※本稿は、車田和寿『涙がでるほど心が震える すばらしいクラシック音楽』(あさま社)の一部を再編集したものです。
■最後の協奏曲「クラリネット協奏曲KV622」
クラリネット協奏曲はモーツァルトが亡くなる年である1791年に作曲されました。モーツァルトは数多くの協奏曲を作曲しましたが、これがモーツァルトにとって最後の協奏曲であり、クラリネットのための唯一の協奏曲でもあります。
この曲が書かれる約2年前、モーツァルトは友人でクラリネット奏者のアントン・シュタードラーのためにクラリネット五重奏という室内楽曲を作っていますが、これも同じく彼のために作曲されました。
初演はモーツァルトが亡くなった後、シュタードラーのヨーロッパツアー中に行われます。クラリネットは当時まだ新しい楽器で、様々な改良が加えられようやく形が定まりつつありました。そのため当時はバセットホルンやバセットクラリネット、クラリネットなど、それぞれ管の長さや形の異なる楽器が、曲の調や雰囲気に合わせて用いられています。
シュタードラーはクラリネットの中でもより低音が出るバセットクラリネットやバセットホルンを得意としていたと言われています。モーツァルトはシュタードラーの演奏に対して「あなたの演奏ほど、クラリネットが人の声に近づくことができると思ったことはありませんでした。あなたの音は柔らかくて繊細で、心がある人だったら、抗(あらが)うことはできません」と手紙で記しています。
■人間のさまざまな面を許す「優しさ」がある
モーツァルトはクラリネット五重奏を書く前に、バセットホルンのための協奏曲作りに取り掛かります。
クラリネットはリードが一枚の木管楽器ですが、その優しさと温かみ、さらに少しばかりの憂いを持ち合わせた音色が特徴です。音域もすでに登場していたフルートやオーボエと比べると約1オクターブ低音側に伸びており、一つのフレーズの中で低音から高音までを駆け上がるような箇所が多く見られます。
そんなクラリネット協奏曲には晩年のモーツァルトの特徴がよく表れています。その音楽はより一層透明感が増し、聴く人を優しい気持ちにさせてくれます。本書の「フィガロの結婚」でも触れたように、オペラの中には浮気者もいれば、ちょっぴり悪いことをしてしまう人物も登場します。モーツァルトはそのような人々の感情を決してモラル的にジャッジすることなく、それも人間の一面だというような感じで、正直な音楽を付けるのです。
おそらくモーツァルトは人間が大好きだったのでしょう。その音楽にはなんでも許してしまうような優しさがありました。
非常に優しい満足感に包まれた音楽ですが、そこには、その人が人生の中で経験してきた苦悩や悲しみの影がわずかに感じられます。そのような経験を受け入れて、ようやく得た満足感が味わえます。
■代表作の「レクイエム」KV626
モーツァルトの代表作「レクイエム」は、モーツァルト最後の未完の作品となりました。
あの映画「アマデウス」においては、作曲家のサリエリが病気がちなモーツァルトを追い込むために、正体を隠して作曲を依頼した設定になっていますが、実際にモーツァルトは匿名の人物から依頼を受けています。
現在ではその人物がサリエリではなく、フランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵であることが明らかになっています。伯爵は亡くなった妻のために、自分の作品としてレクイエムを演奏しようと考えていたようです。借金を抱えていたモーツァルトは、この見知らぬ人物からの依頼を受け、前金の半分を受け取ってから作曲を開始しました。
モーツァルトは、亡くなる年の9月、「皇帝ティートの慈悲」の演奏のためにプラハを訪れると病気になってしまいます。しかしプラハからウィーンに帰ってきたモーツァルトはまるで熱に浮かされたかのように、この「レクイエム」の作曲に取り掛かるのです。
■一人で完成させたのは最初の1曲だけ
病状は次第に悪くなり、11月にはとうとうベッドから起き上がることができなくなってしまいます。それでも作曲を続け、12月4日には、数人の歌手たちがレクイエムの声楽パートを歌うためにモーツァルトのもとに集まりました。ところがその夕方には病状が悪化し、日付が変わってすぐ、12月5日の午前1時頃にモーツァルトは亡くなってしまいます。
こうしてモーツァルトは「レクイエム」を完成させることができませんでした。
現在モーツァルトのレクイエムは14曲で構成されていますが、モーツァルトが一人で完成させることができたのはその最初の1曲だけです。他の曲においては、声楽パートとバスパート、重要なソロや第1ヴァイオリンなどの断片的なスケッチが残されているだけでした。
完成からほど遠い形で残された「レクイエム」ですが、妻のコンスタンツェは残りの報酬の受け取りにこだわったと言われています。その結果、弟子たちがこの曲を仕上げることになります。そして最終的に、弟子の一人であるズィスマイヤーの手によって完成されることとなりました。
14曲のうち、第11曲、第12曲、第13曲の3曲は、完全にこの弟子によるものであるとされています。
■死の中に感じていた安らぎ、愛、光
最初のレクイエムは死者を追悼すべく、重く、深い悲しみに満ちています。しかしその後のソプラノソロによって光が差し込んできます。ここで演奏されるのは、マニフィカトの旋律といって、古くからある旋律です。マニフィカトとは聖母マリアがイエスを身ごもったことを神に感謝する言葉です。
死を追悼する音楽の中に、聖母マリアの旋律が印象的に浮かび上がります。
モーツァルトが感じていた「死」は、「慰め」となって、必要としている人たちに救いを与えてくれます。ここにモーツァルトの「レクイエム」の素晴らしさがあります。最初の1曲以降、残されたのは本人のスケッチだけですが、そこにはやはりモーツァルトが見た安らぎの世界が表れているのです。
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車田 和寿(くるまだ・かづひさ)
声楽家
福島県出身。福島県立安積高等学校卒業。国立音楽大学声楽科卒業。東京都立高等学校音楽科教諭として4年間勤務した後、渡独。ブレーメン芸術大学声楽科を最優秀の成績で卒業。在学中にキール歌劇場においてオペラ歌手デビューを果たし、以後ハンブルク州立劇場、ヒルデスハイム歌劇場、レーゲンスブルク歌劇場、ザクセン州立歌劇場(ドレスデン)、ザクセン国立劇場(ラーデボイル)など、ドイツ国内外の歌劇場において数多くのオペラにソリストとして出演する。
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(声楽家 車田 和寿)