と加害者の問題というよりは、社会構造や歴史の中で私たちが生み出してきた考え方や関係性の問題であり、『私たちみんなの問題』です」
■誰もが誰かの「やどかり」になる
取材の最後に、秋山さんは「私ね、ずっと溺れそうだったんですよ」と切り出した。
幼少期、およそ10年間にわたって父の同僚で障害のある女性から毎日電話がかかってきた経験がある。そのせいで両親の仲は険悪になり、秋山さんは自分の気持ちを押し殺すようになった。ずっと「誰も助かっていない」と感じていた。
「駆け込んでくる人たちは海で溺れそうになっていて、支援者は普通『おい、大丈夫か』って岸から手を差し伸べるんです。でも私は海にいて、一人だと溺れちゃうんだけど、駆け込んでくる人たちから死なずに息継ぎする方法を教わりながらなんとか泳いでるんです。海の中に入って泳いでいる人の方が、海の冷たさも怖さも知っているから、信頼できます。もっと海を知りたいんです。色んな人と一緒に海を泳いでいたいですね」
「幼少期に毎日電話をかけてきた女性との対話を願って、いろんな人の話を聞いてきた」という秋山さんも実は、やどかりハウスに救われている一人だったのだ。
やどかりハウスで起きているのは、人間同士として出会い、応答し合うという当たり前の営みを取り戻す運動だった。それはいわば、誰もが誰かの「やどかり」になる取り組みである。
私自身も決して無縁ではない。孤独感に襲われて繁華街をうろついた10代。自分に自信が持てず、アパートから出られなくなった20代。子どもを怒鳴り散らす自分に絶望した30代。救われたのは、いつもその時出会った人の言葉や態度や関わりだった。思い当たるのは、おそらく私だけではないだろう。
やどかりハウスは、決して特別な場所ではない。むしろ、誰にとっても必要な場所なのだ。
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ざこうじ るい
フリーライター
1984年長野県生まれ。東京大学医学部健康科学看護学科卒業後、約10年間専業主婦。地方スタートアップ企業にて取材ディレクション・広報に携わった後、2023年よりフリーライター。WEBメディアでの企画執筆の他、広報・レポート記事や企業哲学を表現するフィクションも定期的に執筆。数字やデータだけでは語りきれない人間の生き様や豊かさを描くことで、誰もが社会的に健康でいられる社会を目指す。タイ・インド移住を経て、現在は長野県在住。重度心身障害児含む4児の母。
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(フリーライター ざこうじ るい)